2021-05-05

弱者男性とは別として、やはりあてがえ論と公助による対応吟味されるべき

弱者男性という言葉意味が広すぎる&恣意的に使われすぎるので、

リベラルフェミからは当然としても弱者男性からすら否定されているあてがえ論だけど、

昨今この国では少子化孤独死問題になっているわけで、この問題意識自体社会での対応が求められる必要性が高い重大な問題だろう。

これに弱者男性という言葉多義的すぎてそぐわない。代わりに「人間関係弱者」という言葉をこの問題主語とするべきだと思う。

男性に限らずいわば人間関係弱者とでもいうべき状態の人は多く、そんな人々はそれによる孤独感や自己肯定感の低下、

あるいは他人を通じた社会参加の機会や公助共助への接続困難などを抱えている。

一般論として「社会に出ると(恋愛でも友人でも)出会いがない」と言われるように、人間関係の構築は学生時代までに行っている必要があるが、

一方で当然ながらそこには環境身体的、精神気質による格差が発生しやすい。

またそうして人間関係弱者のまま社会に出てしまうと、新たに人間関係を広げる技術や心構えを習得する機会も恵まれず、その状態を脱することが困難になってしまう。

しかハラスメントとなる危険性やネットがあることでの人間関係トラブルの複雑化で、人間関係は限りなくドライであることが正解という風潮があるし、

娯楽の多様化やお一人様歓迎の機運によって「普段生活をする上では」一人でも困らないという現状がある。

しかし困らないといってもそれは最低限文化的生活ができるというだけであり、やはり一人でいることでの孤独感や幸福感の減少を感じるのである

人間関係弱者に対する「公助」というのも実は行われており、自治体主催婚活パーティ交流会の類がそれである

だがこれらが力不足なのはいいなめない。空腹で餓死しそうな人を、魚の釣り方を教えず、道具も用意せず、ただ海につれてきてさあ魚を取ってこいと言ってるようなものからだ。

これに対してあてがえ論ではいいから魚をもってこいという話になる。しかし人は魚と違って人権があるし、またもし機会的にあてがったとしても継続性には疑問がある。魚だって食べたらなくなってしまうのだ。

やはり公助では魚の釣り方、つまり人間関係の構築に必要技術精神性の獲得を支援し、またそのための費用の補助を行うべきではないだろうか?

やみくもに交流の機会だけを与えても結局元からスキルのある強者に利するばかりであるのだから

それよりもコミュニケーション練習や、髪型服装メイクなどの選び方や手入れの仕方、またそういった管理費への費用補助など、

人間関係構築のための資産を増やす方向での補助、機会提供が行われるべきだと考える。

  • 違う。 全ては話を聞こうとしない聞き手の問題。 あなたの言ってることは、障害者に対して健常者のようなコミュニケーションをとれば人間関係が築けますよと言ってるのと同じ。

    • 弱者男性を障害者に例えるのは差別です フェミニストが許しません

  • アメがないのに機会を提供されても困るだけだと思う。 セックスできないとか言われてもそれだけじゃあねえ。

  • 弱者男性は努力が大嫌いなんだからそんな機会提供されても理由つけて行かんやろ 努力が嫌いだから男性という特権を持ってるにもかかわらず勉強も運動もコミュニケーションも学ばず...

  • 確かにそうですね 弱者男性を薬物投与や遺伝子操作でコミュニケーションが得意になるように改造するべき 将来的には脳にナノマシンを打ち込んで弱者男性の人格を強者男性の人格に書...

    • 弱者男性への差別ですね 差別はフェミニストが許しません

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