はてなキーワード: 中二病とは
私はできるだけ多くの分野のよいものを効率よく知りたいという気持ちに駆られてしまいます。その結果、とても不幸になっている気がするのです。
例えば、音楽を聞くにしても一曲を味わうではなく、効率よく探り、曲を飛ばしながらメロディを摘んで判断しようとしてしまいます。映画ならば他人がよいと評価したベスト作品ばかりを観るといった具合です。本来は楽しむために行う活動が「より楽しむためいいものを探さなければ」という強迫観念で楽しめていません。そもそも短い人生の間にすべてを経験をすることなど不可能だとはわかっているのですが、どうしてもこの癖が治りません。
ところで、小説や絵本から、生き方ついての大事なエッセンスを学ぶことはよくあると思います。例えば、ドン・キホーテで中二病から脱却したり、フラニーとゾーイから、自意識の持ち方を学んだりといった具合です。
もし、先にわたしが話した強迫観念から開放して、もっと限りある生の間にたまたま触れられたものだけをじっくりと楽しめる方が幸せなのだとこころに沁みるような作品をご存知であれば教えていただけないでしょうか。
それにしても都議会でヒドい野次があったもんだ
しかしヒドい野次は議会では日常茶飯事なので、ヒドい野次があったくらいで報道されることは普通ない。
そこに何か強い意志や意味がある。それは一体なんなのか?と考えている。
どうしてマスコミはこれを取り上げたのか?
はっきり言うがマスコミは都議会に常に常駐してるわけじゃない。行くのは特別な何かがあると予想されるときだけだ。
ネタは誰かがマスコミに提供している。それをもとに取材をし記事を書いている。
しかし一個人がFAXしたとてそれをマスコミはいちいち取り上げない。記事にしてもらうには何かの力が必要だ。
ちょっと前に、駅で白杖が足に当たったと因縁をつけ盲人を殴った男というニュースがあった。
残念ながらこんなクソ野郎は世の中に五万といる。駅でのトラブルも日常茶飯事だ。
多分オレが殴られたとしてもニュースにはならない。
じゃぁなんで記事になったのか?
盲人団体から事件の提供があったからだ。盲人を殴るクソは吊るし上げろ!そういうことだ。
長崎で被爆者の体験談話中に暴言を吐いた中学生がニュースになった。
いじめで生徒を死なせるとかならともかく、通常この程度のことではニュースにならない。
何故記事になったのか?なんか胡散臭そうな団体がその裏にあったからだ。
さてこの野次の事件のケース。一体その力はなんだろうか?
なるほどわかりました。では将軍様、100万人の女子高生を騙してみせてください。
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大人のニーズ()やらはわかる。中二病もまだわかる(うわwってなるけど)。
小学生の燃えポイントとか、大人になると全く理解不能なんだよな。
ガチャに入ってる謎の金ピカの武器とか(物理ガチャね)、つるピカハゲ丸くんとか。
何が面白いのそれ。
ハートレス・レッド以降面白さがダウンしたから(※個人の感想です)それより後は別に読まんでもいい。
中二病をビンビン刺激してくれるタイトルとサブタイトル。能力バトル。ストーリー。設定。
フォルテッシモを語らずして「最強」の名は語れまい。
正義の味方とは何か?
世界の敵とは?
真理を突いているようでその実何も語ってなどいないようにすら感じられる、雲をつかむような哲学的文章。
個人的なおすすめは、しっかりジュブナイルしていて中学生の俺のハートを鷲掴みした、ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」だ。
とっつきやすさ、面白さ、切なさという意味で、ブギーポップの中で割と異質なタイプだけど、これが一番好き。
別に「笑わない」から順番に読まなくてもブギーポップシリーズは割と問題ない。
さすがに今でてるのにいきなり手出すとちょっとアレだけど。
初期のに限ってはそこそこ適当につまんでもOK。
あーあとイマジネーターは2巻もある割にアクションもほとんどなくて理屈っぽくて地味だから最初は読まなくてもいい。
笑わない→イマジネーターで見限られると非常に辛いから。
パンドラ、歪曲王、笑わない、エンブリオ2冊がとりあえずおすすめ。
まずはニュルンベルクのマイスタージンガーをyoutubeで探して口笛で真似てみるところから始めようか。
毒親で可哀想ね、とは思うけど、こういうエントリによくある優秀な自分アピールがほんとウザい。
こんなに頭いいのに親のせいで…とか言いたいんだろうけど、そんなに優秀ならさっさと親を克服するための活動を始めろよ。みんなから同情を集めたって、どうせ何もする気ないんだろ?
大体、他のトラバにもあったけど親なんてお前より先に死ぬんだぞ。そしたらお前はどうするつもりなんだよ。殉死でもすんのか?
さっさと親を捨てるか、それができないなら両親宛に「お前らの育てた子供は何も残さずお前らより先に死にました。無意味な子育ておめでとう」くらいの遺書を遺してさっさと死ね。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20140614-00000566-fnn-soci
今まで性同一性障害のひとと話をしたことはあるが
わたしが話を聞かせてもらったのは皆、成人した大人で
学校という狭い共同社会のなかで生きるひとの声を聞いたことはない。
いったいどんな喋り方をするんだろうと興味を持ち
思春期の頃というのは
世の中に対する違和感というのを感じ始める時期だと思うのだ。
「わたしは女じゃない・・」というのは
性同一性障害ではない
何かしらそういった違和感というのは
抱いたりしてるんじゃないだろうか。
そういったことに過敏になるのが思春期であり
確かに性に対する違和感は大きな問題だ。
性に対する違和感が病的と診断されるほど
その壁を乗り越えるために尽力を尽くした
苦しいのだと思う。
でも、他にも苦しんでいる子たちの苦悩はどうなるのだろうか・・。
そんなわたしはマイノリティーに肩入れし過ぎだし
その視点は偏ってると指摘されても
反論の余地もない。
ファミリーマート店員がキレッキレだと話題に
http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/7327184.html
を見てふと思い出したんだが、そういえば中学二年の頃、中二病の奴がいた。
そいつも、走るときはナルと?みたいな感じの格好つけたダッシュで全然歩かなかった。
英語の訳をしろと言われて読み上げた訳が「むくろ」とか「誓約」とかそんな感じでやったりみたいな。
で、そいつがずーっとライトノベルって今なら言うんだろうな、そういうのを書いていた。で、それを勝手に漁られてコピーされて、学年中に晒されていた。そいつが意識してる女子もバレてしまった。
その内容ってのが、ドラゴンをやつけに行くみたいな感じなんだが。 登場人物が全部クラスとか先生の名前。
もう面白すぎて爆笑してて、当然いつもそいつはその話題でいじられていた。
が、そいつがキレたらしい。 そいつがトイレに行ったときに、そいつは机にメモを残していったらしい。そいつのノートをまた誰かが漁ったときに挟まっていたらしい。
その内容ってのが。「僕はあなたたちがかわいそうだ、こんなことは自分のためにもやめておいたほうがいい、さもなくば深遠の力が~」みたいな。
それも晒されて、爆笑になった。
先生は気づかないふりしてたみたいだな。
そいつはずっと中二だったんだけど。
今思うとかわいそうなのはそいつだったんだよなあ。感化されて恥ずかしい中学時代だったわけだけど。しかも学年全部に知られて。
でも、こういう青春を送った本人は恥ずかしいだろうけど、周りは奇妙な奴あなあくらいの反応だった。周りに比べて本人の自意識が過剰。
いいじゃん、そういう青春でもとは思うんだけど。
で、そいつが言ってた話ってのは、一事の妄想とかかぶれにすぎないんだけど、周りから言われても折れなかった。明らかにおかしいのに、そいつは中二キャラを曲げなかった。現実と乖離しているのを素で認められなかったんだろう。
素で現実が認められない奴だと思っていたが。この店員さんを見るに、先天性にこういうふうな動きをとってしまうような何らかの遺伝なりがあるんだろうなあと思った。
よっぽどの非モテじゃない限り、女と飲みに行って「いかに自分が腹黒いか自慢」をされたことがあると思う。
「実は経験人数多い自慢」
「お人好しなお嬢様そうに見えてヤることやってる女を見抜いてる自慢」
正直こんなの自己満オナニーだしくだらなくて鬱陶しいんだけど、「へぇー女って怖い!」って言ってあげると満足そうな顔してちょっと面白い。
(あと女が半数以上のコミュニティではこういう馬鹿女に取り入らないと生き辛くなるし)
この手の腹黒自慢はヤンキーのヤンチャ自慢と同類だと思ってる。中二病的感性というか。マトモな男は半ば引いてるのに、本人は悦に入っててそれに気づかない。
それにこの手の女はヤンキーよりも数が多いから始末に負えない。自分は早稲田卒(同年代の上位10%)だが、周りはこんなのばかりだった。
そして、社会人になって早稲田が特別下品なわけじゃないこともわかった。(より上の大学や早稲田より上品なイメージの某塾もこんな感じみたい)
ある程度の知性はあるのに、自分の痛さを自覚できないってことが不思議でならない。
こういうこと言うと「なに女に幻想抱いてるのダッサ」みたいな非モテ認定してくる馬鹿が出てくると思うが、自分が批判してるのは「女の腹黒さ」ではなく「それをさもカッコイイ事のように話す痛さ」だ。
普通自分のマイナスな部分は隠すのが礼儀じゃないか?どんなに性格が悪くても、それを恥と思い人前に出さないのならマトモな感性を持ってると思う。
大して性格悪くもなれないカッペのくせに自分を小悪魔だと自慢する馬鹿を見ると「それってただの中二病でしょ。不快だからこれ以上喋らないで欲しい」って思うが、言わないのが礼儀だよね。
(あとこういう女に限って年下男の純粋さに対して幻想を抱いてて面白い)
最近話題のマイルドヤンキーって言葉を聞いて真っ先にこの手の女が頭に浮かんだからタイトルに入れたが、あまり関係なかったかもしれない。すまない。
「悪い人間が更正するよりも、最初から良いやつの方がよっぽど偉い」
こち亀の「最初からまじめなやつのほうが偉い」的なセリフが元ネタなんだろうか。
別に間違ってはないし、小学生でも言いそうな一般論という程度の認識だった。
ただ、この理屈をフィクションの評価にも使う人が結構いるみたいで、それが気になる。
それによって「迷惑をかけた人が反省すること」を表現する価値が無くなるわけじゃないだろう。
〈贖罪〉みたいな宗教的なテーマでさえ、この手の一般論にかかれば全部無価値にされてしまう。
この手の「一般論の暴力」みたいなもの、最近いろんな所で見てる気がする。
人生に起こる様々な問題を、抽象度を上げて誰でも言える善し悪しの問題にして片付けてしまう。
「言ってることは正しいけれど、それじゃ何も言ってないのと同じだ」と返してやりたくなる。
ちょっと話がズレるけど、「中二病」なんて言葉もかなり似た現象が起こってると思う。
何かにかぶれている時期ってすごく創造性に溢れた時間のはずなのに、
「こういう態度ってダサいよね」みたいな解像度の低い話で全部片付けられてしまう。
内容を問わず、態度だけで全てがあるあるネタにされてしまうというか。
要するに、情報を共有する時の解像度の低さを問題にしたいわけだ。
中高生の頃、人のどうでもいい言い間違いを指摘してクスクス笑ってた頃から
ろくに成長してない人多すぎるんじゃないですか。どことは言わないけど主にはてなに。
やれやれ貧乳好きな俺はマイノリティだねつらいわーニッチな好み持ってる俺マジすげーリスペクトだわー(チラッチラッってのが透けて見えるから。ワンナウト。
書き方は乱暴だけど、この部分だけなんか分かる
そういう人たちが各自でどう思ってんのかは置いといて
そういう人たちに遭遇するたびに自分は「うわっ」て感じになる
胸が大きい小さいとか
背が高い低いとか
痩せているとかいないとか
そういうことに対して悩みを抱えてる人たちが心情を吐露したりする時
そういう悩みに対して「自分はいいと思うけどな」ってコメントをするような人たちがなんか苦手
例としてあげると
「自分は可愛いと思うし、大好きだし、全然悪くないと思うし、むしろ素敵な個性だし――(褒め殺しの系譜)」
「そもそも良さが分かってない奴はどうかしてる(憤慨の系譜)」
「そういうのが好きな自分みたいな奴のところに来てくれればいいんだけどなあ(願望の系譜)」
「自分は好きで好きでたまらないし、むしろその方がソソる(興奮の系譜)」
「そういうのが大好きな自分は異端なんだろうか(中二病の系譜)」
っていう感じだけど、そういうのを見聞きするたびに滅入る
そういうノリに慣れなくてちょっと胸がざわつく
「自分だけはわかってますよ」って思ってるかのような印象を抱いてしまうし
あからさまに「自分は別にいいと思うけど何か?」みたいな煽る感じを出してる人は特にざわつく
余談だけど「そんなのより自分の方がずっと辛いんだけど?喧嘩売ってるの?(攻撃の系譜)」にもざわつく
おっぱいの好みの話に戻るけど
1.貧乳がいい
3.貧乳の恥じらってる感じがいい
みたいな流れもざわつくし、もう飽きた
あと、巨乳好きと貧乳好きっていう主張の人たちがぶつかり合ってるときに
「結局のところ大きいのも小さいのもどちらも等しく良いものだ」みたいな話が出てくるのも滅入るようになってきた
マンネリだけでは説明できない「うわっ」って感じを抱くようになった