はてなキーワード: イスラームとは
単純に頭が悪くて視野が狭いし差別根性の塊だから下記の常識が抑えられて無いだけだろ
現代のイスラーム教国のほとんどの法律では女性の結婚最低年齢や法的同意年齢は医学的な性的成熟を踏まえたものであり、15歳から18歳程度であって非イスラーム諸国とも変わらない。また当該国のイスラーム法学者の多数派の解釈もこのような法律を支持しており、古典イスラーム法に基づく9歳からの結婚・性行為の合法化を求めている人間は、きわめて少数派である
日本だって大昔は10代で結婚ってのもあったが児童性愛を是としていたからでは無いことは、12歳で初産はレアケースとされていたことからもわかるよね
そういう奴はたぶんイランとイラクの違いも知らないし、アプリコットは林檎の仲間だと思ってるし、英語の成績はいつも3だった。
ただ、あのベリーダンサーか?みたいな格好はディズニーのアラジン(アニメの方)の影響が大きいのかなとも思う。ジャスミン姫も結構露出した衣装だから。
ディズニーの影響かどうかは知らんが、とにかく下品な格好して(させて)アラビアン〜とか謳うな。今じゃ猫も杓子もソシャゲのキャラもVtuberも乳と腹出して、中途半端に透けた布で口だけ覆ってる。何がアラビアンだよ。そもそも千夜一夜は中世ペルシア(やインド等)が舞台でアラブ人違うし、でも下品アラビアンたちはペルシアが何かとか知らなそう。ペル語科出身の友人も「ペルシアはアラブじゃねぇーよ!」「アラビアン•ナイトぉ?クルアーン読めよ!」って悲しんでたよ。
ただ一番気に食わないのは、あのよく分からん透けた面紗。顔下半分だけ覆うくせに、なんで透かせた?!何なのあれ?誰とは言わないけど、何なん、あれ。
気に食わない。すごい気に食わない。何がアラビアンだ。砂漠に帰れ。ラクダのバカ臭い唾でも顔面に食らえ。
日本人として、恥ずかしい。イスラーム法を研究していてアラブ人やムスリムの友人がたくさんいる身からすると、彼らに日本のあの下品アラビアンを見せたくなさすぎていつも苦しい。日本人にとっての(主語大きくてごめんなさい)アラブのイメージってこんななのね、、、って思われたくなさすぎ。オリエンタリズムがどうとか論じる気はないけど、あの下品だけはどうにかならないものか。アラブやペルシアや千夜一夜やイスラームのうっすいガワだけを利用するな。
ぜひGlamourというYouTubeチャンネルでやってる歴史家がアラジンのファッションを検証する動画を見てほしい。下品アラビアンたち聞いてるか。
今のムスリムの女の子たちのヴェールの巻き方とかすっごく可愛いし、工夫されてるし、これが現代のイスラームだよなぁって思う。
とにかく、アラビアンを謳うなら(そうでなくてもアラブや千夜一夜を意識するのなら)、悪趣味で品なのないオリエンタリズムごりごりの娼婦みたいなデザインをやめろ。変な顔布もするな。腹しまえ。乳出すな。クルアーン読め。
【追記】2022.3.3
ごめん、こんなに反応来ると思わんかった。すまんな、全然放置してて。俺が言いたかったのは「アラビアン(アラブ風の)」って謳ってるなら娼婦みたいな格好せんでや、ってことだった。というのも、こないだ仕事相手のアラブ人(カタール人)と東京歩いてて、何のキャラクターかは知らんのやけど「限定イベント アラブの夜!」みたいなタイトルで若い女の子たちがそういう格好してるデカい看板に出会ってな、そのアラブ人は日本語読めるし生まれたときからムスリムやから、ちょっと怖い顔して「アラブ?」って呟いててさ。アラブって何だよってなるよね、そりゃ。ただ俺の言い方的にアラビアンナイトと宗教の面でのイスラームを結びつけるような趣旨になったのは悪かった。イスラームは宗教にとどまらない文明とか法規範の根幹なしてる広義の意味も全然あるし、アラブ人=ムスリムちゃうからな。すまんかった。あと他国の文化を部外者がごちゃごちゃ言うなってのも確かにそうだな。けど、キムカーダシアンの「Kim Oh No」騒動だとかさ、他国の文化ってやっぱりセンシティブな話題だと思うのよ。アラブ人が日本の“アラブ“を摂取して「馬鹿にされてる」って感じるのって良くないねんな。俺も海外の人が作るリスペクトされたサムライとか着物とかすごい好きやけど、例えば外国人にコウメ太夫指して「これが日本の由緒ある伝統のゲイシャだろ?」って言われたら、そいつが真剣に言ってても馬鹿にしながら言っててもやるせない気持ちになるで。コウメ太夫好きだけどな。まあアラビアンナイトに関してはもう文化の盗用とかのレベルじゃなくて「アラブ」って付けなかったら全然納得できるくらいの確立したジャンルではあるよな。あと日本って何かとエロに対する耐性っていうか寛容な向きというか、悪く言えばゾーニングがなされてない部分も多い。他の先進国の首都とかで町中にバーンって若い女の子の肌面積多い絵とか見ないやんか。まあ、ちょっとでもアラブとかアラビアンっていう言葉について心に留めてほしいなって思ってる。
KKKメンバー「私の不快感に配慮して、黒人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
ネオナチ「私の不快感に配慮して、ユダヤ人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
在特会「私の不快感に配慮して、朝鮮人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
東京在住の阪神ファン「私の不快感に配慮して、読売ジャイアンツの選手を公的機関の広報に使うことを止めてください」
カルト教団「我々は全ての人が我々の宗教を信仰するべきだと考えているため、異教徒を見るだけで不快になります。なので異教徒を公的機関の広報に使うのを止めてください」
同性愛者「私はキリスト教徒やムスリム(イスラーム教徒)を見ると『この人たちは時代が変わるとまた同性愛者の弾圧を始めるのではないか』と恐怖を感じて不快になるのでキリスト教徒やムスリムを公的機関の広報に使うのを止めてください」
謎の人「ブサイクを見ると『この人は将来、海外のインセルみたいに無差別殺人事件を起こすかもしれない』と不安になって私が安心して生活できる権利が侵害され不快になるからブサイクな男を公的機関の広報に使うのを止めてください」
という以上の主張と「性を強調した萌え絵が不快なので萌え絵を公的機関の広報に使うことを止めてください」にはどのような違いがありますか?
KKKメンバー「私の不快感に配慮して、黒人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
ネオナチ「私の不快感に配慮して、ユダヤ人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
在特会「私の不快感に配慮して、朝鮮人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
東京在住の阪神ファン「私の不快感に配慮して、読売ジャイアンツの選手を公的機関の広報に使うことを止めてください」
カルト教団「我々は全ての人が我々の宗教を信仰するべきだと考えているため、異教徒を見るだけで不快になります。なので異教徒を公的機関の広報に使うのを止めてください」
同性愛者「私はキリスト教徒やムスリム(イスラーム教徒)を見ると『この人たちは時代が変わるとまた同性愛者の弾圧を始めるのではないか』と恐怖を感じて不快になるのでキリスト教徒やムスリムを公的機関の広報に使うのを止めてください」
謎の人「ブサイクを見ると『この人は将来、海外のインセルみたいに無差別殺人事件を起こすかもしれない』と不安になって私が安心して生活できる権利が侵害され不快になるからブサイクな男を公的機関の広報に使うのを止めてください」
という以上の主張と「性を強調した萌え絵が不快なので萌え絵を公的機関の広報に使うことを止めてください」にはどのような違いがありますか?
かつて趣味で小説を十年近く書いていた者だ。俺も理系だが、理系は歴史を学ぶ上で決して弱みではない。むしろ、物事を大局的に眺め、出来事の意味や結果をロジカルに考えるうえでは助けになるし、論理的な文章も得意だろう。なので、自信をもって執筆に向かってほしい。
とはいえ、いきなり中世ヨーロッパを舞台にした小説を書くのは難しい。農民であれ騎士であれ、生活の細部を思い描こうとするだけで筆が止まってしまう。朝起きて顔を洗い、用を足して食事をする、その半時間のことなのに細部がさっぱりわからず、筆が進まない。ありがちな悩みだが、深刻な悩みでもある。
仮に十年前の日本を舞台にした小説を書こうとしても、「当時はスマホが既にあったか」「はやっていた音楽は何だったか」「あの事件はもう起きていたか」など、俺たちの記憶は甚だ頼りなく、資料に頼らざるを得なくなる。ましてや、生まれる前の出来事など仮定に仮定を重ねた蜃気楼のようで、資料なしでは立ちすくんでしまう。よくわかる。なので、俺が読んで面白かった本を共有したい。
ところで、増田は世界史を勉強したいと述べているが、どうも「小説を書くための中世ヨーロッパの知識が欲しい」と「知識欲から漠然と世界史について学びたい」が混在しているようだ。ブクマやレスを見ると、その両方に対する回答がある。俺は、ひとまず前者について答えたく思う。後者については、中央公論社の「世界の歴史」シリーズか、講談社の「興亡の世界史」を読んで、そこから気になったキーワードからどんどん広げていくといいと思う。なお、俺は前者しか通読していない。
さて、過去の世界を生々しく想像するためには、俺は四つの視点が必要だと考えている。数理的視点、物質的視点、非物質的視点、それからエピソード的視点だ。以下、それぞれについて述べる。各々の視点に応じて、手に取るべき書籍は異なってくる。
さらに、この四つの視点があると、頭の中で歴史の知識を整理するのに役に立つ。少なくとも俺にとってははやりやすい。
過去の世界は偉大なようだが、人口は現代よりも少なく、都市の規模は小さく、穀物や工業製品の生産量も少ない。そういうわけで、もしもタイムスリップして中世の大都市を眺めたとしても、その小ささに俺たちは意外さを覚えるかもしれない。確かに現代にも通用する芸術作品はあるかもしれない。時代は異なるが、ピラミッドや紫禁城のような壮大な建物もあるだろう。とはいえ、庶民はそんな生活とは無縁であったはずだ。パリの城壁は今や環状線であるが、今のパリの都市圏はそれを越えて広がっている。
さて、小説を書く上ではリアリティが必要になる。それを支えるのが数の感覚だ。例えば、ある国家の人口がどれくらいで、即時に動員できる兵士がどれくらいで、都市と都市の距離がどれくらい離れており、移動速度はどれくらいか。集落の規模はどの程度か。船舶で運べる量は。モデルとする時代の数字をおおよその知っておくことで、明らかに不自然な描写は減らせるだろう。このあたりについては「銃、病原菌、鉄」や通史的に世界の人口を扱った書籍が助けになると思う。細かいことは気にしなくていい。オーダーが合っている程度で充分だ。数字を確かめるだけなら、ウィキペディアだけでもいい。これは英語版を併用することを薦める。
要するに衣食住の細部だ。先ほど騎士や農民の一日を想像するのが難しいと述べた理由はこれになる。増田が必要としているのはおそらくフランシス・ギースの出しているシリーズだ。都市や農村、城の生活が細かく書かれている。
他に、当時栽培されていた植物や動物については、「世界史を変えた50の○○」シリーズもいい。ある素材が手に入るか入らないか、あるいは知識の有無だけで国の命運が変わるというのは、たびたび起きてきたことだ。中世ではないが、例えばヒッタイトで鉄の製法が独占されたこと、柑橘類で長期航海の敵、壊血病が防げるとか、そうしたことだ。
また、具体的な書名はいちいち挙げられないが、図版の多い図解○○のようなシリーズも良い。もし、増田が視覚的にものを考えるタイプならなおのことだ。慣れていくと建築や芸術の○○様式というのが何となくわかるようになってくる。
加えて、児童書も侮っては行けない。専門家が監修した子供向けの本は、えりすぐりの内容を含んでいる。仮に含まれていないとしても、これだけは伝えておきたいという基礎知識は抑えてある。これは立花隆が言っていたことだったと記憶しているが、なじみのない分野を学ぶためには基本的な内容の本を三冊読むといいそうだ。なぜなら、本当に大事なことはその三冊すべてに書かれているからであり、結果的にその分野の基礎を身に着けることができる。
これは当時の人間が何を知っており、どんな風に考えていたかを指す。直接は物質として残らない、人の頭の中にあった知識や文化にまつわることだ。当時の科学知識、価値観、法律、迷信などもここに含めてよい。
さっき中世人の朝を想像するのが難しいと述べたが、昼以降の社会生活を想像するのはこれでさらに難しくなる。
たとえば俺は異世界ファンタジーをあまり読まないのだが、中世には叫喚追跡という風習があった。当時のイングランドの自由市民は犯罪が生じた場合には、その犯人を逮捕・処罰する義務を負っていた。隣保組織の長は角笛を吹き、大声で喚声をあげながら犯人を追跡しなければならず、また周囲の住民もその指揮に従って追跡に加わることが義務付けられていた。しかも、この協力を怠った住民に対しては制裁が課せられる。寡聞にして、こういうファンタジー小説は読んだことがない。
ここまではいかないにしても、海外文学を読むとなじみのない、ちょっとしたジェスチャーや迷信に出会うことがある。欧米だと、指を交差させることで幸運を祈るし、ロシア人は今でも扉越しに握手をすることを嫌う(宇宙ステーションでさえ)。この辺にリアリティは宿る。ジェスチャー関係なら、中世とは少しずれるが「常識の世界地図」が面白い。
法に関しては詳しくないがが、習慣や生活については先ほど述べたフランシス・ギースの本が参考になると思う。価値観では「中世の秋」がいいだろう。科学史については、増田は理系だから「磁力と重力の発見」を薦めたい。難易度はかなり高いが、知識がいかに科学になっていくかを肌で感じられる。
当時の職業に関しては、未読だが「十三世紀のハローワーク」がいいらしい。
キリスト教・宗教史に関しては、聖書のエピソードの概略や聖人伝を知っているといい。絵画が好きなら名画で学ぶ○○といったシリーズがたくさん出ている。ただし、聖書がわかったからと言ってキリスト教がわかったことにはならないので注意。
これは著名な人物の伝記に関する話だ。あるいは、当時の人々が親しんでいた物語も含めてもいい。こういう偉人の伝記や小話をたくさん知っていると、歴史好きの物知りとしてマウントを取ることができるが、その出来事が世界史上でどのような意味があったかを語れなければ、自己満足で終わり益は少ない。とはいえ、興味深いのは確かで、プロットの参考になるかもしれない。
このあたりの知識のためには、児童書も含めて伝記を読みあさることになる。または、ハプスブルク家の歴史だとか、各国史だとかを扱った新書を乱読する。絵画に興味があるなら、これも名画で見る○○のようなシリーズがおすすめだ。
当時の人々に身近だっただろう中世の騎士の物語については、ブルフィンチがアーサー王伝説、シャルルマーニュ伝説をまとめている。それとは別に「マビノギオン」も面白い。とはいえ、いきなり原典に当たる必要はなく、入門書を読めばいい。
ギリシア・ローマ神話は呉茂一の本が細かいところまで網羅しているし、ホメロスもオウィディウスも岩波文庫に入っているが、呉茂一の本は初心者には細かすぎるし、原典に当たるのは趣味の領域だから、小説を書くなら入門書で充分だと思う。同様の理由で、「史記」だとか「ローマ帝国興亡史」なども趣味に属する。当時ならではの視点は面白いが、鵜呑みにできない誤謬もあるだろう。
もちろん、単純に上記の分類にすべて本が収まるわけではない。大抵の通史・各国史はこれらを兼ね備えている。
以下、何となく面白かったものを思いついたままに書く。「中世ヨーロッパの歴史」「十二世紀ルネサンス」「ケルトの水脈」「西ヨーロッパ世界の形成」(ただしこの本は著名な王の事績がほとんどの載っておらず、当時の価値観や考え方についてのページがほとんどで、そこがアマゾンで叩かれている)。それから、隣人からの視点として「「イスラーム」から見た世界史」「アラブが見た十字軍」など。
書き洩らしているかもしれないが、今のところ思いつくのは以上だ。
他に、中世を舞台にした小説・映画もおすすめだ。難解だが読み応えのあるミステリ「薔薇の名前」、SFだが「異星人の郷」がいい。「大聖堂」は未読だ。「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はコメディだが細部の正確さは中世映画随一であるとのこと。毒のある笑いに抵抗がなければおすすめ。
中世風の舞台を描くために中世について勉強する。素晴らしいことだ。俺は敬意を表する。それに読んでいるうちにどんどん楽しくなってくるだろう。何かを知る、これは純粋な喜びだ。
だが、小説を書く以上、ある程度は想像力で補わないといけない。ある場面を書く際に必要な情報があるとしても、そもそもその資料は存在しないかもしれない。研究者でさえわからないことは多い。俺もこれだけ読んできたが、わからないことだらけだ。むしろ、疑問が深まった感さえある。細部も忘れてしまった。増田はぜひ自分で本を買ってメモを取るなり線を引くなりしてほしい。読み飛ばさず、時間を掛ければそれだけ得るものも多いだろう。
もっとも、描写に困った場合は、該当シーンを省いてしまうのも手だ。小川哲がどこかで述べていたが、ある歴史SFを書くときに、細部を省略したシーンがあるという。ストーリーにあまり関わらない部分を省くのは、立派なテクニックだ。読者だって中世建築の細部について延々読まされても困るだろう。
もうひとつ忘れてはいけないのは、増田は研究者になろうとしているのではなく、小説を書こうとしている、ということだ。知識は目的ではなく、手段だ。これを忘れてしまうと、他人の設定の粗を探したり、中世なのに価値観が現代的なのを揶揄し始めたりする。こうなると、物語世界を素直に楽しめなくなる。
大事なのは歴史的正確さよりも、読者を喜ばせることだ。そういう意味では、演出として火薬が出てきたっていい。あるいは、読者が感情移入しやすくするように、人を殺してなんぼの武将ではなく、戦争で人を殺すことをためらう武将として、描写する必要がある(ドラマの戦国武将がやたらと戦争を嫌い、優しいのはそのためだ)。異世界ファンタジーの読者が読みたいのは中世ではなく、中世っぽいものだ。そもそも中世ヨーロッパ風なのに唯一神を信じていないファンタジーは多い。
そういう意味では、本を読んでもその知識が直接生きることは少ないかもしれない。くれぐれも、読者に向かって知識をひけらかしてはいけない。あるシーンの正確さのために資料に当たるのはいいが、その成果を延々披露しては読者のストレスになるだけだ。もちろんそういう衒学的な歴史小説もあり、固定ファンはついているが、ネット小説の読者には少ないだろうし、ネット小説の肝であるPVを稼ぐことにはならない。これはいい悪いではなく、ネットと書籍の媒体の差だと思っている。
また、レッドオーシャンの中世ヨーロッパ風ファンタジーに飛び込むのなら、正確さよりも作者の専門知を活かしたものの方が(ブクマで書いている方もいるが)読者の目に留まりそうである。そして、くどいようだが、これだけおすすめの本を書いてきたが、読者が欲しいのは正確な知識ではなく血沸き肉躍る物語である。
だが、作者にとっての最大の危険は、どんな物語よりも過去に起きた事実の方が面白いのだと気づいてしまうことだ。この罠にはまると、どんな小説も所詮作り事と思われて素直に読めず、何を書いてもむなしくなってしまう。言い換えるなら、創作欲が知識に殺されてしまう。増田には、これに一番気を付けてもらいたい。
それを防ぐには、面白い小説を読み、面白いものを書くこと、これに尽きる。先行作品としての中世ファンタジーを愛し、数多く読み、繰り返し読むこと。
KKKメンバー「私の不快感に配慮して、黒人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
ネオナチ「私の不快感に配慮して、ユダヤ人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
在特会「私の不快感に配慮して、朝鮮人を公的機関の広報に使うことを止めてください」
東京在住の阪神ファン「私の不快感に配慮して、読売ジャイアンツの選手を公的機関の広報に使うことを止めてください」
カルト教団「我々は全ての人が我々の宗教を信仰するべきだと考えているため、異教徒を見るだけで不快になります。なので異教徒を公的機関の広報に使うのを止めてください」
同性愛者「私はキリスト教徒やムスリム(イスラーム教徒)を見ると『この人たちは時代が変わるとまた同性愛者の弾圧を始めるのではないか』と恐怖を感じて不快になるのでキリスト教徒やムスリムを公的機関の広報に使うのを止めてください」
謎の人「ブサイクを見ると『この人は将来、海外のインセルみたいに無差別殺人事件を起こすかもしれない』と不安になって私が安心して生活できる権利が侵害され不快になるからブサイクな男を公的機関の広報に使うのを止めてください」