はてなキーワード: ダウナーとは
先日テレビで「うつっぽい原因が貧血の場合もある」と言っていたのを見て、自分もそうなのかもと思っているわけです。
うつ、まで行かないけどやる気がなくて何にもしたくなくて仕事もしてないのに家のこともしたくない、何にも考えたくない、みたいになってきちゃって
1日15分くらいの筋トレも2か月続けたのに成果が一向に現れなくてホントやる気がしなくなっちゃって。
ダメ人間なのはわかっているつもりだったけどここまでどうしようもない人間なんて世の中にいるんだろーか
でも理由があるなら万事おっけーですよね。
そのテレビでもりくみが「貧血なら薬飲めば治るし」って言ってたのでマスチゲンS錠を飲み始めました。
巨大掲示板の貧血スレにも「貧血が治ったら人生が楽になる」って書いてあったし。
その日の午前中はテンション高くなっちゃって普段しやしないところまで掃除して
「やっぱり貧血だったのかな急に治るのかなモリクミばんざい」って思ってたんですけど午後になってペースダウン、
翌日は日中寝て過ごすというダウナーぶり。
あれから2週間たったんですけど、この1週間は昼寝してません。
あと昨日から筋トレできるようになって、いままでキツイって思ったのにその感情が薄れてきました。
貧血なら病院池って言われると思うんですけど、病院も外れると行かなかったときよりダメージでかいし何より行きたくないので市販薬飲んでますけど
もっと劇的に効果でそうな処方薬ほしい。処方箋ないと買えないんですねえ
地元に血液内科があるようなのですが、血液内科ってなに?何か気になったら行こうと思いました。
でもマスチゲンを1日4~5錠飲んでるだけで便がまっくろになるので一応余剰鉄分があるのだなと思い
さっき、 Twitter で、今まですごくよく仲良くしてくれてたアカウントの人が私のアカウントを Unfollow してたのを知った。ついにこのときがきた!
そのアカウントの人の Post は私にとって面白くて、いつも流れてくるのをとても楽しみにしてる。今もね。だから先方がこちらのアカウントを Follow して、そのうちに会話のようなことができるようになってからは、より楽しく、面白かった。
なのに今の私は、先方に Unfollow されて、なんだかとてもすっきりしてしまった。かなり気分がいい。別にストレスなんかなかった。相手を煙たく思ったり嫌ったりしてもいなかった。どうして Unfollow されたかは、前後の Post から自分でいくつか予想が立てられる気がする。
まあそれはそれとして、「すっきり」の正体。私は自分をよく見られるのが苦手で、どちらかといえば、自分とは合わないけどまあ在り方としては認めてくれる、っていうひとじゃないと長く仲良くやっていくのが難しいんだけど、そういうところもひとつの原因かなあ。自分のことをあまり良いほうにとらえてもらう状態は不安になるんだよな。仲良くなっていくほど。ひいき目を疑いだすから。だからどれくらい、だめなほう、きたないほう、相手と意見や態度が合わないほうの自分を見せても許容できるのかを気にしてしまう。
だから Twitter でも、単に趣味が合いそうってことから入ったときに、変に良いほうに解釈されたくないので、できるだけ、楽しいことと好きなことへの Post に釣り合わせるくらいに、素の自分のダウナーなところや気の短いところや卑怯なところも書くようにしてる(弱点は一切書かないが)。 Twitter 自体は、誰かとのコミュニケーションよりも、自分の内面や感じてきたものたちをどこかに遺しておきたいって目的で、何年も前から Post してやってきてる(Twitter は遺すというよりどんどん流れるけどな)。だから、自分の心の琴線に触れるような Post をしているアカウントほど、相手への Reply をめったにしなかったり、何かに駆られる気持ちになっても、自分の Post で口をはさまないように気をつけてる。
私がすっきりしてしまったのは、相手がどちらだったかはっきりしたような感じと、今は見られてない、って思ったら、「これでまた心置きなく自分のこと遺しができるじゃねーか!」みたいな感じなのだろう(笑)。許容されたらされたでうれしいし、されないならスパっとそのようにしてもらったほうが、許容できないものを、いま目の前に縁があるから、惜しいからってずるずるするより全然いい。そんなんでずるずる続ける縁にお互い良いことないだろうし、この形限りでないその人とのご縁の可能性に目をやるほうがよっぽどいい。例えるなら「こいつとゲームしても全然楽しくないけど、こいつとの散歩はめっちゃ楽しい」とかそんなところ。ただ、相手が違う糸の可能性に目を向けなかったら、ほんとにこれきりだなあ……(笑)。ああ~、これきりかもしれない可能性を思うとちょっとさみしいな。
(本当は自分のダイアリとかにこれを書きたかった。でもちょっとあんまりな感じだし、相手に失礼にあたりそうなので……ていうかすっきりて表現がよくない感じ……。そのうち堂々と自分のダイアリに書きたいなあ)
2年ほど前に大学時代から数えて10年以上付合いのある先輩が鬱病になった。激務が原因。アニメ製作業界の大変さ具合についてちょいちょい話を聞かされていたので、さもありなんと、仲間内でもその結果についてはそれなりに腹落ちした。
とはいえ、自分等の仲間からそんな楽しくない感じに精神を病んじゃった人間が産出されるのは許しがたいのです。誰一人として直接に心配だよね的な言い回しはしませんが、飲む機会がある度に声を掛ける事は忘れないようにしてましたし、本人も心の調子に合わせて可能な限り参加していた。
ある飲み会で関西出身の空気を読まない男がストレートに「なんか元気ないやん」と問いかけてしまった。鬱だという事を知らなかったから。うわーおもしろいー!「……ちょっと教えてやって」「この人ねー、鬱になっちゃったんだよ!」「ホンマに!?なんでなんで?」その聞き方は無いわ。で、酔いも手伝って悪ふざけに発展。
「頑張ってくださいよ」
「なんでそんなことになったん」
「しっかりしろ」
「気合いでなんとかしてくださいよ」
等と激詰め。ほがらかに励ますとかじゃなくて、全然悪意が混ざってる。
その後も年末の旅行に連れ出してみたり、電話したらえらいダウナーで頭に来たので呼び出して漫画を買うのに付き合わせたりしたんですが、去年の秋口には通院を終えた。大体1年ちょいくらいか。今では転職もしてほどよくやっている。
私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。
幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。
ふつうの精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。
少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。
私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。
私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅のジョイナス地下駐車場は英語でブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。
ある日TVで英語教室のCMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。
しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。
そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系でエリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。
ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
何ここ何が起きるの?
幼いながらも恐怖した。
部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。
父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。
しかし、だ。
それは遅すぎた。
小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。
それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。
その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車でダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。
初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文の講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。
それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。
公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文で勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。
一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。
高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤で卒業式の時に表彰されメダルを貰った。
なんというか極端だな・・・と。
しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。
高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。
図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休みと放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。
この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。
しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。
高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験も視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。
私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。
地域ではマイナーな予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。
予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストでダイレクトにアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。
今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。
高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。
がんばった者とがんばらなかった者
逃げなかった者と逃げた者
大学受験--
無論私はボロボロだった。無惨だった。
センター試験で自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。
死を覚悟した。
一般入試が始まった。
私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学の化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学を受験した。
結果。補欠合格。
はは、引っかかちゃった。
当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。
でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。
だって・・・「努力したのかい?」
大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。
大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。
しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。
偏屈で有名だった生物化学の教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。
何かが壊れた。
大学2年。目標の生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理の概念が入って手に負えなくなってきた。
苦痛になると訪れる甘い囁き
「逃げちまえよ」
それにあがらえる訳がなかった。
初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。
その差は歴然と表れる。
いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。
背中に火を付けられたような感じがした。
兎に角焦った。
焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした
「ニゲチャイナヨ」
でも逃げると今度は留年だ。
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。
不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。
ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。
真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。
次の年の春。私は留年した。
その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と
ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。
がんばるから、がんばるから
この時はそれで何とかなった。
留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。
唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。
翌年、再び私は留年した。
二度目の父との対話。
今度はなかった。
そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりもニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。
ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社の研究所に拾われた。
そこは農薬を作っている会社の研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。
でも、せっかく化学のバックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。
とっさだった。とっさに私はこう言った。
何でこう言ったのか今では判らない。
しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所の助手で採用してくれることになった。
運が良かった。
研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。
「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。
本気にしてがんばろうと思った。
でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。
入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。
「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。
すんげぇイヤな奴だった。
京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。
正直あんまり関わりたくなかった。
なんでだろうって。
殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退でバイト。この差はなに?
それがずっとこびりついて離れなかった。
それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。
「苦痛」だった。
とにかくとにかく苦痛だった。
また別の日、通勤のバスに乗っていると不思議なことが起こった。
降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロニゲロ」って告げてくる。
そして降りるべき停留所が来た。
降りられなかった。
こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。
その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。
それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。
さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。
怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと
「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」
と言われた。
その日早退し精神科を探した。
小さなクリニックで老医師がこう言った。
「そりゃウツだ」
そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。
ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。
それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。
「大切な話があるから明日は必ず来るように」
と
翌日。何とか私は出社した。
そのまま会議室に連れて行かれた。
そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。
「単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」
総務部長がそう言った。
あぁ、クビか。
後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。
どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。
朝起きて家を出ることはできるけど電車やバスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロニゲロ」と
そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。
最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。
職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。
ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。
朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロニゲロ」という囁きが頭を支配する。
精神科にはもう6年かかっている。
はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬、睡眠薬まで貰って飲んでいる。
挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。
ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と
最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。
結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。
「苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。
おそらくこれは正しい。
正しいことは判ったが対策がわからない。
生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?
そもそも私の病気は何だ?
精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。
年々悪化しているこの「現象」
いったいこれは何なんだ?
どうしたら治るんだ?
どうしたら社会的な生活を送れるんだ?
だれか、教えてほしい
常にダウナー系postしかしない奴も同類な。
「あーめんどくせー」とか「時間がたりねー」とか。
読んだこちらとしては「ふーん、で?」っていう内容しかない。
それだけならまだしも、目に入るとこっちも引きずられて気が滅入る。
あまりにもうぜぇからフォローやめたら、
「フォロー切られたみたいなんですがなんでですかね? バグですかね?」
って聞かれてまいった。
バグ以外にフォロー切られる心当たりが無いってこと?
「お前のTweetがうぜぇんだ」
って直接言われたら流石に傷つくと思うんだけど、
そういう答えが返ってくるって思いもしないのかな?
うーんなんだろ。わざと持ってないものを出すのではなくて自分が持ってるもののなかから感情的な部分を多めに出していくってことだからそんなに恥ずかしくもないよ。親しくなりたい人(男女関係なく)には率直な部分を出そうと思うし、そうした方があとあと自分を取り繕わなくていいから楽だって気付いた感じ。
ってか思ったんだけど増田ツンデレなんじゃね?w感情は素直に表現した方が楽だよー
私も結構過去はやばい(らしい)が、とりあえず問題は一人で対処する癖がついてるのと、基本的にダウナーすぎるわりにはいうことやることは陽気すぎるうえに、やばいことをやばい、しんどいことをしんどいとあんま思ってないらしくてその辺逆に心配されて、それが重くてうまくいかなかったということはあるかなぁ。かわいそうがられたいわけじゃないんだよね。過去は過去だし。
増田にもいい人現れるといいねー。
病院に行った。もうだいぶなれてきた病室でいつものようにややなれた感じで先生と話をした。先生の寝癖がやけに気になった。口に出して言いたかったけどやめた。昔からそうなんだ、眉毛太いとか鼻毛でてるとかすぐ口に出してしまう。
どうですかと言われて困る。
先週からひどかった。死にたい日の方が多かった。多すぎてもう何も感じなくなってる。あれ?死にたいって何だっけ?みたいな。だからどうですかといわれてどうだったっけと考えてしまった。あれ?元気じゃね?死にたいって思ってなくね?
でも実際にはずっとうつむいて歩いていたりするのだ。
とりあえず寝る時間が長すぎることと異様にいらいらすること集中力がないことを告げる。
気分の落ち込みなどはといわれておもわず特に……と答えてしまう。いつもダウナーだから特に下がってはない。あがってもない。間違ったことをいってるわけじゃない。この気持ちをどうやって表現したらいいかわからない。そして難しい顔をされる。笑う。
いつもと同じ薬。血液検査の結果。コレステロール値で思い出して異様に食欲がなく、食事をすると必ず気持ち悪くなることを告げる。ますます難しい顔をされる。どうしたもんですかねーと。今日はちょっと急には手段が思いつかないですねぇ、ごめんなさいって。言われた。そうなのかと思った。
何でここに来てるのか時々わからなくなる。飲み忘れた薬が少しずつたまっていく。
今日また56錠。いくつのみ忘れるだろうか。最近は寝る前後は前後不覚なほど朦朧としているのでだいたい飲み忘れるから半分として約30錠。こつこつと貯めて今100錠を超えた気がする。処方されてる薬で中毒になるとどういう症状が出るかは詳しく聞いた。一気に飲んだら多分中毒症状で死ねるはずだ。たまった錠剤をみて時々考えてる。甘い薬だったらきっとお菓子みたいにあっという間に食べちゃうのにな。
何のために通ってるんだろう。そうか、死ぬ手段を準備するためか。
たった一人だけ、声を殺して泣くだろう人の顔が思い浮かぶから思いとどまってる。
ごめんね。今は死にたいっていう気持ちがないと死んじゃう気がするんだ。錠剤の山がないと落ち着かないんだ。いつでも死ねると思うから今日生きていけるんだ。薬があると思うからほかの自殺手段を考えないんだ。それでもじりじりと電車に呼ばれるような感覚があってそのたびに君の手を握りしめるんだ。きっと治るから、治るから、治るから、だから待ってて。先生にほんとのこといわなくちゃ。
新社会人なのだけど、ひょっとしたら社会にむいていないのだろうか。
しかし、親の老後の為にがんばらねば。
http://anond.hatelabo.jp/20080603225247
お酒はもうやめたので……。というか、ダウナーに作用するので飲むとダメな思考に走りそうです。
http://anond.hatelabo.jp/20080603215328
事情があって、気軽に話せる人がいないのです。
テレビにしてみた。猿可愛い。
批判すべきはたいてい自分な件。それか運命か定めとして諦めるべきこと。
うん。それが仏教の本質じゃないかな。
と極東ブログ: チベット的癒しの話を読んでさっき思ってたことだ。何か悲惨があったとき(それがありふれた病や死でも、当人と家族にとっては悲惨だ)、その原因を特定し排除しようとするのが現代的・科学的な−−ひいては全てを第一原因に求めるキリスト教的な?−−考え方だ。そのためにデモをするし、虐殺をするし、抗生物質を作り出す。
ここでジョークをひとつ
筋金入りの無神論者は言った
「これまでの信念を曲げて、神を信じたくなるときがたまにある。
自分ではどうしようもない不幸が我が身に襲いかかってきたときだ
でも仏教はそうじゃない。降りかかる悲惨/幸福の原因を、『因果』『業』というイマジナリーナンバーに求める。そして諦める。あるいは供養する。それはパッと見はすごく後ろ向きでダウナーで怠け者の考え方だけど、共同体というマスで見たとき、あるいは時間軸に重ねて人生という単位で見たとき、有効な場合もあるんじゃないだろうか。とか“全てに原因を見出せる病”こと陰謀論の人たちを見て思うこともある。うん、「陰謀論」こそが「科学的思考」のヒルコだよね。
って一方で
誰もがそう考えてるなら、チベット問題なんかあっという間に解決だな。
もまたある意味正しい。もし、本当に字義的な意味で「誰もがそう考えて」いたとしても、それだけでは虐殺は無くならないだろう。なぜなら「自分は『批判すべきは自分だ』と考えている。しかしそこにいる見知らぬ他人はどうだろう?」という不安・恐怖は、偽装不能のテレパシー能力か、個人が全ての人間と1対1で対話できる高度な情報処理能力と情報網が開発されない限り、排除しきれないからだ。
悲しきナッシュ均衡。
そう。ゲームはたとえ対戦相手が実際には存在しなくても成立するんだね。そしてそこからは「3人寄れば党派政治がはじまる」だ。こわいよおにも通じる話。
(自分の知らないことだけ書いたので偏りまくりです)
※ダウナー系・アッパー系という言葉は参考程度で。セッティングと本人の性向や気分にもよるので、まったくあてにならない。書いている増田は大概どれを飲んでもダウナーにしかならない。ただ、ネタとしてカテゴライズするのは面白いので残す。
タバコ・ブランド「KOOL」くのだけのことかもしれない。だが、あのとき的な手続きが隠されているのである。
わたしは、妙な安心
う??ん・・・悪くないけどGONZO人々が訪れた。ダレンは、アッパーな展開ながらも、いつもよりディープなトラックをセレクト。途中、キャノン砲とレーザーの空間演出で、さらに観客たちを高揚させていた。続くダブファイヤの人気PCゲーム『めがちゅ!』より、女神3姉妹のサポートする「DIMENSION K」が豪華DJを招聘し、ビッグ・パーティーを開催。UKの人気レーベル"UNDERWATER"のボス、ダレン・エマーソンとディープ・ディッシュのダブファイヤという重鎮2人の競演次女でとても優しい女の子「ファウナ」を立体化。
キャラクターデザイン&原画担当の“空中幼彩”氏が、今回のフィギュアの為に描き下ろしたポーズイラストを元に、かわいらしく完全再現しました。
ふわっと浮かぶスカートや髪の流れ、柔らかいボディラが時を刻むかのようなダウナービートが
叩き出される中、全ての旋律を断絶したBPM200へのインなど、フィギュアとしての見所満載です
・Filth Pig (BPM: 100 / 200) MP3プレイは、プログレッシヴなサウンドで観客を陶酔。デコレーションと先端のサウンドが化学反応をおこし、「DIMENSION K」らしい壮大な空間となった。
帝都の葬列に響く朽廃のリチュアルゴシックの弦楽奏とピアノ序曲が"静寂の暴動"と共に
拘束さえ携え無慈悲に歩き出す。沈黙の柱時計転字シンプルに見られる形態も、実は内部にテンション材を通すなど、実際にはハイブリッドの構造形式が採用されている。素朴に見えながらも、決してナイーブではなく、そこにはきわめて知そして主力技。
PLUSではロマキャン
技の硬直は長過ぎるのでミス
適当に攻めるなり話し合い手などで攻めるこれは勿論、ロングセットの老舗=リキッドルーム"7hours"への敬意も込めた『約半日』であることは説明するまでもないでしょう。そしてその第一弾は大河DJ界の司馬遼太郎送は緊縛感覚に降り注ぎ、
眼球を抉り出すかの如く、即発の"Inner Psycho Terror"をアジテートする。
しませてもらった、の悪い癖が出てる気がするなぁ。
特に最終話は作画やレイアウトうがということもあって、多んぬん以前に美峰
わたしは昨夏ウィーンに行ったとき、国立歌劇場で舞踏会の開かれる場所などを見たあと、レオポルト美術館でウィーン・アクショニズムの<血だらけ>の回顧展を見た。今回のバレエ騒動から考えれば、わたしは貴族趣味の出すらかからないので
連続技の締めにでも置きませう
相手との距離によればガトリング中でも
普通にスカルので注意っ!! 来レースを楽背景アニメですか?とか思ったり。
思い出してみれば屋内は結構いいかげんといとれば反撃必至!
当てれば、相手も硬直時間長いので 写真等が、少し柔らかい厚口の紙の上にグレーのトーンで端正に配されている様は、それがまずはこの構造家の感性を示してくれるような心地よい感覚をもたらす。一方、一見きわめてうか普通なんだけど、屋外は妙に気合が入っているというか美峰っぽすぎ。一話からしてアクションとかもあるけどサンフランシスコっぽい背景とかの方が印象に残ってるからなぁ。
いつのまにか監督が2人いたり絵コンテも2人いる回が多かったような。
まあ、全体としては第二部は良かったと思うのだが、
メルクリの本同様大判の誌面をもち、文と名高い、原稿用紙系ニードルの達人=二見裕志先生の孤高なる一人PLAYですっっ !!!!!!!!!!!!!!!!。みなさん!シャンパンと枝折りとハンカチのご用意をっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!。(宇川直宏)
XXでは青キャンまでかかるようになった準備!