はてなキーワード: 中学生とは
10代前半の話に出てくる20代orそれ以上のおねえさん、おばさんってどういう心境なんだろう。
「私も昔は中学生だった!」とかで口挟んでくる人が居るけど、35歳が25歳の代弁してたら気持ち悪いし、それが10代前半にもなれば50代が20代の意見代弁しているようなもんだろ。
こういう子供をイタコにして話してくる年上女性ってなんか精神的に歪んでる気がする。みんなが自分の意見に賛同して同情してくれた過去の時代にしがみついているというか。
https://anond.hatelabo.jp/20230609110346
こういうの見ると、最近の性交年齢引き上げも水着撮影会の中止も、「男性に若い女を選ばせたくない」「男に若い女の写真を撮らせたくない」
という「男性を排除したい欲」が法律になってる気がするんだよな。
どの法律も医学的や精神学的な根拠が無く、おばさん主導で適当に決められてる。
中学生とオッサンでも恋愛は成立するだろうに、「中学生で被害者が居たけど法でさばけなかったから全部禁止!」みたいに短絡的な法整備が多すぎる。
男性の強姦に関して一番渋ってたのはおばさんたちだしな。おばさんはマジで嫉妬と男性嫌悪でしか動けない。
おばさんという、「子孫をつなげて自由に人生を生きる」から対極の存在に振り回される「おばさん政治」に浸かってたらまじ国が亡ぶよ。
水着がわいせつだとか健全だとか、中学生がいかんとか、そうすると子役はいいのかとか、全くの枝葉を大げさに騒いでいる。
結局のところ、水着撮影のカメラの撮像素子の先に、KKOがいるかいないかが全て。
プロカメラマンであろうがなかろうが、煽情的であろうがなかろうが、関係ない
KKOへの差別はあらゆる面で正当化されるから、もっともらしい理由を後付けすれば済む。
フェミニズムは辞書によると男女平等主義だそうだけど、KKOは駆除すべき対象でしかないのだから、その平等主義の対象外。
平等主義の対象として人間扱いされるのは、WOKEして目覚めた人たちに限られる。
もちろん、表立ってそんなことは言わないけど。
ついでに言うと、
KKOに媚びを売るグラビアアイドルも、WOKEすればその過去に苦しむのは確実なのだから、まだ目が覚めていない可哀そうな存在として保護すべき。
元増田です。
色々とご意見ありがとうございます。
いくつかまとめてコメントしようと思ってたら遅い時間になってしまったので少しだけ書いて寝ます。
● こんな反抗期の中学生みたいな事を大人になって 子連れで実家に転がり込んですねかじりながら言う恥知らずが本気でいる訳ないよね?
ごもっともです。リアルで言えないからここに書いてます。ただの私のわがままです。色んな事頑張った結果がこれかという嘆きです。
● そんな嫌なら切羽詰まった理由もなくお言葉に甘えるくらいの軽さで帰らなきゃよかったのに。
仰るとおりです。大体の事は他の方法で乗り切れたはず。不安抱えて生活を始めた所で正常な判断能力を失っていました。
● 家を出る選択肢もある中での話なので贅沢な悩みに聞こえる
上では判断ミスと言ってますが、実家に帰る選択をしたのは自分が楽だからではなく子供の事を考えてこの方が良いと思ったからです。
他でもコメントあるように私が嫌なだけで母の子育てを子供はどう思うかわからないですし、少なくとも兄弟それなりに育っているので劣悪な環境ではないと思っています。
離婚は仕方ないとしても今の環境から抜けて私一人で子育てする事が子供のためになると言える自信がありません。保育園のお迎えも遅くなりご飯も手抜きになるでしょう。
あと何年か私が我慢すれば良いだけの話なんです。
わかってるなら文句言うなと?
本当はありがたいコメントに返信したかったのですがタイムアップになってしまいました。
ごめんなさい。ありがとうございます。
障害のある子供の親御さんたち、教育委員会や先生たちの薦めを無視して無理矢理普通の公立校、普通の学級に入れるのはやめろ。
発達障害やら何やらあるが、全国の支援学校、支援学級に在籍している知的障害の割合が1番多いため、主に知的障害の子供について話す。ただし、他の障害種別でも通用する話ではあると思う。
だいたい、文頭で指摘したような、障害がある子を無理やり他の子と同じ環境に入れたがるような親というのは
・自分の子供に障害があることを頭ではわかっていても認めたくない。
・特別支援学校(学級)やそこに通う子供、あるいは障害者それ自体に対する強い偏見がある
・子供のヤバさ(学力の遅れや集団に馴染めないなど)をきちんと把握できてない
のいずれか、あるいはハイブリッドなのだ。テレビ等でよく美談のように語られる中では「普通の学校で学ぶことの方が様々な経験ができる」みたいな、あたかも子供のためを思っているかのような美辞麗句で誤魔化すが、大体はこのどれかに当てはまる。
そもそも、普通の公立校に通うことが本当に障害のある子供のためになっているのだろうか?中には他の子とお互い刺激しあって力を伸ばす子もいるだろうが、ごくごく一握りだと思う。大半は勉強についていけず、お客さん状態(授業中、発言もできずただ終わりまでぼーっと座ってるだけ)になっているのが関の山だ。仮に学習についていけているとしたら、先生や学校の大変な努力と配慮の末に辛うじて成り立っているものだろうし、おそらく長くは続かず、学年が上がり内容が難しくなっていくごとに真綿で首を絞められるが如く状況は厳しくなっていく。
そもそも、そのように学習に大変な配慮を必要とする子が学級にいることで、先生の負担は遥かに増す。私学ならともかく、公立校の教員に「一部の子は見捨ててでも授業の進度を優先する」という選択肢はないに等しい。つまり、理解に困難を抱える子供への授業作りが主となってしまい、授業内で応用的な内容、ハイレベルな適用問題などに取り組むことが難しくなる。また、授業は普通に進めるが、その分ついて来れなかったところは放課後につきっきりで学習するという手もなくはないが、それをするということで先生の負担が増えているというのは火を見るより明らか。そして先生の負担が増えると困るのは誰か、皺寄せが行くのは誰か。その学級の子供である。無理矢理普通級に障害のある子供を入れることにより、巡り巡って自分たちの首を絞めている。自分だけならまだいいが、影響は大なり小なりそのクラスの子供全員に及ぶ。
障害のある子が特別支援学校や特別支援学級に入るプロセスのことを「就学相談」や「就学指導」などといった呼び方をする。
おおまかなプロセスとしては
①幼児期からの発達の様子を見て、幼稚園や保育園などから声がかかる、あるいは小学校入学前にある就学時検診における知能検査などの結果を見て、もしくは小学校、中学校在学中に随時学校や教育委員会から就学指導を薦められる。
③発達検査の結果から、教育委員会の人などがその子にあった判定を下す。
④次年度以降、③で出た判定の進路へ進む。
といった流れである。だが、保護者はこのプロセス中いつでもキャンセルができる。保護者が嫌がれば就学指導は中止され、自動的に普通の公立校、普通の学級に行くことになる。また、③で特別支援学校判定が出たとしても「普通の公立校の支援学級ならギリ許すけど特別支援学校はお断り」みたいなパターンもある。というかこのパターンは割とよくある。(普通の学校の支援学級在籍者のうち、体感1〜2割はそれ)
ここで曲者なのは「保護者の意向次第でいつでもやめられる」ということ。冒頭で示したように、自分の子が障害があると認めたくない人や偏見を持っている人は、そもそも就学指導の話を持ちかけられた時点でブチギレる。プロセスの途中でも、他所から変な知識を入れ知恵されて突然やめたりする。そうなるともうお手上げである。冒頭の黒ポチ3つめのパターンも厄介といえば厄介だが、子供のヤバさに気づいてくれたら考え直してくれることがよくある気がする。(まあ気づくまでに何年もかかって、結果勉強の理解は同学年の子より遥かに遅れて取り返しがつかなくなっている事が多いのだが。)
もう一度問うが、無理矢理普通の学校、普通の学級に行かせることが子供のためになっているのだろうか?
就学指導で「貴方の子は特別支援学校判定です」と言われたということは「お前の子はバカなガイジなんだ」と言われてるように捉えるかもしれないが、そうではない。その子は特別支援学校で学ぶことが合っているというだけの話である。それによって何ら人格が貶められることはないし、就学相談に携わる人間は誰もそんなこと思ってない。
環境の面でも大きな違いがある。小学校ではクラスの定員は35人だが、支援学級なら8人、支援学校なら6人である。ちょっと考える頭があれば、これだけで雲泥の差とわかるだろう。さらに、支援学校は担任が2名になる場合もある。また、学校の設備面でも、当然普通学校と比べ遥かに充実している。教員免許も特別支援学校用の免許のため、専門的な知識を身につけた教員ばかりなのである。(当たり前だが、普通の小学校には小学校教員の免許しかない人だって当然いるのだ。)どちらで学ぶことが、子供本人のためになるだろうか、子供本人の成長につながるだろうか。
更に言えば、障害のある子供の将来に関してもやはり特別支援学校にはアドバンテージがある。特別支援学校では「作業学習」という時間があり、職業訓練のような事もする。また、特別支援学校であれば、障害のある人でも就職し給料を稼ぐことのできる職場とのコネクションもある。普通校では作業学習の時間はないし、就職支援でだって特別支援学校の専門性には敵わないだろう。
長くツラツラと書いてしまったが、世の保護者に言いたい。自分の子に障害があり、特別支援学校や特別支援学級で学ぶことを薦められたら、どうかその通りにしてあげてほしい。教育や発達に関してある程度知見を持った人が何人も集まってそういった判断を下しているので、それを無視して無理矢理普通のクラスで学ばせることは、本当に子供のためにならない。親のエゴでしかない。親のエゴで普通学級に入り、理解が難しい授業を一日6時間聞き続ける生活を何年も強要しないでやってほしい。その結果(必ずしもこうなるというわけではないが、一例として)小5小6や中学生になっても九九の3の段も言えなかったり、小3になってもひらがなの50音が読めないような子を生み出さないでやってほしい。その子たちは、その子たちにあった環境で勉強していれば、もっと伸びることができたかもしれないのだ。
親のエゴで普通の学校に通わされ、勉強が十分身に付かず年だけくって卒業していく子供のこれからの人生における苦労を考えると、気の毒としか言いようがない。
天使に扮した自閉とかダウンとかっぽい人たちが草原で舞い踊って、最後に次々と崖の上から飛ぶ、みたいな記憶だったけど全然違った
この青いおっさんはなんやねん?この黄色いうずまきおじさんもなんやねん?しかも最後キスして終わりなんか?!ますます意味わからんな!!
なんか珍しくて当時よく聞いてたしアルバムも買ってた。懐かしい。聞くとすごく精神が不安定になる感じで当時リストカットとかしてた多感な中学生にはあんまり良い影響があったとは言えないけど今聴いても綺麗でダウナーな曲だなって思う。
はてブ市民によると、女子中学生の水着姿の撮影会は公序良俗に反する、けしからん、いかがわしい催しであるらしい。
しかし、そうだとすると、たとえば、スポーツブランドのカタログに載っている写真はどうだろう。
スポーツブランドのカタログに、中学生モデルがジュニア向け水着を着用してポーズをとっている写真が載っていたとする。
これはセーフだというのがおそらく社会通念だろう。
それとも、その写真が撮られた目的が健全だからセーフなのだろうか。
プロのカメラマンがスタジオで撮影しているからセーフなのだろうか。
カタログを手にとって見るのは主に就学児童を持つ親御さんだからセーフなのだろうか。
カタログが置かれるのがスポーツ用品店の店頭だからセーフなのだろうか。
どこかのブクマで「撮影者が性的に興奮してたらアウト」という意見を見かけた。
健全な目的の撮影でカメラマンが性的に興奮していないと言い切れるだろうか。
私は健全な企業活動の一貫として女性向け下着のプロモーションに携わったことがあるが、その業務に従事している間しばしば性的な興奮を覚えた。
しかし女性用下着の開発や販売促進が公序良俗に反する行為とは特に考えなかったし社会通念上もそうであろう。
話が脱線した。
グラドルとは、自らのセクシュアリティを経済的価値を持つ資源と自覚し、自己表現や自己実現あるいは利益獲得の一貫としてそれを衆目に晒すことを業とする者を言う。
その営みは、成熟した大人が個人の判断において行う分には何も問題はないが、少なくとも未成年にはふさわしくないと思う。
しかし未成年とてアイドルを夢見、スタアを志す。というか、若いアイドルたちの大半は未成年でデビューする(成人してまでアイドルになりたいなどと寝言を言っている大人がいたら早く目を覚ませと言ってやるべきだろう)。
そうした未成年たちに許される営為の範囲とはどこからどこまでだろう。
そもそも女性アイドルは、プールサイドで撮影会なんかしなくても男性ファンから性的にまなざされることが宿命である。
思春期の男は誰しも多かれ少なかれ、あのアイドルを恋人にしたい、あの子とチョメチョメしたいと思うのである。雑誌に水着の写真があれば健康的なポーズであっても10円玉で隠したりするし、顔面アップの写真には精液をぶっかけるのである。
フリフリのロングドレスを着て能天気な歌を歌っているくらいなら健全です、と確信を持って言えるだろうか?
年齢に関わらず、女性はスタアを志した時点で自らの「女性性」を資源にしている。
極端な話、地上波の歌番組でピョンピョン踊っているアイドルと、アダルトビデオでドロドロにされている女優は地続きである。距離的な隔たりこそ大きいが、その間には滑らかなグラデーションが広がっいて、セクシュアリティの比重というパラメーターがアナログに異なっているだけだ。
中学生水着撮影会が公序良俗違反だという主張自体はあっていいと思うけど、一般条項を使いすぎると法的安定性がどんどん揺らいでいくことになるから気をつけたほうがいいよという話
非正規、低賃金、長時間労働、彼女無し30代後半のおじさんで、自分はほんとうにこの社会の最底辺だと思ってたんだけど
中学生の水着撮影会にでっかいカメラ持ってみっちり詰まってるカメラおじさんたちの画像を見て、生まれてはじめて自分より下の人間がいることが知れた。
あのデカい高そうなカメラが買えるってことは自分よりも断然給料もいいのだろうし、趣味があって俺なんかより人生が充実しているのかもしれない。
でもあの画像を見た時、頭ではなく心で理解した。こいつらよりマシだと。
自分だったら恥ずかしくて現場に足を運ぶことすら出来ないだろう。
自分がカメラを向けているとき、中学生からも見られているわけで、その目に映る自分の姿を想像したことが無いのだろうか。
yujimi-daifuku-2222 あんなキモい表現など無くなって一向に構わないと考える人の頭からは、しかしその場合、自分が問題ないと考える表現を許せない人も世間にはいるのでは?というごく素朴な想像力が往々にして欠けている。
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相対主義ガイジだ。「公共の場での中学生スク水撮影は公序良俗の範囲内であり法的に何ら問題はない。多様な趣味は認められるべきであり表現の自由を侵害すべきではない。多様化する社会において共通認識としてのモラルを持つ事は無意味であり、よって中学生のスク水撮影は正当である」って主張。
「県条例に基づき過激なポーズや水着を禁止する条件で許可していたが、インターネット上で条件に反する写真が見つかった。中学生と見られる女性が過去にモデルとして参加していた投稿もあった」ので禁止やで。
明らかに条例破って中学生やらマイクロビキニやらエロポーズやらで写真撮らせてた業界のほうが悪いのに、オタク共がエロの自由ー!!って大騒ぎして糞の極み。
昭和は未成年が格好良くタバコを吸う漫画やドラマ、格好いいタバコCMが世間にあふれていた。
その結果、タバコ格好いいぜーって子供が溢れかえり、不良だと中学生でも学校の影でプカプカ吸っていた。