はてなキーワード: い組とは
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
車両中ほどが空いているにもかかわらず、手前で立ち止まる乗客の存在だ。
彼らは自らが車両中ほどに行くことを頑なに拒むばかりか、他の乗客が中ほどに進むことを阻む。
私は彼らを「蓋」と呼んでいる。
黒の完全ワイヤレスイヤホンを装着しており、ノイズキャンセリング機能のためか他人の声に決して反応しない。
不思議なことに、「蓋」は近くの駅で降りるわけではない。
長い距離を乗り続け、その間、周囲の乗客たちの動きを制限しているのだ。
私は違和感を覚えた。
これは単なるマナーの悪さではない。
何か意図があるのか?
次第に疑念が募っていく。
「蓋」は本当に単なる通勤者なのか。
それとも都内の公共交通機関に何らかの影響を与えたい組織の一員。
あるいは都民の生活に不快なものにする意志を持つ秘密結社なのではないか。
その謎を解明すべく私は京浜東北線の奥地へと向かった――。
・オッペンハイマーの時も思ったけど第二次世界大戦の時の流れ+共産党とかのくだりもわかってないと十二分についてけないやつやこれ
・黒背景で男2人が深刻そうな顔して意味深なタイトルが付いてるミニシアター系映画ポスターならとりあえず観に行くチョロい己よ
・観る前予想→渋おじさんとイケメン青年が対立組織か仲間の工作員(スパイ)でどっちかがあの美女と薄暗Sexy描写控えめ湿度高めのLOVE展開とかで情報抜き取り取られ組織に渡す渡さない組織への忠誠心〜戦時中の歴史に翻弄される秘密組織での薄暗利益損得男男クソデカ感情ノワールもの
・観た後→よくわかんなかった…渋おじさんとイケメン青年そんなに絡まんかったし クソデカ感情の台風の目は美女オンリーやった… なんかスパイ諜報活動というより会食会食会食独占欲暴力会食会食 戦争おわり イケメン で終わった
・「(日本食は)慣れなくて」「じゃあこれから慣れなきゃな(これからも支配してくから日本食との付き合い長くなるぞ)」の日本悪描写として秀逸〜ってなった こうトイレを綺麗に使ってくださってありがとうございますの圧を感じさせる日本的な嫌な感じ出てた
・op初っ端で無音黒背景でスタッフ名漢字が画面いっぱいに出た5分弱の「え?何?」的な劇場の空気 これは貴重な体験やった 中国語って時点でカッコいいからズルいぜ
・NOと言える芸子さん
・一番好感を持ったのは日本軍のそこそこ偉そうな立場の人 というかこの人だけブレずに終始「戦争中の物語」をやっとったから好感を持てた
・まさかの犬映画…?と思ったらそんな事はなかったぜ なんとか大統領かわいい エンドクレジットにも「小柴」みたく書いてあってかわいい
加害者としてド畜生な事するのは被害者側視点で作られた映画だからなのはわかるし
仲間内の羊料理のシーンで腹を割って会話して「お前らのこと忘れない」って会話してたり
加害者側で描写しても「人間」のいいところ悪いところ両方書くのはクオリティ高いゾ〜ってなった
・日本軍の自転車シーンで「また俺の(自転車だけ)かよ!」はおもろかった なんかあそこだけ謎のほのぼの感ある そこも「悪い奴らにもそういう一面が」感あってよかった
そこそこ偉い日本軍人が役の人の日本語は8,9割聞き取れたけどモブ日本軍とかイケメン青年の日本語はたまに聞き取れない時あった 音が繫がっちゃってどういう単語を言ってるのか聞き取れなかった
でも日本軍のそこそこ偉い人は日本人俳優さんだったから中国中心で活動してるとかそういう人なのかな
・日本軍のそこそこ偉い人、もっとえげつない に方をしてザマァ的な展開のやつかと思った あの日の丸屏風に をぶちまけるとか荒ぶりドッグにかぶりつかれるとか
・そんなお高貴な血筋の方をお亡くなりになるリスク高い現場によこすか?
・不穏な聴取シーンからパン?して「おっと裾に1滴返り血が」はカッケェ〜しびぃ〜ってなった
・イケメン青年の尋問シーンで「なんでそんな血が飛び散るとわかりきっているのにそんなに仕立ての良さそうなスーツをお召すんですの…?でも返り値に濡れる美青年がドチャクソSexyだからヨシ!」ってなった
・「偶然」ピンポイントで新聞記事が床に落ちてたり委任状がデスクに無防備に置いてあったりスパイものの割になんかガバいねん
日本韓国とちょっと違う種類の「美しさ」で新鮮だった ケイトの東京飲茶シリーズのレベル100イエベって感じ
・なんで美女生きてるん?
・2/3辺りから「攻めの嫉妬から来る激情に萌える癖を持つちょっと歴史に詳しいタイプの人が書いたハーレー・クイン小説かな?」みたいな展開か始まり主人公が渋おじさんからいきなりイケメン青年に代わり「?」ってなってる間になんか「あーここで序盤のシーン回収する感じね!回収されても分からん!」ってなった
増田が勤めている会社は産休、育休、介護休暇や傷病休暇にも理解があり、良い組織だと思う。
ただ、産休育休を取得するほとんどの女性社員は、第一子の育休明けには第二子を妊娠していて2ヶ月も働かないうちにまた産休育休に入る。そして時短復帰すると半年程度働いて義理を果たしたというように辞める。
そのような選択が今後の女性の採用や女性管理職の登用に二の足を踏ませるのでは、と彼女たちは一度でも考えただろうか?と思う時がある。
増田は管理職なのでたまに面接もする。同じレベルの大学を卒業している学生の場合、男女で比較すると女子学生の方がエントリーシートも面接の対応も優れていることが多い。
それでも会社の人事部は男女同数ないし男子学生を多く採用する。大きな声では言えないが、女子社員は産休後に辞めるからだ。
時短、リモートワーク、半休制度、フレックス制度、どんなに整えても辞める。
増田は2011年に大学を卒業した。子供の頃は「団塊の世代が大量退職する頃に就職する世代なので、就職は簡単」と言われていたけれど、リーマン・ショック、その後は東日本大震災もあり内定取消や自宅待機があった世代だ。
就職活動は大変だった。就職活動する上で、女性差別にも直面した。
だから仕事を頑張ろう、女性だからと思われないように成果を出そう、私の力は小さいけれど、後の女性たちが少しでも生きやすい社会にしたい。
そう思って仕事に打ち込んだ。成果主義の会社なので、数年で管理職になれた。
子供も産んだが産後2ヶ月半でフルタイム復帰した。夫婦で話し合い、保育園に入所出来るまで夫が育休を取ることにした。
今は男性育休制度も取りやすい制度設計になっている。でも、辞めていく女子社員の夫たちは子供が何人産まれても育休は取らないし、もちろん時短も取らない。話を聞くと、そもそもどちらが育休をとるかなんて相談すらしないらしい。
これでは女性が生きにくい社会のままだなと思う。身近な夫とも今後のキャリアのことを相談しない。盲目的に前時代的な生き方を選んでいる。
そして経済力を手放す。相手がモラハラDV野郎でも離婚できない。
やっと離婚できた、再就職しかないというときにはパートしかない。女性差別だと嘆く。
先人たちの声や努力のおかげで、いまの私達には様々な選択肢がある。
世界中の企業は、毎日多くの課題に直面しています。 これらの課題は、運用、販売、マーケティングなど、いくつかの運用ドメインにまたがる可能性があります。 米国労働統計局 (BLS) のデータによると、1990 年代以降、新しい組織の約 20% が開設されてから最初の 2 年間は運営されていませんでした。 最初の 5 年と 10 年の間に、約 43% と 67% の企業が物事を進めることができませんでした。
市場調査とは何ですか?
市場調査は、企業の競合、市場、およびターゲット ユーザーに関する情報を収集するための必須のプロセスです。 これは、健全な意思決定のためにデータを取得、調査、解明する体系的なプロセスです。 定性的な市場調査を実施することは、競争の激しい市場を切り開いた市場で生き残るための道です。
誰かがオンラインで市場調査を行う場合、調査の方法はオンラインになります。 ここでは、データ収集プロセスはインターネット経由で実行されます。 過去数年間で、記録されたインターネット ユーザーが大幅に増加し、現在、ビジネスは仮想化だけでなくグローバル化も進んでいます。 企業は簡単にオンライン調査を実施し、その結果を公開することができます。これは、より安価な方法です。
その人が市場分析を行う時間やスキルを持っていない場合は、SDKI Inc. などの市場調査機関を雇うことも申し分のない考えです。 つまり、市場調査機関が企業に代わって調査を行う場合、それらの調査プロセスは有料の市場調査調査であることが知られています。
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/blog/market-research/11
でもさ、まあこういう事をたまにやらかしちゃうのも多人数の組織ならしゃーないかもなと強く批判はしなかった。
広報キャラでケモキャラを作った時はいよいよこれはもう駄目かもとは思った。
セクハラで大問題になってるのに平気でエロ方面に走率付ける辺りもうアカンかなって。
でも企画段階からの時系列を考えて、まあ走り始めたらもう止まれなかったのかと諦めた。
エイプリルフールでそのキャラの抱き枕ネタをやったときに、ああこの人達はもう完全にホモソーシャルカルチャーに脳を焼かれて壊れてしまったんだと絶望したよ。
でもまあ、広報っていう世界におけるおふざけの部分でしかないわけで、これが駄目なら蘇民祭とかを自治体が後押しするのも批判しなきゃいけなくなるかなって考えだしたら、ひとまず振り上げた拳は下ろすことにした。
そんでさ、単なるおふざけじゃ済まないような事をやらかしてるのがニュースになってるのを見て、もうこりゃ駄目だなと。
本当に駄目だよ。
広報っていうのは組織の顔であることが役割で、そこで変な発言をしたら「組織が対外的にそういう考え方であることをアピールしている」って取られても仕方がないんだから。
ましてや自衛隊みたいに外から見たら何やってるのか分からない組織においては、広報という窓を通して世間に見せるものに対して「あくまで自分たちの極一部でしかないですよ」という考えたはするべきじゃない。
開いている窓を限りなく絞っているのは自分たちなのに、その小さな窓を「全体の一部」だと言うぐらいなら広報活動なんてやるべきじゃないでしょ。
たまたま見えてしまったものならともかく、自分たちが見せることを選んだものである以上は、外から見たらその極一部が全てなんじゃないかって思われても仕方がないよ。
だけど今の自衛隊ではその自覚があると思えないような人達が沢山広報活動をしている。
なんでそんなことになっているのか考えだしたら気づいてしまったよ。
結局さ、銃や戦車や飛行機に関わらせられないけどクビには出来ないポンコツの処分場の一つとして広報部隊が使われているんじゃないかってことに。
それに気づいたらもう何か言う気も失せてしまった。
よりにもよってという気持ちがないわけじゃないけど、「常識を疑うような行動を繰り返すような人間が広報活動をする」と「常識を疑うような人間がミサイルの発射スイッチを押すような訓練をする」だったら、前者のほうが100倍はマシだよ。
仕方ないよね。
偉い人の運転手をさせるわけにはいかないし、歩兵をやらせて災害救助部隊に出すわけにも行かない、魚雷や戦車の整備なんてさせられないし、経理や契約に関わらせるのも怖すぎる。
せいぜい倉庫の整理をさせるか、掃除でもしててもらうか、あとはツイッターの更新でもやらせるか、だよなあ……そうだよね、使い物にならない人間でも公務員だからクビに出来ないもんね。
大変だなあ。
川口春奈です!
嘘です。
コーンポタージュスープの美味しさに不思議発見のフォーカスを与えつつ、
私は日々ミステリーをハンティングするそれなんて世界ふしぎ発見?って思うほど
日々のこの例えばコーンポタージュスープの美味しさにHITACHしたいほど再発見したのよ。
よく溶けないし甘ったるいし、
でも香りだけは充分に違いの分かる私の演出にふさわしいマグカップに入れて飲めば
そう!丁寧な暮らしを実践できる唯一無二のコーンポタージュスープなのよね。
パンに浸して食べたら美味しいことを
ミステリーハントした私は、
それ以降、
食パンとコーンポタージュスープは欠かせない組合せになったの。
ここでミステリー!
一体コーンスープとかこういう粉末スープのベストな濃さ!ってどのぐらいなのかしら?
正解の標準のコーンポタージュ原器の適切な湯量で量って入れればいいんだけれど、
その原器は日本原器保安協会に置いてあるから一般の人では到底知り得ることの出来ないバックヤードに突入しないといけないみたいなのよね。
でね、
どのぐらいの量がお湯でたのかな?って分からないじゃない。
いちいち計量カップを出動させる?
なわけないわよね。
私もある程度のこのぐらいの量がコーンポタージュスープに必要な例えば180ミリリットルです!って目視で分かる様になればベテランよね。
しゃもじでピッタリ150グラムご飯をよそうことができます!ってとかのチャレンジで名人登場するときがあるじゃない。
あのぐらいまで毎日毎日ご飯をよそい続けたらそりゃーぴったりのグラム数でご飯をよそうことができるかも知れないけれど、
日々適当に生きている中で気まぐれで飲むコーンポタージュスープへの湯量をピッタリにする神経質なまでの精度っている?
いや必要ないわよね。
でもベストな濃さの湯量で作るコーンポタージュスープ飲みたいわよね!
要は量るのが面倒なのよね。
人は予想よりはるかに薄いコーンポタージュスープを作りがちなのよ。
パッケージで発表されて掲載されてある湯量って思いのほか私たちが思っているほどに少ないのよね。
いつもオーバーしちゃいがち。
適当な電気ポットから出るお湯ルーレットで適当に給湯ボタンを押して適当なカップの嵩に湯が入ったところでストップ!
もちろん先にコーンポタージュスープの粉末は投入しているわよ。
いつも適当に作るお湯の量のコーンポタージュスープは薄味なのよね。
じゃー粉倍入れればいいじゃん!って思うけれど
倍って言っても2倍とは言ってません!って言う政治家みたいにそこまで2倍までは必要な2倍!2倍!ってそれじゃー高宮間親方じゃん!ってなるの。
このカップのこの湯量はこのぐらいのところまで達する!って1回ちゃんと見て覚えておいて
キャンプファイヤーでお湯を沸かしたお湯で飲むカップコーンポタージュスープはさぞ美味しいことでしょうね。
でもそんなときいちいちキャンプファイヤーの前で計量カップを出して湯量を量っていたら興醒めじゃない?
ムードぶち壊しというか、
いまそっちより正確なコーンポタージュスープの粉末に対しての湯量より
キャンプファイヤーの火をどちらかというと楽しみたいので、
たぶんそうなった場合はコーンポタージュスープの湯量が多少少なかったり多かったりしても美味しいと思うの。
でもそんなキャンプファイヤーの前でコーンポタージュスープを飲むってケースは稀だと思うので、
たぶんまだ鮎の串刺しを焼いて食べる囲炉裏感の方が圧倒的に勝っているので、
そうなると鮎への塩うちが和食の基本になるのよ!
そう言った場合もう一瞬で見ていなくなったトルコの高いところから振る塩かけシェフは適当な塩分の塩味を付けてくれたかも知れないわ。
それよりもあの切れ味抜群のナイフの方がトルコオスマン帝国のなんか戦いであんな刀を振るっていたのかしら?って歴史を感じてしまう。
本当に世界ふしぎ発見よね!
ミステリーだわ。
うふふ。
さんざん言っておいてそれじゃなかったら怖いんだけど的な的な、
そういうワケなのよ。
どういうワケかは分からないけど
とにかく凄い自信なの!
家でちゃんと朝ご飯早起きして食べる用に三文得する勢いでやってくわ。
意外とちゃんとしたコーンポタージュスープが食べられるお店って茶碗蒸しに次いでないわよね。
あったら嬉しいけどね!
と思ったら冷蔵庫の奥から5年前の干からびた梅干しが発掘されたので、
たぶんナミブ砂漠よりかはまだしっとりと潤いがある梅干しかも。
ぜんぜん行けるわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!