はてなキーワード: 氷河期とは
氷河期の連中を動員したら、各地で上官が殺されるぞ^^;
政府・マスコミ「コロナ禍で若い女性の自殺が急増、対策が急がれる」
自作の銃で元首相の暗殺を決めた山上といい、氷河期世代って能力自体は高いけれど運が悪くて世渡りも下手で不器用ゆえに人生を台無しにしたってタイプが多いよなって思う
で、氷河期で成功した勝ち組の面々にはその手の職人気質が天元突破したタイプは殆どいなくて
どうもフェミニストの人達は男女間の格差については盛んに話題にするけれど女性同士の格差については無視する傾向があるよう
自分は氷河期非正規独身女性だけど個人的には男性との差よりも女性同士の格差の方が辛いんだよなあ
主に、大切にされてる今の若い女性や同世代であってもスムーズに正社員就職や結婚出産が出来た人との差が辛い
事前の顔合わせでは役員階の会議室に呼ばれて重役の男性とだけ話したからその職場も同じような年配男性が多数で女性は自分と同じような派遣の人なのかなって思っていたが実際に働いてみるとそうじゃなくて
キラキラした高学歴の若い女性が多く、自分と同年代の中年女性も既婚子持ちで仕事と育児を両立している正社員だけ
えっそれ氷河期で200社落ちたワイに言えるの
その結果司法試験に合格するような超上級層である増田だけは助かるが、
昔はつまらなくなかったのか、うまく違いが言語化できないけれど。左翼的なブクマでも「氷河期をなんとかせねば」「氷河期を乗り切るライフハック」
みたいなのはある程度共感できてたけど、団塊ジュニアが50代に入り30代40代人手不足で就職売り手市場になると氷河期はなかったことになって議論が霧散してしまった。
一方でLGBTQとかジェンダー関係とか2次元の絵の乳とかミニスカ気に入らんとか今日も少女は痴漢に襲われるとか
個別の案件とはしてはわかるけれども毎日のようにブクマされ醜いコメントで埋め尽くされるのは全く共感できない。
沖縄基地系の話とかも9割9分全く沖縄と関係ない表層的なことで暇つぶしのネタにされているようでつまらない。
最近つまらなさが加速している原因の一つはTwitterの素人のショートコメントが炎上祭りの流れなどの理由でブクマがつけられることだ。
岸田首相の、氷河期世代に対する「学び直し支援」は5年1兆円……!?ていう事は一年あたり2000億円か。何という無駄
頼むから「学び直し支援」なんてやるだけ無駄だって、いい加減に理解してほしい
氷河期世代のほとんどは、既に学んでいるし努力している。やってない人はそもそもやる気がない人であって、いくら「支援」した所で無駄。
効果を考えたら1000円でも100円でも当事者に直接配るのが一番いいし、それは絶対にやりたくないなら氷河期支援なんてきっぱりやめて他の事に金を使って欲しい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/951450988337643520
ここの米にも氷河期世代当事者と思われる人達からの、氷河期はもう手遅れだから見捨てて若い世代に金を使えという意見が目立つが
ほんと氷河期世代ってこういう考えの持ち主が多いよね。ここまで他罰的なのってこの世代特有な気がする。
同じ氷河期としてそういうのは迷惑だからやめて欲しいんですけれど。
それが氷河期世代による犯罪を減らし、他の世代にとってもプラスになるだろ?
Z世代の若者が、日本は若者に厳しく高齢者に甘いと言っている。
テクノロジーでいえば、現代はかなり恵まれていて不自由だったものが今では簡単に解決できるようになった。
昔と比べると天と地の差だ。
昔に比べれば、利便性が遥かに違うわけで高齢者からすれば分からないことだらけだ。
高齢者が手に入れている年金は、若者が高齢者になった時にはもらえるかどうかも分からない。
生活は苦しくなるばかり、若者が苦しんでいても高齢者は見向きもしない。
本来、年配者は人生経験豊富で若者たちに経験を伝えていき、若者は年配者に敬意を払うものなのだが、現代は違う。
正直、今も昔も厳しさ優しさは変わらないと思う。
互いが同じ道を歩んでいるのに、若者に厳しい、高齢者に優しいというが、それもまた将来の若者の姿ではないだろうか?
結局、現代の若者も高齢者になれば同じ道を歩み、新たな若者たちは高齢者に優しいと不平を述べるのだ。
時代が変わろうとも、その流れは変わらないと私は思える。
……というと、「結局はそういうジャンルにいるから多く見えるだけで絶対値としてはそうでもない」という答えが返って来そうだが、そのあたりは一旦置いておいて。長文のため先に要約を置いておく。
【要約】
交流企画に腐女子が大集合すると、男同士の恋愛ネタが蔓延りすぎてそれ以外の話題を扱うと除け者気味になる傾向があるので、楽しみ方が限定されてしまい、本来の自由度が損なわれているような気がして居心地が悪い。嗜好による選択の結果であると認識しているため、仕方がないと思いつつモヤモヤしているという話。
はじめに自己紹介だが、一次創作を趣味にしている筆者は、自身も小説を書いたり、絵を描いたりする。主な活動拠点はTwitterである。BL・GLともに嫌いというほどではないが、進んで手に取ることはない。
Twitter上には様々な「交流企画」なるものが存在しているが、どこを覗いても思うことがある。
腐女子が多すぎるのだ。
ここでいう交流企画というのは、ある設定が共有されたシェアードワールドの枠組み内でキャラクターを創作し、時には企画制作者が提供するイベントに沿って世界観に没入しながら、キャラクター同士の交流や作品群を楽しむ、というものを指す。学園モノであれば我々は教師や生徒を作り、異世界モノであれば魔法使いや剣士を作り……といった具合にそのシステムは様々であり、言うなれば一種のTRPGのようなものである。Tabletalkではないので、TはTwitterのTだ。
「交流」と名を冠するからには参加者が互いの趣味嗜好を尊重する必要があり、相性のよい相手と関係を深める(キャラクターも作者も)という在り方が推奨されるが、そのために自己紹介シートのようなものが設けられていることがある。その中にしばしば「GL・NL・BL」と書かれた項目があり、地雷にバツ印を付ける、あるいは平気なものにマルを付けることで、自身の嗜好を示せるようになっている。(こうしたシートが無い企画も当然ある)
企画の世界観に興味を持った筆者は、前述の通りBL・GL・NLともに平気であること、全部にマル(なんなら花丸)つけてる人が大多数を占めていることなどを理由として、そういった「腐女子」達と交流を持つことになるわけである。
ここで問題になるのが、「マル」というのが何を指しているか、という点。企画主が明示していない限り、「平気ですよ」のマルもあれば、恐らく「それはもうメチャメチャ大好きです寝る間も惜しんでPi〇ivを渉猟し三度の飯よりバクバクムシャムシャペロリズム」みたいなマルもあるだろう。筆者は前者の消極的なマルなので、当然後者の積極的な参加者たちとは熱量に差が出てくる。
そして後者の場合、往々にして彼ら彼女らが求めるものを提供できない人間に人権はない。
極端な言い方をしたが、見ても忌避感を覚えず恋愛モノの一様態として楽しめるというだけでそうしたコンテンツを提供しない筆者は、どうも「つまらないヤツ」と判断されてしまうようなのだ。セロリ嫌いじゃないけど好きでもないから進んで食卓に並べはしない人間が、セロリ大好き主食集団の中に紛れ込んだとき異端になるのは自明であるが、つまり、セロリ食え!セロリ出せ!セロリを愛さぬ者に用はない!というわけだ。それならばセロリを愛する者同士、色がどうの食感がどうの味がどうのと推しポイントを共有できる相手と関わった方が精神的にコスパが良い。その道理はよくわかる。
ところがこちらとしては男同士(GLのパターンもあるだろうがBL遭遇率が体感異様に高いのでBLということにする)がイチャコラしているのが見たいわけでも、そこに割って入りたいわけでもなく、あくまで企画の世界観に惹かれているのである。交流を成り立たせるための関係は必ずしも恋人に限らず、先輩後輩、同級生、親友、そこまで親しくはないけども同じ部署にいる顔見知り、敵対……etc.、様々な在り方があってしかるべきだ。が、その実態といえば、先輩後輩(ホモカプ)、同級生(ホモカプ)、親友(だがホモカプ)、ただの顔見知り(だが寝たことがある)、敵対(しているがやはりちょっと気になる///)といった具合で、ファミレスでメニューを見たら全部にセロリ入ってたような状況なのだ。ライスにも刻みセロリが入っている。
与えられたシステムの中で仲良くワイワイしたいだけなのだが、「平気ですよ」のマルを付けたばかりに、友達だと思っていた相手から突然「酔っぱらってそういう雰囲気になるかもねw」「受け攻めどっちぽい?」というコメントが飛んでくる。拍子抜けする。勢力図がどうとか、この世界ではどんな生き物がいるのかとか、能力の応用とか、そういうものは基本的に話題に上がらず、TLを流れていくのは専らうちよそのデート描写、お互いをどう思っているか、お互いの好きなところは、という風に恋愛色が強い。その企画でなくてもできたのではないかという、企画の世界観や設定が全くといっていいほど絡まない恋愛ネタ。そして見渡す限りの同性カップル。戦闘や駆け引き、探索をしながら絆を深めるとか、そういうものを想定していたら合コン会場に迷い込んでしまった。
ここまで書いて、同性カップルに理解の無い差別主義者と疑われていそうなので、弁明しておく。筆者にとって、恋愛は性別がどうだろうと恋愛なので、閲覧に際してはNLもGLもBLも特別区別はしていない。この文で「同性」を強調しているのは、それ以外の恋愛形態が尊重されないほど腐女子たちによるBL推しが激しいためである。そしてBLネタを求める彼女らは自動的に男性キャラクターを作成するため、片割れを探す作者同士が意気投合すればカップル、もしくはちょっとつつけば即座にカップル成立しそうな距離感の過沸騰ペアが増えていく。女性キャラクターとして受け入れられていた独身キャラクターが、実は男でしたとネタ晴らしされた瞬間伴侶を得るこの世界で、女性キャラクターの婚活は氷河期にある。
腐女子であることが豊かな交流の前提になっている空間は、本来許されていたはずの自由な創作・自由な交流に制限をかける。男女、女女、男男、3種類あるはずの恋人関係が1種類しか快く受け入れられないとあってはそこで楽しむのも難しくなってくる。それが分かれば最初から参加していないのだが、企画ができたてであればあるほど、なまじゾーニングを重視する彼女らの生態を初対面で汲み取るのは難しい。数段前に自己紹介シートの話をしたが、シートがあれどもすれ違うのに、無ければなおさら困難極まってくる。筆者が極まりたいのは困難ではなく感なのに、だ。
平気ならお前もBLカップル作ればいいじゃん。その通り。だが環境に強制されて作る関係を心地よいものとは思えず、結局幾度も身を引くことにした。したくてするのと、そうしないと弊害があるからと妥協してするのでは大違いだろう。
「腐女子が多すぎる」というのはこういうことだ。ある空間に占める腐女子が多ければ多いほど、彼女らの常識がその場の常識にすり替わっていく。これは筆者の体験から腐女子を取り上げているだけで、同じことはそれ以外にも言える。自然愛好グループの中に野生動物に餌を与えることを生きがいとする集団が増えて、動物たちが事故に遭うリスクを懸念する人々が押し負けてしまうであるとか、例を挙げればキリがない。感情・思想を共有する集団は強固ゆえに存在自体がある程度の強制力を持ち得るというわけである。
腐女子は日陰者であるべきとは言わない。しかし意識的にせよ無意識にせよ、ホモカプが描写できないならお役御免とばかりの傲慢さを感じざるをえず、それゆえ不信の念を抱かずにはいられない。なぜこうも交流企画には内輪を形成する腐女子が集うのだろう。
古いなー。氷河期ど真ん中か。