はてなキーワード: ボンボンとは
パヤオは苦労知らずのボンボンだけど、別に他者の賞賛目的でアニメーターをやってはいないと思いますけど?
才能があること(天才、天才とまではいかずとも人よりも得意と言い切れること)なら、
殆んどの分野で何歳から始めても凡人に勝つので、何歳からでもいいから思い立ったその日に始めたら?
The best time to plant a tree is twenty years ago. The second-best time is now ってヤツだ
(木を植える最も良い時期は20年前だった。次に良い時期は今である)
その逆に、あまり才能がないものに関しては、何歳からやってようが才能ある人に負ける可能性は高い
でも、競争に勝てなくても三度のメシより好きなことに情熱を注ぎ続けられるなら、後悔のない自分らしい人生を送れる可能性は高い
だから、古今東西の自己啓発書は大昔から『競争に勝てる得意なこと』もしくは『特別に好きなこと』のどちらかを仕事に選ぶべきだと説いているんだね
まぁ、『わがままが許される状況下なら』って前置きはつくけどな。家族や自身の健康問題があったり、経済的に困窮してればそうもいくまいて
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
金持ち御用達の、やたらキャビアをぶっかける下品な寿司屋「鮨よし田」の店主が客を殴ろうとして炎上
↓
店に行ったことのある暇空茜と井川意高がそれぞれ店主擁護側に 井川の方がバズる
↓
暇空「俺が先によし田に言及したのに井川がパクった!なんで俺に反応しないんだ井川はヘタレのボンボン!」
井川「パクリじゃねえし。暇空はヘタレの引きこもりメンヘラ基地外統合失調クソクズ人間病院案件!」
↓
有本は以前に暇空と対談したことがある
暇空「お前のところの井川が俺にひどいことゆってきた。今深夜1時半だけど俺とスペースして井川のこと釈明しろ」
深夜1時半に暇空と有本のスペース開始
↓
暇空「井川井川国賠国賠国賠ジャニーズジャニーズ堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口」
有本「流石。知らなかった。すごいね。センスあるね。そうなんだ~(母性)」
暇空「えへ~ばぶ~」
有本「そろそろ寝ようかな」
暇空「堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口堀口」
早朝4時過ぎにようやくスペース終了
『イージーライダー』を観た。
ニューシネマの代表と名高くて破滅的な青春の話だと思っていたけれど、どちらかと言えばニコルソン曰く自由を語りながら自由を恐れる時代に捻じ伏せられた若者の話って感じだった。
プッシャーやって得た金でイージーライダーを始めて、時計を投げ捨てるのがかっこよかった。
パンク修理で寄った家の"L.A"も伝わらない主人に「田舎に根を下ろしたんだな」と含みありげに語る主人公は逃げ場を求める気持ちを感じさせた。
ヒッピー集落では、はぐれ者同士身を寄せ合ってみても砂地じゃ食べ物にも困るような逃げ場の無さをほんのりと感じた。切迫した生活での信仰の頼りなさだとか、無知に生きる気楽さとか世知辛さとかも。
街へ出ていきなり逮捕されて出会ったニコルソンはボンボン風で人が良い。自由の体現者につられて、マリファナにビビったりはしつつ自分も口先で語るだけではない自由に飛び込んでみるのが冒険という感じがした。
立ち寄った食堂では主人公達に憧れる若者もいれば、怪訝な目でジロジロ見たり罵声を浴びせる保守的な連中もいて、結局そいつらにニコルソンが殺されてしまうのが辛い。
お通夜ムードで娼館に行って、謝肉祭に繰り出してグッチャグチャになる辺りはよう分からんかった。「神が不在なら発明する必要がある」はなんか印象的だった。
ラストの突き放すような呆気なさと虚しく響くエンディングは嫌いじゃない。
場面転換や謝肉祭のシーンに挟まれる謎のモンタージュが印象的だった。
作中で語られる"自由"はよくアメリカのそれと言われる"liberty"じゃなく"freedom"なんだな。
自由とは責任であり、自由とは不断の努力であり……とかそういうありきたりなの抜きで、おれもなんの束縛もしがらみもない自由を味わってみてえよ。たとえ世知辛くても……
アニオタWikiを見てたら、どこをどう行ったのか、伝説の92のページに行って、ゲラゲラ笑ってたんだけど、割と近くにも同じような人がいた。
うちの母方の親戚に、よっぽどポシャらなければ資産運用だけで永久に楽に生きていけるくらいの実家が太くて、
しかも本人も県職員をやってる超勝ち組の旦那を捕まえた人がいたんだけど、専業主婦で子供3人作ったところで無職の男に捕まって浮気。
浮気がばれたら、浮気するまで私を追い詰めた旦那が悪いと切れて、子供にも旦那の悪口を吹き込んで、女4人で旦那いじめをはじめたんだそう。
旦那が世間知らずのボンボンだったのをいいことに、自分は弁護士やとって旦那を一方的に悪者にして、
マンション一つと多額の慰謝料と養育費の権利をぶんどって離婚。
無職男と結婚して、マンション運用と慰謝料を元にした資産運用で遊び呆ける生活を送ったそうな。
嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。
兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。
子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。
うちの子ども(小学校の中学年)が兄の部屋から、ストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。
『聖闘士星矢』だった。よりにもよって。
当方、暴力的なコンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代は暴力的なコンテンツを子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画やアニメも選んできたつもりだ。
ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダーの時間はニュース番組に切り替える。
いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分が小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフの那智が鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。
今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。
その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。
子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。
その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢が有害なコンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉の仕事をしてるんだろ。こんな暴力的なものを子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。
妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である。
それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。
「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」
みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画が流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカの必殺技だった。
いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。
でも、小学生の頃の自分はたしか、10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河が師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。
当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまりに鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。
今の時代って、昔に比べれば人権が尊重される時代だろう。だったら、これからの時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。
具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治の思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。
漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。
あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画で高橋邦子のゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザの接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子の作品群は、基本的に反人権である。現代社会に生きる子どもに見せたくない。
そりゃあさ、あれらは高橋邦子が中学生~高校生くらいの時に作った作品だから、アンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがないかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品を創造してるよ。あの人なら。たぶん。
時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である。
あの時代だと、世間の往来では暴力を行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああいう作品が流行るのもわかる。
しかし、今は人権と多様性の時代である。暴力的なコンテンツは流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。
しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。
一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線か中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である。
あまりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレどもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的に半グレ達の前を通ることになる。
迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客に視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。
いつの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性がにらみ合いになっていた。視線をバチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。
私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。
二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかわからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。
「やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。
「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應のボンボン学生にはいい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」
といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。
※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。
東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし、漫画やアニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。
いまだって、ある程度の階級なら丁稚奉公させるだろ。都会・地方限らず。
そこそこの上場企業ならいくらでもボンボンの息子・娘入っとるの知らんのか。
きちんとした会社なら、そいつらをまともな人間になるよう厳しく育て上げてから、家業に戻らせたりしているわけだろ。
別に金持ちじゃなくたっていいが、コネで仕事紹介したりなんていくらでもある。
ある程度の歴史あるまともな住宅街なら地域の交流コミュニティあるけど。
あと干渉に対する考え方自体が、典型的郊外のニュータウン思想って感じ。
そういう人間が子育てをすれば醜く歪んでいくのもさもありなん。
そもそも親の一人か二人だけで、社会性を教えられるわけないだろ。
社会の本質が自分とは異質な人間とのコミュニケーションであって
もちろん、その環境を変えたり整えたりする役目は親にもあるさ。
外国人観光客の増加によって宿泊費は高騰している…というのは置いておいて
4人で行ったらええやん、ってのは無粋だろうけれど
自分ひとりを考えるのなら予定が合わなくなったで飛んで、次から4人で行こうが正解だろうか。
自分もまあまあのボンボンでそこそこの小市民的贅沢の経験は何度かあるものの
社会人になってからそういう金の使い方はしていないし、稼げるようになってからもそう。
まともな金持ちは、コミュニティごとに金銭感覚のペルソナを切り替える。
例えばゴルフ。
20代の若手と行くのなら河川敷やショートコースで5千円くらいに抑える。車も出す。
30前後で車もあるのなら、住んでいる場所を基準にして1.5万くらいで。
40~50歳でお金も車もあるのなら、話題に上るような名コースで3万くらいにする。
あらゆる分野の松竹梅を把握していて、メンバーによって環境も思考も言葉遣いも切り替えていく。
こういったコトを理解していないのは、公立の小~高(どこか3年間程度でも)に通っていないか
または、ある程度の地域多様性があるそこそこの規模の大学(旧帝大、早慶あたり)
基本的には自分の考えの整理と振り返りに使っているけど、ブクマカやブクマカ兼ねてそうな増田を年単位で見て非常に得るものはありました
ただ、2番においてはまだ、気付きのまとめが終わっていない。これはワイではなく、別の増田の投稿なんですけどね
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている
これは 1000000000%、それはそう
通貨が弱く、教育システムや医療体制も不十分な国から出てきたエリートや準エリート、またはスラム街からのし上がった人々にとって、先進国の人間の直面する問題なんて甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
同じ先進国の人間でも、呼吸する、歩く、座る、食べる、うんこする、寝る、じっとする からして困難な人たちからしたら、それらの困難を持っていない人の直面する問題など甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、
身体的・精神的な困難を抱えていない人であっても、居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)の当事者に近い環境に身を置く人はいるだろうし、
殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常なのはまぁまぁしんどいし、
ネグレクト・機能不全家庭でなくても、教育DVや暴言が日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない
まぁそれでも新たに上がっている『めちゃくちゃ叩かれてるビリギャルの擁護?を少しだけ(https://anond.hatelabo.jp/20240310181641#)』では、
ボンボン(持てる側) の 甘え や 傲慢が叩かれてるんだよね
やっぱ、甘やかされた裕福な家庭の子どもたちが、自分の人生が大変だと嘆いたり、傲慢な教育論はいてるのを見ると、
呆れたり、バカなの?ってなるの、どうしたって一般的な感覚だと思うんですよね。だって、エクイティ(Equity)や共通善と反してるから
(ただ、厳しい環境に身を置くと〜の話を書いた時、先進国の特別な困難も無さそうな人たちが『生存者バイアスだ!』とキレてましたよね?自分を棚上げ?😒とは思わんでもない)
やりたくないことをしない選択、他人にそれを強制しない選択は、他者を受け入れる態度と関連している
でもなんやかんやとやらないといけない事は現実問題としてある。そして、エクイティや共通善に反する持てる者(能力主義)の傲慢
暇な時に考えてそろそろ3ヶ月くらい経つけどなかなかまとまらない
- まともな人が多くても、全ての人が同じ期待に応えるわけではない。期待し過ぎないようにすることが大切である。
- 能力や生まれつきの条件は運に左右される。凶悪犯罪者でない限り、力になりたいと思うが、生活に困っていない人々に同情する必要を感じない。
- 自己責任論を突き詰めると、すべてが本人の責任になるが、それを受け入れることは難しい。自己責任論者は自己中心的だと感じる。
4. 困難な状況への理解:
- 先進国の人々も、困難な状況や悲劇に直面することがある。ただし、他の人の問題に共感すると同時に、エクイティや共通善に反する傲慢な態度には注意が必要。
- 持てる者が傲慢な態度を持つことはエクイティや共通善に反しており、これには批判的な態度をもつべきである。
- 甘えや傲慢な態度が叩かれることは、エクイティや共通善に基づく考え方と一致している。厳しい環境に身を置く話については、「生存者バイアス」の意見もあったが、これには異論もある。
7. やりたくないことをしない選択と他者への受け入れと現実問題:
- やりたくないことをしない・させない選択は大切だが、同時に現実問題としてやらなければならないことも存在する。他者を尊重し受け入れる態度とバランスが求められる。
知らんかった、ビリギャルって30台後半なのか。2013年頃の本だから、勝手に20代なのかと思ってたわ(未読)
ボンボンの女は本当にダメだな。男だとまだぶん殴って分からせるみたいなイベントに遭遇することがあるけど、女だと肉体的にも精神的にもヨシヨシされる一方だから本当にどうしようもない人間に育つケースが多いよね。
大金持ち・小金持ちの甘やかされたお嬢ちゃん・お坊ちゃんはべつにどっちも同じやろって思うが、
こういう甘やかされたボンボンの『教育論』、親のプライベートジェットでお出かけするネポベイビーの『人生大変🥺ぴえん』見たら、
やっぱ、『甘え』『これだからボンボンソシオパスは』以外の感情はでないよねって思う