はてなキーワード: すき家とは
バイトを奴隷扱いするすき家が、痛いしっぺ返しを食らっている。
「すき屋」でなくあえて「すき家」とファミリー風を装いながら、社員
以上の責任を背負い込ませる極悪経営。休業中の店舗には「パワーアップ」
の文字とともに復活を予告しているが、どの面下げて増強復活なのか。
おそらく、奴隷の大量離脱で復活は困難を極めるだろう。そこであえて、
超現実的なパワーアップ復活を考えてみた。
その牛丼も、「バイト作」と変わらぬクオリティのレトルトとする。
作るのは客だ。といっても特製レンジでチンするだけ。
セルフ式にするリターンは価格。提供価格は1杯税込み200円。
なにより、無人化するのか、というとそうではない。
こないほうがいいかもしれない。
全精力を掛けて考案するのだ。それでいて、限りなく、
飲食で働く人間は、本当に奴隷のように苦しみ、搾取されている。
それは、低価格メニューをなりたたせるために、コストを削りすぎている
ならば、削る所は削る、そうでないところは、残す。そうやって
考えるべきである。
選挙に逝ってきた。
投票所至近、選挙ポスターで微笑むドクター中松、細川両氏のご尊顔を拝む。
私「まだ生きてたのか……」
若い世代の中にはドクターもフロッピーディスクも知らない人だっているだろう。
細川氏と聞いたら「足利幕府が瓦解するどさくさ紛れに権力を簒奪した人?」と尋ね返されるかもしれない。あぁ、間違ってないか。
自分はこんなに長生きできるだろうか。私の身体とカネはどれだけ保つだろう。
……カネ。
原発やTPPより、自分が受け取る(あるいは受け取れない)年金の方が喫緊の課題だ。
毎月天引きされる保険料は、将来の自分……ではなく、今いる受給者の懐に消えている。
ドクターと良家・領家なサラブレッドは十分稼いだだろ。返納はよ。
駅前のすき家(福祉)で食事を摂った私は、怒りに打ち震えながら帰途に就いた。
昨夜降った雪は固まって凍りついており、何度か足をすくわれた。
店先の道路などは雪かきされていた。今朝方、従業員が早出してやったのだろう。
どの店も綺麗に雪がのけられていたが、最も徹底的だったのはパチンコ屋の前だった。
むき出しのアスファルトの先、パチンコ屋の中では口を半開きにした老人たちが所在なさ気に玉弾きをしていた。
私「なんじゃこりゃぁあああああ!!」
投票後で良かった。
投票前にグレーゾーン朝鮮遊戯に現を抜かす彼らを見ていたら、発狂して清き一票を泡沫候補に投じていたかも分からない。
ナマポ受給者(not 不正受給)だって、「現役世代が納めている税金を合法的に再配分されている」という意味では年金受給者と変わりない。
働き盛りの世代や、小さな子供を持つがママが声高に「パチンコ大好き!」と言ったら眉を顰める人だっているだろう。
ことによっては「パチンコしかすることがなくて可哀想。家族がちゃんと構ってあげなきゃ」と、周りの人間が非難される。
お年を召した方々は、ジャンプシューズでぴょんぴょん跳ねても、佐川から1億もらってもお咎め無しだ。
私「なんじゃこりゃぁあああああ!!(2回目)」
僕は月に二回ほど、安い牛丼チェーン店を利用することがあり、使ってる時間帯(早朝)も関係しているのか、当然のことながら、僕も含めて客層のほとんどはそれほど所得の多そうな人達ではありません(ヨレヨレの服を着ている、ヒゲを剃っていないといった身なりがあまり整理されていない等が判断材料なので必ずしもとは言えません。見た目で経済力を判断するのも極端な話ですが、僕自身小さい頃から何度も家庭環境を身なりで判断をされてきた経験もあるので、絶対ではないけれどある程度のバロメーターにはなるとという自負はあるんです)。ですがやはり数名は、それなりの収入はありそうな人(それなりの値段はしそうなスーツを着ている人等)も稀に訪れるのです。
あくまで僕の見てきた限りの話になるのですが、食事を終えた後に勘定を支払う際(すき家のような後払いの場合)、もしくは純粋に食事を終えて帰る前(松屋のような食券制の場合)、店員に向かって「ごちそうさま」という言葉を口にするのは、いわゆる「低所得そうな人」のほうが圧倒的に多かったりするのです。とてもフランクに「ごっそさん」くらいのノリで。
これは、店員に「ごちそうさま」を言うのが正しく、言わないのが悪い、という話ではありません。そもそもそこに善悪などは一切挟まれていません。ただ、個人的には注文やお勘定の要求以外で店員に話しかけるのって勇気がいるんですよ。なぜなら単純にそれを言う必要性がないのと、店員にウザがられるかなという考えがあるからです。
だから本来なら言う必要性のない場所での「ごちそうさま」を言うことにあまり抵抗がないって、いいなあと思うんですよね。僕はこの行動を好意的に解釈しました。念を押すようですが、「言わないのがダメ」というわけでは決してありません。言うも言わないも完全に個人の自由です。でもどうしてそういう行動は(僕の観測している範囲だと)いわゆる「(あくまで僕の基準に照らしあわせたうえでの)低所得そうな人」な人に集中するんだろうという疑問もあり。
言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
— 最高の冬にしようや (@nnnn330) 2014, 1月 16
ご覧のように、これは単純に「僕はこんな疑問を持ちました」ということの表明です。「所得が低い」と言い切っているわけでもないし、「備えている『ように思える』」と、あくまで僕の中のイメージでしかないこともはっきり記しています。「本来不必要」というのも、「ごちそうさまを言うのは義務ではない」という意味です。
すると、このツイートがえらく拡散されていたので「お、同じことを考えている人が結構いるのかな?」と思っていたんですよ。
でも、違っていたんですね。
ごちそうさまって言うことの何が不必要なのさ。あなたは何様なのさ。
— 九条遥 (@kujoh_haruru) 2014, 1月 17
この人は食後にごちそうさまを言う人に親でも殺されたのかな?
……ん?
ごちそうさまくらい言ってもいいじゃない— アメボウズ@もう何も怖くない (@ame_tonberi) 2014, 1月 17
@nobody2knows 他人に丁寧に接することを揶揄する人は寂しいねえ
— でゅーくまんごう(◕‿‿◕)改二 (@nan5o) 2014, 1月 17
……や、揶揄?
個人の自由 RT @nnnn330: 言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
— 久遠寺あにぢゃ (@xl9ngy0120) 2014, 1月 17
牛丼にごちそうさまは不必要とか頭おかしいな RT @nnnn330: 言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い
……お、おお?
これはもしかして……いや、他の人の反応を見てもまず間違いありません。
僕が「牛丼屋でごちそうさまを言うな!」と主張したように解釈されている?
えっ、どこ? どこを読んだの? あのツイートのどの部分を読んでそう解釈したの?
いや、仮に「不必要」の部分を以って「不必要なんかじゃない!」と主張するのはいいんですよ。是非はともかく個人の自由ですし。
でも、僕が牛丼屋でごちそうさまを言うなと主張している、という認識はあのツイートのどこでそう解釈したんですか? ここは譲らないですよ。譲らないというか、意味がわからなさすぎて譲りようもないというか。
もう本当に煽りなんて一切なく、もう1ミリも理解できないんですよ。何がどうなったらその受け止め方ができるのと……。
でもまあこの手にありがちな、一部の極端な発想をしちゃう層なのかな……と思っていたら、ツイートの拡散は止まらないし、先にあげたツイートのような反応がゴロゴロ転がってくるし……。
星井さんの元ツイートが誤解されやすい論調だったからかな。「エリートっぽい人より、低所得っぽい人の方が礼儀正しく見える」という意図が、「低所得っぽい人ほど無駄に礼儀正しいwww」という意図に読めるんだと思う。ごちそうさまがどこに向いているかを意見する人は本当はそこを批判したいのだ。
— 赤速 (@redswift500) 2014, 1月 17
なるほど……。
ここで再確認しておきますが、僕は「ごちそうさまを言うな」とは一言も言ってないですし、「ごちそうさまを言う奴は低所得者だ!」といった意味不明な煽りもしていませんし、「低所得者の礼儀正しさは無駄」に至ってはもうなんていうか、その解釈どこの星から持ってきたのとしか……。「僕が興味を持っている」というところ以外では「言い切ってる部分」だって殆ど無いんですよ、件のツイートには。
僕の中では「ごちそうさま」くらい、言うも言わないも好きにすればいいはずで、言う人が責められるべきでも、言わない人が責められるべきでも、どこかで義務付けられているわけでも、義務付けて強制すべきでもなく、僕にとって(少なくとも件のツイートに関しては)「本来不必要」というのは「やるな」ではなく「やらなきゃいけないわけじゃない」という意味なのです(義務付けられてなかったり高い必要性が求められていない以上「本来不必要」という表現で合っていますよね?)「マナーとして必要な場があるというのなら自分のためにもそれに従えばいいだけの話で。
ですが、ここまで誤った認識が広まっているのなら、それはきっと僕の言葉が足りなかったのでしょう。先のツイートのように、論調が誤解を受けやすかったのかもしれません。そこで、自分の言葉のどこに、その誤った解釈ができる要素があったのか、徹底的に考えてみることにしてみました。
出来る限り言葉のひとつひとつを、出来る限り多方面から、出来る限り客観性を持って(自称する客観性ほど胡散臭いものもありませんが)、彼等の認識をすり合わせて、どこで誤解を受けるのかを考えます。
……………………。
……………………………。
…………………………………。
自分が絶対に誤解を受けるはずがない完璧な言葉を吐いた、といったような驕りを言うつもりは一切ありません。なのでそれがわからないということは、僕に欠点があるわけです。僕の目から観たらかなり跳躍した思考であっても、それがここまで大勢、しかもみんなすぐその「僕には誤っていると思っている認識」に直結したともなれば、もう僕の思考の欠落を疑うほかないからです。
唯一救いがあるとすれば、これらの誤解した意見が「多く」はあるけれど「多数派」ではなく、まあ実際の割合はわかりかねるのですが、僕の言葉の意図してることを理解してくれた人も、僕の見た具合では誤解した人と同じくらいいたことです。
結局僕は「低所得者の礼儀正しさをバカにしたうえ、牛丼屋で『ごちそうさま』をいう行為を否定した人」という枠に、そんなつもりも一切ないのに押し込められてしまったわけです。
ツイッターには文脈の一部だけを切り取られてそれが広まり解釈されるという現象も珍しくありません。僕の言葉足らずもあったのでしょう。
それでも!
そうだとしても!
やっぱり納得出来ない!
ああ、日本語って難しい。あるいは単に僕の頭がすこぶる悪いのか、人の気持ちが理解できないだけなのか……思いもよらぬことで自分の理解力の欠如が露呈し、あらゆる自信が崩壊していきました。いや自信なんて最初からないんですけれど。
今この記事を書いている間も、実は全くわかっていません。誰か僕にもわかるような簡単で合理的な説明を!
nanaoku 2014-01-17 13:06
http://anond.hatelabo.jp/20140117173200
かに道楽の店員の質が悪いという話。別に何かを主張したいわけではなく、ただのチラ裏です。多分、たまたまです。
初めてかに道楽行ったんですけど、店員の質悪過ぎワロリンヌwww
特にババァが接客業とは思えない立ち振る舞いで、気分悪いので二度と行かんわw
はっはっは
料理の置き方が雑。醤油とかお茶とか零れそうな感じで置く。ファミレス店員の方がまだ丁寧だわ。
クソばばぁが、お茶を投げるように、おしぼりがおいてあった木の器の上に置きました。常識的に考えて、ありえないだろwwww失笑です
家で身内で食べてる時にも、そんなことしたこと無いわwwww
あと、下げようとした食器をぶち落とすそそうしても、申し訳ありませんの一言もなしに、「あ、サーセンw吹いときますねw」みたいな感じ。ほんとに悪いと思ってないわ
昔からある店に昔からいついているクソばばぁが、品のかけらも感じられぬ接客をします。さっさとクビになることを祈るばかりであります。
あと、かに道楽はてっきり高級店なのかな…?と思っていたら、全然、勘違いもいいとこでした。無知でした。すみません。
食材が高いから単価も高いだけなんですね、その高さにサービス料も含まれるかと思っておりました。申し訳ありませんでした。
以上、よろしくお願いいたします。
http://anond.hatelabo.jp/20130913141354
結婚だけど、こればっかりは組み合わせの問題なんで、仮に上司の嫁さんに問題が無かったとしても、どうしようもない事もあるんじゃないかな。
単純に嫁さん悪いって可能性もあるし。 君も別に確信が得られないなら結婚しなくても良いのでは。
あと、私も嫁さんと想い想われる関係を、ぼーっと望んでいた気がする。 おんなじような価値観、イメージを共有できるような関係性。 いいよね。
特別な1人がいるのってすごく心強くなるし、安心感があるじゃない。
これはそう。安心感あるし。 あとね、考えることが減りました。 自己肯定感みたいなものに悩まされなくなった。
昔は、というよりこれは私が30手前の中年に差し掛かるころだったんですが、「俺って役に立ってるのかな?」という不安に覆われるような時期が来た。
いやだってネットみれば凄い人は雲の上のような感じだし、職場で上を目指せるかってーと限界が見えたりもする。自分の市場価値は?とか。
そういう時に仕事に失敗すると本当に落ち込む。
誰だって自分は価値がある、と思いたいものではないだろうか。 それは心の弱さではあるけど、でもそういうものではないだろうか。 私は誰かの役に立ちたいな、と思ってた。 仕事以外でもいい、なにか別の評価軸、誰かのために何かをして、ありがとうって言われたくなった。
今の嫁さんと出会った。 別に嫁さんは美女という訳でもないし、料理人って訳でもないんだけど、
花を贈ると喜んでくれた。 深夜作業あけに会いに行くと労ってくれた。 あと彼女が焼きうどんを作ってくれた。
当時の私は松屋とすき家と吉野家のローテーションで、学生時代から+20kgでビタミンは足りず、なんか体に塩気が溜まってくような感じだった。
彼女の作る焼きうどんは、屋台なんかとは違って薄味で野菜がたくさん入ってて、食べるたび、体に栄養が染み渡る感じだった。 砂漠に水が吸い込まれるような感じで、腕や足に沁みていくのを感じた。
この辺の感覚が分かるようになっただけでも歳をとって良かったな、と思った。 歳を取ると野菜が美味しくなる。
花を贈る相手ができた事が嬉しかった。 で、会うたびに新しい花を贈ってた。
「まだ前にもらった花も枯れてないですよ」という彼女に「でも、花を贈る相手がいる、という事も幸せなことですよ」とか返していた。
なにかできる相手がいるってことが楽しかった。 別に相手は誰でも良かったのかもしれない。コンビニの店員なら客でもいいし。仕事の同僚でもいいし。NPOなんかでもいいと思う。ただ私は彼女になにかをしたい、と決めた。
昔は誰かに愛されることを望んでいた。その方が幸せなんだろうな、と今でも思う。 ただ歳を取るとその辺はどうでも良くなってしまって、ただ愛したい、だけが残ったような気がする。
山本 夜羽の漫画の帯だったか「愛を知らない人間だけが知る愛がある」ってフレーズがあったような気がする。私の場合はそうなんだろう。 今もあの時の気分が続いてる。
ワタミは世間一般から見れば糞ブラックだが、外食業界ではまだ比較的マシな方という話がある。
中小飲食店のブラック度合いはワタミより数段酷いらしい。店主が店員に暴力を振るうこともザラだとか。
外食業界では「ワタミは大企業だけあってちゃんとしてる」と評されてる可能性もある。
一消費者である我々は今まで、外食業界のブラックさをそれほど意識することがなかった。
マクドナルドでみなし管理職問題が出たり、すき家で残業代未払いが発覚した時も、
あくまで個別企業の問題であり業界全体の問題だとは思って来なかった。
ワタミが介護・教育などの他業種に参入し、外食業と同様の雇用トラブルを引き起こし、
それらのトラブルが発覚してもなお確信犯的に同じ方針を取り続けるに至ってようやく、
「なんでコイツは平然とこんなことができるんだ?」という疑問を抱くことができた。
そしてやっとワタミ個別の問題ではなく、外食業界の体質の問題だということに気付いた。
外食業界では、ワタミや餃子の王将やステーキけんのようなところがスタンダードであり、
その外食業界の常識をそのまま他業種に適用したから、傍から見たら異常な問題が起きたのだ。
この期に及んでもまだワタミの信奉者が結構な数いるというのは、
以下の文章を読んでくれ。
Togetterの「吉野家のコールスローがなくなって残念すぎる」(http://togetter.com/li/463971)というまとめに書かれたコメントだ。
マヨネーズとドレッシングでは マヨのほうがコストが断然高いので、多くの牛丼屋はどうしても ドレッシングを置くとなる背景もある。すき家なんて マヨパック30円もするぐらいだから。そういう意味で お客さんの選択としてマヨ好きは マヨサラダであるコールスローの吉野家という選択の図式があったのかな?と思った。
なんなの?
この文章の書き手以外にも、句読点の代わりにスペースを使う人間は一定数いると思われるんだけど、
スペース入れる配慮があるなら句読点使えよ。どういう思考回路なの?
全然使わなくて全部文章繋がってる奴とかいるけど、それは句読点の使い方が分かってないんだなと分かる。
こういう文章書く人がどういう感情で書き込んでるのか分かんない。
以下の文章を読んでくれ。
Togetterの「吉野家のコールスローがなくなって残念すぎる」(http://togetter.com/li/463971)というまとめに書かれたコメントだ。
マヨネーズとドレッシングでは マヨのほうがコストが断然高いので、多くの牛丼屋はどうしても ドレッシングを置くとなる背景もある。すき家なんて マヨパック30円もするぐらいだから。そういう意味で お客さんの選択としてマヨ好きは マヨサラダであるコールスローの吉野家という選択の図式があったのかな?と思った。
なんなの?
スペース入れる配慮があるなら読点使えよ。どういう思考回路なの?
全然使わなくて全部文章繋がってる奴とかいるけど、それは句読点の使い方が分かってないんだなと分かる。
こういう文章書く人がどういう感情で書き込んでるのか分かんない。