はてなキーワード: ウルトラマンとは
ジョジョの奇妙な冒険と同じような「なんか話題になってるしよくネタも聞くけど、実際に自分で見たことはない作品」という枠だったんだよね。
超シリーズもいきなり入っても全然わからない作りで、まずはZまでは必修してこいって雰囲気にハードルの高さを感じていた。
ウルトラマンやガンダムのような毎シリーズリセット型のコンテンツじゃないということがドラゴンボール最大の弱点だと思う。
孫悟空の幼少期は知らなくてもいいから、ベジータ~セルの辺りは把握してないと全く話についていけない。
作劇が「あの悟空が」「あのベジータが」「あのクリリンが」「あのピッコロが」「御飯が遂に」といった所に軸足を起きがちだからだ。
悟空とベジータの名前は大雑把に知っていても、どれぐらい強くてどういう関係なのかが分かってないと、なんか突然パワーアップしてビュバビュバして勝ったり負けたりするだけで終わってしまう。
ドラゴンボールの戦闘スタイルは出てきた当時は画期的だったのだろうけど、今やもう使い古された戦い方になってきている。
もはやAKIRAと大差はないと言えるだろう。出てきた当時はその差分がそれはそれは大きく感じられたのだろうが。
なまじっかリメイクや超が進んだことで、ドラゴンボールは合流するタイミングの難しいコンテンツになってきている。
子供向けゲームコーナーにはデジタルカードダスがあるが、そういった所から入ってから正しいストーリーを把握するまでには長い時間がかかる。
スパロボから入ってガンダムとガオガイガーが全く別の話であることを理解するまでには、どちらか片方を単品で見なければ始まらないわけだが、そこにたどり着くまでが長いように。
そもそも戦いに興味がない子供はドラゴンボールにハマらないし、女の子はプリキュアに対してインプリンティングを行ってしまう。
激しい空中戦といえばドラゴンボールという感覚がある層は日本人の過半数よりかは少ないだろう。
でも何故か世の中では、誰もがドラゴンボールを好きで、シュッシュッババババババッッとなればドラゴンボールを連想するのだと思い込んでいる層が結構多いように見える。
人類70億人中の少なくとも60億人ががかめはめ波の練習をしたことがあると思いこんでいるような言動を目にすることがある。
不思議でならない。
去年の暮れに、両親が離婚した。
薄々そうなる気はしていた。二人の間には会話もなかったし、一緒に何かをするという事が絶えて久しかった。
だけど、今か、と思った。
その年に始めた仕事が軌道に乗り、うつ病の治療も安定し、ここ最近では一番、元気だった。
その日は、月に一度の実家に帰る日だった。誰もいない実家の、自分の部屋に入って、デスクの上に、それはあった。
「お母さんとお父さんは、離婚しました。お母さんには、支えたい人が別にいるからです」
口で言えよこの野郎、と思った。言葉の代わりに、涙が溢れだした。
脳みそがパニックを起こしている気がした。書いてある文字がちっとも理解できなくて、頭に入ってこなくて、全部水滴になって落ちていった。
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母のことは、よくわからないなりに、大好きだったと思う。
小さい頃からちょっとそりが合わなくて、よく反抗した。よく怒られた。よく泣かせた。
同族嫌悪、と言えばいいのだろうか。近すぎるから、同じだから、気持ち悪くて、心地よかった。
わたしはどちらかというと感性は父に似ており、本を読んだりゲームをしたり、小説を書くのが好きだった。
母は、街を歩くのが好きだった。手芸をするのが好きだった。お菓子作りが好きだった。
どれもこれも、子育てのために我慢していたから、私は彼女のことを「無趣味のひと」だと思っていた。ずっと。
そんな母が、ふらりと一人で出かけるようになったのはいつのことだったろうか。
増えた白髪を茶色に染め、ほうれい線に化粧を乗せ、元気に家を飛び出す背中を見送るようになって、どれくらいが過ぎただろうか。
そんな母と化粧の話をするのは楽しかった。服の話をするのは嬉しかった。やっとすきなものの話ができる。これからたくさんしていける。ずっとずっと、そう信じていたのに。
母は、家を出ていった。
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飲む薬が一気に増えたし、涙が止まらないせいで仕事にも行けなくなったけど、元気だった。
わたしには、父が、弟が、パートナーがいる。結婚だってしたいし、子供だってほしい。来年のウルトラマンが楽しみでたまらなくて、予定はヒーローショーで一杯だった。
二月に入って、調子が悪くなってきた。
微熱が下がらない。検査をしても異常なし。横になる時間が増える。
頭がぼーっとして動かない。薬を変えたからだろうか。本が読めなくなる。
胃が鈍く痛い。食欲もない。下痢の日が続く。水は飲まなきゃ。
イライラする。他人といるのが苦痛。相槌さえうてない。パートナーに申し訳ないな。
最後に小説書いたのはいつだろう。母はあの手紙で私に「書け」と言った。だから書き続けないといけないのに。あれは遺言だ。遺言は守らなきゃ。守らなきゃ。
吐きそう。
三月になって、実家に泊まることになった。二月はしんどくてそんな余裕がなかったから、年始ぶりに父に会うのは楽しみだった。
父は飲み会ということで、一人で夕飯をなんとかしないといけなかった。誰もいない家に人でいるのも何だか寂しくて、せっかくだしマックでも食べようかな。そう思って私は、近所を散歩することにした。
やめときゃ、よかったのに。
店を見た瞬間、涙が出てきた。
そうだ。ここは、母とよく行ったスーパーで、母によくナゲットを買ってもらったマックだ。
わたしは立ちすくむ。両腕で自分を抱きしめる。気を抜くと口から何かが飛び出しそうで、自然と口呼吸になった。
親子連れがわたしの横を通っていった。母と娘だった。わたしは目が離せなかった。
釣られるように、わたしも店に入る。座席に座って、ネットオーダーをする。
涙が止まらない。子供の甲高い声が頭に突き刺さって、気分が悪かった。
ハンバーガーの味は分からなかった。胃からせりあがってくる何かに蓋をするみたいに食べた。泣きながら食べた。
そして、逃げるみたいに実家に戻った。
新居に戻れば、よかったのに。
わたしはベッドに倒れこんで、おかあさん、おかあさんと泣いた。
もうおかあさんと化粧品を買いに行くこともないんだろうな。
もうおかあさんと並んで料理をすることもないんだろうな。
もうおかあさんとテレビを見て笑い合うこともないんだろうな。
もうおかあさんに、抱きしめてもらうこともないんだろうな。
だけど、これから帰ってくる父にも、遠方に住む弟にも、仕事中のパートナーにも、誰にも、メッセージを送ることはできなかった。
ひとりで、眠りに落ちるまで、泣いた。
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翌朝、腫れぼったいまぶたをこすりながら、父におはようと言った。父はわたしを見て何も言わなかった。だからわたしも、何も言えなかった。
あいかわらず体調は最悪で、熱っぽかったし、腹痛もあった。頭の中は真っ白で、身体がふわふわとしていた。吐き気だけが鮮明だった。
理系アピールで「攻殻機動隊とか好きなんすよね~~」と言おうとしたとき、ふとよぎるのだよな『草薙素子をエロ目的で消費していると疑われるのでは』という不安が。
その点だとフリーレンは比較的安心なのだが、なんというか意外とフェルンの胸がデカかったりアウラの服がビキニアーマーっぽかったり、そういった所で『エロ目的か?」と思われそうな不穏さががよぎる。
ドラマにしたって主演女優がセクシーアピールしてるのは褒めにくいし、清楚アピール系もそれはそれで「俺この女優好きでさ―!」と職場で平気な顔して言うセクハラ親父の仲間入りしそうで表現しづらい。
そうやって疑い出すと小柄なキャラクターが主役でもロリコン疑惑が怖くなってくるし、男同士の友情もブロマンス目当ての腐男子や同性愛者扱いされそうでちょっと怖くなる。
世の中の作品が気軽にエロをアピールするからこんなことになるんだと思う。
シンウルトラマンですら主人公のキモい性癖のせいでオススメしたあとで「つまり、お前も匂いフェチなの?」みたいに思われそうな不安が付きまとってくる。
いちいち何にでも性欲を絡めてくるんじゃねえよクソが。
マヨラーが何にでもマヨネーズをかけるような感覚で何にでもエロを盛ろうとしてんじゃねえよ。
エロ目的で見たい連中は作品の中で何もやらなくても勝手に同人誌やコスプレの時に胸をデカく描いたりパットをモリモリ盛ったりするだろうが。
女優そっくりさん設定のAVだってちょっと胸が大きめの女優をつかってたりするし、そういうのに全部任せて本家は大人しくしてろよ。
アニメ放送以降、アニメ「スナックバス江」監督によるX(旧twitter)の投稿でそこそこの焚火が燃えているが、最近起こったドラマ原作者自殺に絡めた投稿でまた一ボヤ起こっている。
そもスナックバス江とは北海道札幌北24条辺りにある架空のスナックを舞台としたギャグマンガで、スナックの従業員の女性たちと様々な客(常連から異世界から紛れ込んだ一見さんまで)たちとの掛け合いを軸としている。
テンポのいい掛け合いや踏み込んだ突っ込み、ルビ芸のワードセンスが特徴の漫画で、ネットでは否定的な意見を見たことがないほどだった。
作中メタネタ的にアニメ化したら~とか自分の声優はこうだ~とかキャラ自身が出すことがあったのだが、昨年本当にアニメ化という話が出た。
個人的にはすごいよマサルさん、ギャグマンガ日和シリーズ的な感じのギャグアニメがようやく来るなととても楽しみにしていた。(+チック姉さんはまだあきらめていない。)
とても楽しみにしていたのだが、待望の放送を視聴したところ困惑するような出来だった。
Xでも指摘している人は少なくないがバス江で求められているのは強みであるギャグを引き立てる軽快な掛け合いだった。
しかしアニメでは現実でもありそうな場末のスナックでのうだつの上がらないおっさんがする間延びしたトークのテンポで、現実のスナックを描いた作品だったらあり得る会話劇だがギャグマンガにおいては致命傷にもなりうる遅さ。もともと内容がある話ではないので、アニメ「スナックバス江」のかみしめる様な会話の遅さだと全部素材が死んてしまう、というか死んだ。
個人的には3話まで見てから評価するようにしているのだが、待望の3話でバズった小ネタが出てきたが演出のせいで不発に終わりだめだこりゃと悟った。
スナックバス江の第一話はスナック行ったことがない真面目そうなスーツ姿のサラリーマンがスナックへ入るところから始まる。
そわそわしつつ入店して目に入るのはチーママがママを酒瓶で殴りつけた直後と思われる流血沙汰の現場で、リーマンとチーママは目を合わせるもののそこに一切の会話がない。
面白さ無視で読者までガツンと殴りつけるような導入だったのが、アニメの第一話導入ではカラオケboxで歌っている途中店員が入ってきたら気まずいという毒にも薬にもならないあるあるネタ。
カラオケネタも前後の話があったり登場人物の関係性が出来上がっていたからこそ、そこそこ面白かったのだが導入としては正直弱すぎる。
最初の指摘と合わさって監督のバス江についてどの程度理解しているのかが露呈してしまった。
監督はXでの投稿を見るとスナックのテンポや雰囲気を大事にしたい様子だ。確かに漫画では背景はほとんどなくキャラが酒をあおるシーンやカラオケするシーンは会話のアクセントでたまーに入るくらいだったがアニメ版は違う。
背景はスナック感マシマシでちょいちょいグラスの氷の音や酒をあおるシーンが出てくる。おまけにムーディなBGMが流れしっとりとした雰囲気が出ている。
酒を飲みながら視聴したらさながら自分もスナックにいるような雰囲気を味わえそうだ。
都会で評判のいいチャーシューやメンマやスタンダードと思われる具材が乗った大衆ラーメンを食べに行ったつもりが小皿にスープと麺がこじんまりと乗ってジャズだかクラシックが店内で流れている意識高い系のラーメンをお出しされた感覚だった。
実際好きなギャグマンガ原作のアニメではなくよくわかんない長尺FlashアニメとしてならBGM代わりにできた。
好きな原作だしということで食べたら食べたでまあまずくはないけど、求めているのとはまったく違う。もんじゃ焼きとゲボぐらい違う。
Xの指摘の傾向と自分の感想とどの程度近いか遠いかはさておき、バス江映像化について監督は
「あえての表現」
「スナックの良さを引き出している」
といった感じの主張をした結果ボヤ騒ぎ。個人的に主張はわかるんだがそれをバス江を使ってやらんでくれと思った。
そして序文の話。
どうやら今は投稿が消えているみたいだがドラマ原作者を非難した視聴者が原作者を自殺に追いやってしまったとし、視聴者たちを非難する投稿をしたようだ。
趣旨としてはクリエイターをもっと大事にしろというように受け取ったが、これは監督バッシングということがあってということなのだろうか。
いずれにしても独り相撲なクリエイターがSNSで自己弁護したらこうなるという好例をみることができた。
「原作ファンの求めているもの」と「監督が出したいとするもの」が違う事例は良くも悪くもほかの作品にも言えることで、特に監督の力が強そうな実写化では顕著に出ていると思う。
成功した感じなのはデスノートとかるろうに剣心とかカイジ(アニメも)とか、逆に上手くいかなかったのは進撃の巨人とかデビルマンとかだろう。
特殊なのは庵野氏によるリバイバル作品で、ゴジラやウルトラマンや仮面ライダーを見たいというよりは庵野氏解釈のそれを見たいということでおもしろいかつまらないかはさておき原作レ〇プみたいな話にはならないのだろう。
そういう意味では映像化するにあたり見せたい相手が監督ファンなのか、原作ファンなのか、その辺りをわきまえているかどうかがカギになると思う。
スナックバス江についてはほかの監督でリバイバルされるか、原作者による供養(映像クリエイターが本編に登場する回)をしてもらうことを期待したい。