はてなキーワード: 自尊心とは
宗教は人を救うんだけど、最初は救うけど、教祖なしではいられないように程よく自尊心を失わせていって、依存させ金を出させる悪辣な宗教があるんだよ。
そもそも良いイメージを持たれるようなものには、それを利用しようというやつは現れる。宗教や自己啓発なんかその一つ。
昔は宗教と権力が一体だったから、そんな宗教は異端の1つとして潰されていった。だけど、今は信教の自由があるからできない。
なんとかカルト宗教が救う前に、公助で救われる枠組みにつなげていかないとならないと思うね。職のこともあるから給付付き職業訓練の枠組みも利用したらと思う。職業訓練として役所が管轄する場所に来るということでもあるし。
私、最初は『ボディポジティブ』って色々な体型の女性を積極的に採用してメディアに出していこう!(太めの体型に限らず、頭が大きいとか手足が短いとかの一般的に『美しいとされない容姿』全般を含む)
…という、社会や企業に対する要請の事かと思っていて、それは良い事じゃんと思っていたんだよね
それがモデルや俳優といった特別な分野だけじゃなくて、一般企業の事務だの営業だのの職として採用する場合にも広がっていけばいいと思っていた
だけど調べてみたら全然違うじゃん
https://adv.asahi.com/keyword/14486886
「ボディポジティブとは、ありのままの身体(ボディ)を前向き(ポジティブ)に愛そうというムーブメントのこと。」「ボディポジティブとは自分の「ありのままの身体」を受け入れる考え方」
だってさ……『愛そう』とかそういう話だったの!?社会や企業に向けて訴える政治運動じゃなかったの!?思ってたのと違った。
(『ボディニュートラル』というのも見てみたけれど、こっちもやっぱり『自分』が主軸にある事には変わらないのでやっぱり好きになれない)
ポジティブになろう、自分を好きになろうって、常日頃周りから自尊心を削られ続ける女性達個人に対して要求するなんて、あまりにもグロテスクじゃない?
女性個人が自分の身体を「受け入れ」たところで、周りから差別され続ける状況は何ら変わりませんけれど!?あまりにも無意味だし虚しい。
「自分の身体を好きになろう」で解決する問題ならば人種差別も奴隷制も存在してねーし公民権運動も要らなかったよ
違うでしょ、本当の意味でボディポジティブを語るならば主軸は『自分』じゃなくて『他人』にすべき
何故、「他人の容姿を笑うな」と、世間に向けて言っていかないのか。女性個人に押し付けようとするのか。
そうすれば自分を好きになるなんていともたやすいし、自己肯定感なんぞ自然に生まれるよ
希望に溢れていたかのように見えた『ボディポジティブ』の実態がこのような、自己責任論にまみれた上っ面の精神論の押し付けだったなんてあまりにもがっかりだ
オタクであること以外に自我や自尊心保てないからエロを否定されたらもう終わりなんだわ
だから羞恥心があると思えないTシャツきたり紙袋もったりしてアイデンティティの確認をしてる
アニメやエロと自我を切り離せないからアニメのこの表現は良くないのでは?というだけで自分のアイデンティティが傷つけられたと被害者意識でいっぱいになって平気で差別表現使いながら表現の自由とか言って必死になってる。子どもなんだわな。だから山田太郎とか赤松みたいなのにも利用されて乗せられてる。
表現の自由的なものは手段であって、エロ批判をした=僕ちゃんのプライドやアイデンティティを傷つけてきたやつ(たぶん女)を叩くのが大きな目的。
女は、日本社会を女という性別で生きるためには当然優秀かつ人当たりが良く人から好まれて、見た目に気を遣っていなければならないと永遠に現実を見せられる
男は、ただでさえエロいことばかり考えて1日をエロに費やしてるだけで一年が経過しがちなのに、そのエロの中身がダメクソな主人公にいきなり現れて無条件で好きで尽くしてくれる奴隷女、ゴミでもカスでも愛してくれるエロゲオナホ無料飯炊き女、だからな
優秀かつ人当たり良く人から好まれる人徳の持ち主で見た目に気を遣ってなければ日本社会を生きるのは難しいという真理をバカにした厨二病のままで育ちやすいわけ
厨二病の腐ったゴミ底辺男で他に何もできなくて発達障害用パン工場でもクビになるようなやつでも、汚い絵柄でも、エロならウケるのでな
エロ漫画描いてるやつなんて精神年齢ゴミカスの底辺がゴロゴロいるからね
必要なのは社会性訓練と他人をバカにしない健全な自尊心なんだけど現状のエロはそれらから目を逸らしたまま気付かせない毒だよな
いくらボケてるからって幼稚園児みたいなこと(レク?)させられてさ。
家族には年金生成器としての価値しか認められず、施設では孫くらいの年の職員にガキ扱いされて。
身長は伸びるんだよなあ
親の身長によって左右される事はあれど、
小学生とかそのくらいならこれから伸びるという期待値も持てるでしょ
12年前、
借りていた奨学金の募金活動で桜木町駅に日がな一日立っていた。
この活動に前向きで意欲的な奨学生もいるだろうけど、私はそうではなかった。
なぜ週末の駅中で、私は親を亡くしました。でも勉強がしたいのです。だからご協力をお願いします。と、楽しそうで幸せそうな人たちに向けて声を張り上げ続けなければならないのか。
多くの人は一瞥するも通り過ぎ、
あるいはこちらを見もしない。
俺だって大学に行っていない、甘えるな。とおじさんに言われたり、
ここの団体の資金のやりくりは不明瞭で、とそんなことをおばさんに言われたりした。(そんなことを私に言ってどうする?と思いつつ、聞かないわけにもいかなくてしんどかった)
募金と見せかけて
好き好んで親を亡くしたわけでもないし、
好き好んで看板を吊り下げて立っているわけではない。
あえてこちらを見ようとせずに通り過ぎる赤ちゃん連れの若夫婦などを見ていて、
足もしんどくなってきた夕方、
癖っ毛で眼鏡をかけた小柄なスーツ姿のおじさんが寄付をしてくれた。
ありがとうございます。とお礼を言うと、おじさんは何も言わずに去っていった。
しばらくして、さっきのおじさんが戻ってきた。
それを差し入れにくれるという。
募金活動の差し入れに甘栗。しかも殻付き。と思ったけれどありがたく受け取った。
おじさんはこう言った。
君らがここでこんなことをせなあかんのは間違ってるんや。僕ら大人が悪いんや。ほんまごめんな。ほんまごめんな。
おじさんは最後、少し涙声になっていた。
なぜこの人が謝らなければならないのだろうか(しかも偶然出張で桜木町駅にいるだけなのに)、と思ったけれど
私はずいぶんとこのおじさんの言葉に救われた。
1日立ち続けて
私たちはちゃんと存在して、見えていたのだな。ということがわかったことと、
なにより、おじさんのその気持ちに。
もう12年経ったけれど、
おじさんのことを忘れたことがない。
名前も聞かなかったし、もう会うこともないだろうし、
お年としては、定年を迎えられているのかもしれない。
どうか元気でいてくださいとおじさんを思い出すたび、祈っている。
人は人の心を挫くこともできれば、
反対に守ることもできるのだと
おじさんが身を持って教えてくれた。
おいしかった。
見ず知らずの学生の姿を認めて
耳を傾けて、言葉をかけてくれた。
あのおじさんのような大人になりたいと思ったし、
べこべこに凹んだ自尊心を守ってくれた。
おじさん、元気ですか。
あなたはもう忘れたと思うのですが、
あの時はものすごく嬉しくて
12年経った今でも
女叩きがあって、インセルが自尊心の回復のために女をだしにしてるのがとても可哀想だった
底辺掲示板なんかにいる女たちはレスバが下手らしくて明らかに相手が間違ってるし不当な暴言を吐かれてるのに、相手の議論の穴をつくとか相手の言い分の矛盾を指摘するとかせず、お前はだからモテないんだよ!以上に言語化できてないみたいだったので、上手く言い返せずレスバに負けている奴が結構いた
それを代わりに言語化して女叩きを叩きまくってたら、女たちがレスバにバンバン勝てるようになってきて、女叩きやインセルコメントがつくとボロボロにレスバに負けるようになっていった
俺は満足して掲示板を去った
色んな失敗したポイントがあって、その中にビジュアルの作り込みに手間をかけ過ぎてたと反省していた。
樽のポリゴン作るのに2、3ヶ月かけてる社員いたと言っていて目眩がした。
自分がその樽担当だったら、なんで俺は樽をこんなに時間をかけて作ってるんだろうと自尊心バキバキに折れると思う。
どういう社内文化、組織なのか雰囲気はあまり掴めなかったけど、ゲームの面白さと直接関係ないところにコストかけ過ぎてて、スクエニから面白いゲームが出にくくなったと言われてもしょうがないと思った。
もうちょっとスクエニは働いてる人や面白いゲームを作るための純度というか優先順位を大事にしてやってくれ。
樽のポリゴン作るのに2、3ヶ月かけるのは酷過ぎ。