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「ロミオとジュリエット」のヌードシーンは児童ポルノとみなされない、裁判官の規則
「ロミオとジュリエット」俳優のオリビア・ハッセーとレナード・ホワイティング、撮影中に性的虐待を受けたと主張
判事は木曜日、フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の俳優らが起こした訴訟を棄却した。
現在72歳の俳優オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングは当初、1968年の映画のヌードシーンは児童ポルノであり、二人は撮影中に性的虐待を受けたと主張していた。
上級裁判所のアリソン・マッケンジー判事は、15歳でジュリエットを演じたハッシーと16歳でロミオを演じたホワイティングが起こした訴訟の棄却を求める被告パラマウント・ピクチャーズの申し立てを支持する判決を下した。
判事は、映画のシーンは合衆国憲法修正第1条の保護下にあるとの判決を下し、ハッシーとホワイティングは「法律上、この映画が性的示唆に富むとみなされる可能性があることを示すいかなる権限も出していない」と説明した。決定的に違法だ。」
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「ロミオとジュリエット」の俳優らは、当初ゼフィレッリからヌード撮影はせず、代わりに肌色の服を着ると言われたと主張した。しかし、そのシーンを撮影する段になると、監督は2人のティーンエイジャーをヌードにしなければ「そうしないと映画は失敗する」と主張したと言われている。
この映画とそのテーマソングは当時大ヒットし、ホワイティングの裸のお尻とハッシーの裸の胸を少しだけ見せたヌードシーンにもかかわらず、この映画はシェイクスピアの悲劇を学ぶ何世代にもわたる高校生の間で流された。
ソロモン・グレーセン弁護士は声明で、「弱い立場にある人々を危害から守り、現行法の執行を確実にするために、映画業界における未成年者の搾取と性的対象化に立ち向かい、法的に対処する必要があると強く信じている」と述べた。
ピッポ・ゼフィレッリ監督は「撮影から55年が経った今日、本質的にこの映画のおかげで悪名が広まった2人の年配の俳優が目を覚まし、長年不安と感情的不快感を引き起こす虐待を受けていたと告白したと聞くのは恥ずかしいことだ」と語った。ガーディアン紙が声明で述べた。
ジャニーズたたきもそう。
追記も読んだ。
「HSP」「蛙化現象」「回避性パーソナリティ障害」というラベルがあればすべて許されるわけではないんだよ。
ちゃんとした診断もされていないのに、そういう言葉や概念に飛びついて救われた気分になるのはよくないことだ(まともな精神科医や臨床心理士ならHSPの診断はしないと思うので、相談したカウンセラーはまともな人だったのか疑問)
何の解決にもならない。
「(HSPやパーソナリティ障害という)理由があるのに周りの人に理解してもらえない🥺」というのは、「自分の振る舞いは無条件に許されるべき」という自己愛のおしつけと認知の歪みがある。生きづらさの原因はそれだ。
「生活が苦しいので結婚したい」というところ自体も感心しないが(自己の利益のために他人(男性)を搾取する気満々なところが見てとれるので)
そもそも自分の都合が最優先で他人の気持ちや都合など何も気にしていないところが根本的な原因なのだから、解決する気持ちがあるなら、ちゃんとした精神科医や臨床心理士に見てもらいなさい。
回避とHSPの併発って言われると、それもう回避じゃなくてNPDの過敏型が正体じゃないの?
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回避傾向を持つ群
騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛性パーソナリティ障害の人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプの自己愛性パーソナリティの人々がいる[48]。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である。自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛的活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。
一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者に純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である[48]。
アメリカ精神医学会は精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)において、自己愛性パーソナリティ障害の人物は批判や挫折に伴う傷つきに非常に敏感なため、社会的ひきこもりの人々にも見られることを報告している[49]。グレン・ギャバードは、潜在型の自己愛性パーソナリティ障害の人々は回避性パーソナリティ障害や社交恐怖と多くの点で関連していることを指摘している[50][51]。また牛島は、現代の操作的診断基準(DSM)においては顕在型の傲慢なタイプは自己愛性パーソナリティ障害と診断されるが、潜在型の過敏なタイプは回避性パーソナリティ障害(あるいはスキゾイドパーソナリティ障害)と診断されてしまうことが少なくないと述べている。これらは精神力動的には同じもので、単なる表裏の問題に過ぎず、背景にある自己愛性の問題を把握することが必要であることを指摘している[52]。また丸田は、典型的な症例は無関心型と過敏型の特徴のどちらかを示すが、臨床的にはほとんどが両者の混合型であり、ひとつの症状軸である「他者の反応に意を介さない vs 他者の反応に対して非常に敏感」を取り上げても、その反応は振り子の両極のように大きく揺れ動くのが特徴(健康な人は揺れが少ない)という点を指摘している[53]。現実の自己愛性パーソナリティ障害は、ギャバードの分類した無関心型の極から過敏型の極へと至る線上のいずれかにプロットされると考えられる。
自己愛性パーソナリティ障害は、対人関係における搾取的行動、共感性の欠如、激しい羨望・攻撃性・自己顕示欲という諸々の特徴を示す[57][58]。彼らの持つもう一つの側面は、その傷つきやすさである。意識的なレベルでは、それは無力感、空虚感、低い自尊心、羞恥心に由来するものである。それは彼らが求めたり、期待する支持が与えられない状況や、自己主張が不可能なために退避するような状況において、親しくなることを回避するという行動で表現されることがある[58]。自己愛の病理は軽症から重症まで連続的な広がりをもち、その自己表現形式も多様である。
①ゾーニングすればセーフ
何だかんだこれが一番多いだろう、下記の意見を発信する反差別も元々はここに位置していた。
ただしインターネットは誰でもどこにでもアクセスできるからゾーニングされていないという意見もあるので、①にも派閥はある。
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たとえゾーニングしようと児童を性的に搾取する描写や、差別表現は駄目、だから萌え絵は規制されるべき、あるいは権力に頼らずに自然消滅させようと考えている層。
ここ最近増えたというわけでもない。ただし仲間に萌え好きリベラルを入れてたりするので、本気じゃない人もいるのだろう。
ただ中には萌え絵はハーケンクロイツや旭日旗、ブラックフェイス(白人が顔を黒塗りにして黒人の真似をする)と同じと本気で主張している人もいる。
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③二次元は悪くない
オタクの苦しい言い訳でもなんでもなく🌈を掲げている人とか、あらゆる差別に反対している人がこれを唱え始めている。
たとえば最近ここで見かけるようになった対人性愛アンチ増田はもここに該当する。
二次元が悪いのではなく、二次元を対人性愛(現実の人間を性的にまなざしたり、恋をしたり)の教科書にしてるのが悪いという事だ。
なぜ①と明確に分けたかというと、中には対人性愛中心主義が悪いのだからゾーニングをしようが意味はないし、かといって②の意見は二次元にだけ興奮する人に失礼というスタンスを取る人がいるからだ
その為、対人性愛アンチ増田の意見を見るに、③は対人性愛規制派といっても過言ではないだろう。
生活レベル下げたくないから相手も同じかそれ以上が良いなって思って、400万以上を条件で見ている。(アプリ上だと200万区切りでレンジが設定されているので)
その条件でマッチングした相手と仕事の話もするじゃん。在宅ばっかなんですよ〜とか月末が忙しくて〜とか。
そうやって話を聞いてて、頭の片隅でどうしても「ん?」と考えてしまうのが年収と勤務時間の話。
私の冒頭の年収は残業が基本月10時間、忙しい時だけ20時間超えるかもくらいの時の年収。私的にがんばらなくて済む丁度良い勤務時間とそれに対する報酬。
そして目の前にいるこの人、具体的な金額は聞いてないけど400〜600レンジで、ここまでの会話内容からとても忙しい仕事をしている人。しかも私より2,3歳年上。
えっ低くない?私がこのままあなたの年齢になったらたぶん600〜のレンジに乗るよ?それ残業しなかったら年収いくらよ?と考えてしまう。
別に残業が多いのは君が頑張るだけの話なので私は何も気にしないけど、頑張りに対する報酬それで満足してるの?私だったら満足しないよ?そして私は私自身の性格上、結婚相手のことも自分の一部だと考えるから自分の一部が不当に搾取されることを許せる気がしないので君と一緒になったら私はイライラで死んでしまうな?よしやめとこう。となる。
これがナンバリングが10まで続いている原因の1つ。もちろん原因はこれだけじゃないけどね。
で、じゃあ最初から600〜の条件で見れば?となるかもだけどそれはそれで高望みってやつな気がして。私は私と同じくらいでいいんですよ。
こうやってスペックの話をするようになってしまった自分はマッチングアプリに毒されているなぁ……なんて思ったけど、読み返したらわりと最初から年収とか身長とか学歴の話してたからマッチングアプリ関係なく自分が元からこうだったのかも。
スペック以外に言及していない理由は非常に単純で、どの人も普通に良い人だからなんだよね。たまに体験談で出てくるような会話できないヤバイやつとかヤリ目とかとは遭遇したことがない。それゆえ「残ってるのヤバイやつしかいねえ!」的な焦りもなくダラダラ続けている。
ところで私のスペックを少し見てほしい。
・年収500万
・身長170cm以上普通体型
・国立大卒
・正社員(転勤なし)
・奨学金以外の借金なし
・ギャンブルしない
・タバコ吸わない
・MT免許持ち(車は持ってないけどnotペーパー)
・一人暮らしで自炊もしている
・貯金もちゃんとある
こうやってスペックを羅列するともしかして私「普通の男性」なんじゃないか?と思うし、だったら結婚相手に普通の男性を望んでも良くない?と思っちゃう。
昨日ドラマを見たんだけどなんかゾワゾワした。
まず 嫁 は家事を完璧にこなし、主人公に尽くすっていう概念を踏襲してるところ。
このドラマの嫁は男だけど、嫁って結局尽くすものとして捉えられてるんだなと思わせる内容。
これまで女性たちが「家事をやる人=嫁」という概念に時に搾取されて抵抗してきた時代の流れからすると、この話は逆に女が男を言いように搾取してるように見てれてしまった。しかも「嫁」という言葉を用いて。
とても奇妙な気持ちになって、ドラマにあんまり入り込めなかった。キャストは美男美女だった。
漫画原作なので属性的な「嫁」「年下彼氏」などが詰め込まれている過ぎないんだろうが。(しかも総受けタイプの主人公だったし…、まあそれはそれとしても)男性が家事をやることに違和感は持たないけど、どうも古い嫁の価値観が、ただ男女逆転したまま使われてるような気がしたし、萌え?願望を、男性を客体として捉えてる視点に何かゾワゾワしたのかもしれない。漫画として楽しむ分にはいいかもしれないが、ドラマ化のタイミングは本当に今だったのかね。