SF映画に登場したもので多くの科学者とかエンジニアとかが憧れるものがいくつかある。それらはもう僕らの間では常識化していて“作名のアレ”で通じるほどだ。
「マイノリティーリポートのアレ」(=空間にモニタが表示され、ボディジェスチャでフルアクセスできるUI)
挙げるとキリが無い。他にもナウシカのメーヴェとか。とにかく、実現に当たって現在解明されている科学で物理的に可能なものには憧れる人が多い。ドラえもんのどこでもドアやタケコプターは無理だ。
さて、これらについて、最近思うことがある。いや、逆だ。最近だから思うのだが。「最近のもの」じゃないんだ。この中ではマイノリティーリポートは比較的新しいが、公開は2002年、10年前だ。そしてこれらは本気で実現しようと毎日研究している人が世界中にたくさんいる。
何が言いたいか。この語り口だと「これだけ時間が経っているのにまだ実現してない、技術なんて所詮そんなもんだ!」みたいな普通な論調がありえそうなものだが、それならわざわざこんな記事を書いたりはしない。
「最近の作品にそういうものとして挙げられるものがない」んだ。
ないんだ。最近。本当にないんだ。
昔は「未来」を描いていた。が、最近は「近未来」を描くものが多い。これは言葉のアヤかもしれないが、僕らの考える「未来」が、すごく遠い未来を意識できなくなっている。中途半端に発達した文明、もしかすると「現状どう考えてもありえない事」を「未来」として描く、想像する、そういうことが出来なくなってきているのかもしれない。これは由々しき事態ではないだろうか。
ごく、ベタに考えると、おまいさんの主張は 「定番化するようなSFの想像力が最近は見られない!」 だよね。 でもそれって、「定番化」するまでに時間がかかるから、最近のはなしだと...
ある種の技術(現実にあるなし問わず)が市民権を得るまでになったら、それを発展させた改良型、異種バリエーション展開したモデル表現もあっても別にいいと思うんだけどねぇ。 大風...
メタルギアシリーズやればいいんじゃね?
市民でも自民でも良いけど、余計な茶々はちょっとな。 知性に乏しいと言うよりも過去の方法論のままやってるだけで、 なんというか快楽に忠実な人達ってだけなんだろうし。