はてなキーワード: ソバとは
ネカマってあるよね。
男が女のフリしてネットやるの。
それの逆で、女なのに男のフリしてネットやるのを、フェミニストにやらせてみたことがあったんだ。
彼女は常々、「女性だからという理由で優遇されることなどない」というスタンスだったからね。
それで、twitterやはてなでフェミニズムについて一言あるような立場にいた。
俺はリアルでの付き合いから入ってたから、彼女のネットでの立場には懐疑的だった。
というのも、彼女は大学はFラン寄りだし、彼女の論も人の受け売りばかりだし、特に見るべきものなんてないんだよね。
(俺の友達だというだけで、察しがつくような気もするが)
それって、「女性だからチヤホヤされてる」んじゃないの?って、ずっと思ってたわけ。
彼女はそんなことないって言ってたけど、じゃあ試しに、35歳の独身のおっさんって設定でtwitterやってみてって事になった。
やってみた結果はまあ一目瞭然。
本アカではフォロワー3500あるのに、一ヶ月経ってもフォロワーは50も行かなかった。
「腹減った。お昼何しようかな~」「おソバに決めた」「最近がんばったから今日は海老天トッピングしちゃお」
とか、そんなくだらないツイートでも20代の若い女性がやってるってだけで、男は群がってくる。
それでフォロワーは増え、自然に交流も生まれて権力が生まれる。
時々、らしくなくフェミニズムに関する意識高い問題意識もツイートしたりして、うざいし。
さらに悪いことに、本アカで相互フォロワーになってる人をフォローしたりリプを送ったりしていたが、黙殺されていた。
正直見てられなかった。
「こんなはずない…こんなはず…」
青白い顔をしてつぶやく彼女の姿は、合コンでトイレから帰ってきたら誰も居なかった時の俺の姿を思わせた。
きっと俺はこんな顔して、立ち尽くしてたんだなー。
今の若い人は深い話をしないで迂回するって思い込みだし、あえて挑発してくるような奴はカス。関わらないのがベスト。
こじらせた人はそもそもモテ本なんか読まないし、読んでればそれはこいつの言う自分磨きしてる方の部類に入るだろうし
なんでモテ本じゃダメで韓流ならいいのか、韓流でモテるってのも意味わからんし、嫌韓デモがなんて不細工と直結してんのかそこに論理性がない。
ただの韓流好きのおばはんだね。
ツッコミどころが多すぎる。
ただ嫌韓デモで日の丸立てんな恥ずかしい、国歌とか君が代とか汚さないでくれと思ったってとこと、ありのままの自分を女に認めてもらいたいとか無理な話、ってとこだけはうなづいとく。
ほんとやな奴がいるもんだと思う。
だけど女性の社会進出に批判的だったり性的なあれこれを口出す旧態然としたクソジジイもたくさんいる。
こんなクソ野郎あんま気にしないでいこうや。
今週の弱虫ペダルを見た。ネタバレになるから詳しくは控えるけど、「1位以外は意味がない」という言葉が心に残った。
オリンピックや世界大会だったら、普通の人なら銀メダルでさえ超人的なすごさだと思うだろう。
対して、その二位になった人は表彰台では笑顔を振りまいているが、悔しさで一杯のはずだ。
この一般人と選手の認識の差はなんだろうか。もちろん、理想の差なんだけど。
*
時たま、何かに突出してるようなすごい人に出会うけど、
そういう人ってある分野に対してものすごく理想が高いんだと思う。
もはや野望だ。貪欲に知識を吸収するし、もちろん努力もしてる。
そして、俺は意図的にその状態に持っていけるのではないかと考えてる。
その手段としては、理想の高い人に近づくことやその環境に身を置くことだ。
そこにしばらく身を置けば、大分成長するのではないか。
*
これはよく認識されている事項だとおもうけど、ちょっと説明する。
高校生でクソバカ共に囲まれれば、美容師などの大学で学べない分野を除いて、
専門学校が当たり前だろという感じになる。
これには美大に行けるほど頭は良くなくて、そんなくらいのバカでも通えるから、という消極的な前提が含まれている。
それで進学したその専門学校には同じような考えの奴らがいるから、さらにそんな価値観に侵されていく。
逆に藝大や武蔵美多摩美以外ありえないという環境に囲まれれば努力する下地が整って行くのではないだろうか。
*
超進学校なら旧帝大未満は人にあらず…などの「暗黙の線引き」がある。
*
本人がマーチも行きたいけど日東駒専でもいいやと思っているのなら、
それは日東駒専未満はありえないという線引きをしている。
だから、そいつはほぼ確実に日東駒専以下の大学に行くハメになる。
*
この、「⚪︎⚪︎未満(以外)はありえない」みたいな価値観を内面化するのって成長の点において物凄く重要だと思う。
仮に超進学校から旧帝大以上に行けなくてクラスメイトから蔑まれたとしても、
それをバネにして在学中に会計士などの超大型資格を取る人もいる。
そのようなものでしか満たされないからだ。だけど、辛酸を舐めた分努力はできた。
*
だから、⚪︎⚪︎上手くなりてえなあってのがあったら、その分野のガチ勢のコミュニティに入って揉まれていくのが重要なんではないか。
英語ぺらぺーらになりてえ…と思ったら、ガチ勢のサークルに揉まれにいく。
英検一級、TOEIC900すら取れんとかありえないという価値観を内面化する。それがバネになる。
*
よく自己啓発本でミッションステートメントとか願望を書こう、とかがあるが、
この暗黙の線引きを引き上げることの方が重要なんじゃないだろうか。
もちろんミッションステートメントを否定するわけではないけど。
「思いのタネを撒き…」ってくだりが有名だけど、
この暗黙の線引きそこが思いのタネの正体なんだと思う。
暗黙の線引きと自分の現状を比べて、その線引きに満たなかったら、動く。
線引きのレベルと現状が同じなら、習慣にもならんし、努力もしないじゃんということ。
だって⚪︎⚪︎未満は自分にとってあり得ないんだし。⚪︎⚪︎を満たしているならもう動かないじゃん。
*
一つは単にファッションとしてその分野を触りたいと思うのであれば、
意識高い奴じゃなくて、「今日はベンチャー系のセミナーに出た。いい刺激になった」などと
Facebookでほざくただの意識高い系に成り下がるということ。
もう一つは、これは「自分の」成長の為に使うのであって、
「他人を」見下すためにあるのではないということ。
気合一発、春日部の野原一家からフアレスのノハラ・ファミリアを目指す。まずは地道にご近所づきあいからだ。ジャパニーズ・トラディションである引越しそばを振る舞おうとする。
ところが、誰も受け取ってくれない。地元住民はみな警戒心まるだしで、野原一家を寄せつけようとしない。陽気なラティーノの国と聞いていたのに、聞くと見るのとでは大違いだ。
なに、よそものなんて最初はどこの国でもこんなもの。時間をかければきっと仲良くなれるさ……夕食のテーブルに並んだトウモロコシ粉製の本場のトルティーヤに舌鼓を打ちつつ、四人は新生活に思いを馳せる。
だが、その家族の団欒には一匹、足りない。夕食の時間だというのにシロはどこへ? 慣れない街で迷子になってしまったのだろうか?
就寝の時刻をすぎても戻ってこないシロを心配して、しんのすけが探しに行こうと言い出す。今日はもう遅いから、とためらうみさえ。ひろしが家長の威厳をもって立ち上がり、おれに任せろ、と鷹揚にわらう。しんのすけはお留守番な、お兄ちゃんは妹を守る義務があるだろう?
夜が明けてもひろしは戻ってこない。
「ただのペット探しじゃないんです。大の大人がひとり行方不明になってるんですよ」
机を叩いて抗議するみさえ。だが、応対した警官は苦笑して肩をすくめる。
「日本の奥さん、この街で一年に何件殺人が起きてるか、知ってますか」
「三千六百人((2013年は500件程度にまで減少))です。フアレスでは一日におよそ十人のペースで人が殺されてるんです。事故や病気での死じゃない。脳髄を銃弾でぶちぬかれてたり、生きたままマチェーテで首を切られたり、バットで全身をボコボコに叩きのめされたり……そういう方法によって二時間半ごとに人間が不本意な死を迎えているんです。でもそいつらはまだ幸せなほうですね。死体も残らない死に方をしている人間となると、果たして何人いることやら」
絶望と憤慨が入り混じった名付けられない感情を奥歯のあたりで噛み殺しながら、みさえは新居に帰宅する。居間で、しんのすけがテーブルに乗った見慣れぬアルミの缶ふたつを茫洋と見つめていた。缶にはコーヒー豆を写したラベルが貼られている。日本で市販されていたものとは違い、巨大で、威圧感すらただよっている。海外はなんでも日本より大きいと聞くけれど、コーヒー缶までビッグサイズなのかしら?
「しんのすけ、なにこれ?」
「さっき知らないおじさんたちが来て、『先日のそばのお返し』だって。『この街の特産品だから、ぜひどうぞ』って置いてった」
『特産品』。警官のツアーガイドを聞かされたみさえには、なんの変哲もない穏当な単語が不吉に響いた。そもそも引っ越しソバを受け取ってくれた人はいなかったのではないか? 騒立つ胸をおさえ、凶兆を否定しながら缶に手を伸ばす。
「『必ず、お母さんといっしょに開けてね』ておじさん言ってた。だから、オラ、ずっとみさえを待ってたんだゾ」
嘘だ、とみさえの直感が告げる。しんのすけなら、そんな言いつけはきかない。さきに缶を開けようとするはずだ。事実、缶は蓋のしまりが甘い。ずさんな隠蔽工作、しんのすけらしくないミスだ。
らしくない、といえば、なぜしんのすけはこんなに平坦な口調で喋るのだろう。
なぜ缶をじっと見つめたまま動かないのだろう。
「缶の中身なんか見なかった……」
なぜこんな温度の低い瞳をしているのだろう。
あらゆる情報が、缶を開けるべきでないとみさえに警告を発していた。「それ」には決定的ななにかが入っている。開けてしまえば、もう戻れない。だが、止められない。みさえは蓋を回す。
---
自分は高校時代に3年連続で国体に出て、メダルこそ取れなかったけれども全てベスト8には残った経験あり。
就職活動で運動部に所属してたとは書いたけれど、目標としていた優勝はできなかったコンプレックスがあるので詳しい成績のことは聞かれても社内の人には言わないようにしてた。
で、今年配属が変わって男性社員が9割くらいの営業部に入れられた。
管理職のおっさんは自分がもと運動部ってことをやたらとアピールして「うちは体育会系だぞー」みたいなことを嬉々として言うタイプ。
んでしばらく仕事して気づいたのが、ここにいる人間は世間とはまた違った意味で社畜が多いということ。
管理職のおっさんが「おっし!今日はみんなで食事に行くぞ」と言い出せば、仕事がたまっててもみんなすぐ手を止めて席を立つようなところ。
スタッフの一人が「俺ソバアレルギーなんですよね」と前から言っていたのに、管理職おっさんがソバ食いたいといえば誰も指摘もしないし文句も言わない。帰り道で黙って肌をボリボリしてる。
プライベートでどこかに出かけるときは、誰とどこに出かけるかを出発前から管理職おっさんに必ず報告。もちろん恋人の有無も正直に言わないといけない。
管理職おっさんが「この前こんな宿に行ってさあ、よかったんだよ」と雑談すれば、我先にと争ってその宿に自分でも出かけていきそのことを報告するスタッフたち。
ほかにもいろいろあるけど、とにかく管理職おっさんが「カラスは白」と言ったら全員起立して「その通りです!」とか言いそうなところ。
聞いてみたらその管理職おっさん、体育部出身つっても全然強豪校でもなんでもないし、小中高と続けて最高は地区大会の予選が最高位なんだと。
いやね、いいよ。社畜でも。スタッフさんたちは不満があっても従った方が楽だと思うからそうしてんでしょ。
でも「おかしくないすか?」とか俺が尋ねたときに「キミは世間のことをよく知らないからね」みたいなふうに言わないでくれるかな。
ましてそういうのを体育会組織の見本みたいに言うのもやめてほしい。
俺がいた体育部は強豪校だけあって実力主義で後輩でも能力があればどんどん試合に出してもらえてたし、負けた先輩も試合に出る後輩のサポート役に徹してくれてた。
どうも中途半端にスポーツかじって中途半端な成功体験があるやつがやたら「体育会系の特権」を振り回してんじゃないかと思えてきた。
この会社を辞める日も近いかもしれない。
父親って考えてみたら一生に一人しかいないんだね。
思っているんだろうな
無い物ねだりなのはわかってる
でもどうしても、男性を見ると父親像が浮かぶ
で、まあこんなどうしょうもない奴ってこともあるが
男性に抱かれると罪悪感がある
だからもう男と接触をしていないが
男にとっちゃ良い迷惑よな
でもお父さんが欲しい!
お父さんが欲しいよ!
たった一人の私のお父さん!
お父さん欲しい!
お父さんが欲しい!
いま実の両親が死んでもなんとも思わないでしょう
むしろ早く死んでくれと思う
しかしお父さんが好きならどうだろう
私の理想のお父さんだったら
だったら私は首を連れたのにと思う
あ、もうちょい苦しくないのがいいな
そんなお父さんは存在しない
お父さんの老い先短くなりお父さんの死を間近で見なきゃいけない恐怖に怯え
縄に手をかける私はこの先も存在しないんだ
お父さんのいない私なんて死んじまえ死んじまえ
女性の作家の作品、結構いいと思うものも多いんだよ。女特有の自意識とか女独自の発想とか視点とか、確かにあるよねって。
だけど、そんだけ描写できる女なのに、そいつらの恋愛描写ってなるとすんげー残念っていうか、クソ。
優しい男に姉御肌っぽくイケテル女っぽい感じでとか。はあ?ってなる。作者の女の顔を見るとたいてい不細工。
まあ、しょうがないのかもしれないとも思う。ブスはそういう妄想上での恋愛しかできないのかなあと。
って思ってたんだけど、女の作家のエッセーとか見てると、本当にそういう脳内お花畑の妄想で本当に埋まってるんだなーってあらためてビビった。
男女平等を無理矢理可能にするために、男側の設定をそういう風にしなくちゃ平静を保てないのがありありと分かる。