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はてなキーワード: 蓮花とは

2021-11-06

初めて聞いた時にすごい笑顔なっちゃう曲あるよな

これ好きすぎる、こんな曲あってええんか、マジか!ってなるやつ

ないすか?俺はある

Santiago MotorizadoさんのAmor en el cine これはマジでいい

まず「映画館での愛」っつうタイトルがいい

日本語だと愛ってあんまり連発する概念じゃねえし、「映画館」って単語もそこそこ画数が多い漢字三文字から結構かたい感じになってしまうな

違うんですよ

愛、amorは、知らんけど、多分わりとカジュアル表現できるものくさい

「この曲愛してる」みたいな表現YouTubeコメント欄でわりと見る

好きの一段階上、くらいの理解で良さそう

ほんで、映画館だって、「館」なんて大袈裟ものはつかずに、cine、シネの二文字

映画館行こうぜ、よりシネ行こうぜの方が絶対気楽だ

なので、Amor en el cineを「映画館での愛」なんて言っちゃうやつはセンスがないですね 誰だ?そんなこと言ったの 俺だった

とにかく、言語感覚が違うので、多分うまく訳すことはできないんだが、とにかくアモール・エン・エル・シネですよ

「ねえ君、あの映画を見に行こうよ」

ああー違うな もう、一行目から難しい!

Ey nena,一番好きなスペイン語ひとつかもしれない つってもまあ要はHey, babyなのですが…

俺はサンティアゴモトリサードさんが優しい声で言うEy nenaしか知らないから、そのイメージがすごく強いんだよな

ヘイベイビー、って言うとサングラス・革ジャン・イケイケみたいなイメージが頭に浮かんでしま

エイネーナは違う こう、もうちょいなんと言うか、文学的な感じがするんですよね

でもこれは完全に偏見なんだよな 多分普通にヘイベイビーではあるんだと思う

それはそれとして、どっちにしてもうまく訳せないな

まずEyってなんなんだよという話はあるよな

やあ、ヘイ、よう、なあ、ねえ 多分この辺全部いけちゃうんだよな、Ey

文脈としては、映画に誘えるような間柄だし、まあ「ねえ」かな

でも多分「ねえ」にある若干ウェットな感じってEyにはないんだよな

でも「なあ」はちょっとぶっきらぼうすぎて解釈違いですっ ここは「ねえ」にしとこう 「エイ」だとお祭りみたいだもんな

そんでネーナだよなあ ネーナとかベイビーとかダーリンとか、なんならyouですら訳出が難しい

言わねえもんな

彼女映画に誘うとしたら「ね、映画行かない?」くらいになりそう 二人称は入んねえ あっでもこれ「ね」入ってんな! やっぱ「ねえ」だな

ネーナ…なんだろうなあ 「君」ってわりと距離感あるもんな いっそ「ねえ」だけでいいのかもしれないけど、nenaって単語を落とすのは悲しい

いや、でも自然日本語って意味では落とさざるを得ないわね 落としましょう!

「ねえ、あの映画観に行こうよ」

「僕、あの映画監督すごい好きなんだよ」

「ねえ、今夜はひとりにしないでよ」

「僕は全部すごい好きなんだ」

ああもう難しすぎる!!!

つかこの曲すげえey nena出てくるな oh nena もある どうしろってんだ

答え:原文のまま味わえ 

あの映画監督の大ファンなんだ、つった後に「僕はすべての大ファンだ」っていうんだけど、これがいい

映画館の暗闇の中で」

映画館にいるのがどれほど好きか君に言うよ」

「でも僕の心には君用のスペースもあるんだぜ」

「でもね、僕は全部に惚れてるんだ」

これ翻訳不可能なきがしてきたな

英訳するか

"Oh baby, in the darkness of the theatre,"

"I will tell you how I love being in the theatre"

"But also there is space for you in my heart "

"But baby, I'm in love with all"

やっぱ英語って気取ってて気に食わねえな

estoy enamorado de todoニュアンスってもしかするとスペイン語しか存在しないのかもしれない

多分なんですが、君の全てに惚れていますということではなく、世界のあらゆるものに惚れていますって意味だと思う

そうだよな多分

そうなんですよ

あの映画監督だけじゃなくてすべてのファンだし、君だけじゃなく全てに惚れてるんすよ

そういう人間の歌なんだよ

めちゃくちゃいいんだよな

映画館の暗い中で、っていうから告白するぞみたいなのがくんのかと思うじゃん

映画館にいるのがどれだけ好きか、ですよ

実際俺は、映画館女の子と一緒に行ったとして、

増田くんのことが大好きです」って言われるより「私映画館って本当に好きなんです」って語られた方がグッとくる

自身田舎もんだからあんまり映画館行かないのですが、いいよなあの空間

かにしないといけない雰囲気と、ちょっとした圧迫感と、緊張感、非日常

地面とかなんか全部絨毯だしさ

目に入るもの全部が人工物じゃん

薄暗いしな 廊下ですらやや薄暗いイメージある

ああ映画館行きたいな 俺は馬鹿なのでダイハードとかしかたことないが、もうちょっとこう、それこそアルゼンチンあたりの文学性ある映画を見たい気もする

いやでもそういう、文学性とか気にしてんのがダサいって話だよな 見たい映画を見るべきですよ

なんの話だっけ なんの話かというと、いい曲ってあるよねという話

これはいいな〜〜と思ったんだよ今日

良すぎて笑いが止まらなかった

そういうことってあるよね あって欲しい

  

いや待てよ El gomoso これもメチャクチャいいな 

Gomosoってのが正直意味がよくわからないんだが、ゴムっぽい→粘っこい、みたいな連想で、どうもこう、ストーカーじゃねえけど、粘着男みたいなニュアンスで使われているような気がする

君にとって僕はウゼー粘着男にすぎないのだ、みたいな感じなんですか?(知るか)

この曲はいい メロディがすげえ好きだ

歌い方もいい

あっ、つかこの曲もey nenaから始まってんな やっぱey nenaなんですよ

でもこの曲のey nenaはわりとヘイベイビーって感じだな 呼びかけって感じはしない 

これぜんぜん脈無しの恋愛ソングだし、たぶん呼びかけが届く位置に君はいないんだよな

「ヘイベイビー、僕は君のゴモッソだぜ、僕は君のゴモッソ!」

まずサビの顔見せから始まるのが良い

サビを短めにやってからAメロかに入る構成好きなんだよな 紅蓮花とかもそうだよな

ゴモッソなんなのかイマイチわかんなくて、まあ、粘着男くらいかなあ…… ゴム質、粘着質のほかにチャラチャラ系ナヨナヨ男みたいな意味もあるっぽいが、この歌はナヨナヨ度関係なさそう

「悲しい今夜は君のことを考える、君のことを考える」

このフレーズいかにもAメロっぽい始まり方がいい estaのeが伸びるのがすげえ好き

noche tristeは直訳で悲しい夜なんだけど、これは結構難しい

悲しいっていうと行き過ぎな気もするんだけど、実際わからない 何もわからない

で、君のことを考えるって2回言うのがかなりいい しかも俺の大好きなvosが出てくる サイコー

「君が僕のことを思って悲しくなってるのを見たいぜ、すげー正しいだろうな」

とりあえず「正しい」としたが、ここのjustoの意味合いはもうお手上げ

言及されている感情自体メチャクチャわかる

片想いの段階だとすげえあるんだよなその感情 相手自分のことを思って自分と同じくらい狂っていてほしいという感情 それはあります

なのでまあ、やっぱりjustoは正しいとか公正とかってことでいいんだろうな

君が僕のことで悲しくなってたら、それは"正しい"だろうな、と うーん…イイ

「でも気づいちゃったよ、僕は感情のあるロボットなんだ」

「でも気づいちゃったよ、僕は感情のない君のゴモッソなんだ」

全体的に難しすぎて嫌になってきた

まあ、イケてないってニュアンスなんだよな要は

サビを挟んで2番 このサビの明るさがいい

明るい失恋ソングってすげー好きだな

トンビ飛べなかった』とかメチャクチャ好き

で、2番ですよ 2番が一番好きかも

「僕は君に心をあげるよ、僕は君に心をあげる」

「僕は君に心をあげる、君がそれを笑ってくれるように」

訳が下手すぎて死にたくなってきたな

とにかく、僕は君に心を渡すんですが、それでどうなるかって言うと、君がウケるだけなんだよな

たぶんバカにして嘲笑みたいな感じだと思う

こういう必死かつ絶望的な好意みたいなやつ、見る分にはかなり好きだな

「君が気にいるかなと思ってこのシャツを買ったんだけど、いまはこのシャツのせいで泣けてくるな」

ここでシャツを指すremeraなる単語、完全にアルゼンチン語で笑ってしまった スペイン語だとcamisetaとかで、マジでカケラも似てねえ!

remera、覚えておきたいな

単語もいいけど中身もいい 

頑張って選んだプレゼントがフラれたあと致命的な呪いの品に化ける、みたいなテーマメチャクチャ好きですね

ここから先がもうすげー好き

「あの夜はすごくmágicaだった、すごくmágicaだった、すごくmágicaだった、

あの夜はすごくmágicaだったんだよ、僕にとっては」

「で、君にとってはすごくゴモッソだった」

もう翻訳を諦めつつある

しかしこのmágicoという概念メチャクチャ好きなんだよな

magicalとおんなじで、魔術的な・魔法のっていみに加えて「うっとりするような」みたいな訳が辞書にはのっていて、その意味だと思うんだけど、やっぱこう、魔法の要素は外せないよなあ

いっそ「あの夜は魔法みたいだった」みたいに訳した方がええんかもしれん

いやでも、「みたい」なんてつかないもんな 非常にmágicaだったわけですよ もう、そういうことですよ

歌い方もうっとりしたような感じで、なんと3回繰り返す もう泣いちゃうよ俺は

その直後に、おなじみのゴモッソ概念がでてくる

粘着質な夜、ゴムみたいな夜、まあい意味ではないよな 

しつこい夜?なんだろう、とにかく、僕はもう舞い上がっちゃってさあ、mágicoなんて言っちゃうくらいウットリなのですが、君にとってはむしろイヤ〜なウザい夜だったってワケ

ムチャクチャいい

mágico概念の良さが反転して悲しさに変わる それが本当に良い

そんでサビでシメですわ

僕は君のゴモッソ!とヤケクソみたいに言って終わる 潔い

このnenaってどういう感情なんだ マジでわからん

わからんけど、すげえ良い

今日は2曲も発見できてよかったです

以上……

 

……

これ、gomosoってグミとかアメとかそういう感じのものを指してる可能性あるっぽいな?!

だとすると、俺の解釈はまったくの的外れということになりそう

ウーン……

2021-03-12

anond:20210312134823

だって邦楽ランキングうんこじゃん。何十年同じことしてんだって感じ

もちろん日本ランキング外だったらたくさん面白いのあるけどね

日本DJ面白いボカロ方面からのも面白い

 

澤野 弘之 とかはすきよ

それ以外だと ポプテのOPPOP TEAM EPIC がよかった

 

しろ同じことしてるから良い路線だと

nonoc の Memento

TiaDeal with the devil

蓮花 (ビーイングの人)

A応P

ReoNa

LiSA

特に ReoNa や LiSA 声も歌詞もいいよね

2020-12-08

anond:20201207121329

なんで鬼滅は大人に大流行したのか、の方がわからない。

うちには小学生男子がいるが、鬼滅は少なくとも去年の秋頃には大流行していた。

よくわからない歌をしょっちゅう歌っていて、後でそれが紅蓮花であることがわかったのだが、一切鬼滅アニメ漫画を読まないうちの子が歌う程度には学校流行っていた。

会社アンケートで「今子供に人気のものは何」が回ってきて「鬼滅の刃」と答えたら「なんですかそれ?」と聞かれる程度には、身近に子供がいない普通大人の間では無名存在だった。

それがどうだ。

はいい年した大人がみんな鬼滅の刃鬼滅の刃と大騒ぎ。

やれあの回は神回だとか、泣けるとか、熱く語りすぎだろ。

子供に大流行したのは、休校中にサブスクを見たから、という説が流れているけど、子供の間ではとうの昔から鬼滅流行っているのでそれは間違いである。

しろ大人が、在宅になってサブスクで鬼滅見たから、一般大人の間で爆発的に流行った、という方が正しい。

それにしても、選択肢がたくさんあるサブスクアニメ選択する大人限定的だと思う。

子持ちの大人ならわかる。

なぜ子供のいないアニメに興味のなさそうな大人まで、あんなに騒いでいるのかがさっぱりわからない。

2020-10-20

鬼滅ポエム

自分鬼滅の刃アンチでもファンでもないものである。が、鬼滅にクソデカ感情ポエムをしたためる者である

にわかファンでいられなくなった者として、アンチにだけはなりたくないものとしてポエムを書いて去ろうと思う。

黙って去れよと自分でも思うが、なんか大げさなテンションでお別れを世界に発信しないとずるずるひきずってタチの悪いアンチになりそうなのでクソデカ感情の供養として誰かがみてくれるんじゃないかという期待と誰も見ないか大丈夫という慢心のバランスが最高なはてな投稿させてもらう。

まず初めに、作品及び制作陣、宣伝も含め関わる全ての人におめでとうございますを述べる。正直ここまでのコンテンツになるとは思っていなかったので、凄いとしかいいようがない。おめでとうございます

次に、鬼滅の刃に初めて触れたのは去年くらいで、その後もファンだったかといわれると怪しいし、ファンが闇堕ちしてアンチになろうとしているというある種同情できる立場でもない、本当になんだお前という立ち位置の者でしかない。我ながら苦しんでいること自体意味不明だ・

私にとって、鬼滅の刃動物園大事にされているうつくしく高級なうさぎのような作品でした。一見同じようなうさぎはいるけれど、一線を画す上等な毛並みで手入れも一級品。柄も独特で動きもダイナミック。動物園まで見に来るにふさわしい素敵なうさぎでした。新聞の一面を飾ってもおかしくない、どこに出しても恥ずかしくない立派なアニマルだったのだ。私は特別うさぎが好きではなく、詳しくもなかったけれど素人目にもその評価はゆるぎなかった。でも、世界で数頭しかいない絶滅危惧種とかではなかった・。

アニメも一挙で見て漫画も借りて読んだけど満足感と共にブラウザを閉じて、Twitterを空けてキーワードを打ち込んだり連続ツイートをしたりすることはなかった。

いい作品だと思う。でもどうしても、ワンピースBLEACHジョジョと同じカテゴリには入れられない。

それらの作品の持つ、本当に世界がもう一つあるような、悪魔の実スタンド斬魄刀といった架空物が実在の遠い国の首相名前と同じように一般名詞として存在感のあるものと感じられる気分にはなれなかった。面白いとか面白くないとかそういう問題じゃなくて、コンテンツとしての質量の大きさが違うのだ。現実世界観を侵食してしまうような、作中世界の物理法則法律人種差別問題好き嫌い以前に自然に頭に入ってしまうような、そんな性質作品だと思えないのだ。もっと素朴で、たまに頷くような、そんな作品だった・

全く関係ない作品だけど、ちょっと前に終わったサンデームシブギョーとかと同じ立ち位置だった。大きなヒットはしなかったけど、メジャー少年誌に載るにふさわしい面白さで、派手じゃないけどグッとくるシーンがあって、キャラのことを穏やかに愛していられた。

でも、今の鬼滅の現状を見ると視界がぐるぐるしてとてもとてもいたたまれない気分になる。

高級ですばらしい兎を、そろそろ種の存続が怪しいホワイトタイガーとして売り出しているような違和感

そんなに無理をしなくても立派な価値があるのに、これこそ当世イチのスーパーアニマルでござい、と売り出しているようなちぐはぐさ。

そういう売り出し方やマスコミ批判するつもりにもとてもなれない。不景気きわまる昨今、ここで売らなきゃどうするのかとすら思う。迷惑だとかしつこいとかい記事を見るたびに、難民船のSOS文句をいう様なものではないかみたいな感想が出る。理性がたしかにそう叫んでいるのだ。

でも、それでもジブリを越えるかもといわれると宇宙を背景にした猫のような顔になってしまう。

そんなことを考えている自分も嫌だ。好きか嫌いかならいものの、それとは別に作品としての格」みたいな厳然とした基準勝手にもっていたことを痛感する。

スラムダンク黒子のバスケ比較された時、どちらも素晴らしいといったのはきれいごとだったのだと、今は思う。

自分黒子のバスケが大好きだ。初めて単行本を買い、はじめて二次創作を書き、コラボ商品を欲しがり、劇場へと足を運んだ。今でも心の大事な部分を占めている作品であるしかし、もしも黒子のバスケニュースで「スラムダンクを越える」と言われていたら、きっと同じような気持ちになっただろう。個人的思い入れがあるぶん、もっとしかたかもしれない。ファンの誰かが「スラムダンクよりすごい」というたびに「それは作品の為にならないからやめてくれ」と思ったのは、謙虚さへの希求ではなく比べられたら困るというある種の逃げだったのだと思う。

私はこのところおかしい。もはやニュースから蓮花が聴こえれば耳を塞ぎたくなり、緑と黒の市松模様が目に入ればブラジャーファンアートだとしても笑顔にはなれない。

バラエティゲスト出演する花江さんの笑顔すら、もう穏やかな気持ちでは見れない。

土曜プレミアム特別編は二週ともフルで見た。いい作品だった。一緒に見ていた初見家族質問にも逐一答えて、CMに入れば解説をした。最後まで楽しめた。どうだ私はファンなのだと胸を張れるんじゃないかという気分になった。でも、翌朝のニュースで鬼滅を見ると、やっぱりくるしかった。

自分にはもうこの熱狂の内側に入ることはできないのだと実感して、さびしさが半端ない。妬ましさと惨めさで、ファンの泣けたという素朴な感想まで胸が痛くなる。

進撃の巨人も、鬼滅と同じようなキャンペーンの経緯で見た。ハマったか、好きだったか、と言われるととても楽しませてもらったけどファンといえるほどのめりこみはしなかったと思う。でも「とんでもないぞ」と思った。好き嫌いじゃなく、えらい生き物が発見されてしまったと思った。世界が変わってしまうのも仕方ないと納得せざるを得ないような、そんな理不尽エネルギーを持つ作品だった。

鬼滅にはそれはなかった。何度見ても、高級で毛並みがよくてすてきなうさぎだった。それから何度も鬼滅の話題ニュースを見て、うさぎの毛並みすら褪せてみえるようになってしまった。

グッバイ鬼滅。自分の知らないところで幸せになって、というとおかしいのでみんなを幸せにしてください。いつかこんなめんどくさい気持ちが死に絶えたら何らかの形で気持ちよくお金を落とします。

 
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