2022-07-06

plan75のふんわりした善人と曖昧不快な観客

先週、plan75という映画を見た。

これは万人に勧められる映画ではなかったが、めちゃめちゃ良かった(しかし、リアルで「めちゃめちゃ良かった」という感想を言うとしばかれそうなのでネットに書く。)

ちなみに関係者が見つけたら、喜ぶかもしれないか追記すると自分アラサーオタクだ(そのくらい劇場にはアラウンド60くらいの人が多かった)

plan75は75歳に安楽死許可されるような映画で、安楽死を扱っている部分と植松聖のような「優生思想」に対する糾弾という面があると思っている。

安楽死の部分としては「オランダは75歳位で自殺幇助」が許されているというような事実もあるし、かなりpla75と近いことをやってるように感じる。

優生思想に関する部分としては、冒頭の高齢者を殺す若者の場面で大きい。他には主人公(倍賞千恵子)より金が取れ、より生産的な人が優先されていく不寛容優生思想を(pcの使い方を教えてくれないハロワの人、「生活保護なら部屋を貸せる」と言う不動産会社)などの場面から感じた。 

それはそれとして気になったのは、plan75を受ける主人公(倍賞千恵子)と叔父の「ふんわりとした善人」さである

主人公一人暮らしであっても、自炊をし本を読み、食事する前には「いただきます」を言うような人間である叔父労働の合間を縫って献血をしているような人で、近所のゴミを拾ったりする人であった。

こんなに善良な老人ばかりを安楽死させようとするのは、映画結論は「plan75に反対です」ということがまるわかりでは??という気もしたし、何よりもリアリティがない(まったくないわけではないが、生きてる人間もっと曖昧不寛容ですしミスもするので)。 

ここからぶっちゃけ個人的な話だけど、世の中の大半の人はあんなに善良な生き方をできていけるわけでもないし、ホテルの清掃中に倒れた婆さんに対して愚痴る婆さんのほうが一般的なだと感じた。

果たして鑑賞者の我々は業務中に倒れた婆さんに愚痴る婆さんが同じように安楽死を決意したときに、倍賞千恵子を見たときと同じような感想を抱けるか(安楽死を強いる社会は悪であるなど)という面で疑問がある。

少なくとも普通の人にとって、善良さというのは善良だと思わせたい対象に使われるものであって、万人に対してできることではないと思う。そういう意味では愚痴る老人やスカッジャパンに出てくるモヤモヤさせてくる存在みたいな方が人を占める割合が高い。

とりあえずねる

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