はてなキーワード: 学祭とは
寄付講座の特任准教授とはいえ、なんであの方が採用されただろう?と多くの人が思っているはずだ。
情報学環の人事には詳しくないが、一般的な東大の寄付講座ができる流れについて説明しよう。
今回の寄付講座は、『情報経済AIソリューション』寄付講座というもので、マネックスとオークファンと大広とリミックスポイントからの資金によって運営されている。
しかし、通常いきなりこの4社が東大情報学環に行って、寄付講座をつくりたいんでお金置いていきますね、とはならない。
とはいえ、情報学環のトップ、情報学環長・学際情報学府長の越塚先生がこの4社に対して、
今度、『情報経済AIソリューション』寄付講座という講座をつくりたいと思ってるんで、寄付していただけないでしょうか?と言うこともあまりない。(研究科長レベルの人はそんな暇はない)
多くの場合、寄付元の会社と懇意にしている教授(情報学環・学祭情報学府の教員であることもあれば、兼担している他研究科・専攻の教員であることもある)が、
今度、新しい寄付講座をつくりたいので、寄付していただけないでしょうか?と4社に持ちかけることがほとんどだ。
そこで、うちうちに寄付の合意が取れれば、この教授が今度は情報学環・学際情報学府の教授会に咨ることになる。
そこで、合意が得られ、次に情報学環長・学際情報学府長からの許可が得られれば、寄付講座の手続きが動き出すことになる。
通常の正規の准教授人事の場合、その限られた席に誰を採用するかというのは、その大学院・専攻のその後の運命を決めることになる。
そのため、採用は非常に厳密に行われるし、様々な角度から(業績のみならず、ファカルティメンバーとして適切か、教育に対する考え方、ラボの運営能力など)検討される。
このような人事で、仮にA教授が自分の子飼いの人間を連れてきたとしても、適切な人物ではなければ、面接にすら呼ばれないだろう。
通常の准教授人事と異なり、寄付講座の設立はA教授が走り回って成立したものであり、
A教授がこの人事に対してイニシアチブを取れることは間違いない。
なぜなら、このポストは本来、学内には存在しなかったものだからである。
今回の寄付講座が公募によって決められたものかどうかはわからない(寄付講座・特任教員の場合、東大では公募が行われない場合もある)。
仮に公募であったとしても、一本釣りであったとしても、彼を特任准教授に採用する際に、
もちろん肩書き上は、元特任准教授は『情報経済AIソリューション』寄付講座のPIである(たぶん)。
そして、組織上の上司はもちろん情報学環長・学際情報学府長である。
なぜA教授が今回の様々な事態に対して、ガバナンスをきかせられなかったのか?これが一連の不祥事における東大の一番の責任かつ問題点である。
一般に、寄付講座の研究内容はかなりの自由度があり、寄付元の会社が研究内容に口出しをすることはできない。
つまり、寄付元の会社にとっては、共同研究や外注などではなく、真の意味で「寄付」なのである。
もちろん長期的にはリターンがあるかもしれないが…それでもほぼ善意だ。
しかし、上記の問題点を解決しない限り、企業は怖くて寄付講座にお金を出すことはできない。
善意の寄付をしたら、変なやつにお金を出している会社だとして炎上する、そんなこと企業にとってはたまったものではないだろう。
今回、彼は懲戒解雇された。しかし、問題は何も解決していない。
工業高校に通っていた頃を、ふと思い出した話
時代だからかバカ学校だったからか、学校祭の準備期間になると制服を着ている人のほうが圧倒的に少なかった。
作業着を着てるのはまだ良い方で本番に着る衣装をそのまま来てる人も大勢居た。先生さえも変な格好している人もいたくらい。
正直自分でも可愛いと思えるほどに仕上がり、周りからは似合う似合うと煽てられて買い出しに行ってもまったく不審がられず、
周囲からは少し女を意識したような扱いをされて有頂天になった俺は何を勘違いしたのかその後も女装を続けることにした。
他のコスプレじみた格好をしている人に比べれば女装なんて大した問題じゃないと本気で思ってた。
委員だったので女装姿で校内を闊歩し、女子がいることに驚く男子の様子や、不穏な視線に過剰なスキンシップさえも心地よく
そのまま学校祭が終了した後も夏休みに突入するちょっと前までずっと女装してた
試験や夏休みを挟んだお陰で道を踏み外すことは無かったけど、女性がチヤホヤされたいって気持ちはもの凄く良くわかった。
女子→男子のチヤホヤと、男子→女子のチヤホヤはレベルが段違いで、心がフワフワしてとても心地よくなる。
何かにつけて話を続けようとしたり触れようとしてきたり、スカートが揺れたら視線で追う姿が何だかとても可愛いと感じてしまう。
最初こそ胸の大きさ控えめ・ヒザ下丈の長ーいスカートだったのに、煽てられたり貢がれている内に
高いウィッグとそこそこ大きな胸(柔らかい偽乳)・膝上20以上の超ミニスカ穿いてお姫様気取りだった。
実習の時間は流石に女装は解除していたけどそれでも周りの反応は全然違った。
今思い出しても結構面白い思い出なんだけど、道を踏み外すことが無くて良かった
そして何故先生は注意してくれなかったんだろう
電王少女シロちゃんの生誕祭が豊洲PITで行われました。イベント自体は最高の盛り上がりで、
その場にいれた事を感謝してもしきれないです。シロちゃんそしてアップランドさんありがとうございました。
ちなみにポジティブな事とか会場の熱気とか書く気はさらさらないので、そういうレポ読みたい人は別の所に行ってください。
まず、第一に人が多すぎる。人が多すぎてそれだけで疲れる。
正直2700人をオールスタンディングで半日以上拘束するなんて正気じゃない。
これは最初から分かってはいたが、昼と夜同時にしか買えないってチケットの売り方を考案した奴らがおかしい。
せめてこれがどちらかイベント一つだけなら耐えられたと思うが連続は流石にきつすぎる。足が辛すぎて最後の方本当にきつかった。
しかも屈強な野郎たちが常に周りにいる状態っていうストレス。とてもじゃないが次は耐えられない。満員電車に慣れた都会の民なら耐えられるのかも
しれないが電車に乗ることすらあまりない地方民からするときつすぎる。
やっぱり500人ぐらいが最大値でそれ以上は中継で十分で十分だと感じる。
次、スケジュールの見通しが悪すぎる。最初が14時15分入場開始なのに会場に入れたのが、開始時間15時過ぎてからしかも観客は半分も入れてなかった。それで開始30分ぐらい遅れたと思う。これは一重に入り口が一箇所しかないのがまずい。2700人入れるのに、一箇所からしか入場させないなんてやったらそりゃそうなるだろうとしか思えないし、事前に分かっていたと思う。
素直にA席、B席逆側から同時に入れればよかったのに、やらなかったのは運営の怠慢だと感じた。
それで、ガリベンガーVのイベント終わって会場出たのが18時で次の生誕祭の入場開始が15分後。どう考えても間に合う訳がない。そんなのみんな分かっていた。それなのに何のアナウンスもしなかった。さっさと全体スケジュールの見直しして何分ずらして終了予定時間はいつになるか連絡して欲しかった。
そうすれば、別にあそこにいなくてよかったし、ご飯でも食べに行けた。結局全部終わったのは夜の22時。そこまでご飯食べれないって分かっていたら準備色々したのにってなる。
次、プレゼントボックスの場所が分かりにくすぎる。あれ、公演終わった後にぽつんとおいてあったけど、目立たなすぎて分かりにくすぎる。
あんなの公演前に置いておいてくれればいいし、そもそもあの人数で目立たつことすらしないって怠慢すぎると感じた。
意味がわからないし、許可出した奴らみんな消えて欲しい。マジでボツにしないといけないレベル。
バーチャル感のかけらもないし、リアルにパンツを履くって企画そのものが面白いって思った感性がおかしい事を自覚して欲しい。
おまけに本人の顔が見えないっていうぐだぐだ落ち付き。押してるんだからあそこカットでしょ。普通は。
次、観客いじりの多さ。
そもそも観客いじり好きじゃないって言うのは置いておいて、大学の学祭じゃないんだから素人ステージに上げる企画が多すぎると感じなかったのか
今一度考え直して欲しい。
いくらなんでも多すぎる。ほとんどすべての企画観客ステージに上げていたのはおかしいと思う。
仮にもプロなのに大学の学祭実行委員会みたいなノリで運営されても困る。
それらを加味しても最高のイベントだったよ。でも、次はいかないかも。パリピ臭きつすぎるし、あれがいいってファンばかりなら肩身狭すぎるしね。
年々参加者増えてどんどん規模大きくなるけど、学祭みたいな手作り感がする不思議なイベントになったなー。あんまり、企業っぽさがないというか。
(展示物等に企業はいるけど、地元の人間が主催して田舎のお祭りって状態でやってる)
TOYAKOマンガアニメフェスタ っていうオタクのイベントだよ。
道民でさえ「なんであんな辺鄙な場所でイベント?」ってくらい田舎。
交通費はバスで片道2700円程、JRで特急代含めて5000円程。
イベントは二日間あるので両日参加しようと思ったら宿泊は必須。
痛車の展示
約7万人規模
フォトスポットがとにかく広いから自転車、車、船で移動したりする。
(たぶんロープウェーも乗れるのか?)
洞爺湖のアクティビティはほぼコスプレのまま利用できると考えていい。
宿が足りない。
スタッフが足りない。
公式ホームページが見づらい。
ここまで言ったけどたぶんまた行く。
今日話題になったテーマを見て、ふと10年ほど前、まだ自分が高校生だった頃のことを思い出した。
ある大学の学祭みたいなものに行った時の話だ。近所にあり、偏差値も私にほど近かったため志望校のひとつに考えていたので友人と行ってみた。
山の上にある小さな国立大学だが、電車から降りてあまり歩くこともなく着ける。
あまり賑やかではなかったが、高校の文化祭よりはしっかりとした祭があった。
だが、あまり見るものはなくほとんど関心がないながらも校舎内の色々な展示物を見ていた。
その中のひとつに、おそらく「女性解放研究会」だったと思う。そんな名前のサークルの展示があった。
当時はフェミニズムのこともほとんど知らず、ちょっと面白そうだと期待したのを覚えている。
猛烈に熱が入った話を聞かされて、すぐにめんどくさくなってしまい友人をほっておいてというか今考えれば生贄にしてポスターを見に行ったことを覚えている。
当時はそこまで悪気はなかったのだが、今思い出せば友人にすごく申し訳ない。
しかし、ポスターを見るのも暇になりそこでようやく友人を連れて教室を出た。
そしたら友人、次の休みに説明してくれた女性と創価学会の青年部に行く約束をしてしまっていた。
何も知らない私たちは、ここで初めてこの人たちそういう人なんだ!と気付いたのだ。
創価学会もフェミニズムもそういう人たちがいることはうっすら知っていたが、自分の近くの世界にもあることだと実感は全くなかった。
今考えればまぁ創価学会の婦人部とかあれば、そういう活動になっていくと納得するが当時の私にはすごく衝撃的だった。
なんで先鋭化していくのか?の問に、このことがフラッシュバックした。
サンプル数が1の少ない体験だが、むしろ個人の経験を重んじるフェミニストの人の方が問の答えの一つと思ってくれるだろう。
ちなみに蛇足というかフォローしたいのだが、今創価学会の人を見てもフェミニストの人を見ても忌避感やまともに思わないということはけしてない。
年号が変わる意味なんて分からないけれど、何事にも節目ってのはある。
身長は伸び、それに比例して体重も増えて、ついでに色んな所にも毛が生えた。
やりたいことも、やれることも、やらなきゃいけないことも両手に収まらない。
でも年号と同じく、時間は俺たちの気持ちとは関係なく流れ、距離はどんどん離されていく。
だからこそ思いを馳せたがるのかもしれない。
俺が今よりもガキだった頃、ちょうど今の弟くらいだった時にまで記憶は遡る。
あの頃の俺と弟は、とても不自由な思いをしていた。
平日のスケジュールはこうだ。
まず午前7時に起床。
朝食を摂ったり、身支度を整えるのに1時間弱。
父親が迎えに来る午後6時過ぎまで、そこで過ごす。
買い物を済ませ、家に着いた頃には午後7時前後。
そこから晩飯や入浴、睡眠もあることも踏まえれば、自由に過ごせる時間は皆無に等しい。
当然、夜遅いので友達の家に行って遊ぶだとかの選択肢は存在しない。
俺たちは実質、1日の半分以上を自宅以外で過ごし、子供時代の豊かで自由な時間を拘束されていたわけだ。
まあ、子供の自由な時間なんて、総体的に見れば無駄だとは思う。
その不自由感の象徴ともいえるのが、当時通っていた『ハテナ学童保育所』だ。
小学生向け保育園みたいな場所で、親が仕事を終えるまで子供たちが時間を潰す場所だった。
「マスダは何で学童に?」
「母さんが母さんでなくなっちゃったらしくて」
「え……」
この時、俺たちの町では『親免許制度』なるものが実地されていた。
体の9割が機械化していた母はこれに引っかかったんだ。
仕事で家にいないことが多い父は、止むを得ず俺たちをここに預けたってわけ。
「マスダ、ほんとゴメン。ちょっと無神経だったよ」
「別に謝るようなことでもないと思うが……」
あの時、理由を聞いてきた学童仲間がすごく気まずそうにしていたが、何だか誤解されていた気がする。
ないよりマシ程度のボロ屋で、壁や柱には歴代の学童たちの落書きと傷で溢れている。
「……弟よ。口を開けたまま、天井をずっと見ているが、バカみたいだぞ」
「なんか、天井から水が落ちてくるから、どんな味かなあ~って」
この国は病んでいる。
いつからだろう、本来であればアングラの職業人であるはずのAV女優が、
さんまとのデートで話題になった紗倉まなは、世界的企業のトヨタのサイトで連載を持つし、
貧乳系AV女優のあべみかこはYoutuberデビューして平然とファンと交流している。
たかしょーや三上某にいたってはまるでアイドルのような扱いだ。
故飯島愛がAV女優のタレント活動のハードルを大幅に下げたとはいえ、この状況はまずくないだろうか。
AV出演で多額のカネを得て、さらにちやほやされるとあらば、安易にAV落ちしようとするバカな女が増加しかねない。
本来、AV女優は、恥さらしで、下劣で、世の中のつまはじきで者で、どうしようもなく疎んじられても仕方がない職業のはずではなかっただろうか、
この国はもうダメかもしれない。
https://woman-type.jp/wt/feature/13170
以前、息子が見つけてきて「これ、変だよね」と言った消防少年団のポスターには、男の子がホースを持って前面に立ち、女の子が後ろで救急箱を持って控えていました。男性はメインの業務や力仕事を担い、女性は補助的な仕事やケアワークを担うという思い込みは、いまだに根強く残っています。
消防という人の命がかかった場面で「単に外形的な数的平等のために」大きな水圧で暴れる重いホースを女性にも持たせてさしあげる配慮をすべきかというと、私には疑問に思える。そういうときってホースは男が持ったほうがいいんじゃあるまいか。体重や筋力が平均的に男女同等ならいくらでもホースを持ってもらえばよいが、そうではないだろう。
というか、消火作業(ホース)も被災者の救護(救急箱)も、業務の重要度はイーブンだろうと思う。ホースがメインで救急箱がサブというのは序列が恣意的で、息子さんをよく調教されているようだけれど、男女平等にこだわりすぎて職業の平等を教えることをどこかに置き忘れてしまっているのではないか。
大学の学園祭を訪れたとき、男子学生がおそろいのピンクのTシャツを着ている様子を見て、しみじみと時代は変わっているなと感じました。娘が一時期、ピンクなどのパステルカラーばかりを欲しがるので、親として複雑な気持ちになったものですが、今の大学生は「ピンクは女の子の色」という意識さえ持っていない。偏見や固定観念に縛られることなく、男性がピンクを着ることが当たり前と感じる世代が生まれているのです。
とにかくピンクと女性の結びつきを断ち切りたくてしょうがないようす。
男子学生が揃いのピンクTシャツを着ていたからといって「男性がピンクを着ることが当たり前と感じる世代が生まれている」と判断するのはそそっかしすぎるだろう。学祭ということはサークルのユニフォームだろうから、その色を個人個人が好きで着ているとは限らず、女子もいるサークルで女子が決めたものをいやいや着させられているかもしれないのでは。
娘さんがパステルカラーを着たがることに「複雑な気持ちにな」るのは本当に親としてどうかと思う。娘さんが自由意志でパステルカラーを好んでいるのかもしれないのに、それを「社会に蔓延するステレオタイプに毒された結果」としか見られないのは、ひどい視野狭窄に思える。
子供の選択の自由を奪い、感性を自分の都合のいいように方向づけしようとしているという意味では「女の子だからピンクを着なさい」と押し付ける親も「パステルカラーなんか好んじゃいけません」と教える親も大差ないだろう。
例えばドラマを観ていると、なぜか悪役は男性、さらわれたり、狙われたりするのは女性ばかりです。我が家では、そんなステレオタイプのドラマを見ると、息子が「また女の人が逃げてる!」と突っ込みます。
現実に犯罪者数は男性が女性の10倍であるのだから、人をさらったり狙ったりする役は男性のほうが自然だし、粗暴犯が力の弱い女性を狙うのも自然な選択だし、そして、ここだいじだと思うんですけど、強者が弱者を狙うからこそ「卑劣で卑怯な手口」というプロットが成立するのであって、女が力づくで男をさらうドラマなんかがあったらそれこそ「何かおかしい」どころではなく、噴飯ものでしょう!
そしてですね、いわゆる2時間ドラマでは犯人が女であることもとても多くて(断崖で泣きながら犯行動機を語る中山忍が好きだ)、現実との比較としてはむしろこっちほうこそ不自然で不平等に思えるのだけれど、それはOKということなのかしら。
例えばアメリカのドラマでは、大統領やCIAエージェントのような仕事に女性が就いていることもめずらしくありません。最近のハリウッド映画では、コンピュータが得意な女の子が大活躍したり、男性の後ろに隠れずに、真っ向から敵と戦う女性ヒロインが登場したりしています。
もー、そもそもドラマの配役をもってジェンダーステレオタイプうんぬんを語ることじたいがスカタンとしか言いようがない。
エンタメに登場する女性は、その役柄がどれだけ威勢のいいものであろうと「画面の彩りやバランス」のために配置されていて、フェミニストであるならば本来そこにこそ疑問を感じるべきだと思うんだがそこは無視っていうね。フェミニストの旗手のように崇められているエマ・ワトソンにしたって、今の地位を築いたのはハーマイオニー・グレンジャーという「冷静な優等生というジェンダーステレオタイプな役」がウケたからなのですよ。
「男性の後ろに隠れずに、真っ向から敵と戦う女性ヒロインが登場したりしてい」ることをまるで近年のフェミニズムの手柄のように語っているけれど、ワンダーウーマンの例を引くまでもなく戦う女性を描いたエンタメはむかぁぁぁぁぁぁぁしからあるし、それは必ずしも実社会での女性の地位の向上や男女平等の意識の浸透を意味しているわけではない。女性でも「暴力」で敵と戦うのはスカッとするよねというだけの話で、現実にワンダーウーマンやプリキュアのような立場を担わされたら大半の女性は「迷惑」と感じるのではあるまいか。
これ以上くどくど書いてもしょうがないからまとめるけど、この治部れんげとかいう浅い浅いフェミニストは、言ってることのすべてが「表面的な数合わせだけの悪平等」の域を一歩も出ておらず、耳を傾けるに足る主張はない。それだけならまだいいのだけれど、この人、明らかに浅薄でズレた平等意識のもとでお子様の洗脳をなさっておいでで、まあこの人の子供がどんな人間に育とうと知ったこっちゃないのですが、ちょっと気の毒に思いましたまる
昨日から鼻炎が酷くて鼻炎薬を飲んだら鼻は止まったけど市販薬なので全身干からびて怠かった。夜になっても治らないのでもう一度薬を飲んで寝たら身体は火照って暑いし朝起きたらやっぱり全身カピカピで喉が痛い。今日は2限からだからいつもよりは遅いけど家が遠いので6時半には起きないといけない。
全てのやる気が消えている。なんとか朝ご飯を食べて化粧まで済ませたけどどうしても家を出られない。あいかわらず鼻炎は酷くて全く粘り気のない鼻水が滝のように出てくる。
熱を測ったら完全に平熱だったけど今日はもう休もうかな、でも休むと面倒だし午後は必修だし放課後はサークルの集まりがあるからできれば顔を出したい。体調は良いとは言えないけど特別悪いわけでもない。
だけど必修も最近は先週から作ってきたものを見せてちょっと面談してあとは他の人が面談してる間作業するだけで半分くらい家でもできるんじゃないかってことばっかりだ。作業するのにパソコンがほぼ必須だから片道2時間半も重いノートパソコンを背負っていかないといけない。だったらもう今週は休んで家で作業してようかな。
もうすぐ学祭があるからその準備にも追われてて毎日毎日やらなきゃいけないことを消化して気がついたら1週間が過ぎている。
終わらないから毎日1時くらいまで起きていて朝は5時に起きるから睡眠時間が絶対足りてない。だけど早く寝るために作業を何もしないで1日を終えるのが怖くてつい夜更かししてしまう。ソシャゲはきっちり周回している。虚無。
リビングから今日も元気なアナウンサーの声が聞こえてきて、あの人たちは毎朝早くから笑顔で頑張ってるのにどうして私は頑張れないんだろうって思ったら辛くて涙が出てきた。こういう時に泣いてると世界で一番自分が不幸だと思っている人間みたいで嫌だ。なのに出るものは出る。
大体私の世界で一番不幸なのは自分に決まってる。自分の辛さを一番強く感じているのは自分だ。他の人から見たら私の何十倍も大変な思いをしている人はたくさんいるけど他人の辛さなんてこれっぽっちもわからないから結局私が一番辛い。
大学から家が近いくせに徹夜したとか朝起きるのが辛いとか言ってる人間が嫌いだ。絶対私の方が辛いと思う。お前は1週間に6日5時起きの生活をしたことがあるのか?
だからって一人暮らしは料理洗濯掃除ゴミ出し買い出し全部自分でやらないといけないから実家から離れられない。
この間ネットで流れてきた漫画ではこうやって人生に疲れた時、不器用だけど優しい先輩が声をかけてくれてた。そのままのあなたでいいんだよって言ってもらえてた。
私の周りには私と同じくらい辛い人間しかいないからそんなイベントは起きようがない。心の中の夢彼氏に励ましてもらおうと思ったけど疲れた心ではそんな妄想さえできない。今そのままのあなたでいいんだよとか言われたらよくねーーよハゲとしか言えないけど。
好きなことを高い学費払ってやらせてもらってるんだから授業出ないと勿体ない。だけど高い学費の割に毎回面談しかしない教授もどうなんだよ。話すと次回やることがわかるから意味がないわけではないけど待機時間がひたすら虚無だし毎回授業長引くし早めに面談終わらせて時間通りに帰るのもどうかと思って残ると帰りが8時9時になる。それから飯食って風呂入って11時。今日こそ学祭に出す絵を描くぞと思っていたのにあと1時間しか今日がない。
毎日課題と学祭の準備のことばっかり考えてて授業始まってからろくに趣味の絵が描けてない。月曜から金曜まで大学行って土日課題やってまた月曜だ。午前上がりの日も帰ったら4時前だし疲れて眠いから昼寝をすると7時前。
朝起きてから夜寝るまでずっと何かしら考えてて脳が休まる暇がない。唯一登校中にゲームやってる時は比較的何も考えなくて済むけどその時間を作業に充てられたら……とか考え始めると何もしたくなくなる。
しばらく部屋でうずくまってツイッターのみんなの推しについてのツイートとか見てたらなんとか元気を取り戻したから2限はもう間に合わないけどせめて午後だけでも出ようと思ってなんとか家を出た。すごい偉い。
今日もどうせ授業は長引くんだろうけどさっさと面談を終わらせて7時には家に帰ってテレビ見ながらお母さんのご飯食べて金曜提出の課題やって時間があったら学祭の絵を描いて12時半には寝よう。明日は1限だ。
凡人は努力しないとどうにもならないんだからせめて授業に毎回出るくらいのことはしよう。凡人のくせに努力しなかった奴より努力したけどどうにもならなかった凡人と思われる方が5億倍はマシだ。
秋と言えばスポーツの秋、睡眠の秋、読書の秋、そして食欲の秋。関東を離れはるばると馳せ参りますは福井県白町大学。本日9月2日は大原みちるトークショーin白麦祭の開催日でございますですよ奥様。開場の14時までかなり時間があったので構内を適当にうろついて時間潰し。焼きそばがうまい。
開場、まもなく満席。司会のたどたどしい挨拶とともに今をときめくスーパーキュートアイドル大原みちるが登場する。同時に割れんばかりの拍手。これにはパンドルもご満悦の様子であった。最初のコーナーはこれまでの経歴のおさらいだったが今更特筆すべきことは無いのでお辞儀がかわいかったとだけ記す。
続いて質問のコーナー。あらかじめ募集されていた質問からいくつかピックアップされたものを答える形式。うろ覚えなので箇条書き
・やってみたいゲーム→バーガーバーガー(PSがレトロゲー扱いされてたのが地味にショックだった)
・朝起きて最初にすること→スケジュールの確認(会場がどよめいたので不満ありげな表情に。かわいい)
つぎ。福井県の名物(らしい)軍隊堅パンを即興で食レポ。なんか色々言ってたけど幸せそうな表情を脳に焼き付けるのに忙しかったので内容はほぼ忘れた。コーヒーに浸して食べるのがオススメらしい。帰りに買った。
朗読のコーナー。執事役とか幼なじみ役とかやってた。近所のお姉さんキャラの殺傷能力が高かった。合い言葉は「今日は学校サボって、お姉さんと遊ぼっか!」。この辺から本格的に記憶が無い。どんどん雑になる。
覚えてないけどミニライブをやったらしい。言われてみれば腕が痛い。多分新曲。
そんなこんなでプレゼント企画のち終演。終わってみれば濃く短い60分だった。司会は100点満点とは言えないが、進行の妨げになるほど挙動不審ではなかったし、頑張っていたと思う。今回のイベントで味を占めて来年も招待してくれたらいいななんて。そのときは大学ごと首都圏に来てください。福井は遠すぎるので。どうか。
ここでテーマの変遷を見てみよう
年 | 24時間テレビテーマ | 参考:京大学祭テーマ |
---|---|---|
1978 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 振りかえれ人類の歴史を みつめよう青年の未来を もどすな歴史の歯車 我らの文化は我らの手で |
1979 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! | 今、新しい時代に立ち向かう仲間たちよ 数百年を内蔵する思想を持とうではないか |
1980 | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! | 友よ! この変革のとき 時代の胎動に耳をすまし 共に奏でよう 希望の交響楽を |
1981 | アジア・アフリカの障害者のために! 国際障害者年記念 | 今、戦争と平和の対峙の時 80年代の行く手を示す羅針盤を我らの手に |
1982 | ストップ!ニッポン姥捨て時代! | 草の根も 花も咲いたら ひざまずき ひろひとおがんで むせび泣く 人は昔にゃ戻れないピーピーヒャララ ピーヒャララ |
1983 | 君の地球のボランティア! アフリカ飢餓緊急援助! 世界コミュニケーション記念 | 万声一京 極祭色 騒がぬ民に 盛りなし |
1984 | この地球の未来は子どもたちのもの! | 海を、荒れた海を見つめながら 彼女は呟いた 「わたしは誰?」 |
1985 | アフリカ飢餓救援 | もうすぐきっと冬になる 騒ぐんだったら 今のうち |
1986 | 寝たきり老人にお風呂を! 身障者にリフト付きバスと車椅子を! そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! | えっせん あーす げげっせん よんせん はっせん |
1987 | SAVE THE CHILDREN | 白い乳房の上の11月祭 |
1988 | 君は地球のボランティア お年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! | 裏からのぞけば 見えてくる |
1989 | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! | 堕落への誘い |
1990 | 地球を救え!10年計画 | ・・・・・・そして創造-草の根からのルネッサンス |
1991 | 雲仙・普賢岳災害救援! 寝たきりのお年寄りにお風呂カーを! 障害者に社会参加を! アジア・アフリカに海外援助を! | ヤルハ粋狂、 ヤラヌハ卑怯 |
1992 | 愛の歌声は地球を救う | 人が右なら 私は左 |
1993 | 出会い | 花も実もある 根も葉もない |
1994 | チャレンジ! | 古今東西 有実無題 若気至りて無限大 |
1995 | もう一度、チャレンジ | 我輩は京大生である 理性はもうない |
1996 | ONE LOVE 〜つなげよう!ひとつの愛〜 | 知と痴の融合 |
1997 | 勇気を出して | 狂うは一時の恥、狂わぬは一生の恥 |
1998 | いま、始めよう | 堕落の道も一歩より |
1999 | 伝えたい…夢のちから! | 素晴らしき無駄なエネルギー |
2000 | がんばる…君のために! | 無人島ダンス |
2001 | 家族って何? | それはそれ これはこれ |
2002 | 家族で笑ってますか…? | 総長! 京都を占拠致しました! |
2003 | あなたを一番愛する人… | やっぱ京大やし。 |
2004 | あなたの夢はみんなの夢 | 倒れる時は前のめり |
2005 | 生きる | せっかくだから |
2006 | 絆(キズナ) 〜今、私たちにできること | 溢れる才能の無駄使い |
2007 | 人生が変わる瞬間(とき) | 満喫! モラトリアム。 |
2008 | 誓い 〜一番大切な約束〜 | 単位より大切ななにかを求めて |
2009 | START! 〜一歩を踏みだそう〜 | 失った常識のかわりに |
2010 | ありがとう 〜今、あの人に伝えたい〜 | 仕分けできないムダがある |
2011 | 力(ちから) 〜わたしは、たいせつなひとり。〜 | 年に一度の計画発電 |
2012 | 未来 みらい | NFって、出席点ありますか? |
2013 | ニッポンって…? 〜この国のかたち〜 | 京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。 |
2014 | 小さなキセキ、大きなキセキ | 「 」 |
2015 | つなぐ 〜時を超えて笑顔を〜 | 「ばっかお前・・・俺がついてるだろ!」 |
2016 | 愛 〜これが私の生きる道〜 | 「ぽきたw 魔剤ンゴ!? ありえん良さみが深いw 京大からのNFで優勝せえへん? そり!そりすぎてソリになったw や、漏れのモタクと化したことのNASAそりでわ、無限に練りをしまつ ぽやしみ~」 |
2017 | 告白 〜勇気を出して伝えよう〜 | 戦争に加担した大学から平和を希求する大学へ 軍事研究するヒマがあったら、みんなで肩組んで騒ごうぜ! |
2018 | 人生を変えてくれた人 | 未定 |
惰性も惰性で脳が完全に溶けてしまっている
バブル崩壊あたりから酷いが、リーマンショック後から知能指数が更に落ちた