はてなキーワード: 電脳コイルとは
便乗
1. 翠星のガルガンティア
2. 人類は衰退しました
3. Psycho-Pass
5. 凪のあすから
6. 新世界より
7. 電脳コイル
8. 逆さまのパテマ
早ければ小3の途中くらいまで二人の女子に断続的にむかつくとか気持ち悪いとか言ってたと記憶している。
でもたぶんその人たちによって不快になっていたんじゃないんだよな。そういう人もいたかもしれんが。
もともと不快になりやすかったんだとは思うが、その人たちによったというよりは、
意識はしてなかったが、鼻づまりによる呼吸困難とかによったのではないか。
あとむかし電脳コイルの最初の数話をみたあとしばらくの間、自宅でぼんやりしていると、
衝動的に「うんち」と叫んでしまって、叫び始めてからそのことをはっきり意識するってことが頻繁にあった。
それと似た現象かもしれん。
……だいたいその奇声はフラッシュバックだかの後に起こっていたように思う。
フラッシュバックってのは正確にはわからんが大体次のような感じで使ってる。
その当時も苦痛だったり、あとから思い出したときに羞恥心が伴ったりする出来事の、
生々しいがおそらく想像力によって変化している苦しみを伴う想起。
子どもと一緒にアニメを見るお父さんもいるんじゃないかと思う。幼稚園のころなら『アンパンマン』や『プリキュア』で良くとも、小学生も中学年ぐらいになってくるとさすがに卒業する。『プリティリズム』に進む女の子は多いだろうが、大人の男が見るにはちょっときつい。
そこで、お父さんが小学校中学年以上の子ども(女の子)と一緒に見られそうな作品をいくつか紹介してみたい。基準はうちの子が好きで、なおかつ過激なシーンがないというもの。なので、どれぐらい一般性があるかはわからない。順番は適当。
女子高生が主人公のアニメ。いわゆる萌えアニメだが、小学生女子でも楽しめる。お風呂のシーンでちょっと困るが、まあ問題ないレベル。
・『はたらく魔王さま!』
勇者に倒された悪の魔王が現代日本にやって来るという話。ややきついシーン、胸の大きさの会話などで微妙に困るところもあるが、うちの子は気にしていないようだった。
・『たまこまーけっと』
商店街の餅屋の女子高生のところに正体不明の鳥がやって来るお話。うちの子曰く、最初は微妙だったが、だんだんと面白くなってきたとのこと。
・『境界の彼方』
半分妖怪の男子高校生と妖怪退治を生業とする女子高校生が出会うという話。うちの子は京アニが好きなんじゃないかという気がしてきたが、なかでもこの作品を大変気に入っていた。ややきついシーン有り。
・『のんのんびより』
田舎の女子小学生が主人公のまったり系アニメ。ギャグも分かりやすいので、小学生にもとっつきやすい。
・『きんいろモザイク』
イギリスから日本に女子高生が留学してくる話。途中までしか見てないけど、そこそこには楽しんでた様子。
・『TIGER&BUNNY』
企業広告を背負ったヒーローたちの活躍を描いた作品。ヒーローものだがグロいシーンもそれほどなく、安心して見られた。ストーリーもわかりやすい。
・『ちはやふる』(1期/2期)
かるたに燃える女子高生が主人公のアニメ。かるたのルールなど、どこまで理解できているのかは分からないけれども、それなりに楽しそうに見ていた。これも安心して見ていられる。
・『無人惑星サヴァイヴ』
昔、NHKでやっていた子ども用アニメ。無人の惑星に不時着した子どもたちのサバイバルストーリー。映像がやや古いが、内容的には安心だし、大人が見ても楽しめる。NHKで言うと『電脳コイル』もありうるが、あれは子どもが見るには世界観とストーリーが難しすぎると思う。『ナディア』は最後のほうがなあ…。
・『氷菓』
以上、とりあえずうちの子が好きな作品を挙げてみた。大人用の作品も多いので、子どもがストーリーを理解できないときには解説してあげると良いと思う。まあ、子どもとのコミュニケーションの一環ということで。
なお、受けなかった作品としては『中二病でも恋がしたい!』(意味がわからないらしい)、『のだめカンタービレ』(なんかイマイチらしい)、『ぎんぎつね』(正直、ちょっと微妙…?らしい)があった。『とらドラ!』も一緒に見たが、子どもと一緒に見るにはどうかな?と思う部分もある。
今期の作品では『いなり、こんこん、恋いろは。』を楽しみにしている。あと、上記の作品の傾向から、うちの子が好きそうな作品を教えてくれると嬉しい。
秋葉原の隣になるが、御茶ノ水駅の「豚野郎」あれは食べておくべきた。
似たような種類で
・スタ丼
が近くにあるが、断然、豚野郎だろう。
スタ丼は秋葉原にもあるから、探してみるといい。ここもうまい。
それと、ケーブルテレビが入ってるなら、アニメはテレビ埼玉が優秀だからチェックしておくのすすめる。
前シーズンは電脳コイルと攻殻機動隊とグレンラガンとARIAがやってた。もう終わるけど。次シーズンは知らないが、わりと優秀作品を流すので有名だ。
100円ショップは岩本町あたりまでいかないと無かった気がする。
自転車あると便利かも。
enjoy秋葉原
ゴリ押しが過ぎる。
ゼーガペインとかTrueTearsとか四畳半神話体系とか、言うほど放送当時は話題にならなかったのが急にどっかで話題になると
実は名作だったとか隠れた名作アニメ扱いされてるけど、そりゃ知る人ぞ知る名作かもしれんが、それはにわかなだけであって
皆知ってるし、大体誰かが名作言ってる作品は過去に散々名作だと言われ続けた作品ばかりで全然隠れてないしあまりに有名過ぎるというのに
さも俺だけが知ってる隠れ名作アニメだとかドヤ顔で言われたら反応に困るわ。
隠れた名作ってのは2chでもあんまり話題にされず、専用スレッドがないかあるいはスレッド数が少ない淘汰してる状態のアニメ作品で、だから。
その点ファンタジックチルドレンとか学園戦記ムリョウとか知ってる人は知ってる隠れ名作だと考えられる。
ガンダムでいえばターンエーは隠れた名作だけど、今以てあんまり話題にならないのは本当に隠れてるから。
灰羽同盟とかカレイドスター、ソルティレイやガンソードなどは皆知ってるし、隠れた名作だとドヤ顔で言う人は本当ににわかだと思う。
大体皆知ってるような作品は隠れてないし、電脳コイルなどのNHK教育テレビで放送したような作品は隠れなき名作だけど、
NHKの衛星放送のみだとかね。例えば彩雲国物語やマ王とか。十二国記は総合で以前何度か再放送してるから結構有名なんだけど、精霊の守り人はそうかもしれない。
でもNHKアニメは意外と知られてない作品が多いかも。横山光輝三国志とかアニメやってた事自体知らなかった人多いんじゃないかな?
あとは、WOWOWのノンスク枠アニメが隠れた名作扱いが多い。ヴァンドレッドとかゲートキーパーズとか闇の末裔、グラビテーション、捨てプリとか。バッカーノとか星界シリーズなんかは有名過ぎるわな。
あとは、UHF枠の深夜アニメかしら。昔夕方でもやってたのでストラトス4とか、割と放送時期が夕方なのも隠れ名作と言われるかもしれない。
隠れ名作のゴリ押し理由は至極明快で、生まれた時期の問題。いわゆるジェネレーションギャップと言う奴ね。
ボクのように80年代から90年代、つまり昭和後半くらいに生まれた人だったらこの時期のアニメをよく知ってるから、それ以降生まれた平成生まれの子が“これは名作だ”なんて嘯いたら何か違うだろと思うのは、生まれた時期が問題なんだろうと思う。
皆その時代に生まれてたら誰でも知ってるような作品が実は生まれた時期が遅くなると知らないって人が多いのは当然なんだ。
だから、よくテレビ朝日系列で皆大好きアニメ特集でキューティーハニーとかサリーちゃんとか鉄人28号とか古い作品が多いと感じるのは、生まれた時期のギャップが影響してるんだと思う。それは、昭和の初期とか中期に生まれた人が見るアニメって、今見てる人からしたら層が違うと感じるでしょ?同じなんだよね。
もしかしたら、今凄いって言われてるアニメももっと後、10年20年先になったら今放送してるアニメなんかも隠れた名作扱いがあるかもしれんね。
それは、生まれた時期が影響しているから。
アニメ、電脳コイルがBD-BOX発売記念で無料公開をしていると聞いて見てみた。
なかなかはまって、あの世界についていろいろ思いを馳せたりしたので整理してみる。
ネタバレ前提なので嫌な人は帰るか今なら間に合うから本編を見るのがオヌヌメ。
※1-13話が5日の正午まで
14話以降が11日正午まで
以下ネタバレ含む長文
今回本編を見るまで電脳コイルで知ってることといえばメガネの子供たちが出るアニメで、
なにやら近未来っぽい雰囲気というくらい。面白そうという印象はあるにはあったが、
金を払ってまで見ようという程の興味はなかった。無料だし見てみるかってレベル。
メガネをかけた子供たちが現実と仮想の入り混じった世界で日常を派手に暴れまわる。
話が進むにつれ伏線らしきものがいくつも出てくるのが次の話を見る気を起こさせて
くれるものの「早く次が見たい!」という気分には全くなれず。
登場人物は個性的なのだが、こちらがワクワクするような強烈なキャラクターが見当たらない。
ヤサコはもちろん、一匹狼イサコは厨二病持ちにしか見えないし、地元っ子たちは馬鹿ばかり。
不思議な電脳世界の描写は面白いが、けっこう危なそうなのに大人は無関心なのに違和感。
メガネの修理代をお年玉換算したり、ごっこ遊びを仕事と呼んだりするのは子供らしさが出ていて好印象。
何話か見たあとで、どうして気分が乗らないのか考えてみて、
登場人物の行動やその動機が抜けていて、そのくせ失敗にまるで懲りず、真面目にバカを続ける様子が滑稽だからか?
という一応の結論を出した。
怪しげで危険そうな道具を買っては、不毛な争いや、探偵ごっこを繰り返す。
メタバグ、メタタグ、イリーガル。説明でどういうものかは理解できても子供がなぜそれに並々ならぬ情熱を注ぐのか?という動機がいまいちはっきりしない
そのため、どうも彼らのテンションに乗り切れない。
心が動かされた回数は片手で数えられるほど(世知辛ぇ…!)。
物語は夏休みが始まり、合宿の肝試しを舞台にした戦いが繰り広げられた。
イサコがイリーガルを捕獲吸収!ハラケンの過去!謎の数字4423!
だからぁ!得体のしれないものに熱上げ過ぎだぞお前ら!…置いてきぼりな僕を尻目に物語は加速するっっ!!?
イリーガルの魚…( ´_ゝ`)フーン(テクスチャ食って巨大化したら何なの…)
ここまで11話、日を跨いでいるとはいえ5時間以上…僕の頭は悶々とした気分に満ち満ちていた。
そして12話。予想外の形で、その悶々ダムが決壊した!それは放流という秩序めいた開放ではなく、事故的で唐突な決壊だった。
懲りないイリーガル探し…(ダイチ/ウンチには笑えるようになった)。
ダイチ父「ボッサボッサだったぞおおwwがははwww」( ´_ゝ`)
登校日『髭エエエエェェェェ!!!!』( ´_`)ソウイウ ハナシネ
全員感染( ^ー^)デスヨネー
ΩΩΩΩ<よ、余計なもん作ってんじゃねぇええ!!( ^∀^)ワロタwww ← テンポの良さに押されつつある
※ここで初めて経過時間をチェックした…内容濃すぎだろ!
ヤサコ「私はもう宇宙計画よ!」「あとちょっとでロケット-」ダム決壊(゜∀。)ウヒャヒャヒャヒャ
子供のセリフは今までにないくらい重いのに髭で台無しなのが可笑しい。
今まで蓄えた笑いを解放するかのように笑った!と同時に笑いとは別の充実感があった。
締めはまぁ普通だったが、この話のお陰でようやく視聴態度を体が理解した。
間違いなく神回。
12話の髭騒動でようやく初めて満足感が得られた。
リズムよく斜め上に展開するストーリーは間違いなくここまでで随一だ。
しかしそれとは別に子供の成長がわかりやすく描かれていることが、今までの話で蓄えた僕の苛立ちを解放してくれたようだ。
それを見ていてスカッとした側の気持ちとしては
「おぅ、ようやく賢くなってくれたじゃないか!」といった感じ。
頼りなくて何も出来ないと思っていた子供が見せた成長への喜びとでもいうか…。
続く13話を不思議と楽しく見終えた時、再び似たような気分になり、現実の親心ってこういう感じかもしれないなんてことを思った。
子供は大層に「仕事」なんて言いながら、てんで価値のないことに熱を上げている。
それを見て大人は馬鹿らしいと感じて、はじめのうち叱ったのかもしれない。
しかし冷める気配を見せない熱意を目の当たりにして、勝手にすれば?と
黙認という名の降参をし、以後は最小限のおせっかいをのぞき、無関心に転じる。
そんな毎日のなかで子供は自分の世界を必死に駆けまわり、大人が無駄と信じて疑わない仕事のなかで知らず知らず賢くなる。
同時に大人の気づかないレベルで心も豊かになっていく(僕の中での1-11話)。そしてある日突然、大人の目にも分かる形で驚くような成長を見せつけるのだ(12話)!
僕は今まで大人の目線で子供の世界を見せられ続けていたのだ。そりゃ面白くなくて当然だ。
大人はあまりメガネを使っていないか(作中の描写や、フミエが花屋を見てメガネ持ちだわというセリフ)、
電脳空間には無関心のようだ(関わるシーンがない)。
メガネで見える電脳空間でいきいきと走りまわる子供は一見とても危なっかしく見えるのに
先生や親、周りの大人はほとんど感心を払わない違和感は終始ついてまわっていた。
この関係が現実を生きる大人と子供の距離感によく似ていると感じるのは僕だけではなかろう。
そこまで考えると、この作品の「メガネ」やそれを通すことで見える世界は「色眼鏡」という言葉と似た意味の
子供と大人の見える世界の違いを示しているのではないか。という考えに至った。
メガネの役割がわかった所で、そこから見える世界と一般的な子供時代らしいネタを試しにヒモ付けしてみよう。
電脳霧 | 空き地や廃墟は好奇心を刺激する |
メガシ屋 | 言わずもがな |
メタバグ | 子供たちの流行アイテム。大人にはガラクタのようにしかみえない |
メタタグ、電脳ツール | 子供の遊び道具や遊び方 |
サッチー、キュウチャン | 怖い近所の大人 |
イリーガル | 野生の小さな生き物 |
などなど
そんな見方でストーリーを思い返すと、ヤサコが引越し先の遊びの文化を全く知らなかったのを、
最初はネットワークも発達してそうなのに独自の文化が形成できるんか?と思ったことも間違いだったとわかったり、
オバチャンなんて近所にいる面倒見のいい年上のお姉さんまんまじゃないか!とか、
大好きだった空き地が突然工事で入れなくなった時の気持ちとか、
近未来っぽいあれやこれにノスタルジーな要素をいくつも見出すことが出来る。
序盤に不満としてあげた要素もけっこう説明がつくんじゃないかな?
13話見終わってようやく本質に気付いた…遅すぎの部類だろうな。
最初のナニコレツマンネという大馬鹿な勘違いへの戒めで書いた。ホントどんくさくてすんません。
電脳コイル、かなり味わい深い作品でした。子供と大人とじゃ楽しみ方がてんで違う作品だ!
後半はどうなるんだろう?10話までに様々な謎が生まれ11-13話でイリーガルが
取るに足らないバグではないという流れになった。後半でどのようなドラマが
繰り広げられるのか全く想像はつかないが、楽しみ方を理解した上でみることができる残りの話がただ純粋に楽しみだ。
時間をかけて一話ずつじっくり楽しめたらいいな!
だいぶ長くなった。思いつくままなので冗長になるのは仕方ないにしても長い。
見て過ごしてしまった増田さん!いるかなぁ?少しはお役に立てていれば幸いです。
後半を見ても、今回のようなビックリはたぶん起きない気がするので
こんな長文はこれっきりでしょう。おしまーい。
俺が前に書いた表題の床屋談義について(http://anond.hatelabo.jp/20100923234530)。
暇なはてな民の方々からそこそこ意見が寄せられてきたのでここらでみんなの意見を踏まえつつ再論する。人によってはSFという言葉に過剰反応したり、「SFロボットアニメ」の定義がわかんねえよとの声があったが、語義を巡る議論に深入りするのは主眼ではない。ここでは差し当たって「巨大なロボットとそれを指揮するキャラクターが物語の中心となる近未来アニメ」という意味として便宜的に使わせて頂くのを許して欲しい。近所のレンタルビデオ屋にある「SFロボ」のコーナーはこれで並んでおり、一般的な認識ともそう離れてないと思う。(これだとたとえば、「鉄腕アトム」や「攻殻機動隊」は近未来だけどOUTとなる、一方で「パトレーバー」はINとなる。)
で、上記のように定義づけると、「トランスフォーマー」のように「テレビくん」で販促しているようなキッズ向け作品に関しては好調なものはあるものの、従来の大きな柱であった「アニメージュ」で取り上げるようなティーンネイジャー以上をターゲットにしている部類では、陳腐化は間違いない。
たとえば最も有名なタイトルであるガンダムシリーズは、作品数の減少が顕著だ。90年代には「V」から「∀」まで5つのテレビシリーズ(加えて複数のOVA、映画)がリリースされた。しかし、00年代に入ると、テレビシリーズの新タイトルは「SEED」(続編含む)、「00」の2つだけだ。
ガンダム以外にも、90年代には「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」など今も語り継がれる新タイトルのヒットがあった。今冷静になって振り返るとこれロボット出す必要あんのか、という作品までロボットが登場していた。具体的には、「神無月の巫女」や「エスカフローネ」、「サクラ大戦」(これはアニメというよりメディアミックス作品だが)などだ。00年前後までは「ロボット」は登場人物を引き立たせる定番の構成要素だったと言っていいかもしれない。
しかし00年代にはいって、男の存在を抹消した萌えアニメの隆盛と入れ違うようにしてSFロボットアニメのプレゼンスが消えていった。中でも象徴的な出来事は07年の「グレンラガン」だった。久しぶりにガイナックスが制作するSFロボットアニメで、内容的な出来も(個人的には)期待を裏切らないものだったが、その影響力は同時期に放送していた「らき☆すた」の方が完全に上回っていた。「エウレカセブン」や「創聖のアクエリオン」は、事前プロモーションやメディアミックスで力をいれていたものの、作品としてはことごとくコケた。この2作品が今でも人々の記憶に残っている理由は、アニメの成功ゆえではなくパチンコで行きを吹き返したおかげだ。
結局、世紀が変わった当たりからSFロボットアニメは定番タイトルの続編が少なく新タイトルもろくなヒットが出てこなかった、ということになる。
はてな民からのコメントに、「企業が興味を示さなくなったから」というのがあったが、これは結果と原因を取り違えている。企業側の主導で消費のトレンドを作るのは電気製品などではよくあるが、アニメのトレンドは消費者が主で企業が従、がこれまでの流れだった。重要なのはなぜ消費者が興味を示さなくなったかだ。
それは「21世紀の現代に適応できた新しいSFロボットアニメ像を提示できていないから」。繰り返しになるが、やはりこれが一番大きいと私は思う。「ロボが出てくる未来のおはなし」だけではもう飽きた、というわけだ。前回のエントリに対し、別のはてな民も『電脳コイル/ゼーガペイン見たときに思ったのが「これ、ロボアニメである意味あるか?」だったなぁ』と回顧している。SF的な未来世界の中に「巨大な人型ロボット」の存在は間違いなく時代遅れになりつつある。
実際、ストーリーはすでに出尽くされ感がある。たとえば、
14歳の少年・早瀬浩一は、ある日“事故”により、少女と出会い、巨大人型メカ「ラインバレル」を手に入れた。何も出来ず、正義に憧れているだけだった少年の周りは、彼が圧倒的な力を手に入れたことでめまぐるしく動き始める。新しい仲間と出会い、友人と別れ、守るものを背負い、自らを囲む世界と向き合い、やがて少年は成長してゆく。
これは2008年に放送された「鉄のラインバレル」のストーリー紹介だが、これにたいして海外の掲示板にすら「俺たちは同じようなアニメを幾つもみてきたんだよ!」って放送当初からキレていた人がいた。
設定や描写も現代では通用しなくなっている。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。それと、お互いを「○○少尉」とか軍隊風の呼称で呼ぶことも、あのコクピット内の絵面(ごちゃごちゃした巨大なマッサージチェアみたいなところに腰かけて膝の横辺りにある操縦桿を握る)もそう。そもそも2足歩行があれだけ一般的な形式であり続ける工学的な理由は何?陸上を移動するならば足よりも車輪の方が機能的じゃね、と外人でなくてもそうツッコミたくなる。
もっと根本的に、少なくとも目の肥えた「大きなお友達」にとってはSFの持っていた神通力が衰退したことも大きい。前回のブクマコメントにあったように、SFはかつてテクノロジーの未来を提示する役割を果たしていたけど、今やSFにその力はなくなってしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムでアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。20世紀にワクワクしていた未来技術の世界は、21世紀の今になって確実にワクワクできなくなっている。深刻なのはそれを21世紀の私たちがワクワクできるような形に上手くリニューアルできていないことだ。「SFロボットアニメがどうこうより科学の発展に大した希望をもたなくなった」という悲観的なコメントもあった。
だから結局、オーソドックスなSFロボットアニメが受入れられなくなってきたから、今はなんとかして新しいそれに代替するSFのあり方というか表現方法を模索してる、という段階なのだと思う。1つの流れとしては、『プラテネス』みたいな、自分と割と身近な人が宇宙に行って、みたいな話だ。ロボットなんてシロモノをあえて登場させず現実的な想像力で捉えられる範囲で、人間同士の関係を描写する。もう1つの流れは、SFロボットアニメの突飛さをあえて逆手にとり、腐女子的な暴走ノリを表す手段として借用する流れだ。ちょうど「コードギアス」がそれをやって大いに受けたし、近々放送される銀河美少年のやつもおそらくその形だと思う。「ガンダム00」?あれは本来やるべきワクワクするような未来世界を提示できずに単純な現代の延長でお茶を濁した失敗作であり、SFアニメの屈服だ。
【募集】大学入ってからいいよって言われたコードギアスとマクロスFしか見てない俺に見たほうがいいよっていうアニメ.もしくは映画など
261 名前: ゆりゆり最高[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 22:59:21.48 0
「俺(達)だけの磯だったのに」って言ってしまえばそれだけなんだけど
その背景に、情報解禁から"始まるまでの約1年半"があることはまず間違いない
あの1枚絵が出た瞬間から俺達にとっての「電脳コイル」は始まってたわけで、第一話放送の時が同時に最終回でもあったわけだ
半ば幻のアニメーターと化していたあの磯光雄が満を持してカントクをやる・・・という情報はそれだけでどんな作画アニメにも負けないほどに作豚心を刺激したはずだし
愚直と思われようとも「今までに経験したことのない映像体験がやってくる!!」という希望が見えていたんだよ
だって0080の磯だよ?劇場エヴァの磯光雄だよ?「ジュブナイルだから派手アクション無いんじゃね?」とかいう疑問なんていらなかったよ
始まるまでの約1年半の間に俺達は「ぼくのわたしの電脳コイル」を語りに語り倒したよな、そりゃあもう
正直、映像がポツポツ出始めたあたりから、実は思い描いてたのとは違うという事に気づいていたけど、最後の最後まで語っていたよな
実際に放送が開始して、走りだのダイチだの師匠だのコンカツだの興奮したように語ってても、みんな心の奥底で「終わった」と悟っていたはずだよ
あの時もう俺達の電脳コイルはすでにフィナーレを迎えていたんだよ。これ以降は電脳コイルの冠がついたまったく別のアニメなんだよ
それだのに、そんなまったく別物をまるで本物の電脳コイルのように崇めるあいつらやそいつらや文化人どもが信じられなかったよな
それまでお前らの人生に「磯光雄」の名前なんて存在しなかったくせに、俺達の電脳コイルのほうが絶対に面白かったのに
傍目から見りゃ扱い難い厄介な奴らのように見えるだろうけど
このジェラ心は決して悪意なんかじゃないんだよ、それだけは信じてよって思う
------------------------------------------------------------------
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51205914.html
確かに、ケータイってプル型だのプッシュ型だの、情報等のゲートウェイとしてはすごくいいんだけど、じゃあ情報の発信側になってるかっていうとそうじゃないよね。
メールの送信とか、掲示板に書き込むとか、その程度のこと言ってるんじゃなくて。
確かにTwitterとかケータイ版Twitterと言われる「リアル」とかプロフとかってのも、ケータイレベルでは十分「発信」してるものかもだけど、PCを自在に利用している人の「発信」に比べたら全然レベルが違うのかなって。
で、ここまで書いといてあれなんだけど、「じゃあPCで多くの人がやってる発信ってなに?」って言われると、ケータイから出来るような発信しかしてないなって思った。
メールにしても掲示板にしても、はてなにしてもブログ更新もだいたいケータイで出来る。
dankogaiさんのようなギークな人にとってはパソコンって凄い重要なものかもだけど、別に一般人にとっては必要不可欠でもないんだなーって。
よく使わなくなったパソコンをサーバにしたり、リビングのテレビの横に置いてDLNAサーバとかメディアサーバ化することもできるとか、チューナー付ければテレビなんて要らなくなる!って言うけど、逆に、パソコンじゃないと出来ないって事がほとんどなくなってきたんじゃないかなーって。
テレビにしても音楽とかメディア系にしても、ゲームにしても、専用の機器があるんだけど、パソコンに一本化できるってことにパソコンの用途が進んでいって、パソコンじゃないと出来ないことをする人はほんとにIT系の人くらいになってきたのかも。
iPodとか音楽プレーヤーのためにパソコン買う人もいるけど、テレビに繋げるセットトップ(au BOXみたいなの)がもっと使いやすくなったりしたら必要なくなるし。
もちろん、今のケータイには限界があって、画面のサイズが小さいこと、キーボードが小さいこと、拡張性がないこと。
いわゆるI/Oってやつ。今のケータイだとせーぜー3.5インチ程度で情報量が少なく、文字の打ち込み等は遅い。
また、まだまだ「PC向けサービスをケータイでも使えるようにした」程度だから、まだまだUIがこなれていない。ま、それはiPhoneの登場によって、タッチパネルとアプリケーションで解消できるとわかったわけだが。
もし、ケータイのフルブラウザがネットブック程度のブラウザ性能を得て、かつ、繋げるだけで大画面出力、QWERTYキーボードが使えるようになるような機器が当たり前になって(シンクライアントノーパソみたいなものにケータイを繋げる的な感覚)、いろんな機器をつなげて拡張できるようになると(できればBluetoothとか近距離無線で)、いわゆる「パソコン」ってものが一般人からすると要らなくなるんじゃないかなーと思う。
個人的には、有線じゃなく無線、さらに言うなら、電脳コイルみたいにメガネとか視覚に直接投影するとかで、バーチャルI/Oが出来ればワクワクする。
脱線したけど、結局dankogaiさんの記事は結局ギークな人や開発者による視点でしかなくて、一般人の視点からすると、パソコンなんてもうただの「なんでも出来る魔法の箱、だけど、個別に買ったほうが楽。」であったり、「リテラシーや知識のある人にはすごく使いやすい、だけど、ケータイでもほとんどのことが出来る。(使いやすさや快適さを我慢すればだが)」という箱になってしまったんじゃないかなーって。
それさえクリアしてしまえばいろんな「当たり前」が変わってしまうんだろうなー
(1)自尊心が異常に強い。自分は池沼のくせに平気で萌えオタを見下している。
(2)電脳コイルの評価に対する異常な執着。他人が電脳コイルを褒めなければ気がすまない。
(3)非常に自己中心的で自演、捏造、歪曲、妄想、虚言癖等を繰り返し、性格がうっとうしい。
(4)責任感の欠如。自分から出てきたのに、論破されると勝手に逃げ出す。
(5)嘘データと論破されているにも関わらず平気で嘘っぱちデータを張りつける。(特に視聴率、DVD売り上げ、アンケート)
(6)一人では何もできないので信者同士群れる。(少しでも電脳コイルを批判する人間がいると集まって総攻撃、炎上させる。)
(7)他人に嬉々として作画の話をするくせに、自分は作画のなんたるかを全く分かっていない。
(8)外見がとにかくありえなくキモい。それだけでなく言動、異臭も酷く近づく者は皆拒絶反応を引き起こす。
(9)ハルヒやらき☆すたは信者の工作で売れたと言い張り、コイルが売れないのはニコニコ動画の仕業。それが低脳コイル信者クオリティ
(10)コイルは子供たちから大人気という脳内電波を撒き散らす。アニメ史に残る傑作だと豪語
(11)DVD所有を誇示するも実は親の金で買ってる。あるいはDVD買う金も持ってない。
(12)教室でコイルの話を始めて皆ドン引き。本人は面白いと思っている。
(13)コイルスレでの疑問発言を一人の自作自演荒らしだと妄想←New!
奴らは萌えアニメをバカにすることで自分のプライドを守ってる人間のクズ
ああでもロリコンデブ低学歴肥満異臭悪臭腐臭口臭腋臭キモ中年の信者どもには堪らないですかねwww
学校の美人から気味悪がられた青春時代を送ったから、美少女キャラが嫌いで萌えアニメが憎たらしくて
ああいう子どもなら自分を受け入れてくれると思ってるんだろwww
きめえから外で出てくんなよクズ
なにがって今回の日本SF大賞ですよ
2007年度最低の駄作たる電脳コイル(通称:低脳コイル)が受賞してしまいました
正直ここまで露骨なお手盛り受賞なんてのがあるとは思ってなかったので
怒るのを通り越して唖然としています
明らかに圧力がかかったとしか思えませんね
要するに、大金を注いで作ったアニメが全然人気がなくて
ジブリなどかつてのアニメを引っ張ってたプライドが傷付けられて、悔しいんでしょうね。
それで、無理やり大きな賞を受賞させて目立たせようと。
そんなことしたところで現実では全然人気出ませんが。
娘から口が臭いと言われて口をきいてもらえなくて
無印良品で、”じっさいにいそうな感じの”小学生キャラでTVの前でシコシコしてるんでしょう。
実に醜悪です。
そしてこういった最低の人種たちが今のSF界を牛耳ってるわけで、そいつらが団結して
電脳コイルにSF大賞や星雲賞あげたり、ハルヒやらき☆すたのアンチキャンペーンを張ってるのでしょう
なんというか、これまでは日本のSF関係者のことが好きでも嫌いでもなかったのですが、
やはり低脳コイルを持ち上げるようになってから、
何か憎悪のようなものを感じるようになりましたよ。
こんな低視聴率のアニメ持ち上げてハルヒやらき☆すたを黙殺するなんて目が腐ってるとしか。
それで、2chのスレでも無理やり絶賛しまくってて実に気持ち悪いですね
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/news/1228216734/l50
まあこの痛々しさは低脳コイルのクソっぷりにあってるといえばあってるとは思いますが。
ヤバイ。電脳コイルヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
コイルヤバイ。
メガネとかっても
「メガネっ娘20人ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ主要キャラ全員メガネ。スゲェ!なんか割合とか無いの。何分とか何割とかを超越してる。全員だし超メガネ。
だって普通は幼女とか欲情するべきじゃないじゃん。だって自分の部屋の窓から児童公園とか見えたら困るじゃん。幼女に欲情とか困るっしょ。
幼女に欲情して、一年のときは善良市民だったのに、三年のときは禁固刑で二年間とか泣くっしょ。
だからもえたんは6話とか放送しない。話のわかるヤツだ。
けど電脳コイルはヤバイ。そんなの気にしない。欲情させまくり。最も遅くから登場するおばちゃんとか観測してもよくわかんないくらいエロい。ヤバすぎ。
おばちゃんっていったけど、もしかしたらイサコさまの方がエロいかもしんない。でもイサコ様って事にすると
って事になるし、それは認めざるを得ない。ヤバイ。認めざるを得ないなんて凄すぎる。
あと超近未来。約20年後。西暦で言うと202X年。ヤバイ。近未来すぎ。バナナで釘打つ暇もなくやってくる。怖い。
それに超SF。超用語多い。それに超製作がキツい。総集編とか2回くらい平気で出てくる。総集編て。2クールではやらねぇよ、最近。
うちらなんて幽体離脱とかがんばって孔明に教わってみても上手くできないから妄想したり、同人誌買ったり、現実逃避したりするのに、
電脳コイルは全然平気。幽体離脱を幽体離脱のまま扱ってる。凄い。ヤバイ。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のNHKアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないNHKアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、NHKアニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にNHKアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う4期、10分×14年のアニメは避けたい。
できれば2クール、長くても70話にとどめたい。
あと、いくらNHKアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
朝ドラ好きが『おはなはん』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
NHK知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、さわやか3組程度は見ていた
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「CCさくら以前」を濃縮しきっていて、「CCさくら以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも70話だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなNHKアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「NHKアニオタとしてはこの二つは“コメディ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のファンタジーアニメオタが持ってる古代中国への憧憬と、小野不由美のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも小野不由美な
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「攻殻機動隊だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
ハリウッドなら3D実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
NHKでこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは少年少女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「無人惑星サヴァイヴ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける伊藤和典の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも2部構成、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
前半・田菜編を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
押井や富野だったらきっちり横浜編だけにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて田菜編を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ伊藤がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でナディア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
エヴァよりも前の段階で、庵野の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるエヴァンゲリオンでしか庵野を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
佐藤の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『学園アリス』最終話は追試以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はムリョウにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうギャルゲー風味の育成をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にNHKを選んだ。
CCさくらから始まってNHKで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のひきこもり時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
僕は押井守の「攻殻機動隊」や「パトレイバー」、大友克洋の「アキラ」や機動戦士ガンダムシリーズが好きなんだ。どれも色んなことを考えさせてくれるいいアニメたちさ。それと、あんまり中身のないアニメは好きじゃなくてね。最近ネット上でやたらとい盛り上がってる萌えアニメみたいなやつさ。あんなののどこがいいっていうだい。キモいオタクたちがハァハァするためにデザインされた目がやたらデカくて、髪の毛の色がパステルカラーの美少女が乱舞してるあれさ。中身がなくて反吐が出るね。あんなゴミみたいなアニメがやってるから、いまだにアニメが一般人からキモいものだって認識がなくならないんだよ。ほんと死ねよ萌えオタ、ファッキン萌えオタ。
そんなゴミのような萌えアニメが氾濫し始めたのはいつのころからだろう。記憶が確かなら僕が中学生だったときあたりから繁栄していたはずだ。僕はこのころから萌えアニメを軽蔑していた。あんな中身のないアニメを楽しんでいる奴等は馬鹿だ。そう思っていた。たしかゲームでも「シスタープリンセス」だの「Kanon」だの、妹が12人いて好かれるだの、目のでかい女の子が頭の悪いしゃべり方するようなのがネット界隈じゃ人気らしくて、こんなのを支持してるやつらはよっぽど頭の中がおかしい連中なんだと思ったね。
ちなみに僕が好きだったゲームはテイルズシリーズだね。アクションRPGのなかでも格別の面白さだな。だからこそ、最近のシリーズの、変に萌えオタクに媚びたようなコンセプトにはがっかりしたね。
まあいい、こんなゴミクズのために貴重な紙を無駄にすることはないんだ。僕は萌えアニメを見てるような奴らはみんな女の子から相手にされていない恨みを美少女キャラにぶつけてるんだ、そう思った。でもその僕の考えは高校で否定されることになったんだ。
僕が入ったのは県内でもそれなりのレベルの共学校。僕は青雲の志を抱いて高校へ行った。そして、僕はここでなら彼女んもできると思っていた。
気づいた時には僕の高校ではギャルゲーや萌えアニメ、萌えマンガが大流行していた。発端は何だったろう。オタクの男子たちがそんな代物を恥ずかしげもなく教室に持ってきて、それを女子たちが興味深げに眺めている。たしか最初はそんな感じだったはずだ。
僕はそれを不快に思っていた。こんなクズがいるから、日本の誇りうるべき文化たるアニメやマンガが誤解されるんだよと。こんな屑萌えアニメなんかよりもすばらしい作品がこの世界にはたくさんあるんだよ、と。
しかし、彼ら萌えオタクどもが布教したのだろうか。女子も含めたクラス中の人たちが、そういった萌えアニメやギャルゲーを楽しむようになっていたんだ!そして、給食時間にはギャルゲーだかの主題歌らしい甘ったるい声の女の歌が流れたと思ったら、クラス中一斉に歓声が流れた。僕は内心こいつら全員死ねと思っていた。
気づいたときに萌えアニメブームに乗らなかったのは僕だけになっていた。僕は誰ともしゃべらなくなっていた。クラスの萌えオタクの男子たちは彼女を作ってデートをしているという情報が毎日耳に入ってきたが、僕は全部ウソに決まっていると言い聞かせた。
受験時代がやってきた。僕の目指すのは京都大学、最低でも旧帝大クラスには入りたいと思っていた。
そんな時、僕の高校ではもえたんとかいう英単語帳が大ブームだった。表紙には萌えオタクどもが喜びそうな目だけでかい萌えキャラが踊り、内容も僕は妹をギュッと抱きしめただのの、萌えオタクの醜い妄想を並べたような代物でヘドがでそうだったね。僕は心底軽蔑した。こんなゴミ単語帳使ってるやつなんてどこの大学にも行けるわけがない、そう思った。
しかし、もえたんを使っている連中は、もえたん発売と同時に英語の成績がぐんぐんと伸びていったんだ。
それだけじゃない。もえたんは男だけじゃなく女の子たちにも愛用されていた。キャラがかわいいんだそうな。絶対に間違ってるよ!
僕はもえたんなんて絶対使わなかった。あんなもの使うぐらいなら死んだほうがましだと思った。
そして、もえたんを使っていた連中のほとんどが東大や京大、早稲田や慶応といったトップクラスの大学に合格していた。あとで合格体験記を見たら、もえたんのおかげで英語の成績が伸びたと言っている奴がいっぱいいたとか。
2年目の受験、そこでも僕はセンター試験で信じられないような悪い成績だった。これではどんな大学も入れやしない。もうこれ以上予備校通いをできるような経済状況でもない。だから、今の僕でも入れるような場所、短大しかなかった。最後の最後で僕は短大に合格した。
短大での2年間もまた、高校のころと変わらない、惨めな生活だった。ここでも、萌えオタクたちが大手を振っていた。文化祭では萌えアニメの主題歌を歌ったバンドが大人気となり、あとで聞いた話では彼らはライブの後、ファンの女の子たちを全部喰ったらしい。
そして、僕は就職活動にも失敗した。萌えオタクたちはみんな成功していたというのに!
派遣先で僕は散々苛め抜かれた。きっかけは僕が、とある萌えアニメについて社員がしゃべってるときに話を振られて「そんな内容のないアニメなんて見る価値あるません!」と言ったところ、連中の逆鱗に触れたらしい。それからは靴に汚物を入れられたり、つなぎを隠されたり、落書きをされたりした。
でも、この苛めはある種僕に誇らしい気持も与えた。そうだ、萌えアニメのファンはこんな残忍なことを平気で出来る人間の屑なんだと。僕のような中味あるアニメを見て育った人間はこんな他人を傷つけるようなことはしないんだと。
それでも僕は度重なるいじめに疲弊していた。そんなとき、僕はインターネットであるサイトを見つけたんだ。それは「第二次惑星開発委員会」
僕はこのサイトを読んで目から鱗が出たね。こんなところに僕と同じ考えを持っていた人がいたなんて!
特に素晴らしかったのは最近萌えオタクの間でブームらしい涼宮ハルヒの憂鬱とかいうアニメの項目で
>この作品が好きなオタク男子たちも、「酸っぱい葡萄」状態にあるんですよ。 本当は
>「等身大の青春」に憧れているんです。でも、残酷な話だけどおそらくはスペック上の
>問題で、それが手に入らない。でも、そんな悔しさを素直に認めたくないんですね
と書かれていたことだ。やっぱり萌えオタクはもてない恨みを美少女キャラにぶつけていたんだ!でも実際にはモテるはずがない!ざまあみろ!どうせ職場の連中もモテないからハルヒとかに入れ込んでるんだろ!その恨みが爆発して僕のような人間のいじめるんだ。萌えオタクは人間の屑だ!
そして、一緒に旧惑星開発委員会も見た、そこは作品レビューが中心のページだったけれど、どれもこれも僕の考えとおんなじだった。Kanonは受け手も送り手も救いようのない作品だとかね。
それに主催の善良な市民さん(宇野常寛)の高校時代の話も面白かった。確かにこういう奴らは僕の高校にもいたと納得した。ただ、ちがっていたのは僕の高校ではギャルゲーマーだった連中にはみんな彼女がいたということだが、このことを思い出すと、市民さんの話が楽しめなくなるので思い出さないことにした。
そして僕は善良な市民さんの言葉に救われた気がした。勇気づけられた。
そうだ、僕はまちがってなんていない。間違っているのは萌えアニメ好きな連中のほうなんだと。やはり中身のあるアニメが一番なんだ・・・。
僕はこんな最低の萌えアニメ信者どもがたむろする職場にはさっさと見切りをつけて、また別の場所へと行こうとした。そして、僕は惑星開発委員会を読み倒し、次の職場では華々しくデビューしてやろうと思ったのだ。
次の職場じゃまたしても内容のないらき☆すたとかいう萌えアニメが大ブームだった。でも僕はこれまでの僕じゃない。惑星開発委員会の力を得たんだ。そして僕はその時やっていたアニメの中で最も大好きだった電脳コイルを薦めたんだ。電脳コイルは素晴らしい。これこそ僕がこれまで待ち望んでいたアニメだといっていい。
「そんなものよりも電脳コイルみようぜ!すごい面白いんだぜ」
僕は声を大きくして叫んだ。はっきりいうがらき☆すたなんていうくだらない萌アニメよりも電脳コイルは数百番倍面白いと断言できる。だからみんなも早く見て目を覚ますんだ。
「電脳コイルぅ??知らないなぁ。」
「ああ、ちょっとだけ聞いたがある。小学校の女の子が見るようなアニメだよね」
「えー加藤君って、小学校の女子が見るようなアニメ見て楽しんでるの?幼稚ぃ??、っていうかロリコン?」
「違う!確かに小学生の女の子向け作品だけど、大人もちゃんと楽しめるんだよぉ!」
「必死なところ図星のようだねぇ」
「違うんだ!一度見てみろよ、面白いから!」
「そもそも加藤君みたいな人間が面白がってるアニメってきっと気持ち悪いマニアックなアニメだよねぇ」
「ふざけるな!それなららき☆すたなんて萌えアニメのほうが気持ち悪いわ!」
・・・この通り僕のデビューは無残に失敗した。そのあともらき☆すたブームはとどまることを知らなかった。それに、みんなの話題はメイド喫茶とかアキバ系の文化の話ばかりだった。
カラオケで、らき☆すたのOPであるもってけ!セーラー服とかいう気持ち悪い歌をみんなで合唱しているのにも入らなかった。そして僕は電脳コイルのOP曲を歌ったが「キモい」と言われた。
もう僕は限界だった。僕が間違ってるはずがない。惑星開発委員会だってそう言っているはずだ。同時に僕は出会い系にはまっていた。彼女は僕の話をやさしく聴いてくれていた。僕が職場の萌えオタクどもへの悪口にも「うんうん」とうなづいてくれていた。彼女こそが僕の思い描いていた理想の人だと思っていた。
そのころ、惑星開発委員会の主催の宇野常寛さんがメールマガジンでコラムを発表していた.その名も“友達からはじめよう”
そうだ僕もそうやって彼女と新しい生活を始めよう。
「友達からはじめよう!」
「キモっ」
彼女は僕の顔を見るなりそう吐き捨てた。
「ずっと思ってたけど、あんたキモいのよ、何?アキバ系はキモいって?あんたのほうがよっぽどキモいわよ。金をもらってたから反論しなかったけどね、アキバにはあんたなんかより百万倍いい男がたくさんいるわよ!私ね、アキバでハルヒダンスしてた男と寝たことあるけどね、本当にすごいテクニックだったんだから。何度も逝かされたわ!あんたなんかには無理よ!メイド喫茶で働いている女の子たちも必死で仕事してるんだからね!あんたなんかに悪口言われる筋合いないわよ!それに萌えアニメのほうがあんたが楽しんでるらしい電脳コイルだのコードギアスだのよりも面白いし人気なの知らないの?もう近寄らないでくれる?」彼女は一気にまくしたてると去って行った。
僕は何もできなかった。でも、心の奥底で激しい憎悪の念が湧きあがってくるのを感じていた。秋葉原にいるような萌えオタクがいるからこんなことになるんだ。アキバにいる萌えオタクどもを皆殺しにしてやる。そうすれば世界は元に戻るんだ。僕のようなちゃんとしたアニメが好きな人間が心地よく生きられる世界ができるんだ。そのためにも地上にいる萌えオタクどもは抹殺しなければならない。手始めに、萌えオタクどもの聖地、秋葉原を崩壊させてやる。これで萌えオタクどもも終わりだ・・・。そう思うと、僕はコンビニでダガーナイフを買いに家を出た・・・。
--------------------------------------------------------------------------
この手記を残したのは何を隠そう、秋葉原路上連続殺人事件の容疑者・加藤智大である。加藤はこの手記を書き終えた後に、秋葉原に向かったのである
加藤は「日曜日の夕方に秋葉原にいるということは奴らはコードギアスを見ていないということ、こいつらのせいでギアスが低視聴率なんだ。こんな奴らは殺してしまっても構わない」と供述し、また「もし、1年前だったら、電脳コイルやガンダム00がやってる土曜日の夕方に犯行を決行していた」とも語っている。
しかし、これらの証言と手記は、今回の事件は萌えオタクの犯行にしたくてやまないマスゴミどもの手によって闇に葬り去られている。
また、このような犯罪者を生み出しながらも、のうのうとした顔でデビュー評論「ゼロ年代の想像力」を刊行した宇野常寛はインタビューにてさも自分は関係ないといわんばかりのコメントを残している。