はてなキーワード: ターミネーターとは
ダリフラ、いいよね。
テレビアニメに求めるものは人それぞれ、色々あってしかるべきだと思うよね。おれは絵画が好きだし、絵が(写真でなく)動いてるだけでアーンイイネーと思っちゃう人間で、ダリフラは完全にいいね。画面は美しいし、002はかわいいよね。
6話はよかったよね。016は326とかに「乗せられてただけ」「002は独りで戦える」とかって意地悪言われてて、真に受けてたんだよね。016は326の実力を認めてたし、その326が002に使い捨てにされて、やっぱり002は独りで戦えるんだ、どうせオレも使い捨てかと捨てバチになってたと思うのよね。でもホントの死に直面してみて、002にもパートナーが必要だってわかったんだよね。だから死ねない、死たくないと思ったんだよね。落ちこぼれと言われ続けてた016が、久々に?自分を認められたんだよね。ちょっと016の心が強すぎる気もするけど、あんまりクヨクヨしてると碇君になっちゃうからね・・・。
SFとしてもいいなあと思うんだよね。最初はスタニスワフ・レムの砂漠の惑星のことだと思ったね。自律進化したロボットが滅ぼした惑星で、生命の力強さを見いだすという話ね。叫竜は人工物っぽいデザインだし、マグマエネルギーを採取するためのロボットなのかなあとか妄想できるね。ターミネーターかよ!そういう世界だとしたら、新開発のフランクス搭乗員がカスみたいな存在で泣けてくるね。今後の展開が楽しみだね。単に生命が散っていくだけじゃないといいなあ。
要するに、眼鏡が大好きです!
ターミネーターで警察署に車で突っ込むシーンがあるけど乗用車でぶつかった程度であんなコントみたいな壊れかたする警察署はない
創作作品のスレで創作作品の中にのみいる架空の隊員に率直に思うこと書いただけで「おいそれ侮辱か」だよ
自衛隊協力映画は政治的な思惑が強い上に自由な考えを認める風土がなくて気持ち悪い
韓国は特殊部隊員が先生をれいぷする映画シルミドを作れるしキョンシー映画に出て来る軍人は無能を絵に描いたよう
フルメタルジャケットとかジャーヘッドとか28日・週間後とかは軍人の描かれ方がひどいけど映画はちゃんと作られて大々的に放映されてる
アバターでは海兵隊の偉い人が怒っていたけど上映を止めそうな雰囲気や監督に個人的にどうとかはない
ドラえもん→おなじ目的地に行く手段が電車、飛行機、船で変わるだけで最終地点(セワシが生まれる未来)は変わらない理論
ターミネーターはこっちなのかな
でも結婚相手変わるやーんとは思うので、大方の流れは変わらないみたいな考え方なのかなあ
映画のバタフライエフェクトだね
もう頭がこんがらがるよ~でも面白い
ターミネーターという映画がある。人工知能に支配された世界を救おうと過去にタイムトラベルして未来を変えようとする話だが実際には何をしようと未来は変わらない。確かに暴走する人工知能を破壊すれば人工知能に支配されない未来が訪れるかもしれない。だからと言って人工知能に支配された未来がなくなるわけではない。2つの未来が同時並行で存在するだけだ。
また、過去を変えて未来を救ったつもりの主人公がタイムマシンに乗って未来に帰るととても面倒なことになる。変更前の未来をA、変更後の未来をBとした場合、未来Aから来た主人公は未来Bに帰ることになり同じ世界に2人の自分が存在することになる。そうなるとタイムトラベルをした主人公は別人になりすまし残りの人生を送らなければならない。そのためタイムトラベルをするときは未来に影響することをしてはいけない。誰も得をしないからだ。
最近聞かなくなってきた、ヤンキー・マイルドヤンキー論。2014年くらいに一時期関連本がでて、斎藤環さんの言葉を鵜呑みにしていた自分。我ながら滑稽。後出しじゃんけんっぽくてズルいんだが、この「ヤンキー論」ですらオタク達の一時の清涼剤に過ぎないんじゃなかろうかと、何処かでは思っていた。私も立派なオタクだから言わせてほしいが、オタクはまず興味関心の占める範囲が、ヤンキーの人たちと比べて、狭い。物理的な意味で視野が狭い。私の好奇心、私の興味関心、私の本棚、私のプレイリスト、私のベスト10など。あらゆる「私の」を所有しようとしている。私は例えば好きな作家のひとりの中島義道さんを、「私の先生」という意味付けを行っている。私だけの、というtagをつけて初めて安心して作品鑑賞に移れる。では自分が中島さんの哲学領域である、カント哲学や、時間論が好きかと言われればそうではない。私は、私の先生というtag付けされた、特殊な中島義道の語る「カント哲学」や「時間論」が好きなだけだ。もう一例上げると、町山智浩さんの映画評もそうだ。例えば私はターミネーターシリーズが好きだったが、町山さんの映画評を読んでから、私の好きな町山さんが好きなターミネーター、という特殊なtag付けがされたターミネーターが好きになってしまった。要するに、このtag付けという行為、私の所有であるという意味付け行為そのものが、オタク的と呼ばれる要素なのではないだろうか。好奇心の向くものはすべて「私」という意味がなければならない。そんなmissionを自分に課して楽しんでいるのが、案外オタクの生態なのかもしれない。
胸のランプが点滅すると
あと3分で力尽き果てる
息ゎ苦しいし
そんなのあり得ない!
力尽きたウルトラマンが犯される
マヂ苦しい
酸欠で死にそう
力が入らなくなったウルトラマンの股が大きく開かれて
酸欠で意識が薄れてくると
最後ゎあの痙攣がやってくるウルトラマンだって死ぬときゎ射精するんだよ
「あー!!イク!! 」
そのあとピクピクと痙攣したまま動かなくなった
ウルトラマンの夢枕に現れたのゎ
あの、ターミネーター
「日本のウルトラマンは弱いな!!オレを見ろ!!絶対死なないぞ」
(あっ…あっ シュワちゃんだ)
「おいおい、気安く呼ぶなよ!!一応同盟国だから来てやったんだぜ!尖閣守ってやらねーぞ!!」
やっぱり
「特攻」に衝撃を受けた結果、アメリカは「自己犠牲攻撃(とその効果)」に対して過剰な思い入れをもってしまったような気がしてならない。個人的には、映画「インディペンデンス・デイ」で、ラストシーンの演説からの爺の特攻攻撃で敵倒してバンザーイってシーンで「お前らも結局追い詰められたら洗脳からの特攻攻撃がメインなんじゃねーか」って理不尽な思いをもったが、考えたら「ターミネーター2」でも、サイバーダイン社の研究者が(瀕死の怪我を負ったせいではあるものの)自爆攻撃をしかけるシーンとかあった。「絶対不利な戦いでも、自爆攻撃しかければ何とかなる(少なくとも衝撃と恐怖を与えられる!)」という無敵感、なんかアメリカ人の心に響いたのではないだろうか。そういうのが、突き詰めて9.11に繋がったのかと思うと、いろいろ感慨深い。
今回は少年ジャンプ+
腕の再生と時間の経過を同列に表現しているコマ割が良いと思う。
これまでもコマ割や構図を同じにして、手癖だけで描いているようなことがちょくちょくあったけれども、こういう演出意図がハッキリしている方向性なら悪くないと思う。
話に関しては、これまでも描いてきた気持ちを押し殺して自分を生かすっていうアグニの苦悩に回帰している。
テーマとして一環しているという見方もできるけれども、堂々巡りしている印象も拭えず、中だるみ感が正直あるかな。
胸方面がピックアップされがちだったが、ひょう太そちらも評価できる男だったんだなあ。
ということに気をとられすぎて、割とベタなオチだったのに不意をつかれた。
編集の開幕の煽りコメントが、ある種のフラグになっていたことに後で気づいた。
まあ悪魔って、そういう属性も割とポピュラーらしいし、考えてみればあってもおかしくないよね。
自動運転を、車の交通問題を解決する魔法の粉のように謳う人もたまにいるけれども、少なくとも現状は「便利な機能の一つ」でしかないんだよね。
人間のエラーが事故に繋がり、その人間のエラーを排除できないなら、そんな人間が生み出した代物もまたエラーを起こす可能性はなくならないわけで。
持論だけれども、自動運転の最大のメリットは「自分や他人のせいにしなくていい」ことだと思う。
今回のエピソードも、きっかけそのものは乗っている人間のせいではあっても、機械の暴走が主体になっているし。
それにしても、意志を持ったハイテクな車ってのはフィクションにおいて割と普遍的なテーマだよね。
タイトルが出てこないけれども、今回も恐らく話の基になった映画がいくつかありそう。
BLAME!の映画を見たのだけど、どうもいまいちだなと感じた
どうしてかな、と思って原作を読み返してみたら
原作では主人公が移動し続け、そして得体の知れない生物や機械が次々と登場し
少しずつ異様な世界の様相が明らかになる、という展開になっていた
そこにこそ惹かれて読んでいたのだな、ということを思い出した
それに比べて映画はひとつの村を救う、という話になっていて、原作の持っていた流動性が失われていた
一箇所に留まってしまったことによって、独自の世界観の描写もうまくできていなかったように思える
ストーリー展開も平凡だったし、よくあるSFもののひとつ、というくらいの映画にしかなっていないと感じた
特に出だしがひどくて、テンポが悪いしセリフ回しもやたら説明調で不自然で、見るのをやめたくなるほどだった
主人公も物語の後半のモードになっているせいで何を考えているのか全然わからないし、
その他のキャラクターの描写も浅いし、何に焦点をしぼって作ろうとした映画なのかがわからなかった
駄作、というほどでもないけれど、まあ見ても見なくてもどっちでもいいのでは? と思える内容だった
その認識も正しい。
確かに液体金属の敵から少年ジョン・コナーを守るのがシュワちゃんの目的の一つ。
でもそれは対症療法というか、とりあえず今回危機を脱しても、将来スカイネットが開発される未来がある限り、
スカイネット側は何度でも暗殺ターミネーターを送ってくるだろうし、そしたらいつかジョン・コナーを守り切れなくなるだろう。
だから、液体金属マンからジョン・コナーを守って差し迫った危機を脱しようという目的と、
スカイネット開発に結び付くターミネーターのパーツを全部抹消することでスカイネットを生まれなくして長期的にも問題を解決しようという目的、
二つを果たそうとしてる。
ターミネーター1の時に未来からやってきた悪玉ターミネーターのパーツがサイバーダイン社に回収され、
オーバーテクノロジーであるターミネーターを研究した結果スカイネットの発明に行きついて、未来では最終戦争が起きてしまうことになる。
だからサイバーダイン社に潜入して、1のターミネーターのパーツを破壊して研究が進まないようにして未来を変えよう、というのがターミネーター2のストーリー。
終盤、無事1のターミネーターのパーツは破壊できるのだが、しかし2で来た善玉ターミネーターの処分はどうするの、という問題が残る。
増田が言うようにみんなで仲良く暮らしていたら、何か不慮の事態に善玉ターミネーターが機能停止したり強奪されたりして、
また研究に使われスカイネットを発明する原因になってしまう不安がわずかだが残ってしまう。
かといって善玉ターミネーターを未来に戻す技術は開発されていない。
よって、善玉ターミネーターのパーツ(特にシュワちゃんが頭を指さしたように、頭部CPUチップ)は完全に破壊するのが、最終戦争を回避する唯一の完璧な安全策だった。