マックス・ウェーバーが示したように、宗教改革によって、労働は厭うべきものではなく、自分が救済されることを確認するための一つの手段となった。
労働は神聖な行為となった。すると貧困は救済すべき悲惨な状態ではなくなり、慈善事業は罪悪とみなされるようになる。
貧困を神聖なものと考える宗教的な感性から、貧困を非難すべきであると考える道徳的な感性への移行が生じたのである。
この感性によると、労働しないことは「神の力を試すこと」だった。これはすべての反抗の中でも、最悪の反抗とみなされるようになったのである。
このようにして監禁施設における労働は、倫理的な意味を帯びる。
怠惰とは最高の反抗形態であり、監禁された者は、それが経済的に収益をあげられるかどうか、有用であるかどうかとはまったく無関係に、強制的に労働させられるようになる。
施療院では病人の隔離だけが目的とされていたが、十七世紀以降の監禁施設では、監禁するだけではなく、労働させることが自己目的となった。
(フーコー入門)