はてなキーワード: 五輪とは
表舞台に出て説明責任も負ったりする舞台・映画監督や、せめて作家性のある構成作家が仕切るべきオリンピックの開会式を、裏方でかつ、通常業務のステークホルダーがアーティストや芸人サイドである演出家が仕切ったから。
舞台や映画監督はスポンサーの意向を聞きながらもオーディションを経由してバックグラウンドチェックを行うことでお友達以外からも参加者を募り、かつ観客動員数などの責任を負い、客の期待していることを読みながら、シーンの転換に一貫したシナリオのある舞台を作るのが仕事。向いている方向は、客、または、スポンサー。演者は監督の思い描いたシナリオや絵コンテの流れを実現する素材。
一方で演出家は、シナリオの部分を担保するのがアーティストやお笑いネタを作る側、脚本家であり、演出家自体は出来上がっているシナリオやそのシナリオに沿って動く側を良く見せるのが仕事。向いている方向は、演者。演者の活躍や表現をサポートする立場。
このゴタゴタは、AKIRA案という、復興五輪や日本外交どころかオリンピック憲章と全然関係ない案を出した演出家のMIKIKO先生のキャスティングから間違いは始まっている。
AKIRA案って、そこと何の関係あるんですか?表現者サイドの自己表現よりも、日本の民意を汲みつつ、各国の選手の歓迎の方が優先される場なんですよ。思い切り自己表現をするアーティストを支える人ではなく、オリンピック憲章の意図を理解し自分の表現力をオリンピックという場を成立させることに注ぎ込んだ森山未來的な役者・ダンサーを開会式に起用できるような教養のある監督が必要な場所なんですよ。
あと、開会式に冷戦時代だと有効だったジョンレノンのイマジンが墓から出てきたのでびっくりしたのですが、こういうチョイスをしたサブカル層が見てる世界って、難民が出ている世界や国境・領土問題でゴタゴタあるインドやパキスタン、台湾等ではなく、欧米音楽業界のさらにマイノリティの痛みに無頓着な育ちの良いボーイやガールの界隈なんですかね?さらに強者と言われる白人サイドから手を取り合ってって言われるの、どうなんですかね?マイノリティの主張を聞くことから始めないんですかね?
サブカル層はすぎやまこういちや海老蔵に対してカウンター打てるほどの人材や作品をプール出来てないぐらいに日本外交に対して考えもなく、多様性もなく、身内で固まっていただけ。そういう現状を反省しつつ、スポーツの採点でスポーツ業界の人材の方がはるかに多様だったら、大坂なおみさん以外の多様なスポーツ選手にも沢山映像等でフォーカスすれば良かったのに、そういうこともしなかった。
消防団や歌舞伎だせというのは、最低限、ベタな日本的なものを開会式に出せという、あらかじめ想定できた国というスポンサーからの要求。ベタなボランティア経歴のあるMISIAもそう。
音楽は歌謡曲・民謡・太鼓・三味線とか『のど自慢 世界大会』的なベタなもので全然良かったし、前回のオリンピックから違う系統で且つ昨今の流れを組みつつ世界でもわかりそうなものと言ったら、ヒップホップやジャズとかの黒人音楽でも良かった。他は、よさこいやねぶた祭り、漫画・アニメみたいなベタで良かったし、最初の赤い糸を使ったハイコンテキストな割にその意図が『はたらく細胞!!』っぽくて可愛いことにあっていないコンテンポラリーダンスはなくても良かった。
借りてきたマイノリティではなく、自国の中のマイノリティを見つめるなら、日本的なもので統一しても良かった。その流れで、身体障害者として途中からマイノリティになった長嶋さんの登場や、音楽業界ではマイノリティであるゲーム音楽(すぎやまこういちはともかく)は良かった。
老若男女世界各国ウケるベタでローコンテキストなものを嫌って、身内しかわからないハイコンテキストなものや、借りてきたマイノリティ性を好む人たちが、たまたまアーティストサイドを贔屓する演出家を中心となって固まり、音楽・映像サイドもそのことを気にかけなかったことが露呈した、そんな開会式だった。
才能ある人を守れと言われても、コンセプトやシナリオにあった動きをするから守れるのであって、そこを蔑ろにしてたら守れる才能のある人も守れないんですよ。シナリオや絵コンテがあるリニアなコンテンツではなく、電博の雑誌・テレビ的なノンリニアなコンテンツの作りをしていたら、枠を入れ替えるように人もコンテンツも交代されちゃうんですよ。だから外部からの口出しに柔軟に対応できちゃうんですよ。周りに何言われても「これはコンセプトやシナリオ、絵コンテの流れに合ってませんから」で断れずに。
さっきいつものNHK今日の都内感染者数のブクマページ見に行ったら
そこでコメ見てたら
ってコメしてる人いて「えっ…嘘だろ…?」って背筋が寒くなった
あれ?自分の認識がおかしいのか?知らんうちに解除されてたのか?と一瞬思って政府サイトを確認
https://corona.go.jp/emergency/
よかった(よくない)ちゃんと東京都は8月22日まで緊急事態延長ってなってる
確か五輪前に延長されたんだった
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もう自由に外出ていいんだったよね?
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…実は自分も開会式前の例の大騒ぎですっかり緊急事態宣言中だってこと一瞬だけど頭から飛んでた
開会式当日にたまたまニュース番組で「緊急事態宣言下での開会式となります」って言ってんの聞いて我に返った
「そうだった、まだ宣言中だよ」
ニュースで会場周辺や沿道に人が押し寄せてるというニュースもあった
おそらく街に飛び出してる人たちは「もう普通の生活していいんだ!」って思ってる
十分注意してたつもりだったがそういう自分も一瞬だが忘れてた
意識的に外に飛び出してるんじゃなくみんなシームレスに失念して無意識に外に飛び出してるんだと。
抵抗できんよこれは。
娯楽の欲望には逆らえない。
「夫婦別姓ってことは改姓した友達と絶交してるんでしょ?」って言うのと同じくらいとんでもないヘイトだと思うんだけど。それを実行しちゃってる人がいるっていうのが、それこそとんでもない。
都合のいい時には「沈黙はなんたら」とか一億総ウォークカルチャーみたいなことを宣い、とにかく一人でも多くてめえの運動に動員しようとしてきたわけだからな
左派の皆様っていうのはずっとそうやってきたわけだ
ロードレースの本番はツール・ド・フランスで、五輪はおまけみたいなもんだからな。
ここで話したいのは、「オリンピックの開催の是非」になる。
オリンピックの開催の是非に関しては、時期によって異なると考えている。
人命は言わずもがな、政治を誤れば経済が揺るぎ、貧困による死や少子化があるためだ。
これらを前提とさせて欲しい。
1~半年前の決断であれば「延期」がベストであったと思うが、今年の4~5月、つまり2~3ヶ月前になると中止延長が難しくなると考える。
何故なら「開催に向けて対策を万全にする」という感じのことをだいぶ前に言っちゃったからだ。土壇場でここで「できませんでした」は政治的に難しいのは容易に想像できる。
直前すぎるため中止延長を申し出れば「今まで何してたん?」という話ができてしまうからだ。
そしてこの時点で日本という国は現場は頑張っているのにトップが変なところで悠長であったため、ワクチン接種は不十分、JOCの人事はグチャグチャという有様だった。
改めて上記の状況を鑑みてここでの中止延長を考えてみよう。
恥を忍んでという形にはなるが、人命も守れるし、政治的にはちょっと悪いがまあ言い訳は効く。
世界中から謗られたとしても五輪という挽回の場が残されているのだ。
中止は流石に厳しいだろう。人命の面では問題ないが、政治の面であまりにも悪い。
スポンサーとなっている世界的な巨大企業郡への背信行為というのは、資本主義が行き詰まっている今、社会主義でもなければできない。
そして、日本は社会主義国を掲げている国ではないし、できるような資本主義であることが良いが、そのできる資本主義は最近提唱されたばっかりで導入している国はない。
更に挽回の場もない。
つまりできないのだ。
では仕方なくするという形になってしまうのだが、その「するための準備」が全くできていなかったと感じる。
一番の問題はここだ。
つまり、行政、運営側に「ゴールをに対して最善を尽くす」という力が欠けていたのだ。
五輪の開催可否はIOCに一任されているが、彼らの意思を見定めてそれに対して開催するしないなりの対応をするのは日本及びJOCの仕事だ。
あらゆる可能性を想定しすぎ日和見的、かつ楽観的に構えてしまい、結果的に悠長で後手後手の対応になってしまったというのが実際のところだろう。
人命も政治も宙ぶらりんだと言える。
開催セレモニーも、MIKAKO氏が降板してから再構成したのであればかなり綺麗にまとめたなとは思ったが、そんなクソみたいな事情は見る側には関係ない。
JOCはオペレーションの簡略化に気を配るあまり、成果物のクオリティを下げてしまったと感じる。
結論としては、「やるとかやらないとかではなく、ギリギリまで動けなくて何もかもが間に合わなかった。」
だと個人的には感じている。
今回の開催は「やると決めた」ではなく、「なんかやる感じになった」なのだ。
対義語は「やらない」ではなく、「やる、やらない」そのものが真反対の意味になる。
そういう風に感じている。
スクショ貼りってTwitterのマナーとしては相当にダサいと言われがちですが、ツイ消しされるよりかはマシということでこの発言を残しておきましょう。 #外国人選手に言われるまで気温をガン無視してた五輪推進派というのもだいぶダサいよね https://t.co/uyGSdqDaUK pic.twitter.com/C9Nie2J5fu— KOW(つ∀`) (@kow_yoshi) July 25, 2021
「個人的には五輪反対だけど、世間がお祭り気分だし、ブルーインパルスはカッコよかったから、まわりに調子を合わせておこう」
っていう考え方もあるんじゃない?
俺はそんな感じw
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1749555
この件で「快挙」「ガチで凄い」等の内容で嬉しくなってる方達に伝えたい
Wikipediaが正しければ、1990年の参加以来、今年の25位というのは最低の順位
参加国が増えたとかの理由があるかもしれん、他国は五輪並みに国が力を入れているhttps://toyokeizai.net/articles/-/381662が日本は国の関与は無いというのも理由だろう
しかし、「今の若者は凄い才能の人達ばかり」というコメは(この記事に関しては)的外れ
オラシャァーッス
五輪開催してから三日目ぐらいなんで盛り上がる人や、相変わらず恨み節奏でてる人も居ます。まだしばらくこの流れは続きますんで、体調が悪くなった人は遠慮なく休憩してもらって好きな映画とかNetflixとかで見るといいと思います。
週の始まりではありますが最近は小学生の口喧嘩みたいな言及合戦が散見されますので、いつでも手のひら返しをしてつまらない議論を終わらせる余裕を持ちましょう。
五輪のロードレース、面白かったですね! 私はサイクル仲間とチャットでワイワイやりながらネット中継をスタートからゴールまで完走しましたが、グランツールさながらの中継クオリティに驚きました。
ひとつは、カメラワーク、スイッチワークのリズム感や手際の良さですね。
ロードレース中継でカメラが狙う対象には色々なものがあります。先頭集団、メイン集団、追走集団、それぞれの集団の中の個人、アタックした選手、千切れて落ちた選手、トラブルで止まった選手、空撮映像、沿道の観衆(なぜいるんだ)、それぞれの望遠、アップ、などなどです。
これらがきちんと取りこぼしなく拾われ、時宜を得たタイミングでスイッチングされていて、グランツールを見慣れているファンも安心して見ていられる実にプロフェッショナルな中継になっていたことに正直驚きを隠せませんでした。本場のロードレース中継を実によく勉強しているなと。
これは完全に私の憶測なんですけど、もしかしたらヨーロッパのロードレース中継を手掛けているような本場の中継スタッフを連れてきてるんじゃないかな、という印象を持ちました。
それを思わせるシチュエーションはたびたびありました。
たとえば、ゲラント・トーマス(TDF総合優勝経験もある有力選手・通称G)が落車した時。
その場にはGに付き添うアシストや落車に巻き込まれた別チームの選手もいたのですが、カメラは最初からGだけをしっかりと映し続けていました。これはカメラマン自身がGを見分け、かつGが重要な選手であることをきちんと把握していないとできないことのように思います。玄人です。
選手はチームカーから補給(ボトルや糧食)を手渡しされる際に、監督の手をしっかり握ってチームカーに少し押してもらう(チャッカリ脚を休ませる)ということをよくやります。実はこれは違反行為なのですが、あまりあけすけにやらない限りはとやかく言われません。でも行為としてはグレーなので、カメラマンやスイッチャーはこういったシーンをあまり克明に映さないように、素早く別のシーンにスイッチするなどして配慮します。この配慮もソツなく行われていました。
アシスト選手は集団後方に随行しているチームカーまで降りていって補給を受け取り、また集団に戻って仲間に配るという仕事をします。また今回のように無線のないレースでは伝令も重要な役目になってきます。で、集団に戻るときは数珠つなぎになっている車両たちを風よけに利用しながら階段を登るように上がっていくのですが、これもグレー行為です。こうしたシーンも、中継で映し出されることはほとんどありませんでした。配慮がきいています。
これだけ手慣れた中継ができるノウハウを持った映像チームが日本国内にあるとはちょっと思えないんですよね。日本ではサイクルロードレースはマイナースポーツで、きちんと中継されるレースもほとんどありませんから、ノウハウなんか誰ももってないはずなんです。なのでヨーロッパから連れてきたんじゃないかと。
ちなみに、表彰式が終わってからもしばらくカメラは回っていてストリーミングも続いていたので何となくそのまま見ていたのですが、外人さんたちが数名出てきて撤収前の翌日の映像・音声チェックを始めていました。やっぱり日本のスタッフじゃないですね。
この数日のテレビやニュースは五輪の結果が多い。それは別に良いけど、選挙速報みたいだなとも思う。
1日でいくつも競技があるし一瞬で試合が進むから、いつのまにか自分の知ってる人の競技が終わっていたなんてのはザラ。
たぶん4年に一度思っていることだけど、駆け足すぎるんだよね。一つ一つの競技や試合をじっくり楽しむよりメダル数を争う競技っぽいから雑なイベントに見えちゃう。
本当は1年かけて五輪に向けた下準備があったはずなんだ。選手それぞれの苦悩とか新しい競技の知識とかをアップデートして備えられた。今年はそんなことはなくてなんかよくわからないうちにグズグズでスタートしちゃって、急いで終わらせようって感じが伝わってくる。仕方ないんだろうが。
一方であんなに開会式にこだわるのもよくわからない。コロナだったらもっと示すべきものがあるだろうし、コロナでないならもっと余興と余白をたっぷりもって楽しいイベントにして欲しいな。少なくともこんな短期間でいっぱい詰めるより、長くゆっくりと色んな競技をやって欲しいし、こんな暑い時期も避けてくれよって思う。全部アメリカのせいだけどね。