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はてなキーワード: プラテネスとは

2022-02-07

anond:20220206111407

増田の話とは別件だけど

JAXAの人がプラテネスへの否定的感想ツイートしたら袋叩きにされた件も

匿名アンチスレに書いてたらあん大事にはならなかった

2022-01-29

プラテネスとかは設定考証を厳密にしてそうな雰囲気がある、リアリティがあるからこそのクレームだったんだろうな。

まあ、そういうのを期待してしま作品ではあった。

とはいえ、設定考証のレベルを上げればそれで作品面白くなるかといえばそういうものではない。

 

例えばエヴァンゲリオンのQだったと思うが、

衛星軌道かなんかを周回してるシンジくんとエヴァ初を回収するために

打ち上げられたロケットシークエンスものすごく現実に忠実だ、

って評価されていたがそれが特に作品面白さのレベルを上げるわけでもない。

エヴァみたいに何でもありの世界観ロケット打ち上げを精密に描いたところで、

作品の質は上がっても面白みは上がらない。

 

対して、FSSの服の素材の話とかになると、

ファティマを一般人が「所有」する難しさを強調するためにその設定がものすごくよく活きていて、

さらにそれがヨーンバインツェルの物語と二重三重にうまくリンクしていて見事だった。

あの頃の永野先生は……いや言うまい

 

プラテネスに関しては、どちらかというと後者のようなものを期待してしま作品ではあったとは思う。

anond:20220129083921

JAXAプラテネスはクソ」

原作者「クソなのは自分の実力不足。サーセン」(実は謝罪型の攻撃

ファンネル「元JAXA地獄に堕とす」

JAXA「ごめんなさい。」

ホリエモン「知らんよ。何もしらん」

anond:20220129075133

プラテネス有害アニメである

何故なら、プラテネスを見た視聴者デブリ性質を誤解し、

宇宙開発事業者クレームをつけてくるからである

って事実淡々と述べれば、

オタクも「なるほど。専門家からはそんな見られ方をされてるんだなぁ」と理解を示すけど、

あやつは、海原雄山のごとく「このアニメを作ったのは誰だぁぁあ? 原作者を読んでこーい」みたいな、

罵倒からまり

デブリ性質とは関係ない、主人公言動批判し始めるからおかしくなってる。

プラテネス古本で買うべき

新品でも電子版でもなく中古本を買うべき

2022-01-27

anond:20220127163045

発言の人が漫画アニメ感想公開に全然慣れてなかったのが可哀そうなとこではある

宇宙開発に携わってる人がプラテネス描写迷惑してるそうだ」というフリを見てネット民全員が期待してためんどくさおもしろ技術話と真逆の展開「しか」なかったという

anond:20220127090258

ルックバックやプラテネスもじゃん

巻末にこれはフィクションだぞって書いたらすべて免罪されるんだよ

プラテネス批判スペースデブリが間違ってるからなのか?

なんかそういう方向での話題なっちゃっててツイートした本人もそういう話してるけど、

最初主人公自分のところに配属されたら首だって話だったじゃん

これって、たとえば久米田康治の「かくしごと」に十丸院五月って担当編集者が出て来るじゃん

こいつすげーむかつくんだけど、もちろんそれはむかつくキャラとして作られてるわけじゃん

で、読者も「こいつむかつく」みたいな反応するんだけど、大半はそういうむかつくキャラが出て来る漫画として受け入れてるわけじゃん

でも中には「こいつむかつく、こんなやつはこの漫画必要無いし、こいつが出て来ると面白くない」みたいな反応の人もそこそこいるじゃん

まり漫画登場人物不愉快→つまらない漫画」って人

自分のところに配属されたら首って言ってるのもそういう感情じゃないんかな?

anond:20220126221322

ルックバックがそうだし、プラテネスもそうだ

新聞記者ももちろんそう

都合が悪かったり、つじつまが合わないところがあったら、ファンフィクション連呼させれば逃げられる・誤魔化せる

2022-01-26

ルックバック、はだしのゲンプラテネス

科学実態に即していないと文句を言うなら、ほかの生活保護介護福祉漫画専門家からネチネチ言われないとおかし

幼女戦記についても幼女徴兵されませんとドイツ軍公式見解するのは義務

プラテネス以前に、被爆者が水を飲んだら死ぬシーンの説明がないのはおかし

あれ何で死んだの?

まともな説明を見たことがないんだが

なんでプラテネス再放送扱いになって無いん?

anond:20220126111019

最後まで見たけどプラテネスは評判ほどには面白いと思わなかったなあ

ちなみに好きなアニメマイリトルポニーです

2010-09-25

SFロボットアニメが急速に陳腐化しつつある件について(再論)

 

 俺が前に書いた表題の床屋談義について(http://anond.hatelabo.jp/20100923234530)。

 暇なはてな民の方々からそこそこ意見が寄せられてきたのでここらでみんなの意見を踏まえつつ再論する。人によってはSFという言葉過剰反応したり、「SFロボットアニメ」の定義がわかんねえよとの声があったが、語義を巡る議論に深入りするのは主眼ではない。ここでは差し当たって「巨大なロボットとそれを指揮するキャラクター物語の中心となる近未来アニメという意味として便宜的に使わせて頂くのを許して欲しい。近所のレンタルビデオ屋にある「SFロボ」のコーナーはこれで並んでおり、一般的な認識ともそう離れてないと思う。(これだとたとえば、「鉄腕アトム」や「攻殻機動隊」は近未来だけどOUTとなる、一方で「パトレーバー」はINとなる。)

SFロボットアニメ陳腐化現象について

 で、上記のように定義づけると、「トランスフォーマー」のように「テレビくん」で販促しているようなキッズ向け作品に関しては好調なものはあるものの、従来の大きな柱であった「アニメージュ」で取り上げるようなティーンネイジャー以上をターゲットにしている部類では、陳腐化は間違いない。

 たとえば最も有名なタイトルであるガンダムシリーズは、作品数の減少が顕著だ。90年代には「V」から「∀」まで5つのテレビシリーズ(加えて複数のOVA、映画)がリリースされた。しかし、00年代に入ると、テレビシリーズの新タイトルは「SEED」(続編含む)、「00」の2つだけだ。

 ガンダム以外にも、90年代には「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」など今も語り継がれる新タイトルのヒットがあった。今冷静になって振り返るとこれロボット出す必要あんのか、という作品までロボットが登場していた。具体的には、「神無月の巫女」や「エスカフローネ」、「サクラ大戦」(これはアニメというよりメディアミックス作品だが)などだ。00年前後までは「ロボット」は登場人物を引き立たせる定番の構成要素だったと言っていいかもしれない。

 しかし00年代にはいって、男の存在を抹消した萌えアニメの隆盛と入れ違うようにしてSFロボットアニメプレゼンスが消えていった。中でも象徴的な出来事は07年の「グレンラガン」だった。久しぶりにガイナックス制作するSFロボットアニメで、内容的な出来も(個人的には)期待を裏切らないものだったが、その影響力は同時期に放送していた「らき☆すた」の方が完全に上回っていた。「エウレカセブン」や「創聖のアクエリオン」は、事前プロモーションメディアミックスで力をいれていたものの、作品としてはことごとくコケた。この2作品が今でも人々の記憶に残っている理由は、アニメの成功ゆえではなくパチンコで行きを吹き返したおかげだ。

 結局、世紀が変わった当たりからSFロボットアニメは定番タイトルの続編が少なく新タイトルもろくなヒットが出てこなかった、ということになる。

どうしてこうなった

 はてな民からのコメントに、「企業が興味を示さなくなったから」というのがあったが、これは結果と原因を取り違えている。企業側の主導で消費のトレンドを作るのは電気製品などではよくあるが、アニメトレンド消費者が主で企業が従、がこれまでの流れだった。重要なのはなぜ消費者が興味を示さなくなったかだ。

 それは「21世紀の現代に適応できた新しいSFロボットアニメ像を提示できていないから」。繰り返しになるが、やはりこれが一番大きいと私は思う。「ロボが出てくる未来のおはなし」だけではもう飽きた、というわけだ。前回のエントリに対し、別のはてな民も『電脳コイルゼーガペイン見たときに思ったのが「これ、ロボアニメである意味あるか?」だったなぁ』と回顧している。SF的な未来世界の中に「巨大な人型ロボット」の存在は間違いなく時代遅れになりつつある。

 実際、ストーリーはすでに出尽くされ感がある。たとえば、

14歳の少年早瀬浩一は、ある日“事故”により、少女と出会い、巨大人型メカ「ラインバレル」を手に入れた。何も出来ず、正義に憧れているだけだった少年の周りは、彼が圧倒的な力を手に入れたことでめまぐるしく動き始める。新しい仲間と出会い、友人と別れ、守るものを背負い、自らを囲む世界と向き合い、やがて少年は成長してゆく。

 これは2008年に放送された「鉄のラインバレル」のストーリー紹介だが、これにたいして海外掲示板にすら「俺たちは同じようなアニメを幾つもみてきたんだよ!」って放送当初からキレていた人がいた。

 設定や描写も現代では通用しなくなっている。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。それと、お互いを「○○少尉」とか軍隊風の呼称で呼ぶことも、あのコクピット内の絵面(ごちゃごちゃした巨大なマッサージチェアみたいなところに腰かけて膝の横辺りにある操縦桿を握る)もそう。そもそも2足歩行があれだけ一般的な形式であり続ける工学的な理由は何?陸上を移動するならば足よりも車輪の方が機能的じゃね、と外人でなくてもそうツッコミたくなる。

 もっと根本的に、少なくとも目の肥えた「大きなお友達」にとってはSFの持っていた神通力が衰退したことも大きい。前回のブクマコメントにあったように、SFはかつてテクノロジー未来を提示する役割を果たしていたけど、今やSFにその力はなくなってしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。20世紀にワクワクしていた未来技術世界は、21世紀の今になって確実にワクワクできなくなっている。深刻なのはそれを21世紀の私たちがワクワクできるような形に上手くリニューアルできていないことだ。「SFロボットアニメがどうこうより科学の発展に大した希望をもたなくなった」という悲観的なコメントもあった。

これからどうなる

 だから結局、オーソドックスSFロボットアニメが受入れられなくなってきたから、今はなんとかして新しいそれに代替するSFのあり方というか表現方法を模索してる、という段階なのだと思う。1つの流れとしては、『プラテネス』みたいな、自分と割と身近な人が宇宙に行って、みたいな話だ。ロボットなんてシロモノをあえて登場させず現実的な想像力で捉えられる範囲で、人間同士の関係を描写する。もう1つの流れは、SFロボットアニメの突飛さをあえて逆手にとり、腐女子的な暴走ノリを表す手段として借用する流れだ。ちょうど「コードギアス」がそれをやって大いに受けたし、近々放送される銀河美少年のやつもおそらくその形だと思う。「ガンダム00」?あれは本来やるべきワクワクするような未来世界を提示できずに単純な現代の延長でお茶を濁した失敗作であり、SFアニメの屈服だ。

2010-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20100923234530

実感として、スターウォーズの応用みたいなのよりは『宇宙兄弟』『プラテネス』みたいな、自分と割と身近な人が宇宙に行って…みたいな話の方がウケるんじゃないかなとは思う。

突然ロボットが出てきて云々、という世界観適応するにはある種の素直さ、子供みたいなところが必要。

 
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