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2017-03-10

本郷のMitteが好きだった話

好きだったというより好きなままだけれど、好きなことは少しも過去にはならないけれど、たまには思い出話をしよう。

本郷三丁目交差点の沿いにMitteというお店がある。私はそこが好きだった。頻繁に通ったとは言い難いけれど、お金をきっちり落とす優秀なパトロンだとは言い難いけれど、それでも私はそのお店が好きだった。そのお店は今日が店仕舞いの日だった。だからたまには思い出話をしよう。

もとより古い文具とかそういうものが好きなのだけれど、Mitteのことは他のどこの古い文具を扱うお店よりも好きだった。

どんなに外が寒い日でもお店の中が温められていて好きだった。色々なものが所狭しと並んでいて、ただ眺めるのでなくかきわけるように探していいものを見つけるのが好きだった。それで何かを買おうとするとお店の人が話しかけていろいろ教えてくれるのも好きだった。

私は街中の服屋や電気屋なんかで話しかけられるのは全然きじゃないけど、Mitteでお店の人の話を聞くのは好きだった。ものを一つ買うにも、そのものが経てきた色々な経路とか歴史がある。私は古いもの固有のそういう遍歴が濃ゆいところが好きなのかもしれない。ものにまつわる話を教えてもらって、共有して、そのお話ものを連れて帰るような、いつもそんな気持ちでお会計をしていた。

買うのでなく連れて帰るのだった、というのが分かってもらえるだろうか。いいものを延々と時間を掛けて選び抜いて、抱える掌の熱で生温かくなってしまったようなのをレジに持っていったとき、お店の人がいいものとの別れを名残惜しむように値付けをしてくれるのが好きだった。

値付けもふつう古文具の相場に比べてずっと良心的だった。本当にそんな額面でよいのか疑いたくなるくらいだった。なんでもかんでも安いことが素晴らしいと礼讃する気にはなれないが、良心的だったことは間違いのないことだ。

それからこれはとても個人的な話で、これから述べることがMitteを訪れた全ての人へのもてなしだったとは少しも思わないが、私はお店の人が紅茶コーヒーお菓子を出してもてなしてくれることも好きだった。その場所長居して構わないような気分になるのだった。何時間長居をして結局買うのはほんの千円だとか数千円が関の山なのだが、それでも居心地良く何時間でも吟味をさせてもらえるような場所は、世界広しに古雑貨屋多しといえど、私個人としては、ここ以外には無いと思う。

Mitteはお客さんで混み合うことが少なかった。採算がとれるか否かでいえば勿論悪いことだが、自分勝手なことを述べるのがもし許されるなら、私は自分以外のお客さんがいないMitteでひたすらものを選ぶのが好きだった。

混み合っているようなのはどうも落ち着かなくて苦手だ。繊細なものばかり並んでいる棚の前を人間が往来するのは落ち着かないものだ。その点あの場所はとてもいい場所だったのだ。それで前述のとおりもてなしまでいただくと、ああ自分の部屋もこんな風だったら素晴らしいのにな!と思わずはいられないほど素敵だった。

Mitteはいものがどうしてと思うくらいに取り残されている不思議場所だった。東独の宇宙豆本なんかあまりにも素晴らしいもの一目惚れだったが、私よりかは宇宙好きな人の元に渡った方がよかろうと思い、一度見送って、数ヶ月後まだあって、まだ見送って、それから数ヶ月後の三度目にようやく、こんなに可愛いものを誰もまだ迎えないなら、私がさらって行ってしまおうと思ったものだった。さらわれた豆本は私の狭い部屋の狭い古文具入れの中に収まっている。少し運命が違えば東独博物館ガラスケース入り豆本の仲間だったかもしれないのに、豆本も数奇な運命を辿っているものだ。

それでも私は冒頭に書いたように、自身が優秀なパトロンになれなかったことを悔いている。続いて欲しいものお金を落とすことの重要さを今までもわかっていたつもりだったが、それでもやはり手を尽くせなかったように思われる。行きたい場所や欲しいものは、それがある内に大切にしなければならない。

重ねて書いておくが、お茶お茶菓子などの応対についてはされた人もされなかった人もいると思うが、そのことで何人たりともお店に文句を言うようなことはあってはいけない。私以上のもてなしをされた素晴らしいパトロンだって居るであろうし、私はそのことを悪いと全く思わない。逆に初めてそこを訪れた人などは相対的に落としたお金が少ないのであるから、もてなしのないこともあるであろう。もてなしは無償ではないし当たり前のものでもない。それが普通だなんて少しも思わない。それらは身に余るような優しさだったと今も思っている。食べ物は消えてしまうが、もてなしを受けたことは消えないので良い。

私は、そして私を含む古文収集家や古雑貨好みの人々はみな、永遠などないことを知っている。東独もソヴィエトもも現代にはないものだ。それでも自らが通った場所現代でなく過去になることは、どうしてこんなに厳しい気持ちになるのだろう。もう終わったもの過去のもの、二度と戻れないものにこんなにも執着し心惹かれながら、自らにとって現代と思われたものが同様になるのをどうしてこんなに悲しく感じるのだろう。

Mitteには現代の品物も置いてあったことを分かった上で述べるが、古文趣味や古雑貨趣味というのは、大きく括ってしまうと、使い終わったもの、行き場をなくしたものに、また新しい行き先を見つけていく趣味なのだと思っている。あの場所から幾多のものの新しい行き先を見出した私は、私たちは、私たち自身の行き場をひとつなくして、一体次はどこへ行くのだろうか。

それでも次の行き先をまたひとつ、そのうち見つけられるのだろう。そうやって集めた行き先の中にまだ何らかの形でMitteがあることを、私は知っている。だからなんてことはない。これは別れの挨拶でもなんでもなくただの思い出話だ。またね。

2016-12-04

死の収容所へ 3

http://anond.hatelabo.jp/20161204230447

 様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年ものゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛さらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たち労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだからまさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。

 いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。

 連行にはナチドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド青色警察」、オランダ緑色警察」、フランスルーマニアハンガリー警察ウクライナリトアニアラトヴィアエストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。

 多くの非ユダヤ系住民強制連行を目撃している。玄関から歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。

 駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方ソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可下りるまで何時間も停車していたかである

 すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。

 ヨーロッパ西部バルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパユダヤ人貨物列車ではなく客車移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。

 列車絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」

脱いだ衣類は消毒に廻された。女性衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性女性子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。

 アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれ場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。

 ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。

ナチス・ドイツが構築した排除装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり絶滅収容所ガス室をもって終わった。

2016-09-04

[] ドリプシ

1. コーカサス山脈の南麓、黒海東岸位置するグルジアジョージア)国のアブハジア自治共和国のグダウタ地区にある

  村の名前アルファベットでは、「duripsh」と書く。

  1965年昭和40年1月1日朝日新聞に、長寿村としてこのドリプシ村が紹介された。100歳を超える人が数多く暮らし

  しか子宝に恵まれているその秘密は、はっ酵乳をたくさん飲んでいることだと書かれていた。

  

2. 同村にあやかって命名された日本酪農協同株式会社(毎日牛乳)が販売する乳酸菌飲料1966年発売。

  CMでは、「ソヴィエトのドリプシ村の飲み物」となっていた。

  

blog.georgianavi.com/?eid=98

georgianavi.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3945507

2016-05-20

お焼き屋で隣の女子高生が言っていたこ

私が住んでいる場所北海道士別市という場所で、そこにはくら寿司はおろかマクドナルドさえない。

から「隣りの女子高生」の会話メソッド作文をなすには、学生がよくいくお焼き屋に舞台を遷さねばならない。

北海道田舎はどこもそうだろう。

お焼き屋に行くと、富川という私より25歳ほど上の男が店番をしている。

元来、私の学生時代富川の母が店主であった。私たち富川のばばあだとか、富川のばあさんと呼んでいた。

富川の息子、今店番をしている男は、若いころから数年前まである政党党員として、近隣の名寄市旭川市活動していた。

富川のばばあが高齢になったから、今は店を手伝ってよくいる。それまでは市議道議なんかと活動を共にして走り回っていた。

富川お焼き屋は、お焼きはもちろんそれなりだが白玉善哉が美味いことで知られている。

私もそれを頼む。それとアイスコーヒー

私は旭川高校から北海道大学経済学部に進み、沼田町役場に奉職した。

から3年前、仕事を辞めた。仕事は嫌いではなかったし熱意もあったのだが、書いていた小説がかなり売れるようになって、家族とともに故郷士別引っ越した。

妻の実家はこれまた近くの秩父別町にあるから、まぁ親孝行なもんだ。

富川の店に2人のJKがやってきた。そしていよいよ、彼女たちの会話が始まる。

平成金時価格低すぎない?」

「やんぬるかな」

「それときらら8087xの取引価格がまた小樽相場師によって引き下げられとるわ」

「え、とーさん大丈夫だべか?」

「やんぬるかな」

士別でも組合つくらんとならんと思ーよ」

旭川の方では軍が言って組合作って自分らで検査しとるそうだ」

「うっちじゃそれ無理っぺよ! まとめんの出来る人居るの?」

「やらんといつまでも小樽相場師の言い値さ」

「折角景気も天気もいいのにこれじゃいつまでも銭こはいらんやね」

「わややわ! やんぬるかね!」

「すったこ~」

2089年に勃発したモンゴル神聖ローマソヴィエト第三二重帝国民主主義人民共和国との抗争は、この北海道の小さな町にも好景気をもたらした。

内地敦賀鳥取長崎代表される人体機械製品・生体兵器CBM生産による圧倒的な戦時景気ではない。

戦争の際は、北海道のこの土地生産物ユーラシア兵士の食料になる。今も昔もそうだ。

どちらの陣営にも食料は必要から、豆やコメの値段はだいたい五倍くらいになる。

CBMの景気の良さには到底及ばないが、片田舎にも相応の贅沢をもたらした。

ただし、一つ問題点があった。

士別市田舎すぎて、自前の公定検査組織を持たず、経済都市小樽相場師がやってきて買い付けて行く。

憎き小樽相場師は、それを時にため込み、時に吐き出し、戦争に支えられる好景気とはまた別の次元で儲けを生み出していた。

どこにどういう価値の変動があるのか巧妙に隠されている。

しかしどうやら、士別の人々が幾ばくかの損をしていることは間違いないようだ。

北海道農協制度2050年代に崩壊し、ほとんどの自治体は後継機関を持たなかった。

私はJKちゃんに話しかける。

「それならば君らが組合を作ればいい」

「ふぇえ、無理無理無理ぺよ」

無理なことはない、かもしれない。彼女たちの世代は全く新しい教育体系を得た世代で、理論を建てる訓練や説得力のある思考に関する訓練をを相当積んでいる。

かつて明治という時代近代的な学制が施行された際、子どもたちの多くは親よりも文字が読め、文字が書けた。かつてそういう世代があった。

いま彼女たちはそれと同じような時代を生きている。閉鎖的な親たちの社会、見識、学識をネット社会成熟が打破したわけだ。

糞みたいな田舎でも、都会の清廉な学生が受けるような学習の「効果」が期待できるようになった。

それを一身に受けた世代彼女たちだ。先ほどの経済の話もかつての世代高校生ときにやる話ではない。


彼女らと富川を引き合わせた。

私の役割は多分ここまでだろう。あとは記録し100年先にこの出来事を記そうと思う。

富川の店は若い世代地域政治地域経済議論する場になるだろう。

富川は母の様子を気にしながらも、この士別政治を考え、次世代に伝えることが出来るだろう。

外国のカッフェのようだ。

JKたちはまだ自分能力に気付いていない、だけだ。


こうして、あの富川のしがないお焼き屋が、士別農協が復活するとき拠点になったわけだ。

2016-01-20

くううううワシに逆らった若造公衆面前でソヴィエト式謝罪しとるニダ(shikoshikoshiko x∞

イきすぎて逝きそうニダ

っていうラノベどう?

2015-10-30

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日本

共産党幹部は、そんなに高級車に乗り、豪邸にお住まいなのですか?

日本共産党の”赤い貴族問題”と言う陰の歴史から続く党幹部の豪勢な生活は変わらない - 日本共産党の赤い貴族問題

ソビエトロシア東欧

共産貴族 - Wikipedia

その起源ロシア革命にまでさかのぼる。ボリシェヴィキ指導者たちは、貴族資本家から没収した邸宅を所有し、別荘や専用列車なども所有していた。レーニンは、1921年5月19日スターリン宛の書簡

ゴールキ・レーニンスキエ - Wikipedia

労働貴族 - Wikipedia

「全ての労働者平等」の実現をその最大の目的においた共産主義社会主義が発展する段階で、

中央労働組合などに所属する一部の労働者が、

その運動活動過程権力や財力を得て、「全ての労働者平等」とは懸け離れた状態、そのような行為を行っている人物を指す。

ノーメンクラトゥーラ - Wikipedia

ラヴレンチー・ベリヤ - Wikipedia

Amazon.co.jp: ノーメンクラツーラ―ソヴィエトの支配階級

Amazon.co.jp: 新しい階級―共産主義制度の分析 (1957年): ミロバン・ジラス

「赤い貴族」とスカーフの思い出

ニセ「左翼」暴力集団 - Wikipedia

ソ連の行った計画的飢餓「ホロドモール」が残酷すぎる

弁護士会の読書:暗殺国家ロシア

Amazon.co.jp: 暗殺国家ロシア: 消されたジャーナリストを追う (新潮文庫): 福田 ますみ: 本

Amazon.co.jp: ロシアン・ダイアリー―暗殺された女性記者の取材手帳: 本: アンナ・ポリトコフスカヤ,鍛原 多惠子

プーチン露大統領は「汚職そのもの」、米政府高官 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

プーチン露大統領の秘密資産 関係者の証言 - YouTube

プーチン氏は「汚職の皇帝」 反政権指導者が批判 - YouTube


中国

太子党 - Wikipedia - ウィキペディア

中国「太子党」ら、海外蓄財400兆円は氷山の一角だ!

【中国高官・財閥】バカ息子 in USA 車はフェラーリ・ランボルギーニ・ベントレー・BMW【太子党・民青団】

紅の党〔4〕 フェラーリ事故で見えた現代中国エリートの肖像(朝日新聞) - WEB新書 - 朝日新聞社(Astand)

中国 海外逃亡公務員は2万人で持ち逃げ不正資金は17.8兆円│NEWSポストセブン

ロスに出現した中国“愛人村”、富裕層が高級住宅を買いあさり―中国メディア

先進国の移民歓迎政策と中国富裕層の不正蓄財処理が見事に合致

蓄財1.5兆円、周永康は中国一の汚職役人か:日経ビジネスオンライン

中国共産党幹部、京都・河原町に不動産保有、蓄財7000億円

中国の温家宝首相一族が巨額蓄財、総額27億ドル以上=報道 | Reuters

NEWSポストセブン|江沢民氏の孫が1500億円資金調達「金儲けに国家加担」と批難

中国次期最高指導者、習近平氏親族の資産3百億超か 米メディア報道

中国人気紙「急成長を遂げた」鄧小平氏の親族企業を報道「赤い貴族にも反腐敗のメス」 - (大紀元)

中国共産党“失脚”幹部が賄賂で買い漁った割烹旅館の行方は(社会)

「令計画失脚」に見る「赤い貴族」の栄光と没落:野嶋剛 | 中国の部屋 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト

【パナマ文書】中国資産の密やかな流出 党幹部の親族も - BBCニュース

【パナマ文書の衝撃】習近平氏から毛沢東まで大物の名が続々 中国は慌てて隠蔽に走り、共産党機関紙の社説まで削除したが…(1/3ページ) - 産経ニュース

【パナマ文書の衝撃】中国の新旧指導者の親族らの名が 故毛沢東主席の孫の夫も 権威利用のビジネス風土(1/2ページ) - 産経ニュース

マンガで知るチベット問題

ルポ「亡命中国人」~電気棒で拷問。強制送還寸前で平穏を奪われた、ある男の告白

バンコク亡命中の中国人「共産党への怒りだけが生きる支え」│NEWSポストセブン

【閲覧注意】中国共産党による人民大虐殺 …『六四天安門事件』(写真65枚)

町山智浩アメリカ日記---「インチキというものは、放っておくと、トンデモないことになるという話。」

NEWSポストセブン|天安門事件ヒロイン柴玲氏 映画の裁判で5100万円支払い命令

香港、「反中」書店関係者相次ぎ失踪の謎:日経ビジネスオンライン


民主化自由化

[HowTo]中国のグレートファイアウォールを突破する方法 学術的アプローチで自由なインターネットに挑む「VPN Gate」

2015-07-16

ドイツで生まれスラブ民族卑下するマルキシズムナチズムロシア興隆している

ドイツに生まれスラブ民族バカにしていたマルキシズムソヴィエトで実現されドイツ民族の優位性を説きスラブ民族を劣等民族としたナチズムロシアネオナチとなって出現していることを思うと興味深い

2014-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20140110193957

ここまでがおおよそのテンプレ通り。

一応これもテンプレから足しとくけど、

君の言ってる憲法憲法ではない。

中国にもソヴィエトにも憲法という名前のものががある(あった)けど、それは憲法じゃない

2013-08-15

ソヴィエトナチスも結局は同質のもので、左翼右翼って人を揶揄するのって何にも意味ないし、どちらがいいってわけでもない。

単に相対的なもんだし時と場合によってどっちにもなりうるんだって

から認定パンおじさんは早く良い仕事をみつけようね。

2012-01-09

成人の日に - ソヴィエト連邦を知っているか

成人の日に - ソヴィエト連邦を知っているか

ああ、オヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。

キミが生まれた20年前、偉大なる社会主義国家、ソヴィエト連邦が消えた。ベルリンの壁崩壊から2年後のクリスマスに、かって革命を夢見た全共闘世代は涙したものだ。

新聞には「資本主義が勝利したのではない。アメリカの一極支配は必ずや滅ぶ」と投書が載った。

人民革命へと駆り立てたのは、資産家や資本主義社会への反発、不信、抵抗。ゆるやかな社会改良による解決がないわけじゃないのに、プロレタリア独裁を宣言し、ぶつかり、傷つく。

その心象が、若者共感を呼んだ。ロシア民謡小学校教科書にも採用されたほどだ。

ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。

全共闘運動に詳しい社会学者小熊英二さんは毎年、大学の授業で『共産党宣言』を読ませ、感想を問うてきた。ここ数年「暴力的なだけじゃないか」「私有財産何が悪いのかわからない」と、批判的な意見が増えているという。

教室に居並ぶのは、親や世の中に従順若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?

でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、国家ノルマを課したころよりずっとずっと生きづらい。

だけどキミたちは「自分スキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。

ソヴィエトはどこへ行ったのか。

全共闘世代の仙谷由人さんには「かつて若者暴力装置であった」と言われそうだ。

大学解体」と「自己否定」のスローガン機動隊と攻防戦を繰り広げたのは過去大学全入時代自己実現勘違いする若者に、暴力社会を変革するエネルギーはない、と仙石さんは語る。

革命を夢見るよりも、自己責任を受け入れて、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。

なるほどね。いくら「若者もっと立ち上がれ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。

でも、言わせてもらう。

私たちは最近社説でも、世界政治若者が動かし始めたと説き、若者当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。

から、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。

ともあれ、おめでとう。

2010-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20100823011740

答えは「日本ナチスじゃないから」に尽きるよ。

日本戦争犯罪は無秩序で規律を著しく欠いた軍隊典型的なもので、ソヴィエト赤軍とか中国国民党軍とか同様の例は沢山あるからね。

ナチスのやったことはそれよりもさらに一段階重い罪であり、そしてナチス的なるものはドイツから消え去ったわけではない(実際、ドイツに限らず西欧ではネオナチ極右政党がかなりの力を持ってるしそいつらが在特会並のごろつきであることは有名)というだけでそのことは明らかでしょ。

逆に、日本の「修正主義者」並の人間なんて旧連合国を探せばいくらでもいるんだよ。原爆投下や東京大空襲の肯定論者とか、西欧植民地体制での搾取否定論者なんてむしろ多数派なんじゃないかって勢いだし。ドイツだって国防軍(ナチスSSとは別物)はむしろ民族の誇り扱いされてて、ナチスユダヤ人虐殺に協力していたことはタブーだったわけだしね。

むしろ日本は客観的に見て歴史に対して総じて謙虚だと思うけどね。そう思われてないのは中韓政治的な意図というよりもむしろ欧米オリエンタリズムや、それに迎合する日本サヨクが原因じゃないかと俺は思うよ。

2009-07-21

団結をしない

http://chinachips.fc2web.com/argue/090706.html

さて、わたしは様々な事を「考える」ようにしていますが、このように「考えない」方もおられるようですので、代わりに考えなければいけないのかなぁ‥という気もします。

問題は2パラ目にあります。

ドイツナチスのケースも、ソヴィエト共産党のケースも、出発点では多数決だったのです。ーーーその多数決で「多数決をやめて、総てあなた方の判断で進めてください」と決めたのが「一党独裁」という結果になったわけです。

古い例を見れば、古代ギリシャで、直接民主制最盛期に、保守派の「キモン」を失脚させて登場した「ペリクレス」の、事実上独裁を許したのも「民主政体」です。つまり、

この意見がいうところの「多数決原理そのものが否定されかねません」は、無責任な「他人事評論家風」発言であり、その政局当事者達の想いとは乖離しているのです。

これは「多数決原理」が正しい、という誤解が土台にあります。

しかし、歴史を見ると、世情が混乱し多数決では纏まらず、「民主政体」では結果的に国が滅ぶケースもあり得るのです。

先日の都議選でもつくづく思ったのだが、どうしてみんなこう、右へならえが大好きというか

勝ち馬に乗りたがるというか、一党をバカ勝ちさせるような投票行動に出てしまうんだろうねえ。というか、よくこんなことが可能だなと、むしろ結束の強さに感心する。

それも60年近く似たような事を続けていて、一向に良くなってないのだから学習能力がというものがない。

上の方も言うように、議会があればいいというもんではない。

こう考えているのは少数派なのかもしれませんが、議会というのは意思決定の場であると同時に(実は)討論のための場でもあって、まともに討論するには各勢力が均衡していることが望ましいのだから(ゲームと同じで、1000対3とかでサッカーとかそんなのゲームと言わん)政権云々ではなく、等しく力を持っている、あるいは等しく無力であるべきであり

一党バカ勝ち戦略はどう考えても頭悪いし、現にあっちこっちにツケが回りまくっているよ。つまり皆さん意思決定の面しか見ていないんでしょうな。

その結果が拙速に次ぐ拙速で、出てきた法律は互いに殺しあってたりでわけがわからんです。

背脂で米炊いてるようなもんですよ。それを60年続けている。老舗の味ですかそうですか。いい加減にしてくれよ。

 

ねじれ国会とか言われましたが、この時期に少なからぬ膿を搾り出せたことには大いに意義があったし

しょっちゅうバカやらかしているとはいえ、そこそこ良いものを見せてもらったと思うのだがどうだろう。

このままねじれっぱなしでも構わないのだが、別にねじれてあるのにどの政党でなければならないという必要もありませんわな。

というわけで、今必要な調節機能とはむしろ団結しないこと(笑)、乱数的であることだろう、と

従って積極的に負け馬に賭け続ける戦略にも大いに意味があるのである。

(あまりに知性が感ぜられない候補者は勘弁だがのー)

 

http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2008/04/post-003c.html

民主主義的に意思決定する際、最後は「では、多数決で」と決議することが多いと思います。

しかし、多数決そのものは、民主主義ではありません。

私自身は、民主主義とは、異なる立場の意見をお互いに話し合い、理解しあい、相手のよい部分は取り込み、自分のよい部分は相手に認めてもらい、より高いレベルの解決策を見出していくプロセスである、と理解しています。このためには論理的な議論が必要です。

多数決に持ち込まざるを得ない、ということは、このようなプロセスが十分に働かず、より高いレベルの解決策が見出せなかった場合に起こります。

我々はそのレベルに達していないということですねわかります。

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