はてなキーワード: 自営業とは
「水曜日のダウンタウン」で柳ヶ瀬(西柳ヶ瀬)がシャッター商店街のワースト一位となってたので、地元出身としてコメントする。
番組の中では、西柳ヶ瀬衰退の理由が「国体開催に合わせた浄化作戦」という声を紹介していたが、これは半分正しくて半分間違っている。
西柳ヶ瀬は柳ヶ瀬の中でも風俗店などが多い歓楽街だが、西柳ヶ瀬のシャッター街化が進んだ本質的な要因は、岐阜市エリアの経済基盤の崩壊である。岐阜は昔から繊維工業が盛んな地域で、工場関連の問屋やアパレルの周旋をやってるような自営業の小金持ちが山ほどいた。彼らが顧客を連れて接待に向かうのが柳ヶ瀬エリアの飲食店で、その後の二次会的な行き先が西柳ヶ瀬であったわけだ。こうした旦那衆以外の工場の労働者連中の利用者も多かったことと思う。上の人間も下の人間も、その周りの人間も、繊維工業で潤った金を握りしめて西柳ヶ瀬に集まっていたというわかりやすい構造である。
90年代以降に岐阜や一宮あたりの繊維産業が軒並み倒れた。基幹産業の繊維が傾くと、地方ゼネコンやらの周辺産業も煽りを受け、全国規模の企業が岐阜に構えていた支店も畳まれるなどして、岐阜の経済はあっという間に萎んだ。私は80年代後半から90年代を岐阜で過ごしたが、当時も羽振りの良かった同級生が「家庭の事情で」家を売って引っ越していくと言うようなことが増えていた。
岐阜というと、今回話の上がった西柳ヶ瀬以外にも、駅前の空洞化や、駅南の風俗街(金津園)の凋落や、長良川鵜飼の寂れ方などなどが報じられることがあるが、これらは全て一つの要因に行き着く。繊維産業衰退に伴う地場経済の崩壊である。
なお、シャッター街化の要因として今回の番組では取り上げられることのなかった、大手小売業の郊外ショッピングモールの存在もあるが、岐阜や一宮エリアに90年代以降に建設されたショッピングモールは基本的に廃業した繊維工場の跡地であることが多い。「郊外型の大型ショッピングセンターによって商店街が焼け尽くされた」という言い方を仮にしたとしても、つまりは繊維工業の衰退が背後にあるということは変わらない。
国体による浄化作戦なるものが、西柳ヶ瀬のシャッター街化への最後の一撃となったということはあるのかもしれないが、長期的かつ本質的な要因はそれではない。そして、これは地元の人間ならみんな知っていることではある。
先に言っとくが、妻のまんこは汚くない。というか汚いと思わない。
いつ何時でも舐めたいと思う。朝イチで舐めたいし、仕事終わりで舐めたい(妻が嫌がるのでできない)
そして舐めるだけでなくもちろん、まんこに我が聖槍を挿入するのも大好きなわけなんですよ
でもやらしてもらえねんだよなあ。妻氏、在宅で自営業みたいなもんだから常に仕事が忙しいっつて、実際忙しいのかはよくわからんが、もう常に仕事のことが気になっている感じ。まじ勘弁して欲しいよ。俺はセックスしたいだけなんだよ。三日に一回ぐらいさせてくれよ。
(ちなみに先々週ぐらいに一回やった、妻は半分寝てたが)
(その前は1ヶ月ぐらい空いていた、ほぼ毎日打診してんのにこの頻度すごくない?)
あとそういえば妻は尻も汚くはない。アナル舐めはお腹痛くしそうだから風呂入ってもらった後しかしないけど、まあ汚いとは思わない。本当はアナルをもっと色々したいという気持ちもある(妻が嫌がるのでできない)
まんこに至るなんか太ももの内側の平べったい感じもいいし、まんこのうえの陰毛の生えてるあたりのプニプニした感じもいい。触ったり撫でたりするだけでいい気分になるし、挿入してえ〜ってなるじゃないですか。
だけど俺の現実としては、まんこアクセスのない日々が続いてるわけですよ。
そんで通勤したり職場行ったりすると、女性がおられるわけで、この人らにもまんこがあるんだよな……とか思って色々イメージするわけですね?
あとあれですね、俺も若い頃は風の俗などにまあまあ行ったりもしましたので、ない金はたいて久しぶりに行くか!とか思うんですよ。
でもなんか嫌になっちゃうんだよな。他所の女のまんこを具体的にイメージするとなんか、汚ねえなと思うようになってしまった。
絶対舐めたくはないし、まあゴム有りならちんぽぐらい突っ込んでやってもいいけど、みたいな感触。
てかあれだな、今書きながら具体的にイメージしたけど、そもそもキスとかもしたくないし、裸でハグとかもちょっと嫌だな。まんこに限ったことではないかもしれん。
これはもしかしてあれか?おれの遺伝子に刻まれた生物学的な一夫一婦制のネイチャーなのか?もしかして?
まあそういうわけです。他所のまんこ、汚いので。触りたくないわけです。
でもまんこそのものには触りたい、というか妻のまんこに触ったり舐めたり挿入したい。
なんだよもう、どうしたらいいの?
先ほど寝てる妻の尻だの脚だのを撫で回したため(全然起きない)、
自分があまりに他人と接しなさすぎたのかもしれないけど、婚活で男性15人くらい会って、しゃべって一発でヤバかった奴は二人だけ(全ての質問がおうむ返しなので私が一人で話題を振り続ける×2)だったよ
相談所婚活だからあまりにヤバい人ははじいていたのかもだけど……。なんとなく趣味や仕事のリズムが合わなそうかな?と言う人はもちろんいたけど、会話に難があったとかではなかった。
フィルターの中で関係するとするなら年収を自分と同等(450前後)のみにしていて、会社勤めの人がほとんどだったから、ということの影響はあるかも。
これで仕事やっていけてるのかこの人?みたいに不安になった二人は二人とも自営業だったので、それから自営業はお断りしてました…。(年収は自分の1.5〜2倍とかだったと思う)
コメントありがとう。夫、自営業は才能もあったし、すごく生き生きしていて、最後までけっこう儲かってたんだ。健康上の理由で続けられなくなっただけで。あなたのコメントの趣旨とは外れず、けっきょくは「自営業は向いていない」ということになるのだけど、本人の気持ちと私の気持ち的にちょっと書いておく。
そうなんだ、私の仕事が詰むし、彼用の仕事を作らなくてはならないのがつらい。
夫のバカなところは、せっかく入った会社で不満を隠さないところなんだよね。そしたら周りの人もいい気がしないから、キツく当たるのは当たり前。で、体調が悪くなるかメンタルが悪くなるかで辞めちゃう。
3人目の子育ては考えられないらしい。
私は仕事時間以外はほぼ育児に捧げていて、仕事もフルリモートかつ業務時間は2人の子供が保育園に行っている間だけなので、妻がワンオペになることはほぼない。
たまにある仕事上の会食も21時以降にしていて、こどもを寝かしつけるだけの状態にしてから出かける。
主に妻が担当している家事は毎日の夕食と休日の昼食の準備で、これはだいぶ負担をかけていることは認識しているので、月に4、5回は私がやることもある。
妻は体力がない方なので私もできる限り一緒に育児をやっているつもり。
私の仕事は時間をかけただけ稼げる分野なので、もっと稼ぎたい私としては育児よりも仕事をしたいわけだが、妻は妻で定期的に限界が来てブチ切れるのが月に数回程度はあるのでこのくらいに落ち着いている。
それでも世帯年収は多くの会社員の夫婦よりはかなり高くなっていて、経済的にも3人育てるのは特に問題がない。
ということで、そろそろ3人目が欲しいんだが、妻は子育てに自信がなさすぎて3人目は嫌らしい。
私は4人兄弟の家庭で育ったので多ければ多いほど楽しいと思っているので、まだまだ子供が欲しい。
オタクは消費するだけで創作をしないとか馬鹿にする人がいるけどだからといって創作を趣味にするのはオススメしない。
小説とか漫画とかを作る創作活動というのは他の趣味一般とは一線を画す特殊なものであるからだ。
なんでかと言うと、ほとんどの創作を趣味にしている人は本業の隙間をぬって活動をしている。そのため平日は会社から帰宅して風呂や食事を終えてからの活動になる。
そのため活動が日付をまたぐことが多い。
だから創作活動というのは基本的に睡眠時間を削って行うものになりがち。食生活も適当になるし日々の軽い運動なんかもおそろかになりがち。
もちろん、節制して規則正しく生活をして適切な時間を創作活動に当てはまる という優等生な人もいるだろう。
しかし自分がTwitterでフォローしてる数百人のオリジナルから二次創作の作り手はほとんどが最低限の生活以外を創作に捧げるか、そうするしかないと考えてる。
創作活動というのは、自分は成長してるという実感を得るのが難しいために「たくさん時間をかける」というトレーニング方法以外無いためにそうなりがちである。
少し前に東京の文化や地方都市の文化、みたいな話題が増田で盛り上がっていた。
大体、こういう話題のオチは東京は消費文化に過ぎないとか、クラブカルチャーのようなものは地方都市では生まれ得ないといったマウント合戦になる。
我が家は地方都市の自営業。地主階級ではなく、単なる1代限りの商売をした層だ。自分は継がずに東京でサラリーマンをしている。
そんな父はエスタブリッシュメントではないが、書斎や職場の倉庫に優に2万冊を超える書籍を残していた。
思い出せば父は休みの日は本を片手にソファで寝っ転がっていた。インテリ風な見た目、オシャおじな見た目では全くなかった父は、家族以外の他人からはいつも印象と蔵書量がピンと来なくて驚かれる。
あまり父と本の内容や政治経済の話をしないので、読んでいた本の傾向はわからないが、いわゆる雑食型だと思う。そもそも大学教授や地方の研究家というわけではないので雑食で問題なかろう。
もともと経済学部出身だったこともあり、経済関連の本は多く、地方都市のただの自営業者にもかかわらず世界経済に関する書籍が多いのは少し笑った。実学よりも知識欲だったのだと思う。
とはいえ、堺屋太一や立花隆、村上龍などの著作はかなりあり、好きだったのだろうと思わされる。
もともと文学少年だったようで、小説が最も多く、1万冊程度、あとは歴史が好きなので歴史関係の書籍が数千冊、経済、思想、美術あたりが多い。子供を東大に入れるための教育法、不動産投資で失敗しない方法みたいな本棚に並べるのも恥ずかしい本もあって笑える。そのあたりも雑食で好感が持てる。文学は自分が全く知らない著者や世界文学の本もあり、なかなかの教養を伺わせる。生前にいろいろ聞いてみたかった。
理系の話がわかるようになる本、大学受験用の数学や物理、生物の参考書、大学以降の化学の教科書(東京化学同人とか)もあって、このおっさんはどこに向かおうとしてたんだと思う。コンプレックスかもしれないし、学生時代に身につけられなかったことを少しずつ勉強していたのかもしれない。よくわかるレアメタルの本、とかよくわかるEVの本みたいな仕事と全く関連ない本も読んでいて本当によくわからない。付箋がついているので読んでいる跡はある。
画集や詩集も多く、このあたりはまったく詳しくないのでどう評価したらいいのかわからない。でも、昔から美術は好きで、海外にはよく美術館巡りをしていた。ルーブルに3日連続で通ったあとに、全然見れなかったからまた来たいなぁと言っていた。その想いは叶わなかったけれども。
私が知る限り、父には友人らしい友人はいなかったし、小説を書いて応募したという話は聞かないし、金儲けで成功したという話も聞かない。せいぜい母と私と兄を養ったという我が家にとっての偉大な功績があったくらいである。
父の仕事に直接関連する書籍は蔵書の中の1%未満であり、父は人生の可処分時間の大半をステップアップや成長のための読書ではなく、趣味のための読書、自分のための読書で過ごしている。父が得た知識や理解はどこにもアウトプットされることなく、灰となって消えてしまった。
もちろん地方都市に父のような生活をしてる人が大半だなんて言うつもりはない。おそらく少数派だ。しかし、人口20-30万人くらいの小さな地方都市には大体、父のような人間がいるものだ。
東京や大阪にもいる、という話ではない。そんなのいるに決まっている。
地方都市の自営業者のような世間的にはそんなに尊敬される、すごいと思われるわけではない職業についた人々が、自身の知的好奇心ドリブンで年収や職業訓練になんの役にも立たないことをしている。そういうのも一つの地方文化だと思う。首都圏生まれの人には想像しづらいかもしれないが、いわゆる知識人階級(大学教授や医師・弁護士といった士業など)の肩書を持っていないが、準知識人(もしくはエセ知識人、隠れ知識人かもしれない)がそれなりに埋もれている、そういうことも知っておいてほしい。