はてなキーワード: 人種とは
結局いろんな人が同じ場所使うと揉めるよってことだよね
東京は人口密度が高い分、ゾーニングがキッチリされてきてそれでトラブル防いでたけど、最近は曖昧になってきてて結構これから揉め事増えそうな感じがする
小川たまかの暇アノン懺悔録の記事から、暇アノンと言うワードを使った似た記事が連投され
そこにははてサ村の限界左翼だけでなく、普段見かけない人達が暇叩きの攻撃的なコメントを残している。
論調もだいたい同じだ。
論調が似ているだけならともかく文体まで似ているのは不思議だけど。
一つ二つはともかく焼き直しの焼き直しみたいな増田にもこれまた焼き直しみたいなトラバやブコメがつく流れは
ある種の党派性の動きを感じない事も無いんだけど、ただの偶然なのだろう。
ラン◯ーズあたりで数千円で募集されている様な業務的、システマチックな大量生産(の様に見えるが実際は少人数で回している)
の様にも見えるがただの偶然で増田がそういう流れである、という事にしておこう。
多分来月ぐらいには飽きてるか契約期間が終わって流れは収まると思うけど。
一部の逆張りは残るかも知れないがアウトライン踏まない様に気をつけてね。
数年前に鬱病による失職で食い詰めていた時にそういった仕事をした事がある身としては、マジで進歩してないなぁ…という感想がため息と共に出てくる。
こんな事にお金かけるぐらいなら、もっと別のやり方考えろと思うが、非効率だからこそ肉体労働出来ない貧困層向けの仕事があるという現実もあり、一概に駄目とは言えない。
それにしても、別に左翼やフェミニストだけに限った話でも無いんだけど、「正しい」と世間から言われる、思われる様に(どんな手を使ってでも)「する」、したがる人達は減らないんだなって事。
普通に考えればそもそも文句言われない様に正当な手法で真面目にやれば、変な小細工の手間かけたり嘘ついたり他者を攻撃したりする必要無いんじゃないかと思うんだけど
自分は好き勝手やりたいけど他人に好き勝手思われるのは絶対に嫌な人種は少なくないのかも知れない。特に思想が偏った人達には。
権力で使えるコネを駆使した中傷やレッテル貼りだろうが個人情報握っての脅迫をしてでも「正しい」と思われる様にする人達を見ていると
暇の様な、口も態度の死ぬほど悪いけど、あくまでも「正しい」手段(リーガル)を用いる手法は、従来の左翼らとは正反対の
「正しい」と言われる様に「やる」人達かもしれない。
リア凸や扇動すれば逮捕一択だけどあくまでも裁判で決着着けようとする手法はまあ目障りなんだろうな。
だからこそリーガルハラスメントだの住民訴訟の濫用だの、ちょっと訳分からない事を言い出す。
「正しい」立ち位置はあくまでも自分達、左翼だのリベラルだのフェミだのの側にしか無い、という事にしておきたいのだろう。
その様を見て、サイレントマジョリティがどう思うかなんて考えてない所が、強気で独善的な選民思想過ぎて逆に素敵ですね。
よくアニメとかを見て髪が金だったり目が青だったりすれば日本アニメは白人ばかり!とか言うけれど、ブリーチの夜一さんとかを肌が黒い(褐色)と言うだけで黒人扱いしてるのを見ると少し違和感を覚える。
前者のようにアジア人の特徴がなく、白人の特徴を備えているから白人だというのなら、夜一さんだって広い小鼻なり分厚い唇なり、黒人の特徴ほとんどないやん。
向こうの人たちはどうやってそれぞれの人種を決めてんの?
ああ、「他の弱者」って「他のカテゴリの弱者」って意味だったのね。
「どういった点で社会的に虐げられているか」争点を明確にしているからね。
人種などのいわれのない差別はあってはならないし、差別を解消するべく救済すべき。
「弱者男性の線引きはしたくない」と言われてもねえ。
大学病院の神経精神科にて、そこに所属している臨床心理士から数ヶ月間に渡って心理教育を受けた経験あるけど、ごく普通の礼儀正しい社会人って感じでしたわよ。
(社会人なら普通にするような気遣い、言葉遣いの範疇にとどまっていたという意味。普通の人と違うのはもちろん心理学分野の知識。その臨床心理士らは研究論文を書いてるような人たち)
そういう人たらしテクを使う人種は、独立してやってるカウンセラー()とか、占い師とかの水商売系、あとは営業職じゃねーの。偏見ですが。
精神医学分野の知識を学べばいいって発想が興味深い。つまり普通の人は精神科の医師をカウンセラーかなんかだと思ってるんだな。
増田はスタンダードな精神医学の教科書(医学書院とかが出版してるようなやつ)を2〜3冊くらい買ってザッと読んでみればいいよ。精神療法に関する記述が殆どないことに驚くんじゃない?
ルッキズムは人種差別とイコールなのでやめろってみんな言うだけやで
どうあっても白人とPoC(Person Of Color)に溝あるし、基本白人基準だからな
カマラ副大統領の自認は黒人だが?
https://www.google.com/search?q=%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9
統計ではアジアの国のバックグラウンドと自認を持つ人の人種分類はアジアンだけど、日常生活では肌色の濃い人はまとめて黒人扱いだぞ
ヨーロッパ系白人とアジア系の子どもは、自認はともかく、日常ではアジアン扱いだし、
ヨーロッパ系白人とアフリカ系黒人の子どもは、自認はともかく、日常では黒人扱いだし、
アフリカ系黒人とアジア系の子どもは、自認はともかく、日常では黒人扱い
(そもそもアフリカ大陸出身者に限定しても、ラテンアメリカ、スペイン・ポルトガルの旧植民地ほか、色んなところに子孫いる)
なお、青い瞳に白い肌とヨーロッパ系白人の特徴がモロに出た、自認はアフリカ系黒人のラッパーlogicは、日常生活では白人扱いされてた模様
ブス・ブ男がこっち見てんじゃねーくらいは言う
でも創業一家以外の役員になると国関係なくいっきにデブ減るけどな
基本強そうアピールする
隣は一人のみの金髪で露出の多い服装のギャルっぽい、要するに俺の人生と一番距離のある人種だった。
俺は結構飲んでいて、先日のアメリカ出張でのアクシデントを周囲の雑音に負けないようにちょっと盛りながら面白おかしく大声で喋ってた。
「その話面白いですね。」
え?と一瞬思ったが、酔っていたこともあって続け様にネタを披露した。
「英語できるんですか?」
「カタコトですよ。」
そんな感じで話が弾んだ。
話しかけてきた娘はよく見ると派手っぽい格好だけど、化粧は薄くて色白でケバくない。
むしろ童顔で素朴な感じで声も可愛くて言葉は普通に敬語だし、俺はテンションが上がった。
その後同僚はタイムリミットで帰ってしまい。二人きりになった。
「あなたの部屋に泊めてくれる?」
「え?え?え?」
話が前後するが、俺はアラサーの童貞で彼女何それ美味しいの?ってレベルなので、どう対処していいかわからなかった。
もちろんその娘の誘惑に抗えるわけもなく家にあげてしまったわけだが。
勝手にちんこがデカいと思ってたり、繁華街で待ち合わせしてるだけでフザケて「草買いたい」って言ってくるやつとかもいる。
そういう本人の属性とは関係ない人種に対するステレオタイプを元にした扱いやイジりってのは差別なんだけど、ほとんどの人が自覚ないよね。
日本はほんとに人種差別はあまりないよね。海外に住んでみるとわかる。
ネットで見て納得したのは、日本人が差別をするうえで一番重視するのは人種ではなくて「迷惑行為を働く奴かどうか」
っていう思い込みなんだけどさコレも
日本人の(ここもまた大きな括りで言うのは良くないんだろうけど)感覚だと
「え?それ信じちゃうの?」みたいなことがすっげー多いように思う
そういうのが海を超えてこっちまで届いてるんだから、たぶん現地はもっと多いんじゃねぇかなぁって思う
地動説天動説の話やら、そもそもソレを信じる前提の宗教に対する入れ込み具合やら
あと最近のオイル反対派の言い分やら、某元大統領こそ救世主だと信じる層やら
なんというか、ただ話として信じてるってんじゃなくて、実際に行動に移すほど思い込んでるってのがすげぇ多いように見える
これだけ思い込めるからこそ、白人至上主義みたいな考え方とかできんのかなぁって感じるし
他の人種なんて虫と同じだしぶち殺しまくるぜみたいな気持ちに本気でなれるから強いのかなぁとも感じる
なんて適当言ったわ
でも俺はそう思い込んじまってるよ
文化、これまで多くの人々によって讃美され、称賛されてきた。それは文学、芸術、音楽、宗教、言語など、人類の知的な遺産であり、多くの面で私たちの生活を豊かにし、結びつけてきた。しかし、私たちはここで問いたい重要な問題がある。文化は本当に私たちを幸福にし、進歩させる要素なのだろうか?それとも逆に人類を不幸に導く要因なのだろうか?
私は、文化を全面的に否定し、その存在が人類にもたらす多くの負の側面を探求したい。文化は差別、偏見、対立、戦争、不平等、環境破壊など、多くの問題の温床となってきたことを明らかにしてきた。また、文化は個人の自由を制約し、異なる価値観や信念を排除し、多くの場合、進歩と革新を妨げる要因ともなってきた。
しかし、私がこの記事が主張したいのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。むしろ、文化の死滅は新たな可能性と希望を開く道であり、人類の幸福追求にとって前進の一歩となるかもしれない。文化が個人と社会にもたらす束縛から解放された世界で、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって未来を築いていくことができるだろう。
文化が死滅することで、私たちは新たな人間性の可能性を追求し、争いや対立から解放された未来を切り開けるのかもしれない。文化を否定することは、私たちに新たな視点を提供し、人類の幸福追求において大きな希望をもたらすかもしれない。私たちは、文化の枠組みに縛られず、未来に向けて自由に進む覚悟を持つべきだ。文化が死滅することで、私たちは真の幸福と進歩に近づくかもしれない。
文化は美しいものであると賞賛されてきたが、その光り輝く側面の背後には、闇が広がっている。文化はしばしば差別と偏見の温床となり、人々を異なる価値観や信念に対立させる。文化は、人種、宗教、性別、性的指向などの違いを強調し、不平等を生み出す。差別が存在する限り、人類は真の幸福を実現することはできない。
文化はまた、対立と戦争の原因ともなってきた。歴史は、異なる文化が衝突し、破壊的な戦争を引き起こすことを証明している。文化の違いが、敵対心と暴力を引き起こす根本的な原因であることは否定できない。文化の存続が戦争と対立の継続を許しているという事実を直視しなければならないだろう。
さらに、文化は環境にも負の影響を与えてきた。多くの文化は、資源の乱用や環境破壊につながる生活様式を奨励してきた。これは地球環境への深刻な脅威をもたらし、未来の世代に対する負担を増大させている。文化の保存と奉仕に注力する間に、私たちは環境保護を軽視してきたのである。
文化はしばしば個人の自由を制約し、異なる価値観や信念を排除する。文化は伝統と規範を押し付け、個人の発展と創造性を抑制することがある。この制約が個人の幸福感に影響を及ぼすことは否定できない。個人が自分らしい道を追求できない社会は、真の幸福を提供することができない。
また、文化は異なる文化圏間での対話と理解を阻害することがある。文化の違いはしばしば対立や誤解を生み出し、国際的な協力を妨げる。異なる文化が線引きを作り、協力の枠組みを破壊することは、人類の進歩に対する大きな障害となっている。
この記事が主張したいのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。文化の束縛から解放された世界で、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって未来を築くことができるだろう。文化が死滅することで、私たちは新たな可能性と希望を開く道を切り開けるのかもしれない。
文化を否定することは、新たな視点を提供し、人類が争いや対立から解放された未来を築く手助けとなるであろう。私たちは、文化の束縛から解放され、真の自由を追求し、共感と協力によって未来を築いていく覚悟を持つべきである。文化が死滅することで、私たちは真の幸福と進歩に近づくかもしれない。私たちが新たな未来を切り開くために、文化の再評価が不可欠であることを理解することが重要である。
文化の再評価は、人類の幸福追求にとって重要な一歩である。文化の束縛から解放された社会では、個人の自由が尊重され、多様性が受け入れられる。異なる文化圏間での対話と理解が促進され、国際的な協力が強化されるでしょう。これは、平和と繁栄を実現するための基盤となるだろう。
文化の再評価はまた、環境に対する負担を減少させる手段としても機能する。環境への負荷を軽減し、持続可能な未来を築くためには、文化の価値観や慣習に変化が必要である。新しい価値観が生まれ、環境への配慮が高まれば、私たちは地球を守り、未来の世代に継承するものを提供できるであろう。
この記事では、文化の否定的な側面を探求し、その存在が人類にとって不幸をもたらす可能性を提起した。文化は差別、対立、戦争、不平等、環境破壊など、多くの問題を引き起こすことがある。しかし、この記事が主張するのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。
文化の束縛から解放された未来では、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって幸福な社会を築く可能性が広がるはずだ。文化が死滅することで、新たな可能性と希望を開く道を切り開くことができるかもしれない。文化の再評価が人類の幸福追求にとって前進の一歩となるであろう。
自分がクソジジイになった時でもいいので私は、文化の束縛から解放され、新たな未来を築かれた姿を今の世に生きているうちに見てみたい。文化の死滅は、真の幸福と進歩への可能性を広げ、人類の未来に新たな希望をもたらすと思っている。文化の再評価が私たちの進歩の道を拓き、幸福の未来を実現する手助けとなることを信じている。