支配される特権
「そうだ。・・・世の中を見渡してみろ。どれだけの人間が自分だけの判断で物事を成し遂げるというのだ?自らの手を汚し、リスクを背負い、そして自分の足だけで歩いていく・・・。
そんな奴がどれだけこの世の中にいるというのだ?
「・・・・・・・・・。
「・・・貴公らの革命を思い出してみよ。貴公らが血を流し、命を懸けて守った民はどうだ?
自分の身を安全な場所におきながら勝手なことばかり言っていたのではないのか?
「彼らは自分の生活を維持するだけで精一杯だったのだ・・・。
「いや、違う。被害者でいるほうが楽なのだ。弱者だから不平を言うのではない。
不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。彼らは望んで『弱者』になるのだよ。
「ばかな・・・。人には自分の人生を決定する権利がある。自由があるのだ!
「わからぬか!本当の自由とは誰かに与えてもらうものではない。
自分では何もしないくせに権利だけは主張する。
救世主の登場を今か、今かと待っているくせに、自分がその救世主になろうとはしない。
それが民だっ!
「人はそこまで怠惰な動物じゃない。ただ、我々ほど強くないだけだ。
「・・・聖騎士よ、貴公は純粋すぎる。民に自分の夢を求めてはならない。支配者は与えるだけでよい。
「何を与えるというのだ?
「支配されるという特権をだっ!
こんなに清潔で安全で自販機や24時間営業のお店がそこら中にある国なんて他にないよね
そういうことが自分の首を絞めているんだろうな
大衆は、強者によく助けを求める。
あたかも救済することが義務であるかのように。
しかし、救済される側にも、義務があるべきではないだろうか。
誰だって、堕落な生活を送ってきた人は救いたがらない。
少なくとも、そんな人は、自分の人生選択が自分の首を絞めたことを懺悔する義務があるべきだ。
でも、強者は少なく、弱者は多い。
多数決の原理が支配する世の中では、力を持っているはずである強者がそんな声を上げても、誰も聞かない。
大衆が、自分のことを棚にあげてしまえば、誰も勝てなくなってしまう。
強者は弱者には勝てない。
真性童貞だろうが、素人童貞だろうが、あるいは女性と関係を持とうが、10代の恋愛に憧れるわけで。
童貞をこじらせると、大人になれない。
CDで発売するくらいはムリヤリの範疇には入らないとは思うけどね。
リモートデスクトップで普通に向こうの音は聞こえると思う。Xp Pro以上なら、だけど。
社会学的には「脱臭化された社会」なんて言い方をするんだろうね。
誰もそんなもの見たくないし聞きたくない。
これはその通りだと思う。
日本の歌ってクソッタレどもに魂の叫びを叩きつけるってパッションが無いんだよね。
マイノリティは見えないところに隠されたり、あるいはゴテゴテの厚化粧で見目良く飾りつけられる。
酒飲んで出たやる気なんて酔いがさめたら忘れてる。ははは。