はてなキーワード: プロレスとは
プロレス感あるなー知らんけど
Twitterの大物インフルエンサーがアカウント凍結された。
アウトロー系を売りにしている方だ。
凍結されたが新しいアカウントを作り、一晩で10万人を戻した。
ことのしだいは、
勝手にそのインフルエンサーがやっている保護猫カフェに押しかけるイベントを「インフルエンサーと共催」と言い企画して告知した。
勝手に名前を使われた有名インフルエンサーは、怒った(当たり前)。
そして、相手の住所を入手して、
殴りにいくといい実況※脅迫
をしたところ、凍結されたという話だ。
私も通報した。
プロレスかな?とも思ったが、
書かれていない背後の状況を考慮するのは、
とんでもない。
なぜなら、
そんなことを言っているアカウントもたくさん見たが、
どこに免責される理由があるのだ。
私はTweetを追いながら、
知って黙っているのも、まずいのでは、
もちろん、
法律などを使って訴えるべきところだった。
(のちに通報などには弁護士に相談している。最初からそれをやってほしい)
相手に住所晒されて、
武器で脅されることがあって、
その人がそのままTwitterを使い続けられるというのは、
すべての人の安全なTwitterライフを脅かすといってもいい。
どれも理由があれば、
凍結後、
新しいアカウントをつくり、
凍結対策に新しいアカウントもしくは既存の別アカウントで引き継ぐもアウトだったはずだし、
そうでなくても、
フォロワーを取り戻せるなら、
凍結リスクはないとなって、
何しても痛くないとなりかねない。
難しさはわかるけどね。
タイツーッス
プロレスってのはなかなか難しいですよね
相手を罵倒して相手に嫌な思いをさせるだけなら名誉毀損ですものね
お互いがここまで突っ込んで大丈夫じゃないかをちゃんと見極めた上でお互いに大した傷もなく、ちょっとした傷もちゃんと治る程度に加減が出来るような取っ組み合いが出来たら一番いいんですけれど
大体誰も見てる訳でもないのにそんなめんどくさいやりとりをする訳にもいかないですしね
プロレスって難しいです
力加減よいか!力加減ヨシ!
「自虐ネタ」を許さないってのもまたそれはそれで抑圧的に感じないこともないからそのへんは難しいなと。
弱者が弱者であることをむしろネタにして強みにする的なのも許されないとすると、また例の小人プロレスのあれこれがーになりそうで。
確かに漢字自体に蔑みの意味は入っているけどさ、いま話題になっているような言葉とくらべると実態がぜんぜん違うと思う。
シンデレラバスト、という言い方が発明されたことがあるが、結局定着しなかった。
もし「貧乳」を言えなかったら、医療現場とか服飾のサイズ測定みたいな専門用語が効く特殊な状況じゃないとき、つまり日常会話で、薄い乳房を指してなんて言えばいいのか。
俺はマトモな… いや、わりと普通の男だけど、もちろん過去に記名で「貧乳はいいぞ」くらいは言ったことがある(追記注・目の前の女性に向かってではなく、あくまで一般論の文脈で💦)。まわりの男友達も大体そんな感じだ。過去の発言を掘り起こされて糾弾されるこのキャンセルカルチャー禍で、「貧乳」がアウトになったなら、あらゆる何かのスポンサーは所属男性選手全員を解雇する羽目になっちまう。
最近 Vtuber をよく観るけど、数万から数十万再生のメジャーな Vtuber でも、胸の薄さがイジられて「まな板」だの「壁」だのと言われている。言われた女性は最初は怒ってみせるけど、最終的には笑っていて気に病んでる様子はない。冗談として受け止めているのだ。こういったショー、女性 Vtuber 同士での胸の大きさのマウント合戦は、特定所属企業に限らず、知る限りすべてのグループで、個人勢でも、よく行われてリスナーにも楽しまれている。Vtuber の圧倒的多数の視聴者は老若男女・ライトユーザー/オタクと、広い分野にまたがっているから、文化・思想の偏りは起こりにくいことに注意してほしい。そんな健全な環境なのに、難色を示している視聴者コメントなど一つも見たことがない。むしろ批難するようなコメントがあったなら、「杞憂民」だの「プロレスを知らないの?」だの言われてしまうでしょう。それほどまでに受け入れられている。
乳房のサイズは生まれもった身体的特徴で、多分ほぼほぼ遺伝で決まると思う。でも乳房のサイズの違いには生物的な意味はない。大きい乳房が、特に生存を有利にするわけでもない。大きい方が子どもが沢山産めそうにみえる、という仮説を見たことがあるが、現実には出産能力とは無関係だろう。唯一の違いはミルクの出力量だと思うけど、その点も技術発展で解決した。乳房のサイズの違いはいまや、天から与えられた脂肪の量の差に過ぎない。だから「貧しい」とカテゴライズされただけで何かが減ったりはしないんだ。自分の気の持ちようで何とかなるのだから、他人のお気持ちからは Not for me で距離を置けばいい。すなわち、キャンセルカルチャーの出る幕ではないのだよね。
格ゲーでもソシャゲでも使われる、つまり若くてコミュニケーション旺盛なオタクはかなりの割合が馴染んでる「人権」という言葉やその他の煽り表現を使ったプロゲーマーが制裁されたわけだが、私はこれに全く納得がいかない。
煽り合い、即ち言葉を使った殴り合いは、ある種の界隈において大きな価値がある。
Hip HopのDisりあいもそうだし、プロレスのマイクパフォーマンスもそうだ。
煽り合いやDisは喧嘩でもあればじゃれあいでもあり、コミュニケーションでもあり、エンタメでもある。
それゆえに、過剰で個性的な表現が作られたり、逆にみんなが使った流行語も混ぜたりして、独自性と一体感を混ぜ込んだ盛り上げるやり取りが日々工夫されている。
もちろん、完全にビジネスやエンタメとしてのやりとりなわけではなく、時には本気の怒りや悲しみや傷つきが混ざることもあり、それが更に深い味わいを生む。
ボクサーは殴り合いという本来野蛮な行為をエンタメとして興行化しているが、彼らの戦いの中に本気で「何を犠牲にしてもあの野郎は気に食わない、ブッ倒したい」という感情が混じることがあるようなものだ。
殴り合いは面白いから金にしたい、ロックやHip Hopは魅力があるから金にしたい、e sportsに魅力があるから金にしたい、そういう動きがある時、それらの分野の暴力性込みで発生する魅力に人々はひきつけらているはずだ。
にも関わらず、たまたま運悪く注目されて非難されたら、暴力性も魅力と踏まえてたことなんか知らんぷりして、お行儀よい振る舞いで「いけませんよやっぱり」といって処分する企業、処分を求める消費者、そんな社会に全く納得がいかない。
一応言っておくが、私個人は、暴力的な言葉の応酬はあまり好まない。
完全フィクションな物語のセリフなら楽しいが、虚実皮膜の状態でやりとりされてると怖い。
だからHip Hopのアルバムは好んで聞くがラップバトルは見ない。たまに見るゲーム配信者は発言がまあまあ丁寧な人で、その人がオラつき系配信者とコラボすると「関わらないでくれよ」とは思う。
だがそれは、「私の見ない暴力的ストリーマー文化」が「私の見る穏やかストリーマー文化」に浸食しそうになるから顔をしかめてしまうのであり、暴力的ストリーマー文化自体が私の見ないところで元気にやってるは非常に良いことだ。
さて、たぬかなのやっていたような、ゲーセン発祥の対戦格ゲーは、当然煽り合い上等の文化であり、その暴力性含めて面白い文化であり、企業も社会も、それを承知の上で盛り立ててきている。
じゃあそれはそのままでいいじゃん。なんでそれをゆがめようとする。
煽り合いのe-sportsが興行になったって、それ以外の文化は侵食されない。
厳密にはゲイ擁護だった「イケメン」という言葉が一般的になったような何らかの僅かな流入はあるだろうが、そこまで咎めだしたら社会の全てが許せなくなるだろう。