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はてなキーワード: 瀬戸内とは

2023-04-11

からあげクンって352種類あんねん」

からあげクン1986年4月15日に発売したねん

・その時CMにニャン子クラブを起用して話題になったねんhttps://www.youtube.com/watch?v=bd_BIWGW5tg

からあげクンはむね肉なんやけど、がんばって美味しくしたから売れた。何事も努力やね

・今のからあげクン10代目で、何度も味をリニューアルしてるから低迷期がないんよ

からあげクン販売数累計は60億食。全部並べたら、地球から月まで往復できる距離なんや

・352種類の味の中で定番化したのはレギュラーレッドチーズ2002年)、瀬戸内レモン2019年)の4種やねん

・他にも、餃子の王将味やタルタルソース味、過去にはピーチ味もあったんやで

からあげクンJAXAから日本宇宙食認定されてて、宇宙でも食べられてるねん

からあげクン、また買うてや〜!

2023-01-17

チアプさあ・・・兵庫日本海側と瀬戸内側を別扱いにして?

神戸あたりかと思ったら豊岡とか無理なんじゃ

2023-01-12

anond:20230112172755

金沢は日帰りで行ったことあるけど良かったね。

瀬戸内は確かに行ってみたいんだよなあ。そのためなら2泊3日ぐらいしたい。

anond:20230112173122

瀬戸内は何度行ってもいいからね。トリエンナーレに合わせて何人かで行っても楽しいし、イベント無くても美術館だけで楽しめるし。

anond:20230112165347

あぁ、それは良く分かる。美術館だと、金沢とか青森とか瀬戸内とか、特定場所特定イベント・展示に合わせて行くくらいか

質の高いイベントが増えてくれると、行くモチベーションも上がるから、その界隈の方々に頑張ってもらわないとな。

2022-12-18

anond:20221218154730

ほりゃそうじゃあ、

南は瀬戸内、北は日本海じゃし、

東は関西と接しとるから語彙と語尾だきゃあまんま関西弁じゃ、西は博多弁も入ってきとるしのー

2022-12-08

風邪のひきはじめにビタミンC亜鉛を摂ると症状が早く治るらしい

ドクターシグロという医者Youtuberが言ってた。

ビタミンC風邪の予防効果はないか普段食事普通にとって、風邪のひきはじめにサプリ等で多めに摂るといいらしい。

さっきスーパーサプリ売り場に行ってきたら、亜鉛サプリはあったけどビタミンCサプリはなかったか瀬戸内レモネードという粉末飲料水を買って帰ってきた。

2022-11-22

日本原風景っていったらみんなどういう景色を思い浮かべるの?

俺は山から海までがつながってて坂道ばっかりで、

有名どころで言えば尾道らへんの風景が思い浮かぶんだけど、

これが自分の親の実家瀬戸内夏休みごとに里帰りしてたからなのか、

それともノスタルジック風景として割とみんな思い浮かべるかがわからない

2022-10-09

anond:20221009074436

干拓なら九州でも瀬戸内でも結構やってるぞ。小学校中学校社会科で教わらんかったか?  

というか、地図見りゃ一発でわかるだろうに。

anond:20221008230528

その通り。

関東平野は広さと京都から遠い利点で成り上がった。

しかし、食糧生産重要でなくなり、東北過疎化がすすむと、

アジアから離れすぎて東と南に何もない関東平野の利点はなくなる。

これから古代から要衝だった九州北部瀬戸内周辺の時代

2022-10-04

anond:20221004224105

江戸湿地帯の寒村だったらしいね

開拓は苦労しただろうなあ

2022-10-04

東京が立地的にこのまま栄えるとは思えない

東と南に何もない。北に寒くて険しい過疎地があるだけ。

どっからどうみても太平洋に突き出た辺境

海運の拠点として貧弱。

そもそも関東平野が選ばれたのは京都から独立たかっただけ。

たまたまそこにあった広い平野メリットになったのは、高度成長期までだろう。

人と物の流れからしてこれから瀬戸内九州北部のほうが立地的に有望。

東京が立地的にこのまま栄えるとは思えない

東と南に何もない。北に寒くて険しい過疎地があるだけ。

どっからどうみても太平洋に突き出た辺境

海運の拠点として貧弱。

そもそも関東平野が選ばれたのは京都から独立たかっただけ。

たまたまそこにあった広い平野メリットになったのは、高度成長期までだろう。

人と物の流れからしてこれから瀬戸内九州北部のほうが立地的に有望。

2022-10-01

素麺の産地と風土記記述の話

素麺といえば、個人的には島原半島のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のもの品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。

最近では、女優満島ひかり南島原市公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。

島原半島素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内小豆島出身の人々がいたこから、彼らが島原半島素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。

史料の有無や民間伝承真実性は、専門家ではないか判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。

中央部にある雲仙普賢岳高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである

この島原半島南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市半島北部東部南部を結ぶ、左右反転のC字形半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である

現在市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかたかである

そうめんの町」という文字建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島南側地帯には、海の近くで小高丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。

別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もないさな神社である境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である確認した。技術革新、すごい。

よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。

配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。

神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺三輪山へ通ず」といったところか。

それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである

しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである肥前風土記』にある、次のような記述を思い出した。

景行天皇が、現在熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。

この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社島原半島分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しか最近自分記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである確認大事

残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。

もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社島原半島分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたか安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由妄想とは魅力的なものということである

さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。

件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前風土記』には記されている。日本古典文学大系注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山神体山信仰類似しているので、面白いである。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。

このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島地名南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島島原市雲仙市南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。

しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰のものは、これからも人々の精神地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。

【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603

2022-06-23

メガソーラーは山を削ってない

ツイッターで頭がQな人たちがどう見ても元ゴルフ場メガソーラー写真を挙げて発狂してるけど、同じ認識バカはてなにもたくさんいるようなので誤解を解いておこう。

anond:20220619071300

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220619071300

まず前提条件として、元増田東京都屋根太陽光パネルを乗せる話をしてるのであって、メガソーラーの話はしてない。ただ、全く関係ない話を持ち出して発狂するくらい山が削られるのが我慢ならないようなので、ここで誤解を解いておく。簡単に要約すると、メガソーラーのためにわざわざ山は削ってない。なおこれから話すのは数十MWクラスの本当のメガソーラーの話で、田舎の裏山で地主がやってるようなせいぜい数KWのキロソーラーの話はしてないぞ。

ググったら一番目に出てきた2020年メガソーラーランキングトップ10をそれぞれどういう土地か見ていこう。

https://project.nikkeibp.co.jp/ms/atcl/19/feature/00007/00023/?ST=msb

パシフィコ・エナジー東メガソーラー発電所

太陽光パネル税で有名になったところ、日本一だったのか。ホームページを見ればわかるように、リゾート施設計画跡地やゴルフクラブコース跡地で、メガソーラーのために山は削ってない。

https://www.trinasolar.com/jp/resources/success-stories/pacificoenergy

瀬戸内Kirei太陽光発電所

塩田跡地。山ですらない。ホームページによると「東西約2.8km、南北約1.8kmにわたって広がる総面積約500ヘクタールの錦海塩田跡地」「この広大な土地と日照に恵まれ気候を活かし、日本最大級となる太陽光発電所2018年10月1日より操業を開始しました」

http://www.setouchimegasolar.com/project/index.html

ユーラス六ケ所ソーラーパーク

地図写真を見ればわかるけど、ここも海沿いでそもそも山じゃない。いわゆる遊休地。

ソフトバンク苫東安平ソーラーパーク

地図写真を見ればわかるけど、山じゃない。いわゆる遊休地。

ソフトバンク八雲ソーラーパーク

海沿い。いわゆる遊休地。

鹿屋大崎ソーラーヒルズ

ゴルフ場。「本事業用地は30年以上前ゴルフ場建設計画が中止された土地であり、地元において長らく有効活用が望まれていました。」メガソーラーのために山は削ってない。

https://www.kyocera.co.jp/news/2020/0405_deks.html

Cherry Lake Megasoler

ゴルフ場。同じ名前カントリークラブ破産報告があった。メガソーラーのために山は削ってない。

https://www.mmjp.or.jp/tubaki-golf/newsfail/2016/0817-cherrylake-golf.html

細江メガソーラー発電所

ゴルフ場。「もともとゴルフ場建設する予定だった140万平方メートル土地転用した。」メガソーラーのために山は削ってない。

https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1504/01/news029.html

すずらん釧路町太陽光発電所

北海道メガソーラーはどこもそうだけど、いわゆる遊休地。メガソーラーのために山は削ってない。

大分ソーラーパワー

臨海工業地帯。山じゃない。

以上、メガソーラーのために山を削った案件は一つもない。大体ちょっと考えればわかるだろう。山を削るのはただじゃないんだよ。一方で、ゴルフ人口の減少やそもそも人口減少で、ゴルフ場は潰れまくってる。元ゴルフ場はいい感じに整地されていて、ミスショット飛び込みそうないい感じの調整池までついてる。ちょっと考えればわかるだろう?山の中に巨大なメガソーラーがあったとして、どういう土地メガソーラーになってるかなんて。

実際に山を削った案件があるかもしれないか認識アップデートしろとまでは言わんが、メガソーラーと全く関係ない話で発狂する前に少し考えろ。

2022-04-26

anond:20220426192042

俺もそう思う

まぁ瀬戸内とか稀に交代で通船使うけど、話し方から乗組員ではないな

あと乗組って言葉は一部の会社しか使わないから注意な、たいてい乗組員だ

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