はてなキーワード: 鎌倉とは
結論に同意。鎌倉と京都では、歴史の厚みの面でも空間のサイズの面でも、古都としてのスケールが違い過ぎる。例えば観光するにしても、京都のように少なくとも一週間はかけて見て回りたくなるほどに壮大な総体は鎌倉にはない。せいぜい一日か二日で十分だ。
・報国寺
海と山があって、都会じゃないのに、東京の洒落たものが入ってる。
良い景色と美味しいもの。懐かしい昭和の古民家の中に、こだわりのフレンチがある。
それって、面白い。
もうひとつ。
戦争を前提として作られている。
岩をくり抜いたお墓だったり、自然をそのままに活かしてるところが、近江の石の文化に似てる。
鎌倉五山は、京都五山に比べると、まだ公家の洗練を受けてない感じがして、なんだか生っぽい。修行って感じ。
そういえば、鎌倉には京都のような日本の美しさを凝縮したような庭園はないけど、高台から見える海は最高。
神戸に少し似てるけれど、もっとひっそりとして、秘密の場所みたいだ。
鎌倉文学館に、小さなワゴン車のカフェがきていて、芝生の上で飲むコーヒーはおいしかった。
海の方まで伸びた参道は、こじんまりとした鎌倉に珍しくスケール感がある。
素朴でおいしい。
いざ鎌倉、とばかりに中指門左衛門と薬指之丞とでその女の鎌倉幕府に入幕(誤用)したところ、そこには、何もなかった。何も。
あったのは広大な真空、虚空だったのだその女の膣腔は。
探せど探せど壁に手が(「指」に手があってたまるか)つかないのだ。左手法で外に出ることすらできない(ギタリストなので左手にて手マン御免)。
俺は恐ろしくなって俺自身を投入したが(戦力の逐次投入はNG)、まあまあ楽しめたよ。
なんか、だったらアヌスでよろしいのでは?と感じました。
中指、薬指が宇宙船から放り出された宇宙飛行士のようになり、怖くなって指を引き抜いた
危ない、妙なケジメのつけ方をしたヤクザみたいになるところだった
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231025/k10014236581000.html
10年後の未来にこういうカップルがいたら個人的に萌える、というぐらいの突貫工事
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傷はすっかり癒えて、うすい手術跡以外は生まれた時から私は女性だったのかも、という勘違いをさせてくれるぐらいには、足の付け根の新しい姿を気に入っていた。昨日までは。
「最近生意気じゃない?こんなもん付けたままなのに、そのスカートも私への当てつけでしょ?」
楽しかった2人での鎌倉旅行から、わたしたちが永遠を誓い合った家についた瞬間、彼女は怒った。
押し倒されてソファに倒れ込むわたしの……見た目上は何も無くなった股間に、彼女はずっとヒザ蹴りを入れていた。わたしたちの身体が揺れるたび、2度と感じたくなかった痛みがわたしを襲う。わたしの、股の奥に埋め込まれた睾丸だ。
小さい頃から男として生まれた自分とその身体を呪い続けて生きてきた。
高校生の時、このままの男の身体では生きていけない自分に気がついて、25歳までがむしゃらに資格やお金を貯めてきた。
それまでも、みて見ぬふりをしているだけで、ずっと自分を傷つけながら生きてきた。
小さい頃からハサミで自分のモノを切ろうとして、少し血が出てやめたりする、そんな衝動がずっと続いていたからだ。
そんなわたしを受け止めてくれたのが、大学生時代に出会った彼女。理沙だった。
バイセクシャルな彼女は、私を男だと思って付き合い始めた。人から好意を向けられるのが初めてだった私は、しばらく、自分が普通になれることを祈りながら付き合い続けた。
ちょっとヤンキー気質で派手な金髪の彼女は近寄りがたかったけど、「優しいところが好き!」と言って懐いてくれる彼女を無下にしたくはなかったからだ。
半年後、どうしても男性としてセックスがしたくなかった私は、彼女の家で泣きながらカミングアウトした。
その時から、彼女はわたしが女性として生きていけるように本当に色々なことを教えてくれた。家族以上に、わたしの第二の人生にとって密接な関係だ。
彼女に手術の相談をしたとき、「女になるのは応援してるけど、金玉は残して欲しいんだよね……私たちの子供、欲しくなるかもしれないしさ。」と言われた。
2033年の今は、昔と違って性別適合手術に生殖腺の摘出は必須ではなくなっている。
それどころか、わたしの通っていたジェンダークリニックでも睾丸摘出はしないことを勧められるようになっていた。確かに男性ホルモンの産出は増えるが、わたしがすでに十分女性的な外観であることと、今後性ホルモンが著しく減少することによる更年期障害のリスクを鑑みてのことだった。
確かに、去勢まで済ませた先輩MTFの方々の一部は更年期障害に近い症状を抱え、女性ホルモン投与の頻度が増えた……と言う話を聞かないわけではない。最近の手術例では、手術後の股間の内側に睾丸を埋め込むことで、去勢せずとも外見を女性のものにすることができるようになっていた。
人生で一度も必要だと思ったことのない、むしろ有害だった睾丸を残すことに大きな抵抗があったが、体調を一番に考えて欲しいという母の言葉と、彼女の意思を考えると、断れなかった。
最終的に手術した病院でも、睾丸の切除は勧められなかった。わたしは、最後まで「いりません」とは切り出せなかった。
私が最終的に手術自体は簡易的なもので、造膣もなし。男性器を解体して、女性器らしいパーツと睾丸だけ残して身体の中に埋め込む……というような手術だった。見た目は彼女と比べて見ても完璧だったし、自分に見るのも嫌だったアレがついていなければそれでよかった。彼女とも、セックスに耽るような仲ではない。
そんな彼女が、いま私につかみかかって、身体に不本意に埋め込まれた睾丸を狙って膝蹴りをしてきている。
発端はきっと大したことじゃない。
そのとき、彼女は冗談でわたしの股間を蹴ってきたのだが、痛くてうずくまってしまった。
その日はお互いパンツルックだったのだが、確かに今日はそれが怖くてロングスカートを履いていた。
ここまでイライラさせてしまってるのは、たぶん、わたしには縁がないが、時期的に生理前だからだ。
下腹部に来る痛みとも言えない痛みと、いっそこのまま潰してくれないかという暗い気持ちと、吐き気。
なんだか旅行の疲れと痛みと無力感で遠のいてくる意識の中で、「理沙に内緒でもう一度お金貯めて、金玉取ろう」という決意だけが残った。
もうすぐアニメが始まるから注目が集まってて嬉しい。あれだけの人気作品だから好きな人も多いと思う。私も好き。あの独特な雰囲気が良きだし、静謐という言葉があれほど似合う作品もない。あの雰囲気を作っているのはフリーレンのキャラと、エルフの長寿ではないかと思う。
そもそもなんでエルフは長寿なんだろう。ふと疑問が出てる。bing君に聞いてみたところ、
・エルフは自然に深く繋がっているから自然からエネルギーを吸収して老化を遅らせている
こんな回答が返ってきた。魔法で若さが保てるなら、人間の魔法使いだって長寿じゃなきゃいけないと思うけど、エルフしか使えない魔法があるのかもしれない。まあ、それぞれ作品ごとに設定があるなら、それはそれで。
エルフの長寿というのは数百年とか、千年とか、これも作品ごとに違うんだろうけど、人間にはピンとこない長さだ。今を基準にするなら鎌倉室町時代あたりから生きてることになる。武士の世の中を経験して、平和な江戸、激動の明治大正昭和をなおまだ現代も生きているとか、もはや意味がわからない。神に近い生き物って感じすらする。江戸前エルフで神様として祀られているのも納得。
エルフの寿命を人間で考えるなら、人間とハムスターの寿命を比べるようなものだろうか。短い寿命のペットを飼っている人は必ず喪失を経験する。その悲しみに耐えられなくて二度と飼わない人もいるし、悲しみを埋めるために別のペットを飼う人もいる。常に複数のペットを飼うことで、一つの死が特別でなくなるようにしている人もいる。
要するに、寿命の長い側が喪失を何度も受け入れなきゃいけない。関わるだけでそれを強制される。長生きもたいへん。エルフと人間との関わりというのは、これと似たようなものなんだと思う。
多くの作品でエルフが人里から離れてエルフの村落で暮らしているのは、人間とエルフの価値観が違っているからだろうし、その価値観の相違は寿命の長さから発生する。似たような外見をしているからこそ、タイムスケールの違いは埋めがたいものになる。
例えば、ハムスターが喋れるようになったら、人間は同じように飼うことができるだろうか。意思疎通ができて、今まで以上に仲良くもなれるけど、3年で死んでしまう友達。私はちょっと無理かもしれない。考えるだけで尻込みしてしまう。ダメージが大きすぎる。無理無理の無理。
だから、エルフは人間には近づかないというのは納得感がある。人里で暮らすエルフは珍しい存在だし、エルフと人間の子供のハーフエルフはもっと珍しい存在になるはずだ。
ここで脱線して、エルフは生涯何人の子供を産むのだろう? エルフがずっと若いままで、妊娠可能であるのなら、500年もあれば数十人、やる気があれば二百人以上は産めてしまう。それぐらいの繁殖力と寿命があれば、世界はエルフだらけになって、人間なんてとてもとても生存圏を広げられない。エルフの覇権世界だらけになりそうなものだけど、物語世界では人間よりエルフの方が数が少ないことになっている。人間が支配的なことが多い。世界をエルフが支配している物語ってある?
人間は寿命が長くなるに従って、子供を産まなくなっていく。寿命が長くなるということは豊かな生活をしているということで、1人の子供を育てるコストが高くなる。だから、そんなにポンポン産めなくなる。
エルフの場合は少し違うように思える。エルフは自然に近い生活を送っているので、豊かさとは別、つまり、発情期に合わせて子供を産むんじゃないかと思うのだけど、違うのだろうか。子供が少ない点からして、エルフは数十年、数百年に一度しか発情期が来ない。とするとそれを逃したら子供を産まないのか。流石に生き物としてどうなのかと思うので違いそうだ。そもそも妊婦のエルフというキャラを見たことがない。本当にエルフは胎生なのだろうか? 木から産まれたりしない?
ところで、この文章にオチはないし、どこへ向かうかも考えられていない。寿命から考えたことを並べただけにすぎない。強いてオチをつけるなら、人間がエルフの長寿に近づく方法が一つだけある。
それは
おれって将来青襟やってそうな気がするなと思って、たまに明け方ネクタイ締めてスラックス履いて出歩く。
今日もその格好で公園までタバコ吸いに出たらベンチに手持ち花火が1本落ちてた。勝手に燃やしてみた。
白い火が7秒くらいシュボーッと吹き出るだけで、まだタバコの赤い火種の方が綺麗な気がした。
帰ってスマポポチポチしながら、そういえばこういう花火も小学生以来やってないな、夏らしいことって最近してないなと思った。
そのまま朝が来て大学バックレて江ノ島へ向かった。片道2時間弱もあれば、行きの電車でもう冷静な気持ちになってた。こんな気持ちでサボるくらいなら大学行った方がマジだったかもとか思いながら数独やってたら片瀬江ノ島に着いてしまって、もう帰りたくなってた。
でもわざわざ800円かけて来たんだからって、取り敢えず江ノ島に向かう橋で一服した。平日だってのに割と人はいて、気持ち悪いから江ノ島には入らず引き返して鵠沼海岸でしばらくボケーッとしてた。
海見ててもなんか落ち着かなくて、鎌倉まで歩こうと決めた。
気持ちを上げようとイヤホンで流す音楽をピンポンのサントラとかアジカンに変えて歩いてたら、少し気分が良くなってきた。目の前の景色や耳元の音楽というよりは、そういう音楽聴きながらそういう場所を歩くという体験をしている状況が気持ち良かった。
汗ダバダバになりながらグーグルマップで何度も由比ヶ浜までの距離を調べた。朝ギリギリに家を出て、変わりやしないYahoo路線の画面を何度も確認してる時よりはずっとマシな気分だった。
鎌倉駅までついて、折角だからって鶴岡八幡宮まで行って、10円投げ入れて30秒くらい眺めてそのまま帰った。
夢現気分でいるには帰る時間がちょっと早すぎて、夕飯食うまでの間の時間が今日イチで死にたかった。
それでも今はなんかもう、鬱屈としつつも夏らしいエモーショナルな一日として早くも美化されてるけど、その時の自分の気分を具に思い返してみればやっぱり総じて明るいものじゃなかった。
人生って今の連続だし、過去にも未来にも生きることは出来ないし、懐かしめる過去を増やすより今を楽しく生きたいよなあ。
でも振り返ってみておれの人生にもいいとこあったなと思えるのは、建設的に何かを頑張った経験よりもああやってフラフラしてる時の思い出なんだよなあ。