はてなキーワード: 自殺幇助とは
本人が良ければ良いなら自殺幇助なんて罪はないので
https://anond.hatelabo.jp/20230327115830
○ 米国における自殺幇助 (Assisted suicide in the United States - Wikipedia )
https://en.wikipedia.org/wiki/Assisted_suicide_in_the_United_States
「当然のことながら、死の幇助の受容性は文脈によって異なります。2014年のComRes/Careの世論調査では、73%が
“末期の病気で、自分の人生を終わらせることを明確かつ確定した意思を宣言した英国の 知的 精神的 判断能力 がある成人が、
致死量の薬を自己投与して自殺をする支援を受けることができる” という法案の合法化に賛成しています。
しかし、これらの同じ人々の42%はその後、死の幇助に反対するいくつかの経験的な議論が強調されたときに、考えを変えました。
例えば、愛する人に負担にならないように彼らの人生を終えるように人々に圧力をかける 危険性のようなものです。」
オレゴン州尊厳死法(DWDA)の報告書によると、尊厳死を選択する患者の中には、終末期の懸念事項として治療費を挙げる者もいる。
15万だと生きてくだけでギリギリで今の社会コストは高くなってるなぁって印象で
15万という数字はかなり厳しい給料だと思うけど社会の仕組みとしてそれはしょうがない
あまりにも安さを求めたため国内から消えた仕事とか、職人というテイの極貧低賃金で生きる人たちとか
15万で国を非難するなら生活保護費が減らされてる現状にもっと文句言った方がいい気がするけどそっちはもっと減らせ、現物支給、なくせ、みたいな論調になりがち
15万しか稼げない実力しかなくても働いてるというポーズさえあればあいつら助けろよって声になるんかな?
生活保護はうちの町だと住宅補助入れても10万円ちょっとしかなくて死なないギリギリでしかない
15万で文句言うなら10万円しか収入のない働けない人はおまえらはさっさと死んでくれと言われてるようなもんだ
これだけお金おいとくからここからロープ買うとか練炭買うとかして人生を終わらせてね、生き残るためじゃないよって
あとは芸能とかデザイナーとか、好きでやってるんだから文句言うなって、こっちも責められがち
負けず劣らず若いうちはめちゃくちゃ安い給料で働いてるんだけど、こんだけしかもらってないっていうと何故か逆に怒られる
15万ももらえたらめちゃくちゃラッキーっていう環境の人もすごく多いんだけど、好きでやってるんだから文句言うなって言われるとわかってるからみんな口をつぐんでる
一部の才能のある人だけ中流サラリーマンくらいの収入になれるので、ほかは転職するかド底辺でしがみつくか、バイトしながらかじりついてる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220801/k10013746851000.html
「circled 普段、安楽死や反出生主義に好意的な意見が寄せられるハテブで、医療崩壊のダメさを嘆くコメントを見るにつけ、つうか、そんなに命が尊いなら、初めから安楽死や反出生主義を好意的に捉えるなよ?と思うのよな。」
『そんなに命が尊いなら、初めから安楽死や反出生主義を好意的に捉えるなよ』って何…???
『そんなに命が尊いなら、初めから安楽死や反出生主義を否定的に捉えるなよ』の間違いではなくて???
安楽死も反出生主義も、まさに命を尊ぶからこそ生まれる思想なんだが。
命が尊いからこそ初めから生まれて来ないようにしよう、命が尊いから苦痛のない死を許そう、という発想でしょう?
まあ、反出生主義はともかく安楽死に関しては、「安楽死」というネーミングがよくないのかもね。
安楽死を求めている人達はあくまで当人の希望に基づく(年齢や病気や障害の有無に関係の無い)安楽死の実現を求めている訳だが
単に「安楽死」という言葉だけだと意思確認の取れない家畜やペットへの安楽死も含んでしまうので、
信者数の少ない統一教会が重宝されているのは電話かけをしてくれることらしい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53c6d4c2ce449a40b9199f9f2e3a8d7740596085
「なぜ、政治家がいわゆる“統一教会”と関係を持つのか、選挙で票になるからかと思ったら、ある自民党議員の秘書によると『集票力はそこまで大きくない』というんです。では何を期待しているのか、議員の秘書たちに聞くと『選挙運動で信者をボランティアとして派遣してくれること』だというんです。
不幸な人生を生きたくないという人は安らかに人生を終える選択ができるべき。
見つけたら追記していく
先週、plan75という映画を見た。
これは万人に勧められる映画ではなかったが、めちゃめちゃ良かった(しかし、リアルで「めちゃめちゃ良かった」という感想を言うとしばかれそうなのでネットに書く。)
ちなみに関係者が見つけたら、喜ぶかもしれないから追記すると自分はアラサーのオタクだ(そのくらい劇場にはアラウンド60くらいの人が多かった)
plan75は75歳に安楽死が許可されるような映画で、安楽死を扱っている部分と植松聖のような「優生思想」に対する糾弾という面があると思っている。
安楽死の部分としては「オランダは75歳位で自殺幇助」が許されているというような事実もあるし、かなりpla75と近いことをやってるように感じる。
優生思想に関する部分としては、冒頭の高齢者を殺す若者の場面で大きい。他には主人公(倍賞千恵子)より金が取れ、より生産的な人が優先されていく不寛容や優生思想を(pcの使い方を教えてくれないハロワの人、「生活保護なら部屋を貸せる」と言う不動産会社)などの場面から感じた。
それはそれとして気になったのは、plan75を受ける主人公(倍賞千恵子)と叔父の「ふんわりとした善人」さである。
主人公は一人暮らしであっても、自炊をし本を読み、食事する前には「いただきます」を言うような人間である。叔父は労働の合間を縫って献血をしているような人で、近所のゴミを拾ったりする人であった。
こんなに善良な老人ばかりを安楽死させようとするのは、映画の結論は「plan75に反対です」ということがまるわかりでは??という気もしたし、何よりもリアリティがない(まったくないわけではないが、生きてる人間はもっと曖昧に不寛容ですしミスもするので)。
ここからはぶっちゃけ個人的な話だけど、世の中の大半の人はあんなに善良な生き方をできていけるわけでもないし、ホテルの清掃中に倒れた婆さんに対して愚痴る婆さんのほうが一般的なだと感じた。
果たして鑑賞者の我々は業務中に倒れた婆さんに愚痴る婆さんが同じように安楽死を決意したときに、倍賞千恵子を見たときと同じような感想を抱けるか(安楽死を強いる社会は悪であるなど)という面で疑問がある。
少なくとも普通の人にとって、善良さというのは善良だと思わせたい対象に使われるものであって、万人に対してできることではないと思う。そういう意味では愚痴る老人やスカッとジャパンに出てくるモヤモヤさせてくる存在みたいな方が人を占める割合が高い。
とりあえずねる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/lawyertanaka/
のブコメがあまりに医療現場の感覚と乖離してて、はてブのブコメが本記事から受けた感情に流されて
ろくに背景や問題点も考慮せず言いっぱなしの考え無し脳無しブコメばかりになるのはいつもの事だが、
・医療現場では命を救うのが最優先で、日々それを目的としてみな仕事してる。
・宗教や精神的な充足を求めるなら病院ではないところでやって。病院は疾患を治す所なので。
・たとえ法的に問題ない自己決定権の行使だとしても、「助けられたのに死なせた」て心にしこりが残るの。クビつってもがいてる自殺志願者が目の前にいて自分の手にロープを切れるハサミがあるとき、みんな平気でハサミ使わず死ぬのを眺められる?輸血無しで体を切るって、そのレベルだよ。
・無輸血は完全な無作為ではない。その前に医師が体を切って出血させてるのだから、トロッコ問題のような降って湧いた厄災に対する選択とは違う。切らなければ出血せず、切ったのは執刀医なのだから、半分作為で半分無作為という感覚。
・高齢だから尊厳死に近いてブコメがあったが、高齢を理由に尊厳死は認められてねーよ。高齢を理由に死にたがってる患者の生命維持装置を止めたら単なる自殺幇助、場合によっては殺人罪だよ。尊厳死の厳しい条件わかってんのか。
・無輸血希望者へのガイドラインは各病院が整備してるが、「本人希望に関わらず生命維持に必要になれば輸血すると説明し、それに同意できないなら転院を勧告する(緊急輸血に同意しないとオペしない)」が多い。要は無輸血やってくれる病院を自分で探して出てけ、と厄介払い。ほんと手間も職員の心労もかかって厄介なの。
・転院させる余裕がない急患は「無輸血のせいで死んでも病院のせいにしない」という免責同意書にサインさせて無輸血でオペやるしかないが(輸血して助かったあと訴えてきたら病院が負けるからな)、こんな死なせる同意書なんて誰も取りたくないし、普通にやれば助けられるのに制限のせいで死なせる可能性の高いオペ担当したくねーよ。関わる職員の心理的負担考えてる?だから来てほしくない。みんな助けるために働いてんだから。
・もし大量出血しても輸血で対処できるいつものオペと、大量出血したらほぼ確実にアウトというオペは、精神的負荷が違う。患部だけに集中できない。通常なら対処法がある稀によく起きるアクシデントに対して、対処法が使えない縛りプレイを強要されてる状態。
・成人してる本人やその子息が無輸血を希望してても、死後に親戚や他の兄弟子息といった遺族から「やるべき医療をしないから死なせた」と訴訟されるリスクが怖い。
・無輸血に同意してた遺族が死後に気が変わって「本人が何を言おうが医療者として標準医療(輸血)で救命すべきだった」と訴えてくるリスクもある。(他の病院で実例がある)
・仮に訴訟されたとして負ける事はないが、院内で報告書や答弁書をつくるための調査対応にかかる手間と時間、弁護士費用(顧問はいるが訴訟対応は別費用)がかかる。勝訴しても原告からその費用はとれない。
・民事訴訟や刑事告発まで行かなくても、死後に感情的になった遺族から「本当に全力を尽くしたのか!(無輸血なんだから尽くせてねーよ)」「大量出血が死因なら、なぜ出血させない方法をとらなかったんだ(好きで出血させてない)」「緊急で輸血すれば生きていたのに!」と責められる事がある。それは死者本人に言ってくれなんて言えない。どんな顔して受ければいいの?
・そういう本業でない負担を病院の現場にかけてるって自覚してほしい。それでも無輸血やらせたいの?病院現場の余計なリソース消耗させたうえで?
・エホバ信者で金出し合って、エホバ信者の医師看護師コメディカル集めて、無輸血専門病院つくってそっち行ってくれ。うちに来ないでくれ。ただでさえ救える患者を治すのに忙しいのに、治すより優先する希望を病院に押し付けて余計な手間と負担かけさせんでくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/qiita.com/muumu/items/1da55b3c8760cec6d25c
エンジニアにおける"難しい人"への対処法 - Qiita を読んで感じたこと。
自分はASD(自閉スペクトラム症)と診断されていて、"難しい人"である自覚がある。
多くのASDと同様に、難しさが許されるような特殊な才能は持っていない。
学業も仕事も必死で頑張ったが、コミュニケーション能力不足と感覚過敏のせいで成功しない。
社会の皆が"難しい人"とは働きたくない。だから、私達にはどこにも働く場所がない。
こんな障害を持って産まれてきたくなんかなかったし、今すぐ死にたいと思う。
自殺失敗して後遺症で寝たきりになったりしないように、確実な方法が良い。
もしこのエントリを政治や経済の力がある人が見てくれたら、自殺幇助の合法化をしてほしい。