五輪のロードレース、面白かったですね! 私はサイクル仲間とチャットでワイワイやりながらネット中継をスタートからゴールまで完走しましたが、グランツールさながらの中継クオリティに驚きました。
ひとつは、カメラワーク、スイッチワークのリズム感や手際の良さですね。
ロードレース中継でカメラが狙う対象には色々なものがあります。先頭集団、メイン集団、追走集団、それぞれの集団の中の個人、アタックした選手、千切れて落ちた選手、トラブルで止まった選手、空撮映像、沿道の観衆(なぜいるんだ)、それぞれの望遠、アップ、などなどです。
これらがきちんと取りこぼしなく拾われ、時宜を得たタイミングでスイッチングされていて、グランツールを見慣れているファンも安心して見ていられる実にプロフェッショナルな中継になっていたことに正直驚きを隠せませんでした。本場のロードレース中継を実によく勉強しているなと。
これは完全に私の憶測なんですけど、もしかしたらヨーロッパのロードレース中継を手掛けているような本場の中継スタッフを連れてきてるんじゃないかな、という印象を持ちました。
それを思わせるシチュエーションはたびたびありました。
たとえば、ゲラント・トーマス(TDF総合優勝経験もある有力選手・通称G)が落車した時。
その場にはGに付き添うアシストや落車に巻き込まれた別チームの選手もいたのですが、カメラは最初からGだけをしっかりと映し続けていました。これはカメラマン自身がGを見分け、かつGが重要な選手であることをきちんと把握していないとできないことのように思います。玄人です。
選手はチームカーから補給(ボトルや糧食)を手渡しされる際に、監督の手をしっかり握ってチームカーに少し押してもらう(チャッカリ脚を休ませる)ということをよくやります。実はこれは違反行為なのですが、あまりあけすけにやらない限りはとやかく言われません。でも行為としてはグレーなので、カメラマンやスイッチャーはこういったシーンをあまり克明に映さないように、素早く別のシーンにスイッチするなどして配慮します。この配慮もソツなく行われていました。
アシスト選手は集団後方に随行しているチームカーまで降りていって補給を受け取り、また集団に戻って仲間に配るという仕事をします。また今回のように無線のないレースでは伝令も重要な役目になってきます。で、集団に戻るときは数珠つなぎになっている車両たちを風よけに利用しながら階段を登るように上がっていくのですが、これもグレー行為です。こうしたシーンも、中継で映し出されることはほとんどありませんでした。配慮がきいています。
これだけ手慣れた中継ができるノウハウを持った映像チームが日本国内にあるとはちょっと思えないんですよね。日本ではサイクルロードレースはマイナースポーツで、きちんと中継されるレースもほとんどありませんから、ノウハウなんか誰ももってないはずなんです。なのでヨーロッパから連れてきたんじゃないかと。
ちなみに、表彰式が終わってからもしばらくカメラは回っていてストリーミングも続いていたので何となくそのまま見ていたのですが、外人さんたちが数名出てきて撤収前の翌日の映像・音声チェックを始めていました。やっぱり日本のスタッフじゃないですね。
お腹の調子があまりよろしくない日のお出かけを考えてみてほしい。
内心不安はありつつとりあえず家を出たけど、すぐ降りられるように急行電車じゃなくて各駅停車で行こう、みたいな判断するよね。
便意に襲われることなく目的地に着ける可能性もあるから、お出かけそのものを取りやめるかどうかは電車の中でお腹のようすを見ながら考えよう。とか。
開催を想定しとけば開催と中止のどちらかを選ぶことはいつでもできる。
一方、中止に決めちゃうとそれを覆して開催するのは無理。
言い換えると、開催の立場は選択肢に中止を残せる(だから関係者は便宜上開催の立場をとっている)けど、中止の立場には選択の余地が何もない。麻雀で言えば両テンビンと決め打ちの違い。
なので、ありき論で言えば、ありきなのはむしろ中止派のほうだよね?
「開催ありきだ!」と批判してる人々ばかりだけど、自分の方がありき論に足突っ込んでることを自覚できてる人はどのくらいいるのかなーと思う。
ましてや、実は内々では開催中止両テンビンで物事を進めてるかも、なんてことは夢にも想像してはいるまい。
勘違いしないでほしいけど、かく言う俺個人は中止という選択肢も当然十分に検討されるべきだと思ってるし、さらに言えば、ひとまず電車降りてホームで下りの時刻表を見るくらいはしたほうがいい状況じゃねーの、とは思ってる。