はてなキーワード: アセクシャルとは
たいしたことではないんだけど、正解がわからないので書いてみる。
まず私はフィクトセクシュアル(三次元に性的興味を抱けず、二次元が性的対象である)だ。
そして身体の性別は女性。性自認も女性であり、これに関しては全く違和感がない。
しかし、恋愛的な性自認...つまり二次元における妄想において自分の姿を考える時は絶対に男性アバターを使う。
絶対に私が男性側で、相手をかっこよくエスコートしたい。行為の妄想はあんまりしないが、仮にやるとしたらやはり私が男性側。
別に相手キャラが挿入したい!と言ったらどうぞと譲るつもりではいるけれど、それでも男性の姿のまま受け身に回ることになると思う。
とにかく、恋愛妄想において女性の身体を使うのにはめちゃくちゃ違和感があるのだ。
実生活(三次元)では女性でアセクシャルだけど、恋愛(二次元)では男性でバイセクシャルというのが良いのかな。
さっきから「私」と書いてはいるけれど、実は私が使っていていちばんしっくりくる一人称は「俺」だ。
しかし、自分の本性というか、根本的な自我を表すには「俺」が適切ではないかなぁと思う。イメージは「俺」より「おれ」に近いかも?感覚の問題だが。
まぁとにかく、そんな感じである。
性的対象が生身の人間だったら性同一障害とか診断されていたのかもしれないが、フィクトなので全く生活に支障がなく、今に至る。
いや、フィクトだからこそこのように実際の身体とイメージの身体の性別が乖離したのかな。どっちでもいいけれど。
生活に支障はないのだが、困るのは何かしらのアンケートに協力する時である。
私は大学で心理学に近いことをやっているので、その関わりで心理学科の先輩や同輩の実験に参加し、アンケートに協力することが多い。
そこに恋愛に関する質問が書いてあると、どう答えたものか本当に迷うのだ。
「三次元」の恋愛なら全て性的対象ではない、上手く考えられないで回答不可。
だが、仮に前提を「二次元」にしたとしても、その場合性別表記はどちらにすればいいのだろう?
性自認は女性で間違いないのだが、恋愛の主体を完全に男性体で考えている以上女性と書くのも不適切な気もする...。
実験には喜んで協力したいけれど、自分は確実に「例外」になるので、これを純粋な「女性」の回答として渡すのは実験妨害になってしまうと思う。
「無回答」で渡すにしても、恋愛質問と非恋愛質問で性自認が違うのでややこしいデータになることは間違いない。
でも、実験を断るのも角が立つし...複雑なので説明はあんまりしたくないし、説明したところで絶対に実験には役立たないデータになるだろう。
卒論シーズンなのでこれからより一層アンケートを求められることになるが、これが今の私の悩みの1つである。
もし実験をやっている方がいましたら、どうするべきか教えてもらえないでしょうか。
私が30年以上生きてきた中で、半年以上の交際期間を維持できているのはこの恋人だけだ。
過去にいた2人はすべて半年程度で私から別れを切り出してしまった。
付き合っている時間、こんなにも素直に「楽しい!」と思えたことは正直一度もなかった。
相手のマイナスなところが目についてしまうか、心から安らげないか、
好きかどうかわからないか、そんな感じで付き合っている時間がいつも悩みでいっぱいだった。
誰かに告白をされたことも何度かあったけれど、ほとんどが嫌悪感だった。
どう逃げ切るか、どう言わせないか、どう断るか。そんなことばかり考えていた。
過去に付き合った2人の男はどうして付き合えたのかと言えば、
恋人を含め、それ以外の人とも何回かセックスをしたことはあるが、
だいたいどれも「痛い」「よくわからない」「早く電車動かないかな」と考えてばかり。
特に成人以降は、他人の恋愛と自分の恋愛感情が違うような気がしてならなかった。
アセクシャルというやつかもしれないと、割と本当に思っていた。
もちろん、結婚も「できなかったらそれはそれでしょうがない」と思っていた。
でも、今の恋人は違う。
彼には伝えていないけれど、
「いやになったら別れればいい。どうせ半年もしたらイヤになる。
もう30代でこの先恋愛をすることも極端にへるだろうから、最後の思い出づくりだ」
でも、10ヶ月がたった今。私は明確に彼が好きだ。
一緒にいるのが、こんなに楽しい、心地良いと思えるなんて思っていなかった。
出掛けるのも楽しい、夜を一緒に過ごすのも楽しい、別れるのが寂しい、
一緒にいたら手をつなぎたくなる、部屋にいたらくっつきたくなる、
そんな気持ちを、恋人とは言え他人に抱くのはほぼ初めてに近しかった。
「そうか、恋人ってこういう感じなんだ」という感覚を、今、初めて味わっている。
街ですれ違う恋人達の楽しそうな表情を、今、自分もやっていることがなんとなくわかる。
彼は、決して完璧な人ではない。(それはもちろん私もそうなのだけれど)
「結婚相手」として見たら、不十分な要素がたくさんあるだろう。
なんなら、付き合ってすぐに大きな病気が見付かっておおがかりな治療もして、
でも、一緒にいて苦しくない。
早く帰ってほしいとか、早く帰りたいとかは思わない。
(彼と何日も一緒にいると快便が滞るのでそういう意味では早く帰ってほしい日はあるが)
もっと一緒にいたいなとか、帰って寂しいなとか、そういうことを考える。
どこかに出掛けたりというよりは、家でのんびりしたり、ゲームをしたり、折り紙したり、
ごく近所に遊びに行ったりと、割と日常生活を共にすることが多いけれど、それが楽しいのだ。
私は、彼と一緒におじいちゃんとおばあちゃんになりたいなと思う。
(今までは極力言ってこなかった)
そして、こんな風に、過去の恋人たちとも考えられるときが一瞬でもあればよかったなと、少し後悔する。
こんなに楽しめるものだったのか恋愛って。過去の彼氏たちに悪いことをしたなと思ってしまう。
彼らにとって、私と過ごした時間はきっと私がそうであったように、楽しいものではなかっただろう。
そう思えるぐらい、人生で初めての、愛しい人だ。
そして、彼もそう感じてくれているのがなんとなくわかる。
彼は、結婚願望がまるでないらしく、過去に恋人とそこで価値観が合わなくなったことがあるらしい。
お互いにいつも、少し先の未来と、わりと先の未来の話をすることがある。
「オレと増田がこのままうまくいって結婚したら」とか、そういう話。
ああ、このままの時間が続けば、
私は、この人と結婚というものをするのかもしれないなと思った。
何が起きるのか、どうなるのか、まったくわからないし、
見つめなきゃいけない、考えなきゃいけない問題もいろいろあるけれど、
肉体的なセックスに全く興味は無いのだけど、精神的なセックス(自分はメタファーのセックスと呼んでいる)には凄く惹かれるし、憧れる。
例を挙げると、《酒》が《白濁》を表すモチーフとして、精液の象徴に使われる作品。
2人の間には肉体的接触は何もないが、白く濁ったそれを互いに注いで、飲む。
作者と、その作品世界、そして読解する読者、それらだけの間で成り立つ、目に見えない概念的なセックス。
そういうのを読むと、物凄く心が満たされる。
性的に興奮してるわけじゃない。
美術館に行って思いもかけず気に入った絵を見つけ、いいなあと思って椅子に座ってずーっと眺めてしまうことあるだろ。
あんな感じで、心がだんだん潤って、精神がやすらいでいく感覚。
別に普段からアセクシャルである自分のことを悩んでいるとかそういうわけではないんだけど、メタファーのセックスに出会うと、あ、これは自分にぴったり嵌る絵だな、と思って嬉しくなる。
メタファーのセックスを集めて、たまに思い返して、人生っていいなと思い、また歩き始める。
そういうのを何年も続けてきた。
本題。
最近読んだ作品で、しばしば銃が性器のメタファーとして使われていた。
銃が性器のメタファーとして使われるのは度々ある表現だけれど、その作品ではなんというか、伝わってくる熱量が段違いだったのだ。
肉体的なセックスの話もテーマとして取り上げられる一方で、全ての愛を否定するように、鬼気迫る絵の力で射撃が行われていた。
凄い作品だと思った。
自分はそのメタファーのセックスの力に完全にやられてしまって、そして、自分ももう少しそこに近づいてみたくなった。
上手く言えないけど、このキャラクターがやっていることが自分にとっての正解なんだ、と強く感じた。
心が潤うどころではなく、ずっと種火がじりじりと燃えているような感覚。
銃を撃ちたくなった。
肉体的なセックスはしたくない。
でも、性器の役割を無機質な銃に代行してもらって、疑似的な射精をすることは、したいのかもしれない。
こんな思いは初めてなので戸惑っているが、やってみたいと思う。
銃のカタログを見ている。
もうしばらく経ったらちゃんと銃の免許を取って、大事に手入れして、射撃場でも猟場でも、的でも動物でも何も撃つものがなくたっていい、とにかく一発実弾を撃ちたい。
https://twitter.com/pinhu_haha/status/1329940299372658689
これ根本的に間違えてると思うけど、弱者男性が最終的にセックスを求めるんじゃなくて、多くの男性は強者とか弱者とか関係なくセックス(愛し愛されてイチャイチャ)したいんだよ。
ただ既にモテてたり、別のパートナーいたり、恋愛経験豊富だったりすると、セックスした後の面倒くささやアプローチ失敗した時のリスクと天秤にかけて、無理に行かないってだけ。
可愛い女性が親しく何度も話しかけてきた → 付き合いたい。セックスしたい。
可愛い女性が親しく何度も話しかけてきた → 1)社交辞令か見分ける(セクハラ回避) → 2)性的な意味でも近づいてきてるか見分ける(レイプ回避) → 3)その子と仮にセックスした場合のリスクを考える(地雷回避) → 4)周りへの影響を考える(不倫など社会的信用損失の回避) → 全部クリアした。よし、付き合いたい。セックスしたい。
大体、モテる男性でも普通は1)〜4)の条件がどこか合わず「セックスしよう」ってアプローチする前で踏みとどまるんだよ。
これやっかいなのは、1)と2)は異性と付き合ったり、逆に振られたりする経験がないと女性のサインを読み取るの難しいし、3)は深く女性と長期間で付き合った経験がないとイメージできないし、4)はそもそも失う財産(既存のパートナーや社会的地位など) が必要になるわけ。
つまり、恋愛経験がないと「セックスしたい」までのストッパーがほとんど働かない。だから、弱者男性に優しくした途端セックスを求められて酷い目にあった。ってことになる。
もちろん自分含め、多くの男は最初から恋愛経験あるわけないから、最初はむり目な子にアタックして振られたり、ヘンテコなアプローチして周りから冷たい目で見られたりして「ああダメなんだな」って学んでいく。
女性としての最適解としては、被害に遭いたくなければ恋愛経験薄そうな弱者男性には近づかないのが良いし、弱者男性の最適解としては見た目や体型を磨くなり、仕事頑張るなりで女性が近づきたくなるようにするしかないんよ。恋愛工学(最近は聞かなくなったね)は思想はゴミカスだけど、パートナー作るための上達法としては悲しいかな一定の正しさがあるのよ。
<追記>
ふと他の人のコメやトラバ読んでて思ったけど、十分なお金や見た目を持った強者男性でも性欲や支配欲が異常に強いタイプはレイプするわ。
権力や暴力で黙らせたり、泣き寝入りさせたりしてるケースは弱者男性より強者男性がやる。
新入生とかの立場弱い女性に漬け込んで、酒飲ませて潰して準強姦するイケメンの有名大学生の事件なんかもあったよね。
結局、男が強引にセックスに来るか来ないかは運でしかないかもなぁ。
ただ、経験の少ない男は女性のサインを勘違いしがちだから、優しくすると惚れられる可能性が高いのは間違いないよね。
そして惚れたときにアプローチの経験がないから、セクハラまがいの気持ち悪い奇行もしがちだと思う。
<追記2>
わはははは。そんな男ばっかじゃないとかのコメントがそこそこあって笑うわ。
1.女性とあまり付き合ったことがないから、自分の性欲や承認欲に正直になれない男子(年齢関係なく、あえて男子な)
アセクシャルとかどうなの?みたいなことはあるけど、性欲無いor超弱いって人はいることは全く否定しないけど、けっこう稀なケースだと思うよ。
強者男性でも、弱者男性でも、もっと極端にいうと知的障がい持ってても、女性に承認されたい=性欲なんだわ。残念ながら男は基本的に。
年取るとだいぶ弱くなって、ようやくセックス以外の関係に気づけるようになったりもするけども。
あー、あと「俺には性欲関係ない異性の友達いるぜ」って主張する男な。そもそも見た目や年齢が恋愛対象にならないか、3)か4)のところで弾かれるケースだよ。(付き合ってもうまく行かなそうな性格だったり、周りの人間関係への影響が大きすぎたり)
みたいな主張をまあまあ見るんだけど……
そりゃ、「恋愛だ!」って確定させる描写ではないことは理解できるんだが
「恋愛じゃない」ってことも確定してるとは思えない場合が結構有ってな……
そういう一言で言えない空気感だからこそ作品描写によって表現してるとも言えるわけだし
そもそも「恋愛」というものだって人対人の関係なわけだから、組み合わせによって在り方なんて千差万別であって、
本人たちの意識下で「恋愛かどうか」が判断基準になるべきだと思うんだよな
例えば肉体関係が有ったって、本人たちの定義と外れていれば恋愛ではないし、
当人たちがアセクシャルで有った場合(アセクシャルにも色々あるけど)は、ヘテロセクシャルから見て「恋愛しているような記号的表現」が無い場合でもしっかり恋愛していることってあると思う
その「本人たちの意識下」、というこちらの主観では測れない物を作品の中の描写から少しずつ拾い上げてやっと、「恋愛なのかそうじゃないのか」が判断できるのに、
「恋愛じゃない!」という発言をしている人の主張って大体「自分の考えている(今まで見てきた)恋愛に当てはまらない」というものばかりで何だかモヤモヤしてしまう
まあそうじゃない人もいるのかもしれないけど、繰り返しがっかりさせられてきてしまったんだよね
恋愛が主題の作品でなくても、登場人物たちには出来事や対峙する相手への感情ってのは当然にあるわけで。
その感情が当人の基準で、ストーリーの流れの上で恋愛に当てはまることだってあるんじゃないのか?
だって、ストーリーの盛り上がりには、強い感情が付き物だろう。
その強い感情が恋愛感情とは限らない。友情である場合も、友とは別の仲間意識である場合も、敵にしか抱けない信頼であることもある。それと同量の可能性として、恋愛感情だって存在するわけで。
そうすると、「恋愛感情だけ」を必死に可能性として排除しようとしている方が、過敏すぎる気がしてくるんだよな。
「恋愛じゃない!」の主張で枕詞的に使われてる「安易な恋愛表現」ていう文字列も、必要以上の侮蔑を感じてなんだか戸惑う。
安易ってなんなんだ……。そんなに恋愛感情を簡単でシンプルで解しやすいものだと思っているということか?
恋愛観だって友情の形だって人それぞれで、その人同士の組み合わせになったら、他のどの関係とも同じように「その関係でしか成り立たない形」になるのに……?
正確には30すぎくらいからだが、自分がセックスをせず、またこの先もセックスしなさそうなことを理解すると
そうすると、セックスはむちゃくちゃ気持ち悪いし、バカみたいなことに見えてくる。
だんだん「セックスなんかしたくない」という考えに変わってくる。(※仕方なくオナニーはする)
そんな状態で社会生活を送っていると「こいつもセックスなんてことをしてるのか」「真人間の顔して、あんなことしてるのかこいつら」と
誰を見ても嫌悪感を抱くようになる。
なるべく意識しないようにしても、ふとした機会にスイッチが入るとそういう風に考えてしまうのだ。
世の中は本当に気色悪い。変態ばかりだ。
女性に多い自称アセクシャルさんは自分が特別なんだと、どこかかっこつけた感じでアピールして割り切れるし
人によっては「世の中は私に配慮すべきだ」みたいなスタンスをとれる。
童貞おじさんはそうではない。
「負の性欲」という概念はちゃんちゃらおかしいと思うしそれを言い出した奴等は叩かれて当然だと思っているが
でも「アセクシャル」や「アロマンティック」って、意味不明さという点では「負の性欲」と同じだよなあと思う。
「負の性欲」は駄目で、アセクシャルやアロマンティックは持ち上げるというのが謎過ぎる。
恋愛感情が「ある」事の証明は出来ても、「ない」事の証明はできないよ。
アセクシャルやアロマンティックって単に人間のデフォルトの状態であってそれに特別に名前を付ける必要性を全く感じないんだよね。
人間は皆アセクシャルやアロマンティックの状態で生まれ、そのうち誰かを好きになる人もいれば一生誰も好きにならない人もいるだけという話。
アセクシャルだのアロマンティックだのって、カップル社会の欧米ならではの概念なんじゃ?
パートナーがいないのは特別な事だから、何か理由を付けて無理矢理マイノリティに繋げようっていう。
日本の場合お一人様も普通だからパートナーがいなくともそこまで変な目で見られないのにわざわざ変な名前付ける必要ないでしょ。
アセクシャルだのアロマンティックだのがマイノリティを名乗るの、ちゃんちゃらおかしいとしか思えない。
恋愛・結婚・出産出来ないのは単にモテないヘテロもそうですけれど?
何故そういう単身者全体の権利向上ではなく、自分達だけを選ばれし特別なマイノリティとして優遇される事を望む?
そりゃあアセクシャルだのアロマンティックだのは人口比で行けば少数派なのかもしれないが、それって「生まれついての金髪は少数派」「青い目は少数派」などと同じようなものでしょ
パンセクシャルだのデミセクシャルだのノンバイナリーだのが一般ヘテロとは違う感を出してても
ペアが出来れば婚姻制度使うんでしょ?女性人権的に何のプラスにもならない、
セクマイやアセクシャルへの差別制度を使う罪悪感のごまかしなのか?
…って言われても、セクマイ(レズビアンやバイセクシャル?)はともかく
アセクシャルはその分類で言うなら、一般へテロと違う感を出してるだけで何も変わらない、