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はてなキーワード: 土曜プレミアムとは

2023-07-01

土曜プレミアムタイタニックやってる

映画館家族と見に行ったのは小学5年生の頃だったな。

AVもまだ見たことなかった小5の男子に、スクリーンに大きく映し出されるケイト・ウィンスレットおっぱいは刺激が強すぎた。

親が隣にいる気まずさと、静かな空間美女全裸を見てる背徳感でとても興奮した。

2021-09-28

鬼滅の刃広告システムの在り方が問われたのに何故気づかない?

広告っていらなくない?

フジテレビ土曜プレミアム鬼滅の刃無限列車編が放送された。

実際に見た人ならば「CM多すぎ問題」は肌で感じたと思う。

一言問題をまとめると、「CMが多すぎて作品の良さが殺された」ということだ。

で、改めて問うんだけど。

CMっている?いらないよね?

はい、ということで「CM広告うぜえ」という感覚を多くの日本人が持っている中で問題をぶち上げます

そもそも全ての広告はウザいものである

広告の内容が面白い面白くないかに関わらず、見たくもない広告はウザい

これが前提ね。

①と②は似てるようで少し違う。コンテンツとして面白い広告があることを私は否定しない。

鬼滅の刃提示された問題は「鬼滅が見たいのに良い場面で何度も何度も広告が挟まれてムカつく」というもの本質だよね?別に1回や2回、CMが挟まれる分には構わなかったはずだ。

これから極端なこと言うけど、私はその辺ちゃん認識してるって意味で書いた。

はい、ということで本編です。

『ウザいけど、無料だし広告が入るのはしょうがないよね』

これだよ。これ、主流だよね。無料アプリなら広告が入るのは当たり前、課金すれば取れるよ。

テレビ基本無料だけど、CMによって成り立ってるんだ!ということだよね。うんうん。

は?

なんなの?「しょうがないよね」じゃなくね?

なんでウザい広告を見せられるのが当たり前になってるわけ?

おかしくね?いや、おかしくね?

だって広告ってさあ、ウザいじゃん。できれば見たくないものなわけじゃん。

なんで日常広告を当然のように組み込んでるわけ?

問うてるのは貴方達の意識なんですよ。

広告っていらなくない?

だってさあ、可能なら鬼滅の刃を私達はフルで見て、煉獄さんが死亡した直後に『うおおおお!甲子園を目指すぞ!竈門少年!』みたいな台無し広告を見たくないわけだよね?

なんで視聴者から無料から仕方ない』って妥協してんの???

仕方なくないよね?だって広告さあ、ウザかったじゃん。どうしてウザいけど、これは世の中に必要ものから…みたいな態度を、不快にさせられた側が納得してんの?

私達がするべきは、広告というものへのヘイトもっと高めるということだよ。

無料で見る=広告が入るって前提みたいになってるのおかしいでしょ。人質ビジネスじゃん。コンテンツを見たければ興味のない不快ものを見ろ!

って、ビジネスモデルとしておかしいよね?

なんでみんな広告ビジネスモデルに肯定的なの?

こう、極端なお気持ちを表明すると、「そもそもお前の文章がウザい」という人間もいるだろう。それは構わない。言葉暴力で存分に私を排除しにかかればいい。

ウザいものは、叩いて排除する。私はこれを人間社会で最も正しい自治機能だと思っている。あまり使いたくない言葉だが、自浄機能だ。

から私を叩く感情論を私は全面的に支持する。存分に殴り合おうじゃないか

問題自分理性的社会人だと勘違いしているゴミの方だ。

広告がなきゃ食えない人がいる」「広告がなければ良いものが広まる機会もなくなる」「広告ビジネスがなければ成り立たないコンテンツがある」などと言うのであろう。

関係ねえよ全員干上がって死ね

いや、簡単な話で、家族全員路頭に迷っちまえばいいだろ?他人不快にさせて、見たくもないものを見せて食ってるような人間は全員失職すればいいだけの話だ。

広告によって支えられているコンテンツがある、それらを失うのが耐えられない、いわば広告ビジネス自分win-winなんだ、という人もいるだろう。

そんなコンテンツ全部なくなっちまえばいいんだ

いや、簡単な話だよ。無料じゃなきゃ見ないものなんてのは、なくて構わないものなんだよね。

本当に価値のあるものならダイレクトに金を払えばいいだろ

技術システムの成長で、クリエイター投げ銭をすることも出来るようになったし、「欲しいけど買えない」なんて場面はほとんど無くなってきたし、これから無くなるだろう。

しか別にインターネットの、例えば掲示板の会話だとかさ、「歌ってみた」「作ってみた」なんてのは、みんな本来無料でやってたことなんだよ。

ほとんどの場合広告がなきゃコンテンツが成り立たないというのはただの誤解。

結局何が言いたいのか

広告ちゃんと憎む心を忘れるな。

②アドガードを入れろ。

広告で見たものを買うな。

①については解説要らないだろう。

鬼滅の刃ロードショーで「広告多すぎ、邪魔」と感じた心が貴方本心であり、それは当然主張していい権利なのだ

まずはなんJの下のwikiを見ろ。

https://wikiwiki.jp/nanj-adguard/

今はちょっとブロッカー関係で揉めているが、私と同じく「アフィリエイトによって居場所を殺された人間」たちによってつくられた、信用できるwikiだ。

なんJはその9割がゴミだが、上のwikiは憎しみという人間にとって最も原初的感情から作られたwikiだ。一見価値はある。

とにかく頼むから広告ブロッカーくらい入れてくれ

クソみたいなアフィサイトを憎めと言っているんじゃない。「ウザいものを視界から排除しなよ」と言っている。

まさかYouTube広告とかまともに見て生きてる人間いないだろ、と考えていたが、結構いるんだよな、これが。フィルターかければ0に出来るんだから入れよう。

何度も言うが、

広告ブロックされて困るようなコンテンツは全部なくなっちまえばいいんだよ

から気兼ねなく入れろ。

これは別にしなくていい。広告見て良いものだと思ったら買えばいい。

ただ、忘れないで欲しいんだけど

人類歴史で最も広告というもの価値見出したのはナチスドイツだ。

結局の話、広告なるものは人の意思を曲げさせる洗脳行為だということを念頭に入れておくだけで大分違うと思う。

こんなクソみたいな長文読んでくれてありがとう

総括する。「無料から広告が入る」という前提はおかしい。少なくとも、消費者側がそれを肯定的に捉える必要性がない。

ウザいなら見たくないと叫べ

鬼滅の刃無限列車編のロードショーが我々に伝えた、最も考えるべきメッセージとは、現代広告の在り方である

2020-11-27

炭治郎と禰豆子のカップリングが好きだ

僕は最近鬼滅の刃にハマっている。

以前TVアニメ放送されていたのが2019年4月から9月の事らしいので、丁度1年以上遅れて好きになった訳だ。

放送当時も一応見ていたけれど、「ああ、空の境界Fateufotableが好きそうな作風だな」と思ったくらいでその頃はそこまで興味が無かった。

鼓の屋敷から伊之助登場あたりで顕著になったと思うけど、話の進みがそこまで早くないのだ。

OPでは初めから鬼殺隊の主要メンバーが登場しているのに、1クールが終わってようやく伊之助が仲間になるかならないか…くらいのペースに、やきもきさせられた。

2クール目の終盤など、鬼殺隊本部連行された炭治郎と禰豆子が傷を癒し新たな任務に向かうまでの話に4話以上使うのだから堪らない。

古き良きジャンプアニメといえばそうだけど、例えばufotableが以前製作したTVアニメ版のFate/ZeroやFate/stay nightなら2クールもあれば話は終わっている。

アニメ鬼滅の刃の続編が劇場で公開される事は放送が終わってすぐに公表されていたと思うけど、この「続きは劇場で!」というやり方も正直嫌ではあった。

ジャンプ作品長編アニメーション映画は本編と時系列上は関係ない番外編をやるもの、という意識が僕にはあったからだ。例外殆ど無いと思う。

その結果はご存知の通り、現在公開中の「劇場鬼滅の刃 無限列車編」は日本映画史の記録に残る歴代興行収入2位という凄まじい成果を叩き出した。間違っていたのは僕の方だった。

鬼滅の刃アニメ放送終了後、女性ファンを中心に人気が爆発し流行した事が話題になった。

去年の終わりかそれとも今年の初めの方だったか、30~40代女性に高い人気を得た作品としてTVでも取り上げられる事が多くなった。

2019年年末紅白LiSA主題歌の「紅蓮華」を熱唱した事でアニメ漫画には興味の無かった人達にも曲は有名になったんじゃないだろうか。

この作品が、ニュースで取り上げられた時のように女性層だけでなく、老若男女関係なく幅広い層に支持されるようになったのはいからだろうか?

特にアニメをプッシュしている訳でも無いスーパーマーケットドラッグストアー・コンビニエンスストアに、鬼滅の刃コラボした各社の商品が並ぶようになった。

「ああ、この作品は本当に人気があるんだなぁ」と自分の身で実感出来た時、僕は鬼滅の刃の事が好きになっていた。

土曜プレミアム放送された総集編の「兄妹の絆」と「那田蜘蛛山編」を見たのが決定的だったかもしれない。約1年振りに見る鬼滅の刃だった。

放送時は話の進みがゆったりしていた事に不満があったけど、総集編で一気に見るとそこが解消されて良い部分しか残らないのだ。

放送終了後に人気が爆発したというのも、動画配信サイトで全25話を一気に見れる事と関係があったのだろうか?とにかく、まとめて見ると鬼滅の刃面白さがとても理解やすかった。

ここから本題

僕は鬼滅の刃キャラクターの中でも主人公竈門炭治郎とヒロイン竈門禰豆子の二人が特に好きだ。

人食い鬼に家を襲撃され一人の妹を除いて母親と他の兄弟を皆殺しにされた長男と、鬼に襲われた際に自らも人食い鬼へと変えられてしまった長女。この二人が鬼滅の刃という作品の主役である

炭治郎はこのたった一人の妹を守るために戦う。これまで争いとは無縁だっただろう少年が、鬼になった妹を守るために鬼狩りを生業としている凄腕の剣士に一本の斧で立ち向かった。

禰豆子は人食い鬼に変えられても、兄を食らいたくないと涙を流した。鬼になったばかりで重度の飢餓状態でありながら兄を食らう事より兄を鬼狩りの剣士から守るために戦う事を選んだ。

鬼狩りの剣士は、この二人は今まで見てきた鬼とその被害者とは何かが違うと感じ、この兄妹に行く道を示した。鬼になった人間を元に戻す方法を探すため、炭治郎と禰豆子は二人で孤独な旅に出る。

鬼滅の刃1話の大まかな流れはこんな感じだろうか。人を食らう怪物となった妹をそれでも守ろうとする兄と、人を食らう怪物になってもそれでも兄を守ろうとする妹。実に心に響く関係性だと思う。

この兄妹が仲睦まじく一緒に居る所を見るだけで、何だか嬉しくなってくる。現在発売されている鬼滅の刃コラボ商品も大体この二人がセットになっているので、そこも嬉しい。

原作者吾峠呼世晴先生ufotableアニメーターさんが描き下ろしたこの二人の公式絵も、非常に華があると感じる。兄妹として二人一組として生み出されたキャラなので、並ぶと絵になるのも自然なのかもしれない。

タイトルには「カップリングが好きだ」と書いたが、僕は本当に炭治郎と禰豆子にカップルになってほしいとまでは思わない。元増田言及しているように、直接的な描写が無いが禰豆子は公式には善逸と結ばれたと言われている。

もっとも、直接的な描写が無いので、善逸は禰豆子に振られてその子孫同士がくっついたのではないか?と言っている人も居る。禰豆子は鬼殺隊の風柱・不死川実弥と結ばれたのではないか?と考察している人も居る。

僕としては、禰豆子が鬼と知りながらも人間女の子と変わらぬように接し続けた善逸の好意が禰豆子に通じてこの二人が結ばれたなら喜ばしい事だ、と思う。

一人で鬼になった妹を背負って戦い続けてきた炭治郎の優しさと頑張りに真っ先に気付いて、炭治郎の大切な物が鬼だと知りながらも命懸けで守った善逸だから、炭治郎から評価が初期から極めて高いのも納得行く。

それはともかく僕は炭治郎と禰豆子がカップルのようになっている二次創作も好きである。前言と矛盾するようではあるけど、要はこの二人が仲睦まじければそれが良いと思っている。

禰豆子が作品ヒロインでありながら妹であるのは、主人公である兄・炭治郎と絶対恋仲にならない関係から、という考察を聞いた事がある。

かに禰豆子には少年漫画ファンによく居る熱狂的なヒロインアンチはどちらかといえば少なく、むしろマスコット的なキャラクターとして女性ファンからも高い人気がある。

そんな炭治郎と禰豆子がカップルになるなど原作無視も良い所ではないか!と思わなくもない。別にカップルでなくてもこの二人が兄弟として家族として仲睦まじいだけでも僕としてはある程度満足出来る。

ところで、鬼滅の刃二次創作において最も勢いがあるキャラクターカップリングは、鬼殺隊の水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶの二人組だと僕は感じている。BL界隈の事については詳しくないので失礼する。

しのぶさんが原作に初登場した時からこの二人は一緒に行動していた。意見対立から二人で刃を交えたり、体を絡ませるような事もあった。アニメではしのぶさんが冨岡さんに「月が綺麗ですね」と語りかける場面もあった。

口下手であり人付き合いの上手くない冨岡さんを、何かと世話焼きなしのぶさんが構ってあげている…という関係性であり、しのぶさんはよく冨岡さんを指で突いたり二人きりになると彼を下の名前で呼ぶなど意外な一面もあった。

こうやって見ると、なるほど、確かにこの二人は親密な間柄で実は恋人同士なのではないか?と思う人が少なからず居る事も分からなくはない。冨岡さんがしのぶさん以外の同僚と壁があるのも理由の一つだと思う。

美男美女であるこの二人は、並んで立つととにかく絵になる。鬼滅の刃が何かの商品コラボした時もいつも二人で一セットという扱いである。容姿を見ると確かにお似合いだと思う。

しかしこの水柱・冨岡義勇と蟲柱・胡蝶しのぶのカップリング所謂「ぎゆしの」は公式設定という訳ではない。初登場時二人一緒に行動していた事以外、それ以降この二人が本編で絡む事は殆ど無かったのだ。

鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴先生キャラクター同士の好意恋愛関係を描くのは好きな漫画家さんだと思う。その吾峠先生がこの二人の恋愛関係を描かなかったという事は…原作でこの二人は脈が無かったのでないだろうか。

勿論公式であろうとなかろうと、二次創作を楽しむのはファン自由である今日鬼滅の刃ファンはぎゆしののイラスト漫画を描き小説を書く事だろう。それだけ「ぎゆしの」に心を惹かれたファンは多い。

炭治郎と禰豆子のカップリング所謂「炭ねず」も非公式であるこちらは鬼滅の刃二次創作カップリングとしてはマイナーではあるけど、見たところ熱心に愛好するファンはぽつぽつ居るように感じられる。

こちらは原作ではお互いが違う相手と結ばれたので公式になる可能性は100%無い。まあ兄妹でくっつくのはインモラルだし仕方ない事だと思う。二人とも誰とも結婚せず山奥で静かに暮らす、という展開なら無くもないだろうけど。

そういう僕からすると、禰豆子が善逸と一緒になり炭治郎から離れていくという公式の展開は少し寂しくはある。勿論禰豆子と善逸が幸せならそれに越した事は無いと思う。

炭治郎は鬼になった禰豆子を人間に戻すために、禰豆子が人間としての幸せを掴めるようにと命を懸けて戦い抜いた。その禰豆子が一人の人間としてこれから逞しく生きていくなら、炭治郎は誰よりも喜ぶだろう。

鬼滅の刃」は炭治郎と禰豆子の兄妹の話からまり、炭治郎と禰豆子の兄妹の話として終わった。誰にも引き裂けない強い絆を持つ二人が、「結婚」というゴールを機に自然と離れていく事に、少し物悲しさを感じた。

anond:20201126173555

2020-10-20

鬼滅ポエム

自分鬼滅の刃アンチでもファンでもないものである。が、鬼滅にクソデカ感情ポエムをしたためる者である

にわかファンでいられなくなった者として、アンチにだけはなりたくないものとしてポエムを書いて去ろうと思う。

黙って去れよと自分でも思うが、なんか大げさなテンションでお別れを世界に発信しないとずるずるひきずってタチの悪いアンチになりそうなのでクソデカ感情の供養として誰かがみてくれるんじゃないかという期待と誰も見ないか大丈夫という慢心のバランスが最高なはてな投稿させてもらう。

まず初めに、作品及び制作陣、宣伝も含め関わる全ての人におめでとうございますを述べる。正直ここまでのコンテンツになるとは思っていなかったので、凄いとしかいいようがない。おめでとうございます

次に、鬼滅の刃に初めて触れたのは去年くらいで、その後もファンだったかといわれると怪しいし、ファンが闇堕ちしてアンチになろうとしているというある種同情できる立場でもない、本当になんだお前という立ち位置の者でしかない。我ながら苦しんでいること自体意味不明だ・

私にとって、鬼滅の刃動物園大事にされているうつくしく高級なうさぎのような作品でした。一見同じようなうさぎはいるけれど、一線を画す上等な毛並みで手入れも一級品。柄も独特で動きもダイナミック。動物園まで見に来るにふさわしい素敵なうさぎでした。新聞の一面を飾ってもおかしくない、どこに出しても恥ずかしくない立派なアニマルだったのだ。私は特別うさぎが好きではなく、詳しくもなかったけれど素人目にもその評価はゆるぎなかった。でも、世界で数頭しかいない絶滅危惧種とかではなかった・。

アニメも一挙で見て漫画も借りて読んだけど満足感と共にブラウザを閉じて、Twitterを空けてキーワードを打ち込んだり連続ツイートをしたりすることはなかった。

いい作品だと思う。でもどうしても、ワンピースBLEACHジョジョと同じカテゴリには入れられない。

それらの作品の持つ、本当に世界がもう一つあるような、悪魔の実スタンド斬魄刀といった架空物が実在の遠い国の首相名前と同じように一般名詞として存在感のあるものと感じられる気分にはなれなかった。面白いとか面白くないとかそういう問題じゃなくて、コンテンツとしての質量の大きさが違うのだ。現実世界観を侵食してしまうような、作中世界の物理法則法律人種差別問題好き嫌い以前に自然に頭に入ってしまうような、そんな性質作品だと思えないのだ。もっと素朴で、たまに頷くような、そんな作品だった・

全く関係ない作品だけど、ちょっと前に終わったサンデームシブギョーとかと同じ立ち位置だった。大きなヒットはしなかったけど、メジャー少年誌に載るにふさわしい面白さで、派手じゃないけどグッとくるシーンがあって、キャラのことを穏やかに愛していられた。

でも、今の鬼滅の現状を見ると視界がぐるぐるしてとてもとてもいたたまれない気分になる。

高級ですばらしい兎を、そろそろ種の存続が怪しいホワイトタイガーとして売り出しているような違和感

そんなに無理をしなくても立派な価値があるのに、これこそ当世イチのスーパーアニマルでござい、と売り出しているようなちぐはぐさ。

そういう売り出し方やマスコミ批判するつもりにもとてもなれない。不景気きわまる昨今、ここで売らなきゃどうするのかとすら思う。迷惑だとかしつこいとかい記事を見るたびに、難民船のSOS文句をいう様なものではないかみたいな感想が出る。理性がたしかにそう叫んでいるのだ。

でも、それでもジブリを越えるかもといわれると宇宙を背景にした猫のような顔になってしまう。

そんなことを考えている自分も嫌だ。好きか嫌いかならいものの、それとは別に作品としての格」みたいな厳然とした基準勝手にもっていたことを痛感する。

スラムダンク黒子のバスケ比較された時、どちらも素晴らしいといったのはきれいごとだったのだと、今は思う。

自分黒子のバスケが大好きだ。初めて単行本を買い、はじめて二次創作を書き、コラボ商品を欲しがり、劇場へと足を運んだ。今でも心の大事な部分を占めている作品であるしかし、もしも黒子のバスケニュースで「スラムダンクを越える」と言われていたら、きっと同じような気持ちになっただろう。個人的思い入れがあるぶん、もっとしかたかもしれない。ファンの誰かが「スラムダンクよりすごい」というたびに「それは作品の為にならないからやめてくれ」と思ったのは、謙虚さへの希求ではなく比べられたら困るというある種の逃げだったのだと思う。

私はこのところおかしい。もはやニュースから蓮花が聴こえれば耳を塞ぎたくなり、緑と黒の市松模様が目に入ればブラジャーファンアートだとしても笑顔にはなれない。

バラエティゲスト出演する花江さんの笑顔すら、もう穏やかな気持ちでは見れない。

土曜プレミアム特別編は二週ともフルで見た。いい作品だった。一緒に見ていた初見家族質問にも逐一答えて、CMに入れば解説をした。最後まで楽しめた。どうだ私はファンなのだと胸を張れるんじゃないかという気分になった。でも、翌朝のニュースで鬼滅を見ると、やっぱりくるしかった。

自分にはもうこの熱狂の内側に入ることはできないのだと実感して、さびしさが半端ない。妬ましさと惨めさで、ファンの泣けたという素朴な感想まで胸が痛くなる。

進撃の巨人も、鬼滅と同じようなキャンペーンの経緯で見た。ハマったか、好きだったか、と言われるととても楽しませてもらったけどファンといえるほどのめりこみはしなかったと思う。でも「とんでもないぞ」と思った。好き嫌いじゃなく、えらい生き物が発見されてしまったと思った。世界が変わってしまうのも仕方ないと納得せざるを得ないような、そんな理不尽エネルギーを持つ作品だった。

鬼滅にはそれはなかった。何度見ても、高級で毛並みがよくてすてきなうさぎだった。それから何度も鬼滅の話題ニュースを見て、うさぎの毛並みすら褪せてみえるようになってしまった。

グッバイ鬼滅。自分の知らないところで幸せになって、というとおかしいのでみんなを幸せにしてください。いつかこんなめんどくさい気持ちが死に絶えたら何らかの形で気持ちよくお金を落とします。

 
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