はてなキーワード: 認知障害とは
例えばあれTwitterで度々広告が流れてきた猫耳がフェロモン云々してるホモ漫画も、絵がグロテスク猫耳で特殊性癖向けとかで、エロページはコンビニエロ本ほどでもないのに有害指定されてKindleでも販売されてないし。
審議会のメンバーも狙い撃ちしてるのは常々言っているし風当たりが相当に厳しいのも度々言われてる↓
https://togetter.com/li/1152525
BLだけは本当に許せない店頭に置くのもやめてほしい
BLが「男が男を攻めまくる社会になっている」という誤解を生んでいる
こういうものを読んでいると男が弱くなって、同性愛に走るんですな
女性リードの描写が進むとホモ的傾向が出て、正常な性交渉が難しくなる。(そうした漫画が)青少年の目につく形で普通の本と混在するのはとても危険だ
パンチドランカーの悲惨な末路をもっと多くの人に知ってもらわないと無理やと思う。
フロイド・パターソン(ボクシング) アルツハイマー病、妻の名前を覚えられないほどの記憶障害が原因でアスレチックコミッションを辞任。
ゲーリー・グッドリッジ(K-1、総合格闘技) - 告白し、引退。自身の発言によると軽い認知障害があるといい、会話の途中で何を話していたか分からなくなるとしている。
ジェリー・クォーリー(ボクシング) アルツハイマー病、認知症、1983年にCTスキャン撮影で脳萎縮を確認。引退後、食事と着替えに介護者が必要となる。
ボウ・ジャック(ボクシング) 重度の認知症。椅子に座りなにもない空中にひたすらパンチを繰り出していた。
高橋ナオト(ボクシング) 著書「ボクシング中毒者」で告白。自転車で真っ直ぐ進むことが出来ず電柱にぶつかる、手の震えを抑えきれずにラーメンの汁をこぼしてしまう。
たこ八郎(ボクシング) 引退の原因となった。一時期二桁以上の文字すら記憶できなかった程の記憶障害や寝小便等の排泄障害にも悩まされたという。
モハメド・アリ(ボクシング) パーキンソン症候群、体の震えや筋硬直、喋りと動作の緩慢を特徴とする神経変性疾患[8]。
シュガー・レイ・ロビンソン(ボクシング) アルツハイマー病[9]。
高橋ナオト(ボクシング) 著書「ボクシング中毒者」で告白。自転車で真っ直ぐ進むことが出来ず電柱にぶつかる、手の震えを抑えきれずにラーメンの汁をこぼしてしまう。
たこ八郎(ボクシング) 引退の原因となった。一時期二桁以上の文字すら記憶できなかった程の記憶障害や寝小便等の排泄障害にも悩まされたという。
佐竹雅昭(空手) 著書「まっすぐに蹴る」で、日常生活も困難になっていたことを告白した。
前田宏行(ボクシング) 自らのブログで告白し、引退することを明言。
フロイド・パターソン(ボクシング) アルツハイマー病、妻の名前を覚えられないほどの記憶障害が原因でアスレチックコミッションを辞任[10]。
ゲーリー・グッドリッジ(K-1、総合格闘技) - 告白し、引退。自身の発言によると軽い認知障害があるといい、会話の途中で何を話していたか分からなくなるとしている。
ジェリー・クォーリー(ボクシング) アルツハイマー病、認知症、1983年にCTスキャン撮影で脳萎縮を確認。引退後、食事と着替えに介護者が必要となる。
ジミー・エリス(ボクシング) アルツハイマー病、晩年は既に亡くなっていた妻をまだ生きていると思い込んでいた。
エミール・グリフィス(ボクシング) 晩年は全面的な介護が必要となった。
メルドリック・テーラー(ボクシング) 医学的理由でボクシングライセンスの交付を拒否され引退[11]。引退後、テレビのインタビューで現役時代とは違い酷く吃った喋り方で話し現役時代を知る視聴者に大きな衝撃を与えた。
ジミー・ヤング(ボクシング) 自身の麻薬関連の裁判で慢性外傷性脳損傷であるとして減刑を求めた。
最近アメリカの精神医学会において新しい精神障害が発見された。
他願症とは論理能力や他者とのコミュニケーションに障害が発生する障害の一種である。
先天性の脳機能障害とされるが、脳機能上の異常から認知障害の発症へといたる具体的なメカニズムについては未解明の部分が多い。
幼児期においては特に問題行動は生じないが、思春期以降顕在化する事が多い。
一般的に自分の意志ははっきりと相手に伝えないと相手に理解されない事が多いが
他願症患者はたとえ表現を著しく曲げても相手に理解されて当然と思っている事が多い。
例えば以下の発言がある。
他願症でない一般人は、これは受取手によって発言の受け取り方が変わる事を知っている。
Aの発言においては
「この荷物重いんだよ。こんな重い荷物持ってる私力持ちでしょ?」と言う意味もある。
混乱を避けるため自分の意志を伝える時は出来るだけ具体的に率直に意思を伝え曖昧な発言をさける。
しかしながら他願症患者は自分の意図した通りに発言が伝わらないと癇癪を起こし
相手の人格を非難したりする事が多い。
精神科医の藤堂高虎氏によれば日本においても最近認知数が増加している精神障害で
近く精神科のバイブルであるDSMの次期バージョンDSM6に追加される見込みだ。
その2へ続く
1、事実に対して仮定を持ち出す
2、ごくまれな反例をとりあげる
「目の前で繰り広げられている光景すら幻覚の可能性があるということで全ての事象が棄却される」
3、自分に有利な将来像を予想する
「世の中にはタダ働きをさせられる状況も存在するんだよ」
4、主観で決め付ける
5、資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「で、なんで山崎ばかりが殴られるのかな?w」
「酷い目にあう芸人が固定されているのは背後の力関係が影響している」
8、知能障害を起こす
「ではどちらが認知障害なのかはっきりさせてみようか」
10、ありえない解決策を図る
「全ての芸人にギャラさえ与えるならば殴ってもよいことになるね」
「それはお前の勝手な願望にすぎない」
13、勝利宣言をする
「こっちは映画もいじめに該当するって言ってるんだからお前の反論は無意味だった」
あとは任せた。
http://anond.hatelabo.jp/20110406115718
母85歳、認知障害があり要介護3。父86歳、ピック病で要支援1。私50歳は、ほとんど泊まり込みで、2人の日常生活を支えていた。
母は週4日のデイケアに喜んで出かけてくれるので、ずっと家にいたときよりは、ずいぶんと楽になっていた。
ところが、最近、父のピック病がどうも進行している感じがする。「物事に関心を持たなくなる」という症状が出るのだが、母を預けて私が外出していると、母を一人で残して、フラフラとどこかへ行ってしまうのだ。
父の介護度が上がったら、もう、私の手にはおえなくなると思っていた矢先。
今日、珍しく、夕方から父に用事が入った。母と二人だと母さえ見ていれば、何をしていようと文句を言う人はいない。ガラスのドア越しに母の様子を見ながら、携帯電話で友人と話していた。
家の電話が鳴った。
いつの間にか、母が電話のところまで来ていて、受話器を外すところだった。何を言い出すかわからない。母の手から受話器をひったくった。あおりを受けた母は、そのままよろけ、右足に力を掛けて、そのまま転倒した。
電話の内容は自動音声のアンケートで、別に母に取らせても何の問題もないものだった。
母は「腰が痛い。どこかでぶつけた」という。認知障害があるので、本当の話かどうか判断できない。とりあえず、ひっくり返ったままの仰向けの姿勢から、横になれるよう身体をずらした。
「ちょっと休んでいれば治る」と母が言う。
私の頭の中は(父がいない間にやりたいこと)でいっぱいで、母が寝ころんだまま痛がっていることはたいして気にも止めなかった。
30分経ったので「少しはよくなった? 立てる? 四つんばいになってみようか?」と声を掛けた。
母は動こうとするのだが、痛くて立てないとしきりに言う。
私は自分がやりたいことに戻った。動けないのなら、見ている必要が無い。
1時間経過した。母はおしっこが出ると言い出した。いつも紙おむつをしているので、動けないのなら、そのままどうぞと促したら本当にした。そのあたりで、私は本格的にやばそうだと思い始める。
救急車をと思ったが、あまりくだらないことで呼んでしまって「タクシー代わりに使わないでください」などと言われるような事態になるのは嫌だ。民間の介護タクシーは予約が必要らしい。民間の救急車を検索していたら「救急車を呼ぶほどのことではないが、家族では対応出来ないことに使ってください」と書いてある。病院に救急要請できるわけではなさそうなので、入院先を決められない段階では頼めない。
ようやく、救急車を呼んだ。
入院する場合に備えて、いろいろと準備をしているうちに、到着してくれた。あれこれと手を打ってくれて、母は病院に運ばれた。大腿骨を折っていた。
ご高齢の方には、よくあることなんですよ、と当直の先生がなぐさめてくださる。
母が入院している間は、私は介護から解放されるんじゃないのか?
父の世話もあるけれど、24時間見守りが必要な母に比べたら、たいして大変なことはない。
どうやら、母は大腿骨に大手術をしなくてはならないらしい。入院期間はたぶん1カ月くらいになるということだ。
今晩から、うちに帰ろう(私の自宅は実家とは別にある)かと思ったが、解放されたという実感がわかず、結局、実家に泊まっている。
介護の無い生活が1カ月も続いてしまったら、私はきっと、元の生活には戻れないだろう。自由時間が週36時間なんて、やっぱり無茶苦茶だ。二度とやりたくない。
両親は2人暮らしだ。母は85歳で、要介護3、認知障害があり見当識がなく、24時間見守りが必要と医師の明確な見解をもらっている。父は86歳で要支援1、「前頭葉と側頭葉に萎縮がみられる」のだそうだが、ある医師は病気だと言い、ある医師はこの年齢なら通常範囲、4、50代でこの脳なら病気だがと言う。どちらも「通院も投薬も必要なし。日常生活に困難をきたしたら、また、いらっしゃい」といった対応だった。先生方からお話をうかがったのが1年前。そして、夏前から父は「身体が思うように動かない」と訴えてくるようになった。
私は別所帯なのだが、夫に先立たれ、子供が独立し、遺産で暮らせるので、経済的にも時間的にも制限が無い。現在、24時間のほとんどを実家で過ごしている。母をデイサービスに4日預けている。そのうち2日間、父を病院に連れて行ったり、食料を買い込んだり、自分の病院に行ったりする時間に使っている。あとの2日間は私の休日だ。朝、母をデイサービスに送り出してから、翌日の夕方18時までが、週に1度の休みだ。
私が休んでいる間、お手伝いさんを頼んでいる。夜20時から翌朝の10時までいてくれる。
父は私が休む日の16時半から20時までを、母と2人で過ごしている。
前頭葉と側頭葉が萎縮していて、動けないと言っている父に、母の介護が出来るだろうか? でも、父は自分の世話は自分でちゃんとしている。ときどき引き出しを閉め忘れたり、冷蔵庫を閉め忘れたり、セールスの電話相手に怒鳴っていたりするが、まだまだ1人で暮らすことは不可能ではなさそうだ。
では、母の介護は? 出来るのか?
私は両親を2人だけで過ごさせるのは、保護責任者遺棄にあたるのではないかと危惧している。だけど、休日無しに介護にあたれるほどタフじゃない。両親の世話を頼めるような親戚はおらず、これ以上お手伝いさんを増やすと経済的に破綻しかねない。介護保険でなんとかと思ったのだが、父はこれ以上他人を家に入れるのは嫌だと拒否している。
いつまで、父は母の介護をすることが出来るのだろうか? 今でも静かだなと思うと、椅子の上で眠っていることがある。だんだん日常生活が困難になっていくようだ。まだ出来る。まだ出来ると思っているうちに、実家に帰ったら2人の死体が転がっている、なんてことになるんじゃないかと、マジで怖い。
どこが?
これも「オタクは気違いで精神障害者で認知障害者で、現実と情報の区別もつけられないんです!」という情報と、実はオタクこそ決然と区別していて一般人こそ区別できていない(ゆえにオタクが恐ろしく見える)という現実の区別がついてねーじゃねーか。
最初は、井戸端会議からワイドショーまで出垂れ流される口さがない「情報」と、本当の姿である「現実」が区別できない人々(主婦と言っているが主婦に限らない)を批判しつつ、自分も同じ陥穽に落ちてその愚かしさを体現してしまっているという皮肉かと思ったんだが…
http://anond.hatelabo.jp/20110710154312
ありがとう。苦労した話をしてくれてありがとう。親戚は認知障害を知ってるからわかってくれると思うけど、近所の人とは両親ともごくごく普通に挨拶したり会話したりしているから「盗んだ」とか言い出したら本気にされそうだよ。気をつける。
つい、はずみがついて、ぽんぽん捨てまくってたよ。腐る物だけ取り除いたら、目立たないように間引いていくよ。ありがとう。
サンキュー。コメント入れてくれる人がいるとは思ってなかったんで失礼。両親が高齢になって、認知障害も進んで、ついに2人で暮らせなくなり、娘である私が手伝いに入ってるんだ。もちろん、押し入れの整理なんて、どうでも良かったんだよ。「結納品」の中の昆布がカビだらけになっているのを発見するまでは。母親は整理嫌いで家の中はいつもゴミ屋敷状態に近かったんだけど「食べ物を腐らせる」ことに関しては異常なまでに嫌がってたんで、こんなことになってるなんて夢にも思わなかった。結納品使ったのなんて、かれこれ28年前だよ。もしかすると、先回りして用意するのが好きな母が孫のために買っておいた物かも知れないが、母は記憶を失ってるんで何もわからない。
くせものなのが自称「きれい好き」の父でね。母よりははるかに整理上手だけど、物が捨てられない。
んで、天井までの物入れに物がいっぱい詰まっていて、外に出ているものを仕舞う場所が無いわけさ。
母が食べ物を押し入れの奥に突っ込んでいた。父が部屋を片付けろとうるさい。の両方の事情で、超特急で押し入れの中身をぶちまけて、腐ってるもの、腐りそうなもの、カビが生えてるもの、生えそうなものを捨てまくってるわけ。空いたスペースに父の物をきれいにして収納する予定。
父の認知症も進行していて、だんだん説明しても理解出来なくなってきてて、こちらも強行突破している部分がけっこうあったりするんだけど。元々、両親がもっと持ち物を厳選しておいてくれれば、こんな苦労は無かったと思うと文句言われるたびに飲み込むのが苦しくなってきて、こうして増田で吐いてるんだよ。
ありがとう。聞いてくれる人がいると救われる。
認知障害のある84歳の母を85歳の父と一緒に介護している。母は「ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、自分が何をしているのか」がわからない。見当識が無いというのだそうだ。半年前に在宅介護を始めてから、毎日毎日「私、どうしちゃったの? どうなってるの? なんで誰もいないの?」と聞く。最初のうちは「病気なんだから」と辛抱強く答えていた父は、すっかりうんざりしてしまい、母がいつもの質問を始めると無視するようになった。私が代わりに答えると母は「なんでパパに聞いてるのに、あんたが答えるの?」と言うので「同じ質問を千回繰り返しているから、もう答えるのがめんどくさいんだよ」となだめている。
一昨日の夜、10時に就寝し、父は寝室に引き取り、私と母は病室としてしつらえた部屋で休んだ。11時ごろ、母がむくっと起き上がった。「何?」と聞いたら「パパに聞きたいことがある」とベッドから下りて、父の寝室のほうへ行こうとする。父は頻尿のせいで常に寝不足で、余計なことで起こしたら、さらに体調と機嫌が悪くなることが目に見えていたので力づくで阻止して、ベッドに押し戻した。すると母が「なんで、私がパパのところに行くのを邪魔するの? あんた、パパと出来てるでしょう」と言い出した。「私はパパは大嫌いだよ。でも、寝ているところを起こすのは可哀相だと思うから止めてる」と答えたら「あんたはパパが好きなのよ」と言い募る。その後も、1時間ごとに起き出しては、トイレに行くふりをして父のところに行こうとしたり、私を出し抜いて出て行こうとしたりする。朝4時、トイレに母を座らせていると「あんたは何をしているかわかっているの? 父親と関係を持つなんてしてはならないことよ」と言う。「やってない」と何度言っても聞かない。
ふと、思い出した。
母は私を叩いて育てた。躾なのだそうだ。言ってもわからないからぶつのだと言う。じゃあ、この状況ならぶてばいいんじゃないか? 母は私をぶてば言うことを聞くと思っていたのだから、私だって母をぶって言うことを聞かせればいいのじゃないか? 頬を張った。何度も何度も叩いた。母は「あんたは父親と出来てる」と言い続けた。叩いたって、言うことなんか聞かないじゃないか。
翌日、ずっと母は父と私に向かって「あんたたち、いつからそんな関係なの? 許されないことよ。情けない。信じられない」と言い続けた。ケアマネさんに相談したところ「そういうことはよくあることなんです。何日も続くようなら、どこか施設に短期で預けて、離れたほうが落ち着かれるかも知れません」とアドバイスしてくれた。
母は夜になっても、同じことを言い続けた。そして、一昨日の夜と同じように、夕べも同じことを言った。そして、私に向かって手を上げようとした。「ぶちなさい」と私は言った。「それで気が済むなら、何度叩いてもいい。でも、私とお父さんは何の関係もないと認めなさい」と、母はぶった。何度もぶって、私の頬は真っ赤になった。でも、ちっとも痛くなかった。母が私を叩くときに手加減したことなどない。今だって、もちろん、力一杯叩いているはずなのに痛くない。84歳の老婆に叩かれたって、ぜんぜん痛くない。最後には「関係はない」と認めさせた。
今朝になって、母の左あごに青痣が出来ているのを見つけた。昨日までは無かったものだ。私がぶったのとは違う場所だが、ほとんど24時間揉み合いをしていたのだから、いつかどこかでぶつけたのかも知れない。痛くないと言うので放置しておくことにした。
母は今朝、父の顔を見て「あなたとケンカした夢を見た」と言った。今回の騒ぎは、それで終わった。日常が戻ってきた。母はすっかりご機嫌だ。
今度、わけのわからないことを言い募ったら、母をぶつのではなくて、私をぶたせてやろう。私には母親はいない。私をストレス解消の道具にしてきた老婆がいるだけだ。やっと、母から解放されたような気がする。好きなだけぶっていい。私はもう母の言葉にも母の暴力にも傷つかない。私は母より強くなった。
201104072100追記。
思いがけない反響をいただいて、返信をしたら、ご期待を裏切るのでは?黙ってようか、とも思ったのですが、残念ながら文学として書いたのではなく、苦しい気持ちへの共感と、何らかのアドバイスを求めての投稿でしたので、追記の形でお礼を言わせていただくことにしました。
「飯つくれと父が言う」
http://anond.hatelabo.jp/20100603223423
「飯つくれと父が言う2」
http://anond.hatelabo.jp/20100710104654
http://anond.hatelabo.jp/20110111155004
ここまでの経緯を簡単に言うと、私は母を老人ホームに入れたかったのに、認知症を患っている父に強く反対され、叔母が協力してくれると言うので在宅介護を始めたら、叔母がのっぴきならない用事で来られなくなり、母をデイサービスに週3日行かせることになったのです。
主たる介護者は「父」で、私は補助に過ぎないのですが、23年前に両親の介護をするという条件で土地をもらって家を建てた(そこには75歳の夫の姉がいて、家が無くなったら行くところがありません)ので、介護から降りるという選択肢はありません。問題は、そのときはうちの両親と仲の良い夫がいたのですが、3年前に60歳で亡くなってしまい、私1人で抱え込む羽目になってしまいました。
誰が悪いわけでもありません。人が亡くなる順番は年齢通りでは無いというだけです。
母を施設に入れることを、父が承諾してくれさえすれば、今の状態から抜け出せるのですが難しそうです。でも、増田で相談したおかげで、少しずつ「介護を抱え込まない」方向に進めています。今回もすぐ(ケアマネさんに相談だ)と思えましたし、ケアマネさんがすぐに理解を示してくれたことで、とても救われました。
みなさんへの返事の中で言ったことも実行出来ていないことが多い(特に母を家に戻したのは痛恨です)のですが、少しずつみんなが楽しく暮らせる方向に進めていこうと思います。
その1、母親に認知障害があり(認知症ではないので進行はしない)24時間見守りが必要。
その2、見守っていればいいだけで、実際に介護しなければならないことはほとんどない。例えば、布団をめくることが出来ず一緒に起き上がろうとするので布団をはぐとか、トイレに行ってもパンツを下ろしたり上げたり出来ないので支度するとか。
その3、それゆえに、娘である私の拘束時間は果てし無く長く(24時間中23時間)、でも、作業を凝縮して時間にしてみれば2時間にも満たない。
その5、私と父親の間で「介護」に対する認識がまったく違っている。
こうして、ますだに書き込んでいる時間があるのだから、ラクな介護であることは否定しない。今も両親は隣の部屋でテレビを観ており、今の状態だけを見れば、2人とも病気療養中とはとても思えない。特に母親。普通に父親と日常会話を交わしているので、まったく正常としか思えない。
それでも、私には自由時間が必要なのだ。1週間は168時間である。睡眠時間に49時間使う。自分の家のことをするために7時間使う。残り112時間のうち、27時間休ませて欲しいのだ。週85時間介護なのは耐えられる。
去年までは、叔母が泊まり掛けで介護に来てくれたので、27時間を確保することが出来た。
お正月、母の介護に対して同じ立場の兄たち兄妻たち叔父叔母たちが集まってきたが、結局のところ、泊まりで介護をする気があるのは私といつも来る叔母だけと判明した。仕方ない。こんなことは強制してもしょうがないし……と思っていた矢先、叔母が超多忙になった。詳しい事情は書かないが、私にとってはとても納得のいく理由であり、来られるだけ来るという叔母にうちの母の介護をしている場合では無いだろうと、私のほうから進言したくらいの理由だ。
まずは叔母の穴を介護保険のサービスで埋められないかと考えた。ショートステイも短期入院も「毎週」といった対応はしていないそうだ。では、ヘルパーさんと考えたが父親が反対する。「家に他人を入れたくない」のだそうだ。
しかし、私が居ない27時間プラス睡眠時間7時間、合計34時間を、なんとかして埋めないと、母親は事故に遭う可能性がある。
だって、お前、と父親は言う。朝・昼・晩と、ご飯の前後だけ入ってくれるとして、そんなに人の出入りがあったら、かえって疲れてしまう。誰も来ないほうがいい。
ぷつん、と音を立てて、私の緊張の糸が切れた。
誰も居なくていいのなら、何故、私は1日23時間実家に張りついてるんだ? 私だってやりたいことは山のようにある。介護したくてしているわけじゃない。父親が母親を施設に入れるのは嫌だ。在宅で介護するというから付き合ってるんだ。
さらに父親が言う。母親の介護をしたくないのなら休めばいい。お前が居なければ俺がやるんだ。
要支援2の85歳の認知症の父親が、要介護3の84歳の認知障害のある母親をみている。
そんな状態を放っておいて、社会的責任が果たせるか?
わかってる。父親の暴言は、単に現状認識出来ていないから出てくるだけだ。
わかってる。
昨日から、朝起き上がるのに時間がかかるようになった。身体全体がずしっと重い。何もしたくない。
20110111追記
私自身が「介護をしている自分」にしがみついているんだと、そういう視点に立てました。もっと離れて冷静に必要なことを見極めていこうと思います。
20110114追記
母親をデイサービスに週3日行かせることになりました。これで気を抜く時間が出来るので、一息つけます。気力が無くなってしまわないうちに、なんらかの手を打ちながら進めて行きます。
捕まえられるのなら話は簡単。ゲージに入れて閉じ込めておけばいい。
うちには兄から回ってきた猫が3匹いる。最初のうちには懐かなかったが、今は私の顔を見るとゴロゴロいうようになった。私は兄に「飼えなくなったのたら保健所に連れてけ」と言った。「殺生なんてとんでもない」と母が連れて帰ってきて、高齢のため面倒がみられず私がずっと世話をしていた。といっても、餌やってトイレ掃除するだけだが。それでも生き物だから、毎日世話は必要でかなりな負担だった。
母がウィルス性脳炎にかかり、記憶障害と認知障害を抱えて戻ってきた。24時間見守っていないと何をしでかすかわからない。私は両親と同居はしていないので、2軒の家を駆けずり回って猫の世話と母の世話と両方はきついのだけれど、他ならぬ母が殺生を嫌がったのだから保健所行きにしたら母の精神状態が悪くなるだろうと思って頑張って飼っている。
この間、どうしてもやりたいことがあって、母を連れて家に戻った。3匹の猫を見て母は悲鳴を上げた。「きゃああ。ばっちいばっちい。いやいやいや」
誰のために猫の世話をしていると思ってるんだ、この女。思わず首絞めそうになったよ。
ちなみに、その3匹は私以外の人間は警戒するから寄ってこない。
保健所行きがしのびないのなら、顔を見るたびに、何か投げつけてやればいいんじゃないか? 寄って来ない猫に引っかかれるわけがない。
恐れるのは自由だが、本当に効かなくなるという根拠がまともに提示された事が一度でもあったかいな。
仕方ないやん。“おそれ”なんだから。感覚に根拠を求める方がどうかしてる。
信頼を得ることは積み重ねだけど、失うのは一瞬だしな。
できねえよ。
何のための三権分立だよ。
犯罪行為は、それが反規範であるという大前提に対する信頼があるから、多少肯定的に描こうが問題にならない。
石川五右衛門だったり、ネズミ小僧だったり、必殺シリーズだったり、ルパンだったり。
不倫とかは、成人同士であれば、基本的に合意に基づくものであるから、やっぱり規範に対する信頼を揺るがせるものではない。
未成年が当事者であれば合意の有効性が問題になるし、レイプはそもそも合意がない。
成熟した成人であれば、規範に反するかどうかの判断ができるであろう信頼があるけど、未成熟な青少年は適切な判断が行えるという信頼がない。
だから、パターナリスティックな規制が必要だということになる。
飲酒、喫煙行為もNGになるかも知れない(実際アメリカでは『ワンピース』は登場人物がタバコを吸うシーンはほぼ全て修正を強いられている)。
喫煙に関しては、公共空間での禁煙が進みつつある。この棲み分けが落ち着くまでの過渡期だから、試行錯誤的に行き過ぎる場合も出ることもある。
それは、最終的にはその時の司法判断に委ねるしかない。
飲酒は基本的に未成年は触れられないものだろ。販売規制もしてるし。
あとは自己責任の問題で。
それはない。
問題なのは、住居侵入罪とか駅構内のビラ配りとか内容に関係なく規制がされてるものに引っかかるということで。
でも、これは別の話。
とにかく規制派の脳内には「キモいものは規制してよし」という絶対普遍の正義があり、たまたまその最初のターゲットが「非実在少年」だったというだけの事。
彼らが、「いやそれはキモくねーだろ」というような物にまで狙いを定めないという保証はどこにもない。それは議事録の中の彼らの発言などを見ても明らか。
だからといって、同じような偏見で返してどうすんのよ。
しかも、かえって連中に「やっぱり、認知障害か」って根拠を与えるようなもん。
無理。
生理的にキモい物に対して「こうすればキモく感じなくなります」なんて提案は絶対不可能。キモいものはキモい。対話をするのも嫌。
お前はデジタル思考か。
そして誤解してる。
別にキモイと思われるなと言ってるんじゃない。
無害だと思われるようにした方がいいと言ってる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100325-OYT1T00485.htm
>東京都江戸川区の区立小学校の校長(59)が、保護者の女性と性的な関係を
>持っていたとして、今月1日付で更迭されていたことが25日、分かった。
>前校長は、学校行事などで知り合った保護者の女性と2008年に校長室で
>性的な関係を持ち、その後も女性を同校の臨時職員として採用するよう区に推薦し、
>関係を続けていたという。
>今年2月、臨時職員を退職した女性から相談があり、区教委は「校長として不適切」として、
>処分権限のある都教委に報告した。前校長は、近く懲戒免職処分となる見込み。
果たしてそこまで責められるような話か?
確かに「勤務時間中に行った」のであれば、
勤務時間内に私用を行ったのと同義なので責められるべきだし、
「勤務地(小学校内)で行った」のであれば
勤務地を私用で使用したわけだから、その点では非難されるとは思う。
しかし、ことの本質、「教師は、担当児童の保護者と性的関係を持つ」こと自体、
全く非難されるべきものではない。
なので、たとえ配偶者が相互にいたとしても、この行為でもって
懲戒免職にするのは、「お門違い」である。
なまじ「聖職者が人倫にもとることをしてはいけない」という
プレッシャーが、ひいては市民生活の「活動の自由」「表現の自由」を奪ってしまうのである。
人倫云々より、「自由」の方が、小生にとっては「守るべき価値」である。
できれば懲戒免職の不当性を訴えて裁判して欲しいとすら思っている。
・・・という意見を、仮にPTAで主張すると、良くても「変人扱い」、
悪くすれば「認知障害扱い」なんだろうなあ。
で、元増田が言うように
・「不愉快なものは規制しても良いって言うのか。みんながそういうのはそれぞれあるんだから我慢すべきだろう」と表現の自由を盾に迫る
・「こんな絵も違法になるんですよ!良いんですか!?トトロもですよ!?」って絵を見せながら叫ぶ
・「認知障害とか言う方が認知障害www」みたいにおまえだって的な態度で賛成派を批判をして高いポジション取る
・「反対派は全く論理的じゃない。馬鹿ばっか」みたいなことを言う
のがネットにおける「反対運動」の主流だし、それを批判すれば「賛成派」とされるから、
これらに賛同出来ない人は全員「賛成派」だね。ネット基準では。
完全反対派の有村を出してきてる辺り、元増田は手放しで賛成派に回ったというよりかは、もう脱落って感じなんだろ。
反対派の暴論が嫌なだけで、意見として規制賛成なわけじゃないから、上記みたいなことを言わない反対派(有村やMK2?)には好意的というか。
http://anond.hatelabo.jp/20100320235739
私は、「基本的にはこの法案は対象半が広すぎて反対ですが、ただ一般の人たちが恐怖を覚えてしまうような表現があるのも事実かと思われるので、ある程度落としどころを見つけて歩み寄らないといけないよね」というスタンスだった。具体的にどこまでかの線引きをするのは私の独断では出来ないのは確かだが、幼児に向けられる欲望に関してはなんらかの表現規制が必要な可能性がある、とは思っていました。
でも、そういう風に言うと、反対派の人は火が付いたように怒り出す。
「不愉快なものは規制しても良いって言うのか。みんながそういうのはそれぞれあるんだから我慢すべきだろう」と表現の自由を盾に迫るのも、
「こんな絵も違法になるんですよ!良いんですか!?トトロもですよ!?」って絵を見せながら叫ぶのも、
「認知障害とか言う方が認知障害www」みたいにおまえだって的な態度で賛成派を批判をして高いポジション取るのも、意味があるとは全然思えない。挙げ句の果てに、「反対派は全く論理的じゃない。馬鹿ばっか」みたいなこと言って、「怖いって思う女性がおかしい」って叩いてドヤ顔。その恐怖を軽んじるんではなく、真剣に真摯に受け止めた上で、今回の件の落としどころを考えてくれる反対派の人はほとんどいなかった。
勝手にすればいいけれど、【どっちかといえば反対。ちょっと規制はやりすぎ】派だった私は、どんどんあなたたちのことが嫌いになっていっている。そして、同じようなスタンスの人はすごく多いと思う。
あなたたちが、「本当に青少年に影響があるんじゃないか」とか「幼女のレイプ事件の発生率に影響があるんじゃないか」とか「こういう議論になって陵辱表現を声高に守りたがる男性がたくさんいることを怖いと思ってしまう」みたいな、世間一般の小さな子を持つ親や性被害に遭った女性が当然に考えるような気持ちに歩み寄らないで、「そんな風に思う方が馬鹿」と叫んで自分の権利だけを声高に主張するなら、歩み寄れない。
はてこさんの呟いた、女性からしてみれば正直な恐怖心を、あんなに叩く人たちと一緒には戦えません。その「怖い」の言葉に返すのが「俺たちだって、熊やライオン(名前は公権力というらしい)襲われて怖い」「男の俺だって、男は怖いと思うぜ。なら俺は被害者か?」とかって。怖いと思う人がいると言うことを叩いてどうするの。そして少なくない女性が共感する言葉にこの態度はどうなの。
本当は同じ規制反対派だから嫌いになりたくなかったけど、いやなところがどんどん見えていって辛かった。
本当はそういう当然にある恐怖心と、欲望のバランスを取って、世間と折り合ってほしかった。でもきっと無理なんだね。
真摯に向かい合った言葉を上げてくれた有村さんやMK2さんありがとう。すごく心打たれた。
ロリコンの人たちなんだろうけど、ちゃんと向けられる恐怖心とか不安感とかを受け止めた上での発言をしてくれてて、(すごい失礼な言い方だけど)「こういうロリコンの人もいるんだ」と思った。みんながあなたたちみたいだったら、私だって全力で規制反対できたけど、あなたたちの後ろでワイワイ言ってる人たちの「俺は悪くない。世間が俺を攻撃している。理解しない奴らは馬鹿」みたいな独善的な姿勢が怖くて嫌いで無理でした。
そして、元々反対派寄りだった人を引かせてしまうあなた方は、元々賛成派の人たちの心を変えたり出来ないと思う。
むしろ、中立寄りだったけれど騒ぎに引いて、賛成派に回ってしまう人は少なくないと思う。
自分は悪くないっていくら叫んでも、人に不安感を与えているからこうなった。そう感じることを、叩いても仕方ない。
その前提で、じゃあどうやって「不安や恐怖を与えないように」出来るのかを考えて、社会と折り合いをつけていければ良いと思う。
私も表現を守るために一緒に協力したい。
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こちらの方が話の流れとしてしっくりくるでしょ?
以下削除した言葉の解説
×私は、もう、この問題は諦めることにしました。
本当に諦めているなら、この内容をここに書く必要が無いし、ましてや最後に賛成派に回る必要も無い。
×私みたいな、中立寄りだったけれど騒ぎに引いて、賛成派に回ってしまう人は少なくないと思う。
「私も賛成派」なんて言っちゃったら、今までの話はこの結論のための話と思われる
×それは私も表現を守るために一緒にしたかった。 残念です、本当に。
(協力)したかった、残念なのならなぜ正反対の賛成派という結論を出すのか?