はてなキーワード: 処分場とは
でもさ、まあこういう事をたまにやらかしちゃうのも多人数の組織ならしゃーないかもなと強く批判はしなかった。
広報キャラでケモキャラを作った時はいよいよこれはもう駄目かもとは思った。
セクハラで大問題になってるのに平気でエロ方面に走率付ける辺りもうアカンかなって。
でも企画段階からの時系列を考えて、まあ走り始めたらもう止まれなかったのかと諦めた。
エイプリルフールでそのキャラの抱き枕ネタをやったときに、ああこの人達はもう完全にホモソーシャルカルチャーに脳を焼かれて壊れてしまったんだと絶望したよ。
でもまあ、広報っていう世界におけるおふざけの部分でしかないわけで、これが駄目なら蘇民祭とかを自治体が後押しするのも批判しなきゃいけなくなるかなって考えだしたら、ひとまず振り上げた拳は下ろすことにした。
そんでさ、単なるおふざけじゃ済まないような事をやらかしてるのがニュースになってるのを見て、もうこりゃ駄目だなと。
本当に駄目だよ。
広報っていうのは組織の顔であることが役割で、そこで変な発言をしたら「組織が対外的にそういう考え方であることをアピールしている」って取られても仕方がないんだから。
ましてや自衛隊みたいに外から見たら何やってるのか分からない組織においては、広報という窓を通して世間に見せるものに対して「あくまで自分たちの極一部でしかないですよ」という考えたはするべきじゃない。
開いている窓を限りなく絞っているのは自分たちなのに、その小さな窓を「全体の一部」だと言うぐらいなら広報活動なんてやるべきじゃないでしょ。
たまたま見えてしまったものならともかく、自分たちが見せることを選んだものである以上は、外から見たらその極一部が全てなんじゃないかって思われても仕方がないよ。
だけど今の自衛隊ではその自覚があると思えないような人達が沢山広報活動をしている。
なんでそんなことになっているのか考えだしたら気づいてしまったよ。
結局さ、銃や戦車や飛行機に関わらせられないけどクビには出来ないポンコツの処分場の一つとして広報部隊が使われているんじゃないかってことに。
それに気づいたらもう何か言う気も失せてしまった。
よりにもよってという気持ちがないわけじゃないけど、「常識を疑うような行動を繰り返すような人間が広報活動をする」と「常識を疑うような人間がミサイルの発射スイッチを押すような訓練をする」だったら、前者のほうが100倍はマシだよ。
仕方ないよね。
偉い人の運転手をさせるわけにはいかないし、歩兵をやらせて災害救助部隊に出すわけにも行かない、魚雷や戦車の整備なんてさせられないし、経理や契約に関わらせるのも怖すぎる。
せいぜい倉庫の整理をさせるか、掃除でもしててもらうか、あとはツイッターの更新でもやらせるか、だよなあ……そうだよね、使い物にならない人間でも公務員だからクビに出来ないもんね。
大変だなあ。
正直に言えば、どこか残念でありほっとしている。
※
対馬市長は先日、最終処分場への文献調査候補地として、応募しない旨の宣言をした。
もともと、核廃棄物の処分場はもう十五年くらい前から誘致をしてはどうかという動きがあったのだ。当時は調査を受け入れるだけで10億円が支払われると言われていた。
しかし、前市長はこれをバッサリと切り捨てた。このときは市民運動というほどでもない、変わり者が少数でわめいていただけだったので、それですっかり火は消えてしまった。その後、前市長の後継を取った現市長が就任。
二期目の市長選では対抗馬として核廃棄物処分場の誘致を謳う候補が立候補したものの大差で現市長が当選したのである。
ただし、この時の対立候補は対馬となんの関係もない大阪の右翼活動家で刑務所服役復帰戦のような様相があり、本気で当選する気はなかったと思われる。
いずれにせよ、現市長は『最終処分場誘致派を下しての当選』という事実を得てしまった。実際は堅実な市政への評価と、なにものともしれない右翼活動家への嫌悪もだいぶんあったのだけど。
※
しかし、原子力に関するどこかの組織に旅費を全部出して貰って、どこかを視察してきたらしい。
日本に最終処分場などないのに、何を見てきたものか。酒宴などの歓待を受けたのか否か。日当や土産代などの現金を受け取ったのか。
それもしらない。
もしかしたら、貧しい旅行で勉強だけして帰ってきた可能性もある。
それでも旅費を利益関係者に出させたというのはいかにもまずかったのではなかろうか。議会でも反対派議員から突っ込まれていたし、それはそれとして今後揉めるかもしれない。
とにもかくにも、議会で正式な議題として『処分場の誘致』が上がってしまったのは事実である。もちろん、誰だって別に核廃棄物や処分場が欲しい訳ではない。それに伴ってついてくる金が欲しいのだ。
その額たるや、文献調査を受け入れるだけで20億円。
ざっと検索したところ、対馬市の年度支出額はおよそ250億円程度であることがわかる。
すでに文献調査受け入れを表明している北海道の寿都町の年間予算規模が60億円ちょい、神恵内村に至っては20億以下だ。
これが500億円とかなら、もっとグッと賛成に傾いたかもしれないが、提示額がいかにもしょっぱすぎる。
中には「文献調査だけやって20億を貰い、本格的な設置は断ればいい」と堂々と言うものもいたが、それで国から怒られるくらいなら最初から応募しない方が市長としても、市役所としてもいいだろう。
なんせ、国境離島として国から沢山の税金を貰ってどうにか回しているのだ。国の機嫌というのは、往々にして自治体を殺すことがある。
つまり、20億円があまり見合っていない気がする問題があるのだ。
だから推進派がいくら勢いを出しても、反対派を黙らせることはできない。
なんせしょっぱいのだ。
20億あればあれもこれも、とはならない。少なくとも市民に実感のある使い方は全くできないで消える金額でしかないのだ。
さらに、対馬は住民の半分くらいが水産か観光で飯を食っている島だ。
この人たちの家業にはマイナス補正がついて回る。なんせ、処分場や核廃棄物と記念写真をとりたい。推したい、みたいな変わり者はとても少なそうだ。最大限、好意的にみて「気にしない」。最悪「対馬産の物は徹底的に避ける」人が出てくる。実際はその間のグラデーションのどこかに皆が分布される。
逆に、仕事の恩恵を受けそうな土木業者も兄弟なり親戚、友人などの近しい者がかならずそういった職に就いている。
だから、みんな微妙なのである。推進派議員はあまり勢いが出せない。
対して、反対派議員は誰はばかることなく大声で反対運動を展開する。
それに伴って、推進派議員が「心ない言葉を投げかけられたので、市民を訴える」だのワケのわからない展開に発展したのだが、それは横枝だ。
対馬という島は歴史的に、ずっと国家中央の差し出す意向を飲んだり誤魔化したりして過ごしてきたのだ。騙したことは沢山あるが、面と向かって国家に反逆したことはないし、大きい島には必ずついて回る独立運動も皆無である。
推進派議員も熱心に燃えさかり続ける老婆などがいたが、全体的にはトーンダウンしていき、最終的な採決では賛成10、反対8で決定した。
※
『核廃棄物の最終処分場として、文献調査の受け入れを進める』のが議会の結論となった。
『意見書提出権にもとづいた市長への、議会としての意見の提出』であったわけだ。
実のところ、市議会でどう決定しようとそれは、『市議会としてはこう思っていますよ』という枠をはみ出ないのだ。
もちろん、市政というものは市民の為に行われるものであり、市民を代表する市議会の意見というのはかなり重要な物だし、常に尊重されている。たいていの場合においてはそのまま通る。
それでも対馬市長はこれを突っぱねた。
理由として、風評被害がすでに起きかけていること。市役所に様々なところから苦情の連絡があっているらしい。
そして、観光や水産業が年に200億円近い経済規模を持っている点。風評被害で一割売り上げが減れば、それで20億の交付金は吹き飛んでしまう計算になることを上げ、最後に住民の合意形成がなされていないと告げた。
確かに現状で推進派と反対派が分かれているのなら、当然まずは見送ってみるというのは一般的な判断だろう。
もっとワンサイドに推進へ傾けばともかく、議会でさえ半分に近い票が反対だったのだ。仮に市民の半数が内心的反対者なら、市長の経緯と立場から現状維持が当然だと思う。
利益を得る者は一部で、大勢が不利益を被る危険があるのだから。
これは、まあ逆に言えば市民がもっとずっと大勢賛成して誰も反対など言えないほどの金額が約束されるのなら受け入れに傾いていた可能性は高かろう。
対馬といえば小さな離島と思われがちだが、長崎県の面積の2割以上は対馬が占める。案外にデカいのだ。経済規模もそれなりにデカいし、特産品もある。マグロやアナゴは景気も良い。
分散した20億円の余波など個人にはいくらも入らない。今時は田舎の集会所を建て替えるのにも一億円がかかる時代だ。
もっと、もっと巨大な、皆が涎をたらして狂う対価が必要だったのだ。
そうして、それが提示されない以上、対馬市には縁がなかった。保守的な田舎の住民が変化を突きつけられて、ストレスに耐えられなかったというのもある。
個人的には、誘致が決まればいち早くニューモに手紙を送るなどして、自分の山を買わないかアピールするつもりだったが、土地成金の夢はあっという間に醒めてしまった。
マスゴミが被害者だと宣伝する対象が、被害者であることなどまずなく、加害者だと貶める存在こそ、大抵の場合、真の被害者だ。
マスゴミが、神待ち少女だの、田舎からの家で少女に対する性犯罪だのと、ほざき続ける本当の目的は、そうした女どもが、実際はただの工作員にすぎないからである。
こうしたメス犬どもは、確かに、ヤクザ、芸能界、ローマ教会などの権力者たちには尻尾を振るが、一般人男性からは、ただ搾取することしか頭にない。
連中は、連中のご主人様たちへの上納金のために、止めてくれた男を騙し、襲い、盗み、殺す。
挙げ句の果てに、被害少女だとかほざいて、国から補助金をせしめようとする。
修道女なんていうのは、すべてこうしたクソ婬売の成れの果てだ。
若い修道女は、田舎からの家で娘を装って、男たちから搾取する任務を課されたりする。
権力者にはヘーコラするくせに、権力のない男に対しては、何をしても平気な真のメス犬どもだ。
連中の殆どは、性的か地がなくなる直前に、真のローマの変態貴族たちによる、サディズムを満たす道具として、壊れるまでオモチャにされ続ける。
もちろん、教会からは、潜入工作だとか、適当なことを言われるが、その実情は、用済み道具の解体処分場行きだ。
そうして、選別が完了するというわけだ。
彼らは、ただ寂しさのために、少女を誘っただけであり、レイプしたり監禁したりする気持ちもなかった。
もし、その気で誘ってたら、その時点で、これら婬売どもはみんな拘束され、犯されまくった挙げ句に、殺されているから、本当の悪者相手には、こいつらは何の役にも立たないのである。
もちろん、そうしたサイコキラーに限って、連中の工作員であり、無傷で逮捕された後、茶番の死刑を受け、死を偽装し、また別のメス犬を使って変態性欲を満たすことは、言うまでもない。
ギロチンを止め、電気椅子にしたのも、その偽装を簡単にするための工作である。
連中が、地下ソドムを作って、こうした婬売どもを、効率良く、安全に蓄殺できるようになってから、そうしたサイコキラーとして、表で活躍する必要も減ったわけだ。
こいつらが犠牲にするのは、ただ少女が好きなだけの、ごく普通の男たちだけである。
もし、少女が好きなだけで悪いなら、マスゴミにいる奴らは、それだけでも全員アウトだ。
あいつらは、少女どころか、モノホンのペド変態どもの集まりだからである。
もちろん、連中の権力者以外が同じことをすれば、速攻で捕まって去勢されて肉盾にされるか、死刑にされるのは言うまでもない。
偽装死刑で免罪されるのは、権力者だからであって、わざわざそんなこと断るのもバカみたいな話だが。
下級の工作員くらいなら、むしろそれを弱みに、肉盾特攻に駆り立てられる、くらいはありそうだが。
ヨーロッパの貴族たちは、わざと自らの子を、修道院に送り込み、工作員として活躍させるフリをして、他の修道僧たちを騙す。
だから、こうした本物の貴族たちは、本当に危険な任務を課されることがない。
そいつらは、元をたどれば、原始キリスト教の工作員たちであり、自分たちが、貴族社会を乗っ取った後も、貴族の特権を享受しながら、さも貴族ではないというフリをするために、こうした、回りくどい策略を行っているのである。
もちろん、事実上、彼らは貴族以外の何者でもなく、それどころか、それ以前の、どんな貴族や王族より、比べようもなく卑劣な陰謀を行っている。
もちろん、女の中にも、エプスタインの協力者だったギレーヌ・マクスウェルのように、自らの欲望と権力のために、他の女を、平気で犠牲にする者どもがいる。
私に言い逆らい、このことを否定する者どもがそうだ。
プラスチックごみを減らすと確かに環境負荷は減るが、こと日本に於いては慎重にならなければならない。
表題の理由を真っ先に述べてしまうと、日本は東京のゴミの最終処分場問題というものを抱えているためだ。
簡単に言えば「東京のゴミを燃やして圧縮した灰(スラグ)を捨てる場所」が後20年程度で埋まってしまう。
数年は地方にスラグを回すことでなんとかなるだろうが、限界は早い。
そうなるとどうなるかと言えば、めちゃくちゃ金がかかるし搾取的で倫理的にも批難されそうな「外国にゴミを持っていく」か、「新たに自然を破壊し埋立地を作る」の二択が発生する。
現状としては日本は手をこまねいており、この2つに向かって突き進んでいるというのが大まかな問題点である。
マイクロプラスチック問題も深刻ではあるが、この2つはそれらを遥かに上回る環境破壊が発生するため本末転倒だ。
もちろんプラスチックごみを減らした上で発生したゴミをリサイクルするという形ならば問題はない。
しかし、マクドナルドを例に見てみればプラスチックを紙ストローに変えたものの、それらは特に分別されることもなく燃えるゴミとして処理されている。
現状としては「とりあえずプラごみ減らせば良いんでしょ」という教義的な愚かしさがあるのは否めない。
ここから鑑みるに、「とりあえずプラスチック減らせばいいや」という動きは巨大なゴミ処分場を用意できる大陸や米国型の、ある種余裕の上で成り立っている論理でしかなく、
我々のような島国、特に最終処分場問題を抱える日本においては「焼却するゴミの量を減らす」というテーマに沿わなければ全くの逆効果であり環境破壊を早めてしまうと言える。
要するに「燃えるゴミ」の削減が環境に対してもっとも重要な課題になり、原材料として再利用する「マテリアルリサイクル」と「ケミカルリサイクル」に力を入れる必要がある。
なぜなら、日本のプラスチックのリサイクル率の高さというのは実際には燃やして燃料としてリサイクルしているためであり、結局スラグが出ているからだ。
プラスチック削減をするにしても、「とりあえず紙ストローにしてみました」というようなものではほぼ逆効果に近い。
削減したならしたで「原材料として再利用できる形して、スラグを減らしました」にならなければ意味がないと言える。
例えば全国で画一的で細かいゴミ分別を行い、それらの原料化やリサイクル原料を用いた製品には補助金や減税などをかけて早急に浸透させるなど抜本的な改革が必要となる。
上勝町のような分別は人口が多くなると難しいだろうが、志布志市並の分別をした上で原材料の再利用に更に力を入れ、スラグ自体を削減していかなければならない。
更にマテリアルリサイクルやケミカルリサイクルに他国より力を入れて成功することは、楽観的な憶測ではあるが国際社会でも優位に立ちやすいと考えられる。
「環境を守る」という技術の最先端を走ることの優位性はなんとなくわかるだろう。
プラスチックごみを減らすということは確かに環境問題において大切だが、こと日本においてはスラグの発生量に気を配りながら運用しなければ環境を大きく破壊してしまうという話。
マスゴミが被害者だと宣伝する対象が、被害者であることなどまずなく、加害者だと貶める存在こそ、大抵の場合、真の被害者だ。
マスゴミが、神待ち少女だの、田舎からの家で少女に対する性犯罪だのと、ほざき続ける本当の目的は、そうした女どもが、実際はただの工作員にすぎないからである。
こうしたメス犬どもは、確かに、ヤクザ、芸能界、ローマ教会などの権力者たちには尻尾を振るが、一般人男性からは、ただ搾取することしか頭にない。
連中は、連中のご主人様たちへの上納金のために、止めてくれた男を騙し、襲い、盗み、殺す。
挙げ句の果てに、被害少女だとかほざいて、国から補助金をせしめようとする。
修道女なんていうのは、すべてこうしたクソ婬売の成れの果てだ。
若い修道女は、田舎からの家で娘を装って、男たちから搾取する任務を課されたりする。
権力者にはヘーコラするくせに、権力のない男に対しては、何をしても平気な真のメス犬どもだ。
連中の殆どは、性的か地がなくなる直前に、真のローマの変態貴族たちによる、サディズムを満たす道具として、壊れるまでオモチャにされ続ける。
もちろん、教会からは、潜入工作だとか、適当なことを言われるが、その実情は、用済み道具の解体処分場行きだ。
そうして、選別が完了するというわけだ。
彼らは、ただ寂しさのために、少女を誘っただけであり、レイプしたり監禁したりする気持ちもなかった。
もし、その気で誘ってたら、その時点で、これら婬売どもはみんな拘束され、犯されまくった挙げ句に、殺されているから、本当の悪者相手には、こいつらは何の役にも立たないのである。
もちろん、そうしたサイコキラーに限って、連中の工作員であり、無傷で逮捕された後、茶番の死刑を受け、死を偽装し、また別のメス犬を使って変態性欲を満たすことは、言うまでもない。
ギロチンを止め、電気椅子にしたのも、その偽装を簡単にするための工作である。
連中が、地下ソドムを作って、こうした婬売どもを、効率良く、安全に蓄殺できるようになってから、そうしたサイコキラーとして、表で活躍する必要も減ったわけだ。
こいつらが犠牲にするのは、ただ少女が好きなだけの、ごく普通の男たちだけである。
もし、少女が好きなだけで悪いなら、マスゴミにいる奴らは、それだけでも全員アウトだ。
あいつらは、少女どころか、モノホンのペド変態どもの集まりだからである。
もちろん、連中の権力者以外が同じことをすれば、速攻で捕まって去勢されて肉盾にされるか、死刑にされるのは言うまでもない。
偽装死刑で免罪されるのは、権力者だからであって、わざわざそんなこと断るのもバカみたいな話だが。
下級の工作員くらいなら、むしろそれを弱みに、肉盾特攻に駆り立てられる、くらいはありそうだが。
ヨーロッパの貴族たちは、わざと自らの子を、修道院に送り込み、工作員として活躍させるフリをして、他の修道僧たちを騙す。
だから、こうした本物の貴族たちは、本当に危険な任務を課されることがない。
そいつらは、元をたどれば、原始キリスト教の工作員たちであり、自分たちが、貴族社会を乗っ取った後も、貴族の特権を享受しながら、さも貴族ではないというフリをするために、こうした、回りくどい策略を行っているのである。
もちろん、事実上、彼らは貴族以外の何者でもなく、それどころか、それ以前の、どんな貴族や王族より、比べようもなく卑劣な陰謀を行っている。
マスゴミが被害者だと宣伝する対象が、被害者であることなどまずなく、加害者だと貶める存在こそ、大抵の場合、真の被害者だ。
マスゴミが、神待ち少女だの、田舎からの家で少女に対する性犯罪だのと、ほざき続ける本当の目的は、そうした女どもが、実際はただの工作員にすぎないからである。
こうしたメス犬どもは、確かに、ヤクザ、芸能界、ローマ教会などの権力者たちには尻尾を振るが、一般人男性からは、ただ搾取することしか頭にない。
連中は、連中のご主人様たちへの上納金のために、止めてくれた男を騙し、襲い、盗み、殺す。
挙げ句の果てに、被害少女だとかほざいて、国から補助金をせしめようとする。
修道女なんていうのは、すべてこうしたクソ婬売の成れの果てだ。
若い修道女は、田舎からの家で娘を装って、男たちから搾取する任務を課されたりする。
権力者にはヘーコラするくせに、権力のない男に対しては、何をしても平気な真のメス犬どもだ。
連中の殆どは、性的か地がなくなる直前に、真のローマの変態貴族たちによる、サディズムを満たす道具として、壊れるまでオモチャにされ続ける。
もちろん、教会からは、潜入工作だとか、適当なことを言われるが、その実情は、用済み道具の解体処分場行きだ。
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彼らは、ただ寂しさのために、少女を誘っただけであり、レイプしたり監禁したりする気持ちもなかった。
もし、その気で誘ってたら、その時点で、これら婬売どもはみんな拘束され、犯されまくった挙げ句に、殺されているから、本当の悪者相手には、こいつらは何の役にも立たないのである。
もちろん、そうしたサイコキラーに限って、連中の工作員であり、無傷で逮捕された後、茶番の死刑を受け、死を偽装し、また別のメス犬を使って変態性欲を満たすことは、言うまでもない。
ギロチンを止め、電気椅子にしたのも、その偽装を簡単にするための工作である。
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こいつらが犠牲にするのは、ただ少女が好きなだけの、ごく普通の男たちだけである。
もし、少女が好きなだけで悪いなら、マスゴミにいる奴らは、それだけでも全員アウトだ。
あいつらは、少女どころか、モノホンのペド変態どもの集まりだからである。
もちろん、連中の権力者以外が同じことをすれば、速攻で捕まって去勢されて肉盾にされるか、死刑にされるのは言うまでもない。
偽装死刑で免罪されるのは、権力者だからであって、わざわざそんなこと断るのもバカみたいな話だが。
下級の工作員くらいなら、むしろそれを弱みに、肉盾特攻に駆り立てられる、くらいはありそうだが。
ヨーロッパの貴族たちは、わざと自らの子を、修道院に送り込み、工作員として活躍させるフリをして、他の修道僧たちを騙す。
だから、こうした本物の貴族たちは、本当に危険な任務を課されることがない。
そいつらは、元をたどれば、原始キリスト教の工作員たちであり、自分たちが、貴族社会を乗っ取った後も、貴族の特権を享受しながら、さも貴族ではないというフリをするために、こうした、回りくどい策略を行っているのである。
もちろん、事実上、彼らは貴族以外の何者でもなく、それどころか、それ以前の、どんな貴族や王族より、比べようもなく卑劣な陰謀を行っている。
生きる権利があるから生きてるってよりも、生きるのにも死ぬのにも権利がないから生きてるが正解ですね。
あなたの主張って今流行りのアレですか?「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってヤツですか?私は例のアニメは序盤の序盤までしか観てないのであまり言うことはないのですが、この言葉ってある日突然襲ってきた鬼に家族を殺され、ただ一人残された妹も鬼になってしまい途方にくれる主人公に、鬼殺しのプロが言い放ったセリフですよね確か。主人公も最初は暴走する妹を必死食い止め、それでも妹は大人しくならなかったから主人公もついに絶望して鬼殺しのプロに妹を殺してやってくれと泣く泣く懇願したときの返答ですよね。ひどい話ですよね、まあここで妹を退治してしまったらストーリーが成り立たないのは言わずもがなですが、鬼に家族を奪われ妹を必死に宥めていた主人公を弱者と切り捨て挙げ句の果てに妹を殺したかったら自分で殺せという傲慢さ、なんだかこのアニメが非オタク層に流行った理由が何となくわかった気がします。長くなってしまいましたが例のアニメ批判はあまり関係ないのでここまでにします。
日本人って本当に自己責任論大好きですよね。だって他人が失敗したときもそいつに自己責任だって言えば自分が非難されるのを簡単に免れますもんね。従来の連帯責任が非難されるようになってから自己責任へシフトしていったように思えます。でも本来自己責任って自分自身を律するための言葉だったろうに、いつしか「何も努力せず自身の不遇を他人や社会のせいにする怠け者」へのバッシングの代名詞となりましたよね。でもその「怠け者」って本当にただ面倒くさいから怠けてるだけなんでしょうか?努力しても無駄、成果を出しても認めてもらえない、そうした学習性無気力に陥ってる可能性とかは考えられないのでしょうか?
「自分の自信は自分で守れ」と仰ってますが私の自信が今までの半生の中でじわじわと他人に奪われていったことについては想像できませんか?私の自信を奪った者たちへの非難はされないんですか?自信を守り抜けなかった私が全て悪いんですか?いじめっ子じゃなくいじめられっ子の方が全部悪いんですか?
あなたのような意見を聞くとどうもこの世の全ての人間は自分の意思で生まれてきたと聞こえるんですよね。でも実際は違いますよね?両親が勝手に性交したから子供は生まれさせられるんですよね?生まれる前の子供達は空の上から親になる人間を決めている、なんていうスピリチュアル与太話がありますが、それがもし真実なら虐待親の元に生まれた子供達は皆んな虐待されることを望んで生まれてきたことになりますね。
生存者バイアスにも程がありますね。成功者から見れば負け犬は皆んな努力してなくて失敗を社会のせいにしてるように見えるらしい。貧乏家庭に生まれ進学出来なかった子供も、虐待で心身ともに傷ついたり亡くなった子供も、先天性の障害を抱えた子供も、全部責任は子供にあると成功者は言います。そうですよね、他人に責任を押し付けるのは楽ですもんね。クラスでいじめが起きても、隣の家で家庭内暴力が起こってても知らない素振りをしていれば罪に問われないですもんね。
何も知らないくせに自己責任論で相手を諭した気になって、励ます振りをするのって最高に気持ち良さそうですもんね。そうやってずっと説法オ〇ニーしといてください。
社会って別に職場とかだけじゃないんです。学校も家庭だって小さいけど立派な一つの社会なんです。そして社会を殺すのは馬鹿な政治家でもテロリストでもなく大衆の中の無能たちなんです。あなたの職場にも一向に仕事が出来ない奴とか、学生時代体育の授業でチームの足を引っ張った運動音痴がいましたよね?こういう奴ら皆いなくなればいいって思ったこと絶対一回はありますよね?極論私が今存在せずこんな増田を書かなければ、あなたのその文章を打った貴重な時間を奪うこともなかったんです。生きるに値しない命は確かに存在するんです。いなければいい人間は存在するんです。ゴミはゴミ箱へ、ゴミ人間は処分場へ。現に死刑制度は今日の日本に存在し、生きてはいけない人間は次々定められています。法で裁けない罪という言葉があるように、悪と言っても色んな種類があるのです。そして自分が害悪だと自覚して死を選ぶこと、何がいけないのでしょうか?確かに今現在自死を選ぶと、発見者のトラウマ、電車を止めた賠償金、病院側の手間など結局社会に迷惑をかける羽目になってしまうのです。あなたも無能の飛び降り自殺に巻き込まれたくないですよね?急いでるのに電車が止まったらイライラしますよね?
別に誰かに認められたいから死にたい訳ではありません。タイムスリップして自分が生まれること自体無かったことにしたいです。むしろそれが一番理想です。私が元増田で「消えたい」という言葉を使ったのはそういう意味です。私の命には何の使い道もありません。成長性もありません。むしろ死んで血と肉と骨の塊になった方がよっぽど使えます。実際私の臓器提供意思表示カードには全ての項目に丸をつけてます。
魅力度ランキングって、前から思っていたんだけど単に自分が住んでいる場所から遠い県を魅力的に思うってだけじゃないの?
首都圏や近畿圏の人間からすれば、北海道や沖縄は遠いから「どんな場所なんだろう?」と期待も込めて魅力的な場所だと想像する。
逆に茨城や栃木のような、首都圏や阪神圏の近隣県は興味を持たれにくいので魅力度が下がるだけ。
冬は寒い、低気圧が来ると地吹雪になる、土地は安い、札幌の一極集中で一人勝ち、鉄道は壊滅寸前、本州以上の車社会で交通事故も多い、核のゴミの処分場候補、アイヌという民族問題も抱えている、夕張の次に財政破綻する自治体はまた北海道から出ると思う。