はてなキーワード: 曖昧とは
お前はいちいち相手の言葉全てを文法的に辞書的に正しい表現であるか吟味して会話するのか?
人間の言葉は時に曖昧だったり、誤解が生じ得ることもあるだろ。けれど普通の人は空気を読んで、意味的に考えて、多少の間違いは許容しつつ相手の意向に応える形で返事するだろ。コミュニケーションの基本。
石丸はそれができてないから。いちいち相手の表現に不十分な点があるとそこばかり追求して話が進まないから。形にとらわれて中身を蔑ろにしてるとも受け取れる。これでは論破したいだけと思われてもしょうがない。普通の人ができてることを石丸はできてないから異常者と思われて叩かれる。
石丸は皆に石丸式コミュニケーションを求めている。しかし、それは驕りであり政治家たる石丸側が皆と同じコミュニケーション方法を取るべき。というか政治家でなくても。
犯罪の話と性自認の話を一つにするのは違うと思う。議論は必要だけど。
性自認をルールに組み込む場合、いかにしっかり性自認を判定をするかが大事なんじゃないかな?そのためには性自認に明確な定義が必要。「人それぞれ」じゃあ曖昧すぎて、それこそ犯罪目的の人が言い張ったことも否定できない。そこを定性的にしている限り、ルールに組み込むのは流石に無謀だと思ってる。それを人権問題振りかざして曖昧にし続けるのは、秩序という観点で非常に危険だと言わざるを得ないと思う。
性自認が肉体性と異なる要因をしっかりと挙げて、定義づけることをしないと、ルールにはできないんだよね。線引きがないとルールは作れない。
そして一番確認したいのは、「完全にジェンダーレスの社会が達成されたとき、あなたの性別は何ですか」という点。
私はジェンダーレス社会を目指していくべきだと考えていて、その目指す中だとトランスジェンダーの立ち位置がわからなくなる。私が考えられるのは、「過渡期としての対応」という認識。ジェンダーレスを目指すのだけど、今はそうではないので、過渡期は性自認を重視してね、という考え。基本的に性自認をもとに人を扱うというのは、「男として」「女として」扱うことの強調、つまりジェンダーフルな振る舞いの強化に繋がると思ってます。思うのだけど、それでもジェンダーフルな現実を生きるためには性自認を重視してねと啓発する。ただしこれはあくまで過渡期で、ジェンダーレスな社会となればそのときにはチンついてようがマンついてようが関係ありません!風呂トイレは機能に合わせて体に合わせましょう!になるのかなと。
でも啓発できるなら、最初からジェンダーレスな社会を啓発すればいい気もするのよね…
もっと理解を深めたいな。だけど理解しようと質問しても差別だ差別だ言う当事者でもなんでもない変なのが湧いてきて話聞けないのよね。
おどれ、なんでそんな曖昧なこと言うとるんじゃ。独善的だのこだわりだの、そっちが勝手に持ち出したんじゃろ?
ワイは話合わせてやっとっただけじゃけぇ。おどれ、珍エピソード言うてるけど、それが何なんじゃ?
「本人も良いとは思っとらんが物覚えが悪く要領よくできんだけ」言うなら、そりゃ否定の根拠にはなるじゃろ。
けど、「本人も良いと思ってない」わけではない?
じゃったら、おどれの言うことが支離滅裂じゃないんか!?自分で何言うとるか、ちゃんとわかっとるか?
ほんなら、もう一回ちゃんと整理してみいや。
ワイもちゃんと話したらええようにな。
確かに、VTuberというのは自分自身とキャラクターの間に境界が曖昧になることがあるでしょう。しかし、そうした「喰われ」現象が精神に異常をきたすかどうかは個々の問題であって、全員に当てはまるわけじゃないんです。
大したことしてないのに褒められたりお金をもらうことが精神に悪影響を与えると言いますけど、それも一概に言えませんよ。自己肯定感とのギャップが問題になることもあるでしょうけど、それは人それぞれの受け取り方次第じゃないですかね。
蛸壺屋の「それでこのザマよ!」みたいな例を出すのも、それってフィクションの一例であって、現実の全てを反映してるわけじゃないでしょう。結局、個々のケースを見て判断しないと、一般論で語るのは難しいんじゃないですか?
Vtuberをキャラとして演じている自分と中の人の自意識の境界が曖昧になって精神に異常をきたす「喰われ」現象ってやつだが、
それに近いものとして、大したことしてないのに褒められたりお金もらったりすることで自己肯定感とのギャップで精神に異常をきたす人もいそうやね
蛸壺屋の「それでこのザマよ!」みたいなやつ
いや曖昧さの話じゃなくて、石丸は選挙が終わった後の自分の言葉、やれることは全部やっただっけ?その話をしてると思ってるわけ、そう考えて読むと変なことは全く言ってない
石丸の理想や理念は「ロジックを積み上げればユートピアが完成する」であろう
ゼロかイチか、白か黒か、論理的に正義正解を定義しそれを積み上げることが善である
昨今デジタル時代に情緒的な伝統的慣習の板挟みとなり人生に不満を抱えている人にはウケる論理。
バブル崩壊により社会が自信を喪失し新しい価値観を模索していた時
一方でそうした社会の変化を受け入れがたい人たちもいる
世界はふわっとしたもの、アナログ情緒的なのりしろが確保された社会が好き
多少理不尽な事もある、納得できないこともあるが、人生の大勢を揺るがすほどではない
結局それが効率的で、幸福量は最大になるんちゃうの?しらんけど
みたいな一派、だが多数派
俺にはこの対立に見えた
「いえ、そういう意味では言っていないと思います」「こういう意味で質問されていますでしょうか」って真顔で淡々と言えば良いところを、大袈裟に言葉を被せながら「えっ?えっ?…ですけど?(苦笑)えっ、どういうことですか?(苦笑)えっ?えっ?」みたいなのがひろゆきと同系統の典型的煽りクソ野郎って感じ
あと、古市との問答で聞かれてること本気で理解してないならマジでコミュニケーションに難がありすぎる
自分の真意が伝わってないなら、表現を変えたり「先程も申しましたが~」ともう少し噛み砕いて相手に伝わるように言い直すのが常識的な人間なのに、意志疎通の不十分さや誤解の全責任を相手に負わせようとするのがマジで終わってる
自然言語で喋る以上は多少の曖昧さを含みながら歩み寄って相互理解を深めていくのが普通なのに、石丸は自分からボールを拾いに行こうとは一切せず、自分の足元の極狭領域から出たボールを全て相手の責任に押しつけようとするのがクソだし、そんな人間とまともな議論は成立しない
つーかお前の回答もめちゃくちゃフワッとしてるし、周りの人間がそれを頑張って拾いに行ってる部分も相当あるのに、それを「つまりこういうことですか?」「いや全然違いますけど(苦笑)」ってお前張り倒したろかってなるだろ
団塊バブルの素行は氷河期世代から散々言われてきた通りだし、今の氷河期世代とZ世代に比べてゆとりの存在感は空気すぎる
ゆとりの特徴
馬鹿にされてきたゆとり教育だが、上の世代よりずっと今の教育に近い
ポリコレに近い平等思想を教わってきてるが、ポリコレに染まってもいないバランス感覚
社会に出る前からメディアや上の世代からZ世代じゃ想像もつかない総バッシングで叩かれてきた日本唯一の世代で、上の世代や下の世代と比べると大人しい
ゆとり世代の親が増えた事でモンスターペアレントは大幅に減った
散々言われてきた通りの個人主義
ゆとり親はモンスターペアレントこそ減ったが、ネグレクトや子供に無関心な親がとても増えた
氷河期以上の世代に比べて起業家などの有名どころが思いつかない
「毎日、自動的に快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」
幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧な存在…。 いくら自分を偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯な生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。
団塊バブルの素行は氷河期世代から散々言われてきた通りだし、今の氷河期世代とZ世代に比べてゆとりの存在感は空気すぎる
ゆとりの特徴
最近の東京都知事選挙に関して、正直なところ、自分はかなり失望している。選挙を通じて本当に変わることを期待していたのに、どうしてもその期待が裏切られる感覚を拭えない。
例えば、小池百合子氏が再選を果たした時、彼女の公約と実行力には大いに期待を抱いた。東京都をより良いものにするための様々なプロジェクトや政策が掲げられていたけれど、結果的には曖昧なままのものが多すぎた。オリンピックも然り、コロナ対策も然り、どちらも満足のいく結果には程遠い。
次に立候補した鈴木宗男氏や宇都宮健児氏も同様だ。実際に彼らがもたらす変化がどれほどのものかは疑わしい。特に宇都宮健児氏は、社会的な公正さや福祉の拡充を謳っていたものの、現実的にどうやってそれを達成するのか明確なビジョンが見えなかった。
最新の選挙では、新顔の山本太郎氏も話題になっていたが、彼の過激な言動や煽動的なアプローチには懐疑的だ。都民の期待を背負い、大きな変革を約束するのはいいが、本当にその約束が実現可能なのか? 具体的な計画や根拠が無ければ、ただの人気取りに過ぎないんじゃないかって感じる。
選挙期間中には、田中康夫氏や堀江貴文氏も候補として名前を挙げられていたが、彼らの政策や言動もまた、どこか現実味が無かった。田中康夫氏は過去の実績を誇示するばかりで、都市の未来に向けた具体的な計画が見えてこなかったし、堀江貴文氏に至ってはその奇抜なアイデアが逆に不安を煽る。
媒体によって報道される内容もバラバラで、どれが本当でどれが誇張されたものなのか見極めるのが大変だった。自分なりに色々調べたつもりではあるけれど、結局はどの候補も完璧じゃないし、都民のために本当に働いてくれるのか疑問に感じざるを得ない。
結果として、東京都知事選挙に対する期待は裏切られ、ただの政治的なショーに過ぎないという失望感を味わうことになった。これからも同じような状況が続くと思うと、本当に憂鬱になる。自分たち有権者の声はどこに届いているのか、全く分からない。
今日はカドカワの情報漏洩問題について語りたい。最近、この話が連日ニュースやSNSを賑わせているけど、一体どうしてこんなことになったのか、本当に理解できない。
まず、カドカワって名前ぐらいは知っているかもしれないけど、一応説明しておくと、ライトノベルや漫画、ゲームなどを手がける大手出版社だ。それだけに信頼感が強い企業として知られていたのが、この大規模な情報漏洩によって一気に崩れ去った。
自分もカドカワの作品は色々読んできた。特に、川上量生と樋口真嗣の「しんどい話」や、海猫沢めろんの「宇宙の果てまで雑談しよう」が好きだった。だが、今回ばかりは完全に裏切られた気がする。
問題の詳細は未だに明らかにされていない部分が多いけど、どうやら内部のセキュリティシステムに重大な欠陥があったらしい。それによって、ユーザーの個人情報が大量に外部へ流出したという。クレジットカード情報や住所、電話番号までがね。こんなことが起こるなんて、本当に信じられない。
問題が明るみに出た直後、鎌田和樹社長が謝罪会見を開いた。でも、謝罪だけで済む訳がない。自分や他のユーザーたちもそうだと思うけど、これほどの被害を受けたら、もう二度と同じ会社を信用することは難しい。
しかも、問題が発覚した時点で、すぐに対応を取らなかったことも糾弾されている。何より被害が公表されるまでに時間がかかったことが大きな問題だ。自分たちが被害を受けているにも関わらず、全く知らされなかったことは、非常に腹立たしい。
自分としては、これからもカドカワの作品を楽しみたい気持ちはある。でも、その一方で、再度こんなことが起こるんじゃないかという懸念が拭いきれない。セキュリティの再構築や信頼回復に向けた具体的な対策を示してほしいけど、今のところそれも曖昧な状態だ。
今回の情報漏洩問題で、カドカワに対する信用は地に落ちた。どんなに優れた作品を生み出しても、ユーザーの信頼なしに続けることはできないと思う。この先、カドカワがどう変わるのか見守るしかないが、現時点では非常に不安と不満が募るばかりだ。
自分の個人情報も流出しているかもしれないと思うと、本当に心が痛む。これが現実だとは、未だに信じられない。カドカワには早急に信頼回復のための行動を取ってほしい。