はてなキーワード: 購買力とは
最近話題の転売屋、最近でも高島屋で転売屋がありえない買い物をして問題になっていました。
そこで、転売屋に商品を売ってしまう小売店の立場より転売屋の問題を語ってみたいと思います。
はっきり申しますが、基本的に転売屋問題の本質は小売店のモラルハザードです。
そもそもせどりを行う前提として特価品はどのようにして生まれるかを理解しないといけません。
特価品は、基本的に企業に大きな負担を強います。利益を減らしたうえで、メーカーにも協力をお願いすることもあります。
また、入手しにくい商品を販売するには普段の取引量がものをいいます。自分だけが売れる商品だけを仕入れることができるという
甘い考えはありません。このように特価商品や入手しにくい商品を販売するのは企業努力のたまものといえます。
それでも特価品を用意するのはひとえに客寄せのためであり、客を呼んで買い物をしてもらうことが目的なわけです。
ところが特定個人がこうした特価品を買い占めてしまえば、客は特価品があっても購入できると期待することができません。
したがって高いお金を出して用意したチラシもまったく意味をなさなくなります。
基本的に転売屋は企業努力を食い物にして、日銭を得ている存在といえるでしょう。
本来企業は存続することが重要であり、小売店は特定の客が利益を得てしまう事態を防がなくてはいけません。
転売屋はあくまで数人であり、本当に売りたいお客様はもっと多いはずです。一時の売り上げしかもまともに粗利益もとれないような
ひとつは、値段が吊り上げるのを利用して、ブランドイメージを維持に利用すること、もう一つは現金化です。
前者はある種の炎上マーケティングの手法で、後者は信用の現金化というどうしようもない状態をいいます。
企業は存続することが重要であり、その企業が給料をだせばそれが購買力に変化しますが、それすらもわからない場合
とりあえず、売り上げだけを求めてしまうようになります。だいたいこういう状態になった企業は長くはもちません。
転売屋を潰す方法はどうすればよいのか、それは転売屋が企業努力を破壊する行為であることを理解したうえで
転売屋に販売しないことになります。その場合は契約の権利を盾にすることになるでしょう。
すべては企業が存続するために、本当に何度も来店するお客様を守る行為です。そのためには販売履歴の構築などをすすめ
特価品は本当に買い物に来てくれるお得意様へのリワードとして機能すべきと考えます。
ただここに書かれていることはすでに幾つかの量販店ですでに行われていることです。
ガチャに課金もしたしナンジャにも行ったし一番くじもたくさん引いた。
ガチ勢って言われるほどじゃないけど自分で働いたお金を彼らの為に使いたいと思う程度には好きだった。
「パクられた側の気持ちも考えろ」
「それでもまだ好きとか言える人は今回の問題の本質がわかっていない」
運営を擁護する気は無いしパクられた側の作品も好きだったから腹が立つのもよくわかる。
運営がやらかした事がどれほどのことかは分かってるつもりだしこの運営に今後好意的な気持ちを抱くこともないと思う。
けれど「好き」って気持ちは消えなかった。
推しのポーズが他の子からパクッたものでも、運営が問題を起こすのもそれにきちんと対処できていないのも、推し本人には非がないから。
でもまあ、批判する人の意見はもっともだし、それに反発するほどの熱意は無かった。
「アイナナを続けてる人間を批判する風潮」に巻き込まれるのは嫌だな、と思ってアプリをアンインストールした。
もうきっとこの先アプリで遊ぶこともグッズを買うこともイベントに行く事もないと思う。(アニメも見ていない)
私の「好き」は心の中にあるだけで、購買力として姿を現すことは無い。
きっとこの「好き」はコンテンツの衰退に繋がるのだろう。
そしてこれはそれを阻止しようと思えるほど熱烈な「好き」ではない。
日本は海で隔てられてるから文化が違いすぎて細々した対応項目が多すぎる(個々の難易度や個々の予算じゃなくて積み重ねた量やオーバーヘッドが異様に大きくなる)し、その割に50年前みたいに日本企業が世界中を握ってる訳でもないから購買力がない。だから日本で本気で売れても儲からない。もう日本の動向を探っておかないと、日本企業が売り始めたものが他国に波及してボロ負けするということもなくなったから、市場調査という意味で出す必要もない。
国内からすれば国内の企業にとってはホームグラウンドだから重要だと錯覚してしまうが、日本市場を捨ててもビジネス的に影響はあまり無い。むしろ今後を考えて中国市場で名前を定着させる方が重要。営利企業には儲かるから広く世界中で売りたいという動機はあるが、貧乏人にあまねく普及させる義務はない。だから捨てられる。
人間全てが人間らしく暮らせる、救われるべきであるという近代社会の前提がフィクションだからだ。
この前提は共産主義陣営と対峙した自由主義陣営が作り出した、苦肉の策でしかない。
そもそもが、現代日本の生活保護やワープアの生活が、中世の人間から見れば中流以上の生活だ。
衣食住が極端な例外を除き一応保証され、医療機関は誰でも受診出来る、テレビやネットなどの娯楽があり、外を歩いても殴られたり罵声を浴びせられる事はほぼ無い。
中世の最底辺は生存すら危うかった。現代でも中東やアフリカでその片鱗を見る事が出来る。
中世の最底辺を現代に連れてきて生活保護を与えれば、涙を流して喜ぶだろう。
少し前までは、日本の生活保護を受けるためにブローカーに金を払って手配してもらう貧困層が存在していた。(今も少し居る)
今はアジア各国が成長しているので、出稼ぎも生活保護目当ても随分減った。
日本の生活保護水準が極端に落ちた訳でも無いのに、各国が豊かになった事でそうなったのだ。
人の知恵と努力は確実に進歩してきた。昔は有った大規模な飢饉も現代ではほぼ駆逐された。
着るものや住む所も、戦争さえ無ければほぼ確保されるようになった。
しかし、最低ラインと平均が上昇しても格差が解消される事はない。
人には能力や出自や出身地に差が有る。その差を埋める事は現実的に不可能。
共産主義的に子供は国の子とやれば出来るかもしれないが、それでも能力の差は埋めがたい。
人間は社会的な生き物なので、他人との比較の中でしか生きられない。
メシが食えない人と食える人が居れば、食える側は優越感を持ち食えない側は劣等感を感じる。
衣食住が満ちても娯楽や持ち物一つで優劣を感じる。それが人間です。
どれだけ生活が改善されても、自分の社会的立場を気にする生き物、それが人間です。
ここで格差の根拠としてよく挙げられる相対的貧困率について見てみよう。
ある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の全人口に占める比率。→絶対的貧困率 →貧困率
[補説]OECD(経済協力開発機構)では、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者としている。相対的貧困率は、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示される。平成24年(2012)の日本の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1パーセント(平成25年国民生活基礎調査より)。
一定以上(最低レベルと言っても良い)の知性が有ればわかるだろうが、この定義だと永遠に貧困は無くならない。
平均が上がれば中央値も上がる。中央値が上がれば貧困線も上がる。
どうやっても解決出来ないのだ。多少の緩和は出来るが、解消しようとすれば収入にキャップかけて超えた分は全部取り上げないと無理。
そして、貧困線122万円を12ヶ月で割ると10万少々だが、この収入を得て満足な人居ますか?
少なくとも現在の雇用状況だと、週5日働ける健常者なら簡単に稼ぎ出せる金額のはずです。(750円×8時間×22日で13.2万、チョイ残業で15万超え)
貧困線にかかるのは国民年金もらってる老人と、何らかの事情でフルタイム働けない人だけです。
そして制度上、貧困線にかかってる人は生活保護の受給資格があります。(門前払いや申請自体しない無知な人は居ますが)
政治に出来る事は限られている。
衣食住を保証した上で、有効求人倍率を1以上に保ち、意欲とある程度の能力が有る者に無償で教育するくらいしかない。
それでも浮き上がれない者は、残念ながら救いようが無いのだ。政治には全体を持ち上げる力は有っても、個人を持ち上げる力は無い。
そしてキモくて金の無いオバサン、オッサンにとってはとても残念なお知らせだが、日本では上記が達成されつつ有る。
貧困線に引っかかれば生活保護が貰える、職安では職業訓練のメニューが豊富に有り、無償で受けられる学問やカルチャースクールにも事欠かない。
キモオバ、キモオジの最後の砦である「社会が悪い、政治が悪い、世の中が悪い」は、実は的外れ。単純にあなたに能力が無く、現代社会であなたに価値が無いのだ。
冒頭で、人間全てが人間らしく暮らせる、救われるべきであるという近代社会の前提はフィクションと述べた。
しかし努力してきた先人により、そのフィクションが現実になりつつ有る。
するとまぁ、皆さんは様々な言い訳を考える訳です。努力できるのも才能とかね。
昔は賢くても家の事情で進学を諦めざるを得ない人が「かわいそうな人」だった。
今では努力出来ない人が「かわいそうな人」扱いですよ。要するに、努力出来るレベルの人は救い終わったのです。
キモくて金の無いオバサン、オジサンは、人類の進歩が生み出した徒花なのでしょうかね。
昔は道端で野垂れ死にしてた存在が、多少は注目されるようになったのですから。
恐らくキモくて金の無いオバサン、オジサンは、ご自身で問題を解決する能力は皆無でしょう。
今しばらく人類の進歩を待って、他人が解決してくれるのを待つくらいしか方法は無いと思います。
幸いな事に、日本人なら生存はほぼ保証されています。生き延びるだけなら余程の不運か寿命でもなければ大丈夫でしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20170729142613
追記
キモくて金の無い人を象徴するブコメがついたのでご紹介したい。
この人は週に何度も透析を受ける患者と、キモくて金の無い人を同一視してるんだなと。
もう少し踏み込めば、キモくて金の無い自分を、透析を受けて命をつないでいる患者と同じくらい社会が面倒見ろと言ってるわけですよ。
キモくて金のない人を救うのは福祉の問題とおっしゃっていますが、本気でバカじゃないのかなと思います。
福祉というのは、親が居ない子供とか、育児と仕事を一人で両立しないと暮らせない母子or父子家庭や、様々な疾患や障害を持つ方々や働けない老人の命を繋ぐモノですよ。
同胞の命は出来るだけ守るというのは、近代以前から続いてきた人間の不文律です。それとキモい上に無能で社会の役に建てず金も持ってない人に対する施策を同一視するなんて、頭がイっちゃってるとしか思えません。
その考え方がキモいんですよね。生まれつきキモいのではなく、それなりに長い人生で培ってきた考え方がキモいのです。
まぁそれでも、賢くて優しい多数の人によって、職業訓練中の給付だの、無料の学ぶ場だのが着々と整備されてるわけですよ。
それらを活かす事もせず、自助努力するほどの頭も無い人をですね、一般人程度にまで引き上げるのは無理ですわ。
西成ドヤに住んでるオッサンオバサンをまっとうな社会人にするくらいの無理ゲーですわ。
他人が自分を助けて当然みたいな思考、一般人は3歳で卒業するんですよ。
中身3歳児のまま40になってしかもキモくて金が無くて役に立たない人を誰が助けようと思いますかね?
どうやったら自分が大切にされるべき存在だと思えるのか、頭の中を覗いてみたいです。
まぁそれでも世の中の賢くて優しい人は、君みたいなキモくて金の無い人も助けようと頑張ってるよ。
自分ではどうにか出来ないだろうから、他人がなんとかしてくれるまで生存する事に注力しとけ。
自尊心のみチョモランマのように高く、能力が一切追いついていないご様子が伺えて、持論を後押しして頂いている気持ちです。
キモいのは運動して引き締めれば女性でも5割以上、男性は9割以上解決します
ダイエットはアンダーカロリーを保って運動すれば誰でも痩せますので、能力や出自は一切関係ありません。やるかやらないかのみです。
でもキモくて金の無い人はやらんのですよ。キモくて金の無い自分に対する愛はチョモランマでも、目の前の簡単な砂山すら登ろうとはしない。
ブコメやトラバで暴れるヒマが有るなら、スクワット100回くらいしとけ。休みながらなら誰でも出来るだろ。でもキモくて金の無い人はやらんのだろうけどね。
>転生なら周囲の大人たちから驚かれるシチュとか、転生先の家族との関わりとか、幼馴染の女の子とか、赤ちゃん時代の授乳プレイとか出せる(授乳はたまにある)
周囲の大人たちから驚かれたいだけなら最初からエリートとして描けばいい
それをやってるのがさすおに
転生させる必要があるのはナードだった「俺」が驚かれるようになる必要があるから
家族・幼馴染うんぬんも最初から主人公に与えてやればいいだけ、境界線上のホライゾン
これにしても魔法世界なら魔法で姿かたちを変えるイベントを作ればいいだけなので(おねえさんにお風呂に入れてもらったポルナレフ)
転生系は全部「キモくて金のないオッサン」を自覚した読者が救われたいという欲求からきている