はてなキーワード: 理不尽とは
そもそも日本の義務教育は、身長順すなわち弱い順で常に並ばされ、その社会的序列をクラス内カーストという形で思い知らされるのである
低身長男性は、今後何を成そうとも「でも低身長だからなぁ」という蔑視がついてまわり、まともな人生を送ることはできない
たとえ優良男性であっても低身長であったが最後、それは女からすると「値引きシール」に見えてならないようだ
おおよそ男と釣り合わない学歴・年収・容姿であっても、値引きシールがついているセール品であればワンチャンあるかもしれないと目をつけられ、そしてATMとして獲得した後には、そのリソースを活用して「ブランド品」すなわち高身長男性との不倫に勤しみ、托卵を試みる
はやく現実を見ることだ
現代社会の常識として、生まれに関する属性、すなわち本人の努力で変えようのない属性による「区別」は差別であるとみなされる
すなわち、優れた個体のみを存続させ、劣った個体は排除してもよいという考え方だ。これは近年では許されない概念となりつつある。国家による去勢が違憲がどうのが話題になっていただろう
がしかし、優生思想は別の形に生まれ変わり、現代に君臨している。すなわち自由恋愛だ
近年の自由恋愛の素晴らしい点は、優生思想を誰の責任にもならない形で実践できる点にある。低身長は劣っている、その共通認識を社会に植え付けた上で、個々人が己の価値観に乗っ取ってツガイを選択する。それを繰り返せば、低身長の遺伝子は自然と淘汰されていく。
これを国家が行えば差別だ。しかし、あくまで個々人の価値観によるミクロな選択がマクロな結果を齎すという形で実践すれば、その責任は限りなく分散され、個々人に罪を問うことが難しくなる!これが新しい優生思想の実践だ
弱者男性が常に何かに怒りを向けているのは、これを本能的に理解しているからだ。自らを排除せんとするマクロの潮流を肌で感じつつも、それに怒りを向ける個人が存在しないために、政治家に、国家に、男女論に、インターネットに怒りを向けるのだ
しかし社会は「形だけは」優生思想を否定しているため、弱者男性の生き辛さを否定する。弱者男性にも人権があると嘯く。しかし現実には、弱者男性は失敗作で、子孫を得られる権利がない……と国家が言ってしまうと問題なので、あくまで「偶然機会に恵まれなかった」ということにしている。現実に、それで誤魔化される弱者男性が多く生き残り、労働力としてその生涯を終えるわけだから、まったく社会にメリットがないわけではない。人権のないゴミも労働力として有効活用してやろうというのだから、現代社会は思ったよりもエコなのかもしれない
その労働力は主に強者男性のための社会維持と、その子孫たちのために活用される。大変親切なことに、子孫を残す権利のない弱者男性にも、人類の末裔への奉仕の機会は残されているわけである
そういう場合には、速やかに命を絶つか、あるいは無敵の人となって社会への復讐を行うのが大変一般的である。通り魔でも強姦でもなんでもいい。おおよそ社会通念上許されない行為をしなければ得られないものを得るために、彼らは文字通り命をもって一世一代の賭けをしているわけだ。
これを聞いた「勝者」の皆様は何を理不尽なと思われるかもしれないが、まぁ窮鼠猫を噛むとも言うし、それくらいは勝者の義務として受け取られてはいかがだろうか。有史以前から人類の暴力というものは二種類存在し、一つは勝者による敗者からの搾取、もう一つは敗者による勝者への復讐だ。人類全体が勝者となることを拒んだのだから、敗者の復讐は当然発生するものだ。その被害をいかに少なくするかは、勝者が考えなければいけない。少なくとも、敗者の人格のせいにするだけではなにも解決されないのだ。
そのゲームを始めた頃は、拙いプレイで行き詰まったり、それを課金の力で強引に解決する狂気が面白かった配信者が、ゲームを深く理解してどんなきつい状況でもそつなく結果を出すようになってから全然面白くなくなってメンシから脱退してチャンネル登録も解除してしまった。凄い理不尽なことをしている自覚はある。配信者って大変だね…。
ANAとJAL「カスハラ方針」共同で策定 23項目の“行為例”も紹介 https://news.yahoo.co.jp/articles/74dbccf177a05f6534722758726113d522ba2e70
・「〇〇(特定の性別を指して)のくせに」「男性の上司を出せ」などの性差別的な発言
●脅威を感じさせる言動
・「殴ってやる」「殺すぞ」「SNSで拡散させる」などの脅迫的な発言
●過剰な要求
・規定やルールを超えた多額の補償金やアップグレードなどの特別対応の要求
・係員の態度が気に入らないなど、理不尽な理由での慰謝料などの金銭の要求
●行為
・居座り、長時間の電話など、正当な理由がない社員の長時間拘束
・話のすり替え、揚げ足取りや執拗な攻め立てによる社員の長時間拘束
・(複数の場所での)同じクレームの繰り返しによる著しい業務妨害、不合理な問い合わせの複数回繰り返し
・常習的な同じクレームの繰り返し
まあ文句言うのもなんだなあと思い
自分で書くとしたらどうすんだろと考えた
しかしみんな同じ話にするってことはそこに需要があって金になるから
ってことで作者もたまには違うもん描きてえわって思ってるだろなうん
話はそれた
ギャグかな
既婚の王様を略奪愛するのはどうだろうか
これこそ悪女令嬢やろ
過去、パワハラ上司にいじめられて休職して戻って来たとき、課長に「全然役に立てなかったよね?」と言われて考課の点をかなり下げられた。
一方、パワハラ上司は私のいない穴を埋めたので考課の点も上がった。(双方パワハラの考慮なし)
昇格は考課の点数で決まるので、その後延々と昇格が周りより遅れる羽目になって今でも恨んでいる。
そのせいで普段からセクシー田中さん事件もビックリの原作改悪をやりまくってるのに
執拗に叩けなくなってるよな
女性が横から出てきて女性と距離を取るとは?近付いてきたのアッチなのに!?
どうやっても無理なのに「お前が距離を取れ」みたいな謎の扱いされるのは本当に理不尽だわ
諦めてるけど
夜中道歩いてると脇道から女性が出てきてコチラをチラチラ見ながら早歩きで去っていって準犯罪者扱いされる避けづらい恐怖とかあるよ
先にコッチがその道を歩いていたのにストーカーか何かみたいな扱いされるのって理不尽だけど女性側の気持ちもわかるんで男に生まれてしまったリスクだねと思って諦めてる
女性は女性として終わっても人間としての人生が全然ある訳で(というか女性として終わる方が理不尽な役割から解放されて自由になれる)、男性は本当思春期からずっとちんこにしかアイデンティティがないんだなって気持ち
ジャンプ+って応援コメント書き込むときに「批判は禁止ですよ。一定数通報されたら削除されます」って表示されるのよ。
それは分かる。
じゃあ公式の応援コメントとでも言うべき読み切りの講評はどうかって言うとさ、批判ばっかなの。
ちょっとだけ褒めてから徹底的に批判するっていうイエスバット構文のオンパレード。
やれストーリーテリングが弱いだの、読者に伝わりにくいだの、そもそも何が書きたいのか分からないだの、絵をもっと練習しましょうだの、とにかく言いたい放題。
ジャンプ編集部もそうだし、プロ作家が講評を担当してる時もそう。
特徴的な絵が面白い漫画に対して「もっとわかりやすい絵にしましょう」と言ってるとか、説明しすぎないから余韻が残る漫画に「わかりにくいからもっとセリフで説明して」と言ってるとか。
マジでどうしようもない。
なんつうかこう一次請けが仕事したポーズを取るために二次請けから上がってきた成果物に一言ケチをつけようとするようなノリっていうかさ。
こんなことを公式がやってるから読者も「あっ、これが作者の糧になる批判の仕方なんだ。俺も作者の未来を思ってやってやろっと。忌憚のない意見ッス」を始めるわけじゃん?
まず下位より始めよっていう名台詞を知らないのかよ。
別にいいと思う。
職業倫理とかはそれとは別にあるので教師とかはダメだし仕事にもよるけど。
でも16歳と36歳って親子でもないのにそんなに親密になれるほどに話合うの?
三船美佳さんみたいなことが起こるのはなんか想像に難くないっていうか。
あーまあそうなるよねってなんかわかる。
そういう予感が多くの人が感じるキモさの内訳なんだろなと思う。
まあでも保護者の意見はそれが理不尽であっても一応その子の育成に対しての責任者なので、その子が成人するまではその子の意見と同じ程度にはそれなりに尊重されるべきで、場合によってはきちんと話し合われるべきだと思う。
未成年同士の恋愛となにが違うのかっていうと、大人はその子を巧妙に連れ去ってしまうことも比較的容易くなるとか、大人の権力でもってできることが多くなるので、相手が悪い人だった場合にその分危険も大きくなること。
もちろん未成年同士だってその危険性がないわけではないけど、相手が大人だとその危険性は増大するっていうのはちょっと想像すればわかると思う。
いい大人が保護者に隠れてまでまだ親の庇護下にある子供と恋愛するとか当然しないと思うけど、そういうリスクの予感でもって相手やその保護者を不安にさせてまで子供と恋愛をするつもりなら、せめて保護者への説得のコストを惜しんではならない。純愛なら特に。
会社で理不尽な事されたら黙って辞めて半年ほど手当貰って無職を謳歌するし
店で嫌な事あったら二度と行かないし
まあたいたいそんな感じ。なぜ理不尽が起こるのか?理由なく理不尽が起こるわけありませんよねぇ!?それは神が〜 っていう精神安定剤。
神がやることだから辛いことにも耐えなくてはならないし耐えられるという希望。
後は侵略するときの大義名分に使う。神を信じないものは救われなくて当然だからね。神の意志は必ず成されるという勇気づけもあっただろうね。
昔はそんなもんだった。でもよく言われるように、『神は死んだ』。科学が全ての因果を解き明かし続けて、理由付けできないことなどなくなってしまった。
世界はつながり、コーカソイドもモンゴロイドもネグロイドも同じ人間だというのが常識だ。
今との断絶を感じるのはそのせい。