はてなキーワード: 考える力とは
性的魅力が含まれるものは面白さじゃ無いというなら、まずその排他的な「面白さ」の定義を示せよ。
ちなみにプロットや起承転結に分解すればわかるけど、課題が提示されてキャラクターがそれに立ち向かう、キャラクターに個性がありそれを生かした行動やズレた行動をして関心を引くと教本的なレベルでもちゃんと描かれてるぞ。
さらに言えば、ぼっちの陰キャ描写は旧来のテンプレ的描写より幅があって新鮮、他のキャラも一面的な陽キャやクズキャラじゃないキャラが多い、ビルドゥングスロマンとしての要素もあるという感じでクオリティが高いぞ。
物語の内容が無くてキャラだけだと言いたいなら直球で物語を批判すればいい。それを考える力が無いから元の増田はこうやって本筋から離れた部分で批判してるんだろ。
俺も観測範囲、かつ記憶を辿りながらの話になるので事実確認は各自でお願い。
なおセクハラ関連の話はしない。
確かに災害派遣とか平和維持活動はその職種の特性上施設科が行くことが多いんだけど、だからといって一概に体力的精神的にタフかというと個人的に疑問符がつく。
災害派遣は鳥インフルとか各種天災とかコロナとか緊急性が平和維持活動と比較すると高くて志望なんて言ってられる状況じゃないし、都道府県知事からの要請(隊員は自衛隊法にそういう条項があることを座学で学ぶ)で近隣の部隊が動いたりするので、経験してる隊員・元隊員は士階級でも全国まんべんなくそれなりの人数いるはず。
平和維持活動の方は、少なくとも俺がいた頃は方面隊単位で指示が回ってきていたので、他の方面隊の隊員が志望したとしても幹部や実績のある曹でないと派遣される可能性は低かった。
ともあれ、そういった環境下・経験で何を思うか・何をするか・何を得るかは、結局隊員個人の感性とか、考える力とかの問題だと思う。
自分の体験とか他の隊員から聞いた体験談を具体例として列挙することもできるけど、読む人に俺の意図しない偏見を植え付けそうなので、あえて挙げない。
施設科の隊員数は軽く調べても出てこなかったのでざっくりした印象の話になってしまうけど、普通科と並んで、あるいはそれより多いくらいの隊員を抱える職種ではないだろうか。
何万人という人を、良くも悪くも十把一絡げに語れるとは俺は全く思わない。
自衛隊に限らない話だけど、元増田も言っているように木を見て森を見たつもりにならず、木はあくまで木として個別に捉えることが重要だと思う。
追記:
ちょっと補足。
彼女らは、当然WACとして住む寮は分けられていたけれども、男性隊員と何ら任務を区別されることなく各種訓練に勤しんでいた。
さすがに平和維持活動を経験した女性隊員となると観測範囲ではいなかったけど(というか俺がいた方面隊は当時その対象ではなかった)、いれば広報のネタになりそうなのでWeb上に実例があるかもしれない。
(最下部にブコメ返しあり)
この増田はいつ頃、どういう入り方で、陸海空どの自衛隊のどの隊にいたのだろうか?
なんでみんなそれすら確認せずにこの情報を信じることができるのか?現場を経験してないからなのか?
俺も自衛官だった時期がある。身バレしない程度に、俺が経験したことを具体的に書く。ちなみにめちゃくちゃ長いです。
俺は2007年8月〜2010年3月まで、任期制隊員として陸自の関東方面隊にいた。任期制隊員についてはググって。まだこの制度あるのかな。
今はどうか知らないけど、当時は入隊してから半年の教育は前期3ヶ月と後期3ヶ月に分かれていた。
前期は武山駐屯地で自衛隊法とか小銃の組立解体とかの座学と、徒手空拳とか5段階ある匍匐前進の仕方とか寝撃ち膝撃ちみたいな小銃の撃ち方とかの実技演習と、定期的に実施される体力テストのための体力づくりが中心だった。
俺はちょっとした事情で、教育中はなかなか野外訓練についていけなくて悔しい思いをした。
前期の教育中、同じ班の人が「24時間拘束されてこの給料じゃ国の最低賃金下回るじゃん」みたいなことを若い奴らに喧伝して支持を集めてたけど、少なくとも教育中は長時間拘束されるなんて入隊前から分かりきってるんだからそもそも入隊しなきゃ良かっただろ、士気下げるだけだからさっさと辞めちまえばいいのに、と言う人たちもいた。
印象的だったのは、教育隊の隊長が2尉だったかな?20代後半のなよなよした人で、それに対して10の班を纏める40代くらいの2曹がミッシェルガンエレファントのドラマーをシュワちゃんばりにおもくそ屈強にしたみたいな、子供時代が想像できないタイプのいかにも鬼軍曹な人で、まあその人も話してみると意外と優しかったんだけど、最初から幹部で入ってるっぽい人と現場叩き上げでこうも違うのかと思ったな。
あとは、軍事オタクよりアニオタの方が多かったとか、選ばれし者だけが習志野の空挺に行くことを許されるとか、同期に柔道全国6位とか特殊な人がまれにいたりとか、入隊前の書類に実家の信仰する宗教を記入する欄があったとか、ある日全隊員が会議室に集められて特定の生命保険への加入を(隊友会のめちゃくちゃ安いやつじゃなかったと思う)半強制的に勧められたとか、東富士での三日三晩の訓練の後に叩き起こされてみんな絶望的な顔をしながらとある部屋に集められて「次の任務を言い渡す。これを飲め」と配られたのがキンキンに冷えたコーラ(任期制は未成年もいるからね)でめっちゃ安心して涙が出るほど美味かったとか、普段全く笑わなくて班員のやらかしが発覚すると班の部屋に潜入しバームクーヘン毛布を全員分グチャグチャにすることで「台風」のあだ名がついた班長が休日に部屋へやって来てすわ何かと身構えたらPSP取り出してはにかみ笑いでモンハンやろうぜって言われて一緒に遊んだりとか、まあ色々印象的なことはあった。
後期は普通科施設科需品科とか、隊員たちがそれぞれの職種に対応した駐屯地に分かれて、ある程度専門的な教育を受けた。あんまり言うと特定されそうだから詳しくは書けないけど。
後期は大抵5年〜10年ほど自衛隊にいてだらけきった(後述する)人たちが上官になるので、前期に比べると圧倒的にヌルかった。
武山駐屯地の教育隊はというと、彼らは教育専門の部隊で、年中そればっかりやってる人たちなんだよね。そのことは後期に入って初めて知った。
ただ、後期は冬だったから野外訓練が死ぬほど寒かった。キツかったのはそれくらい。
教育期間を振り返って思うのは、確かにパワハラ的なことは全くなかったとは言えないんだけど、当時のご時世とか考えると、高校の部活の延長みたいなもんだった。むしろ強豪校にいた人にとっては前期もヌルかったんじゃないかな。訓練はどうしても体力のない人に合わせる形になるからね。
それに、少なくとも教育中は、この増田が言ってるようなことは全く無かったな。自衛隊法は学んだけど、「神と虫」なんて言ってるのは聞いたことがない。上は「教官」じゃなくて別の肩書だったし。前期の休日で外出する場合は制服着用って言われたけど、彼女待たせてる人は当然外で着替えるし、横須賀中央とかのあたりはその辺を軍服の人が歩いてるのが日常だからそんなに忌避感もなかった。
一定の耐性がついてる人は多少制限を与えられても抜け道とか自由をその中に見出してなんとかするし、何か洗脳っぽいことを言われても自分でちゃんと考える。そういう意味では増田が教育の時点で抜けたのは正しい判断だったのかもね。まあそもそも、この増田がやってることこそ洗脳な気もするんだけど。
とにかく。話変わって、パワハラみが増したというか、俺にとって地獄だったのはむしろ教育が終わってからの方だった。
教育が終わって、俺は地元にまあまあ近い駐屯地に配属になった。
そこでまず知らされたのは、春以外の入隊員は季節隊員という半ば蔑称に近い形で呼ばれて、「使えない・すぐ辞める」隊員が多いというレッテルを貼られていること。「部隊のエース」という言葉は文脈によって、本人の与り知らぬところで蔑称になること。新入隊員は慣習的に、部隊長の半長靴磨きという業務時間外の仕事を割り当てられること。訓練での活躍なんかよりも、休憩時のお茶汲み、上長が煙草を吸っていたら煙缶を持って来る、ビール瓶のラベルを見えるようにして上手く酌ができる、飲み会で要領よく挨拶回りができる、そういう「空気の読める」隊員が良しとされる風潮があったこと。
んでもって極みつけは、所属大隊の隊長が、金正恩もびっくりの「お前屈んで半長靴の紐結べねえだろ」ってくらい不健康そうな出っ腹だったこと。
別にルッキズムなんて持ち合わせちゃいないし、市井の人々はいくら太ってても気にしないけど、有事に人を守る自衛官としてそれはあんまりだろ。
俺はこれからこんなやつらの下で働かなきゃいけねえのかと思った。この半年学んだのは何だったんだと思った。
んで、それでも我慢してやってみようとしばらく過ごしてみると、よりその地獄みは鮮明になった。
一年のうち3分の1ほどが、草刈り・車両整備・消防点検やらお偉いさんの来訪前などに頻繁に行う寮の清掃・持ち回りの風呂掃除や警衛などに費やされる。
さらに、これは駐屯地によると思うけど、俺のいたところは糧食班もあって、食堂で飯作りと配膳を3ヶ月ほどの持ち回りで担当する(対象は陸士)。
よって、訓練や体力づくりに精を出すのは一年の半分を満たない。当然毎日定時。通勤1分。
半長靴磨きとか迷彩服のアイロン掛けとか定時外にやることはあるけど、隊長の半長靴は陸士の間で持ち回り、それも一番下の立場の時だけなので、自分の下が来ればそいつらに引き継いでやらなくなる。自分の半長靴はイベントがあったとき磨けばいいくらいだし、迷彩服は私物って言ってアイロン掛けの要らないタイプを買ったり貰ったりしてたから、やっぱりイベントで官給のやつを使うときしか掛けなかった。
ついでに、たまの訓練で遠征するとなると、7tの荷室で人員輸送されてる最中は密閉された幌の中で何人もがバカスカ煙草を吸いまくる。煙草を吸わない俺にはそれが無茶苦茶辛く、かと言って指摘すればたちまちエース(笑)扱いになる未来が見えていたので、繊維が肌に刺さるほど質の悪いカーキ色の官給毛布で顔を覆って耐えるしかなかった。さすがに今はそんなことはないと思いたいけど。
自衛隊車両の運転免許を取りに行くとか、観閲式の準備対応とか、あとはさっきの糧食班とかは、普段の部隊から離れてかつ自由な時間が大幅に増えるので「おいしい仕事」と呼ばれていた。駐屯地の中にクラブという名の安っぽい飲み屋があって、酒を飲まない俺でも週に2日くらい連れて行かれた。
そんなわけで、大体の人は教育期間とのギャップから、怠惰になる。怠惰にさせられてしまう。だから、大隊長に限らず太ってる奴らは多い。
こっからは完全に自慢になる。
俺はそんな怠惰な環境が嫌でしょうがなくて、体育学校に行きたいと思った。ほぼ帰宅部の人生で教育期間もほぼビリケツの筋力だったんだけど、幸い持久力だけは人並み以上にあったので、かなり頑張れば3000m(5000mだったかな?)走の資格に手が届きそうだった。
ちなみに、カナヅチだった俺は駐屯地内のプールでシンスプリントの治療がてら練習しまくった結果遅い遠泳ならできるようになったけど、立ち泳ぎができなかったのでレンジャーはハナから諦めてた。
とにかく、2年弱走りまくっていたら、3000mの歴代中隊記録を更新して、さらに大隊内で一番体力テストの成績が良くなった。2年弱の間に糧食班にいた期間の自由時間とか自衛隊内の教育とかを使っていくつか資格を取った。そんなこんなしてたら件の大隊長から表彰状を貰った。この場で破り捨てたらどうなるかなと思った。
もう少しで体育学校に行けるというタイムまでこぎつけたところで、別にやりたいことができた。体育学校に行くのは良いけど、現役を引退した後も自衛隊にいるとまた空気を読むだけの怠惰な生活が始まって面倒そうだとも感じたので、2任期目の途中で退官することに決めた。
半年ほど前に申告したにも関わらず、結構直前まで揉めた。まあ任期制隊員なのだからある程度は仕方ないんだけど、なんか中隊長を納得させるためか会社の事業計画の個人版みたいなものを作らされた記憶がある。1年後にこういうことをして、3年後には海賊王に俺はなりますみたいなやつ。
今はこんなご時世だし多少は改善されてると思いたいな。
えっと、ほんとにめちゃくちゃ長くなった。何が言いたかったんだっけ。
とにかくだ。洗脳って言葉を使うのであれば、教育期間は俺にとって洗脳でもなんでもなかった。当然咄嗟には受け入れられない出来事もたくさんあったけど、それは、「人を守る仕事」という前提と、当時の時世ということで鑑みれば納得できた。
むしろ教育が終わってからの方が、耐性のない、考える力のない人は洗脳されやすいと思う。それくらいにあの場所は怠惰だ。その「人生楽勝な感じ」に大半の人が流される。騙される。
そんなんじゃ人は守れないからと、一部の「強い」人たちがその人たちなりに必死こいて、あの組織を「人を守れる組織」としてなんとか保っているのが実情なんだと思う。当然この場合の強さってのは権力でも、武力でもない。精神的なタフさと、ひたすらな良心だ。
断っておくけど、「だから俺は強いんだぜ、すげえだろ?」がやりたいんじゃない。俺はむしろ弱い。あの組織で怠惰に抗い続けることができなかった。さっきは自慢話にしたけど、その場その場の怠惰に流されたことも何度もあった。
居続けることで結果的に「弱い」人間になる。そんな場所になってしまっているということが、あの組織の悪いところだと俺は思うよ。
大切なのはいつでも、考え続けることだ。
学校もそうですが世間の目が届きにくく指導者管理者の裁量が大きい場所は下の人間への扱いの振れ幅が大きくなり信じられないようなことも起こりますどちらの話も嘘だと断定はできないと思います
信じられないようなことが起こりうるというのはほんとそのとおり。
まあもう身バレしてもいいかなと思ってるから言うけど、当時俺が在籍してた駐屯地で、教育隊の幹部が新入隊員たちに爆薬を食わせる事件があった↓
俺の言うことを信じろと主張するつもりは毛頭ないんだけど、「神と虫」の件に関しても時期によっては事件扱いになっていておかしくないので、調査のためにもう少し具体的な情報を元増田には尋ねたい。
人は自分が都合の良い用に考える。日々、警察の不祥事を批判しているニッポン・リベラルは、なぜか「AEDを女性に使って良いか」問題では、警察は100%理性的に行動し、AED使用者を逮捕するはずないと信じる人が多い。
人は自分が都合の良い様に考える。そうだね。
ついでに。
別に情報拡散だとか発言の際に絶対に失敗すんなって言ってるわけじゃなくて、そりゃみんなもっと慎重になるべきじゃねとは思うけど、うっわ失敗したーと感じたら無理に軌道修正しようとせずに素直に認めてアップデートすりゃいいんだよ。
それが考え続けるってことだと俺は思ってる。
ニッポン・リベラルという言葉が具体的にどういう思想の人たちのことを指すのかちょっと調べた限りではよく分からんのでここでは触れない。
理学部で助教をやっている。社会人ドクターを取った後大学に戻った。
幼さを感じた。
増田は、頭というか論理的に考える力は高いんだろうが、この内容は身勝手すぎる話だ。まぁつまり、小学生のような幼さを感じる。自分のことしか考えられない幼さを前提にすれば、まぁ筋は通っているだろう。
結局言っていることは小学生が夏休みの宿題に対して「これなんの役に立つの?」って言ってるのと変わらない。
日本の大学なら18以上だよね?成人しているのだから、何が役に立つのかどうか、何をやるのかどうかは自分で判断せねばならない。
卒論が役に立たないというのならば、大学を辞めれば良い。そうすれば、研究なんてやらなくて済む。その代わり内定は無くなるかもしれないけどな。増田はそれが嫌だから、いやいや卒論を書いている、だから、こんな文章が出てくるのだろう。しかし、世の中はそんなに都合良くはできていない。
卒論をやって就職をするか。卒論をやめて就職しないか。その二択を判断しろ、という話だ。自分の納得できる選択肢がないから『おかしい』というのは、あまりに幼くないか?
お金を稼ぐために、自分には不要に思える仕事をやらなきゃいけないことなんて沢山ある。自分が不要だと思っても、本当は必要だったり、本当に不要としか思えないものもある(上司のプライドのせいで増えた仕事とかね)。その度に、教授に言ったように、そういう文句を上司や取引先に言うのか?そんな必要はない。今後の仕事につながる人間関係と、その仕事にかかる手間を天秤にかけて、やるかやらないか判断すればいいだけだ。というか、本当に不要なら、やらなくても問題は起きないだろう。
自分が何をやるかは自分で決定しないと、他人のせいになってしまう。この場合は自分の欲しい選択肢を与えてくれない教授や、大学のせいにしている。しかし、他人のせいにするのは楽だけど、自分の人生に無責任だ。
もちろん制度に不満があって、それを変えようとしている人は世の中に沢山いる。現状追認が大人の証などというつもりは全くない。だから、増田が学長や学部長に掛け合って、何らかの資格取得や、技術の開発を卒論に相当する単位としてくれるよう嘆願しているというなら応援する(当然教授1人にゲームの例え話をするのとレベルが違うのはわかるよね?)。
大学の教員としては、基本的に専門知識を学生に与え、その知識がちゃんと学生の中で有機的に結合し、能力として発揮できる状態になっていれば、大卒と言えると思う。授業の勉強だけしても、それぞれがつながっていて、かつ意味がある形で使える必要がある。微積線形があって初めて、微分方程式や関数解析ができる。その積み重ねだけではダメで、それらを使って何ができる人なのか?というのが大事だ。個別の知識だけなら本を読めば良くて大学は全然必要ない。何ができるかを確認するために卒論がある。
何ができるか?を問われているので、アイデアが既にあれば、それに必要なだけの知識さえあれば良い。アイデアもなく、b3までに知識を得てこなかった人は、当然それを発揮する場である卒論には苦労する。
それを踏まえて、数学科では普通卒論はない(研究できるレベルの最新の数学をやるにはb4では難しい)から、自分の修論の経験を語る。
修論の経験が社会人になって生きたか?というと、スキル的な意味では怪しい(研究職なら直接役に立つだろうが)。アナリストや記者など、文章の経験を役に立たせている人はいるだろう。また、コンサルやマーケティングなど自分のアイデアをpdcaで回す必要がある職の人も役に立つだろう。しかし、一般化できるとはとても思えない。
だから増田の言うことは増田目線では正しい。文系に行くから行列は要らない!とか、一生コンビニ店員でやってくから三角関数は要らない!言われたら、そうですか、と言わざるを得ない。
しかし大学は上で書いたような学生を養成することが目的であって、就職先で役に立つようなことは想定していない。そういう社会的要請があるのもわかるし、それに阿った判断をして卒論を無くしたりしている大学があることも認識しているが、社会で「一般に」活躍できる人材を輩出したい!と思ってるわけではない。もちろん、資格系や職業人が教授をやるケースなど、その分野で活躍する人材を輩出したいという研究室は存在するが、社会人として役に立つ教育ではなく専門家の養成を目的としている。
一般化できない以上、大学で学んだことをどう人生に生かすのかは、学生次第だ。学生が、自分の判断で、自分の将来に役に立ちそうな大学や学部、研究室を選ぶのだ。
大学が提供するプログラムは上の観点で設計されている。自分の人生に必要かは人によって違うということを認識する必要がある。その中で、そのプログラムでは、多くの学生にとって卒論が、教育上の能力の判定として役に立ってきたからこそ、必修として存在し続けているのだ。教育する側には役に立ってるかもしれない、という視点に立ってみて欲しい。能力の鍛え方が足りない者を大卒として認定するわけにはいかないんだ。
俺と知り合いの話なんだが、個人的にどんなに大変な状況にあっても『辛い』『死にたい』『何もかも嫌だ』っていう事を考えることが俺には無い。
身の上話でスマンけど、ちょっと長めの経験してきたことを聞いて欲しい。
生まれた時から貧乏でサラ金の取り立てなんかもしょっちゅうだったし、明日生きる金すら無くなって一家心中しそうな状況だった事もある。
寝ている間に絞め殺されるんじゃないかって子供の頃は毎日思っていたくらいだった。
小中高と友人にも恵まれず、教師にすら恵まれず、小中では集団いじめの標的になっていたし教師もグルになってるくらいひどかった。
高校になってバイトができるようになると毎月の給料は親父に全て搾取されていき、いつも聞くセリフは「育ててやった恩を忘れるな」ばかりだった。
こんな事が続くと人はグレる。典型的なお手本のように不良グループの一員になっていた。
が、5年経たずして親が倒れ介護が始まった。
前述した通りうちは貧乏なので、親が倒れた時点で絶望しかなかった。
とにかく日々の生活費、親の入院費用などをなんとかしていくのが精一杯だった。
どうにも首が回らないほどやばい時があったが、とりあえず自分の身の回りのものを売ってでも金を作った。
生活保護の申請もしたが、役所の人間が全然前向きじゃなく「あなたは仕事ができるでしょ?」と認めてくれなかった。
福祉をどう使おうが無理。仕事中に何が起こるかわからんしフルタイムで働くなんか無理すぎた。
が、働かんとどうにもならない。
そうやって生きてきて、10年以上すぎた。
どんなに厳しかろうがなんとかしていく事だけを考えてきたので、今も生きていられる。まぁそもそも死ぬ気なんか考えたこともないが。
辛いことがあろうが、良いことだってどこかにあるわけで。悪いことを考えていたら沈むだけだし、なら良いことでも探すかと生きていたほうが楽なわけだ。
で、最初の話に戻るが知り合いがどうにも毎日のように「死にたい」だ、「辛い」だを繰り返している。
何を言っても人の話は聞く耳を持たない。
俺はそんな事を考えている暇があったら、生きて良いことを探す方を選ぶ人間なんでそういう考え方でもしてみたらと言ってみたのだが
挙げ句に「頑張れとは言わないが、まあやれるだけやってみれば?」って言ってみると
すでに頑張っている人に対して、まだ頑張れというのはひどすぎると言ってくる有様。
まるで他の人が頑張って生きていないと言いたい風に、知り合いは言ってくる。
正直、こちらの生き様と比べるなら知り合いはよっぽど幸せに生きているわけなのだが。
どんなに厳しい状況でも、辛いやら死にたいなんて言っても解決はしないわけで
教養は考える力とセットや。ワイはカントやラカン、韓非子から老子(和訳でいいから原典がいいぞ)、ファインマン(自伝も物理学も)やハイゼンベルグからラノベまで数万冊以上読んでるが、一冊あげろと言われたら(本当は一冊では足りないぞ)東大が昔教養の学生向けに書いた「知の技法」が入り口としては使えるんちゃうかと思う。だまされたと思って買って読んでみ?あと大澤真幸の「社会学史」もコスパええかもしれん。ハラリやジャレドダイヤモンドみたいなのはやめとけ。MARCHレベルのサラリーマンがありがたがるタイプの本や。あ、千葉雅也の「勉強の哲学」は浅薄やし、入り口として変な癖つきそうだからやめとけ。堀江とか書いてる馬鹿もいるが、堀江(無教養の極みや)とか中田とかあんなので教養は身につかんぞ。
ついでに、本読まんやつは「○○入門」とか買いたがるがやめとけ。岩波文庫がいいわけではないが、見る目ができるまでは岩波の青と緑と赤(帯の色)だけ買っておけばいい。そのうちわかってくる。
あと、資本論は読むと攻撃的になるから、左翼ウィルスみたいなものがあるのかもしれんとか思ってるwマルクスは思考実験として当時は面白かったやろが、貨幣の話も完全にフィクションやしもう読まんでええよ。
△△△<考える力がないだけだよ! ジャン♪
眉を揃えた程度で3日も別部屋に軟禁みたいな対応おかしいだろ。
勉学や生活が疎かになるなんて理由述べてるけどさ、このくらいの年の子は髪型とか気にするもんだろ。この程度で疎かになるとか馬鹿げてるんだよ。
そんなら教師も化粧するな、ネクタイは無地で色は固定しろ。髪型も眉もイジるな。
そう言われて、教師は守れるかよ?
大人だから社会人だから良いんだ、なんて理由にならんよ。大人だろ?社会人だろ?なら、学校にいる間は生徒と同じ規則を守れよと。
そんなに子供たちは無法みたいにやりたい放題やるか?
ある程度規則を和らげて、生徒にも考えさせるくらいさせないでどうすんのかと。
単なる宗教の話(特にキリスト教など男女の役割に言及があるもの、異装に厳しい文化など)なんだが、
そこ、なかなかご理解頂けないよね
トランスジェンダーを認めるなら
トランスレイシャル(例えば遺伝子的にも見た目的にも日本人なのに白人を自称する)も認めなきゃいけないは
皮肉でもなんでも無いよ
トランスジェンダーを認めるならトランスレイシャル認めないのはおかしいのでは?と思いつつも、
お外で表だった否定はしてない
でも男女どちらの性別であっても、どんな生き方もどちらの服装も自由に出来るを社会が保証してからの肉体改造じゃないかなぁって思うわ
熱中症対策をしても学校の規則に反するから駄目とかさ、教室に空調が付いているのに、老害が使っちゃ駄目とかね。
コイツラは普段、色々と保護者に言われたり教育委員会にチクられるのを嫌うくせに、自分らで言われるきっかけを作ってるのに気づかないんだよね。
熱中症で倒れて、下手して死んだらコイツラは適切な対応をしていたなんて嘘を付く。
お前らが適切な事をしたのは人を殺す方法だろうと。
ここ数日だけでも暑い日々が続いているのに、クソみたいな学校のルールだったり、今まで『前例が無い』というクソみたいな理由を言ってる暇があったら、自分らでルールを改善することを考えろと。
生徒に考える力をどーたらこーたら言っている前に、そのカチコチに固まって動脈硬化みたいな脳みそを柔らかくして変化をする力を身に着けろと言いたいのよ。
車の運転は技術だし、介護はとてもお金だけで出来る仕事では無いし、
介護・運送の仕事が嫌いならそもそもその仕事につきはしないのだろうけど、
だからと言って社会にとって重要な仕事が低賃金で良いはずがないよな?
お互い様の精神が無い人は土に還って貰うか無人島に案内して良いと思う
高等教育の過程のどこか(入試・学士・修士・博士)でコケちゃうと煩う病気だよなぁ
そんで極端に考える力が弱い人がその嘘を真に受けちゃったりする
まぁ真に受けてチャレンジしないことでワイが入り込めたりするわけなので
真に受けたままでいて欲しいとは思いつつも、やっぱキャリアチェンジは応援したいかな
未経験で400万の身の振り方、再現性はともかくやっぱ書いておくな
https://anond.hatelabo.jp/20220630094601#
https://anond.hatelabo.jp/20220630090646#
https://anond.hatelabo.jp/20220630043410
https://anond.hatelabo.jp/20220630092834#
https://anond.hatelabo.jp/20220630075115#
機会があって予備校の数学の授業と司法試験の授業受けたのだが草生えましたわ
『オンライン学習にして予備校から優秀な講師引っ張ってきた方がコスパ良い』
『授業は予備校講師に任せて、公立教師はわからない子や逆にもっと学びたい子のフォローと化学実験や家庭科のフォローや体育のフォローだけやっとけ』
・・・って思ってたが、ここまでわかりやすさ+エンタメ性にはっきりと差がついちゃうのかよとね
確かにわかりやすい予備校の授業でのみ勉強してきたヤツは考える力がつかないことも起こり得そうではあるが、
専門課程に進む前に知識を詰め込む、あるいは何かをする(たとえばプログラムとか)ための知識を得てる段階で考えるも何もねーだろうよ
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業を受けたらからってどうこうなるレベルのものじゃない(そもそも高等教育もリベラルアーツとほぼ遠い)
社会で不自由しないために・詰め込んだ知識を活かすために、最低限は考える力を鍛えなければの場合も、
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業をもって考える力を養うをやりました!とか怠惰なことはやらずに
極端に思考力が弱い人がいると言う前提に立って訓練メニューを用意すべき
あと思考力を養う授業では『理解しました』といっても、極端に思考力が弱い人は覚えた数式を具体的にどう使うのかはわからないとかフツーに言い出すので、
アメリカみたいに世界中から優秀な若者が勝手にやってくる+資源があるなら学位商法やっててもオッケーだが