時間がかかるに決まってるし、判断が決まるまでは何も動きもない。
仮に検察審議会で起訴相当という判断がでなかったとしても、民事訴訟が次にできる。
民事訴訟は誰でもできる。
元増田だけど、女が女を好きなように、男も男が好きなんだと思ってた!
恋愛とかじゃなく、友情とか信頼できる気の置けない同族、理解者って意味で。
だから、なんかショック受けた。
キモくて金のないオッサンも、同性コミュニティーなら仲間意識で優しくしてくれる人きっといるし、そこで友達作れば寂しくないし平気平気〜と思ってたけど、そうでもないの?
絶望じゃん。
なんか、男の在り方を考え直した方がよくない?
その日は、社会人になって初めての長期休暇を
目前に控えた日曜日の夜で、
その後大好きな宝塚歌劇を見るために、
バスタ新宿にいた。
バスの集合時刻の15分前、
パウダーコーナーで歯磨きをした。
歯ブラシを取り出すために
そばにおいておいた。
女性の方はお分かりと思うが、
パウダーコーナーは化粧スペースで、
鏡と化粧品とかを置くための台があるだけで
洗面台は備え付けられていない。
わたしは口をゆすぐために、
一瞬向かいにあった流し台に行き、
口をゆすいだ。
これが、運の尽きだった。
パウダーコーナーに戻って、
歯ブラシをケースに戻したところで
気付いた。
リュックがない。
「盗まれた」
すぐにそう確信した。
トイレ中をひとまず探し回ったが、
個室の中までは確認できなかった。
声をかけた。
「あの、置き引きに遭ったんですが」
お姉さんはもしかしたら、と落とし物を
見に行ってくれたが該当のものはなく、
110番してください」
というようなことを言われた。
言い分はごもっともだが
「なんて冷たい対応なんだ」
と思った。
不幸中の幸いで、スマホは
ポケットに入っていた。
110番に通報した。
「あの、置き引きされたのですが」
「場所はどこですか」
大体こんな感じだった。
何分くらいで来るのかと尋ねてみたが
はっきりしたことは言えないと言われ、
わたしはこの時点で、
もうバスには乗れないのだと悟った。
警察官が来るまでの間、
している間に警察の方が来た。
わたしは動揺していても、
と聞かれた。
と、冷静になれないわたしは思ったが
「出します」と言って
・スマホ
・Suica(残額約1000円)
本当に不幸中の幸いで、特に
キャッシュカードをわけあって
スマホケースに入れていたおかげで
この後も身動きをとることができた。
・財布
・キーケース
・スマホの充電器
・折り畳み傘(その日東京は雨だった)
社会人になったばかりで、
それが本当にくれた方々に申し訳なかった。
わたしの勤務先のこともご存じだったことだった。
こんな経験は初めてだったので、
もちろん被害届を提出するのも初めて。
実際に調べるのは交番勤務の方ではなく
書式の好みが違うらしく、刑事さんの
好みを考えて書かなきゃいけないのが
大変だと、おまわりさんはおっしゃっていた。
とにかく細かく書かなくてはいけないので、
質問に答えつつ、おまわりさんが書くのを
その間、
とすすめられて行ってみたのだが、
おろせるものではない。
(金融機関にもよるけど)
その時点ですでに23時をまわっており、
投げ出されたのだという現実を
つきつけられたのだった。
やっとこさできあがった被害届に
交番をあとにしたのが深夜2時前。
現金を1円も持たず、どこかで
スマホを生かしておかなくては
いけないというミッションもあった。
本のコーナーで一番安い雑誌(約200円)
をSuicaで購入した。
バスタ新宿が開くのを待った。
深夜の新宿に一文無しで投げ出され、
雑誌を読もうと思っても内容が
入ってこない。
Twitterにつぶやいたり、誰かに
泣きたいけど涙も出て来ず、
まあ泣いても鼻かむティッシュがないな!
とか考えても、5分も経たない虚しさ。
浮かれてたツケが回ってきたのかな、とか。
こういう時彼氏がいたら深夜でも
電話して泣きつけたけど、
電話はできないなあ、とか。
本当に本当に長い夜だった。
この長く苦しい夜が一番心身に堪えた。
キャリーを抱いてひと眠りした。
コンビニで充電器を買い、
両親に電話で置き引きに遭ったことを報告した。
確認してもらったが、なかった。
そして朝、食欲のわかないまま
何も食べずに新幹線に乗った。
ショックが頭を離れなかったが、
大学の同期に会った。
仕事の話やら恋バナやら、
大学時代にはできなかった話ができて、
すごく心が紛れた。
心の傷は大きいけれど、
「お前に過失があったんだ!」
と言ってくるような人は誰もいなくて、
すごくありがたい。
周りの人には恵まれているなと思う。
いたのかもしれない。
浮かれていたのかもしれない。
仕事に邁進して、
取り戻し、傷ついたものを
直していければいいなと思う。
・・・それに、
仙名彩世さんとSante!!できたから、
あしたからがんばるぞ~。
「これはひどい」タグって、何がひどいか、わからないことがよくあるよ。
↑ これは、「ひどい」のが、「須藤凜々花」ってのは、わかるけど
↑ これは、「ひどい」のは、「今井絵理子」なのか、かの女を「底辺」と断ずるこのダイアリーの著者なのか、よくわからないよ。
「これはひどい」って、昔からブサヨがネトウヨの書いたものにつけていたけど、知らない人が見ると、今井絵理子の例みたく、どちらが批判されているのかしているか、わからないことが多いよ。
趣味なんて、本人が趣味だと思っていればどんなことでも趣味になり得ますよ。
面接の場で返答に困るなら、正直に「趣味といえるほどではありませんが○○は好きです/興味があります」くらいに答えておけばよいのでは。
店が汚かったり虫がいたりすると失敗したな~って思うし、
店員をリーダーっぽい人が叱ってるような雰囲気だとあぁもう帰ってしまいたい!ってなる。
たまに注文も忘れられるしね。
2年半前の「先日、うっかり結婚した話」の続き。
https://anond.hatelabo.jp/20141206172120
結婚した時からどこかでは、その可能性も0ではないと感じていた。
その度に元夫は「そんなことないよ。君はいつも考えすぎなんだよ。」と言って、丁寧に淹れたアールグレイを差し出してくれた。
「僕が不安にさせているのならごめんね。でも安心していいからね。僕には君しかいないんだから。」と言って、抱きしめてくれた。
これが私の日常だった。これがずっと続くのなら、人生の最後の日にも後悔することなく、満足して死ねると思った。
最大の理由は、彼が転職して夜型の生活になり、付き合う人たちが変わったこと。
結婚したときには想像できていなかった、働き方と人間関係の変化。生活時間帯の不一致。経済観念のズレ。人が変わってしまったように、一方的に自分の主張ばかりする彼。
そして私は日常生活が壊れたことで、仕事でのアウトプットの質がどんどん低下して、働く時間がどんどん長くなって残業ばかりで、しまいにはパワハラを受けてしまったり。
こんな現実の問題を「愛」とかいう無形物を根拠に乗り越えられるとは、到底思えなかった。
この先に子育て、親の介護、住宅の購入…とライフイベントが重なって、その度に同じように悩むのなら、私は耐えられないと思った。
週末に日当たりの良いリビングで紅茶を出されても解決できない不安。
「夫婦のことはその夫婦にしかわからないから、誰も人のことはいえない。
ただ相手の喜ぶことができないまでも、相手が嫌がることを改善しあえないなら、一緒にいて幸せなの?」とは、悩みを相談していた友人の言葉。
抱き合って泣きながら結婚生活の反省会をした、離婚届を出す前の夜。
嫌いになったわけではなく、ましてや憎たらしいわけでもなく、歩む道が違ったんだなというまとめ。
就活でも職場でも、「趣味はなんですか」と聞かれることが多い。
多いけども、毎度毎度答えに困る。
平積みの本を見て買って読んだり、入門書を実践してみたりするが、趣味:読書とするにはあまりにライトすぎる。
神保町の古書店に通ったりするほどでもないし、月に何十冊も読むほどのビブリオマニアでもない。別にレビュー書いたりもしない。
映画もよく見る。撮ったりはしないが、ああここから第2幕で、ここらがミッドポイントだな、とか思ったりはする。
だけど別に映画.comにレビュー書いたり、試写会に行ったりするほどでもない。人食べカエルとかメタルマンの人ほどの影響力もマニアックさもない。
なんというか、趣味といえば極めろ、部活は3年間続けろ、会社は新卒で入ったら定年までとどまれ、みたいな「やり抜け思想」が強いな、と思う。
そもそも趣味なんてたかだか気晴らしだし、ましてや他人の趣味に成果を求めていたりするのは高慢というか、何故そこまで強いるのか、その神経質さは何だ、と聞き返したくなる。
就活でもそうだ。
それの趣味はうちの業務にどう結びつきますか、という意味不明な問い。(研究内容でも学科の内容でもなく!)
別にたかだか気晴らしなのだから、内容や取り組み方を聞いた所で人間性が見えたりはしないし、
「とりあえずやってみた」程度のことでも趣味と言ってもいいように思う。
思うけれど、やっぱり趣味と言うには自分のはライトだなぁ、俺は無趣味だな、と自分でも感じてしまうあたり、俺も変わらないんだなぁ。
この数年は、死についてばかり考えているように思う。
人は死ぬ。
祖父は死んだ。
祖母も死んだ。
両親もいつか死ぬ。
大切だったあの人も将来死ぬ。
私とて、もしかしたらまだ見ぬ数十秒後には大地震でこの古い木造家屋の下敷きになるかもしれぬし、
車に轢かれるかもしれない。
死んだ先は、焼かれ、骨となり、いつかは土に戻る。
そんなことは死んだ本人には関係ない。
私はどうやって死ぬだろうか。
なんのために生きているのだろうか。
死ぬために生きているのだろうか。
生きるために食べるものは死ぬために食べているに等しく、そう考えるとどんな粗末な食事も、
どんなに上等な食事も全ては等しい。
そんなことを考えていると、味がしなくなってくる。
風景の色彩が見えなくなってくる。
感動がなくなってくる。
大体勘が悪い。
1から10まで説明されたときに理解できるスピードや理解度は高いので勉強はできるけど5くらいになって10まで理解できるとかのショートカットができないので頭がいいと認識されにくい。
相手の期待値が高いのとコンプレックスとの相乗効果で罵られる。
ブコメにあるがアルアル言う中華娘はほぼ絶滅したな。銀魂のおかげでギリギリ存在を認知されてる状態。
綾波型(長門型?)のクールな無口キャラも居なくなったわけじゃないがこれも希少になりつつある。
ルイズっぽいツンデレもギャグ扱いのネタキャラになっちゃたなぁ。CV釘宮だとなおさら。これも無造作に出して凄い勢いで消費したせいか。
大前提として、私はあなたに出会えなかったという事実が、目の前に形を持って存在するくらいに、ある。
しかしそれでも、どうして私じゃなかったんだという残念な気持ちがある。
今まで会った異性の中で、一番素晴らしい人のように思える。優しい。
もし、と考えるまでもなく、私が2年前にあなたに出会う可能性はほぼゼロだった。
あなたは体調を崩し、それを支えたのは今の奥様と言う。
2年前の私が、体調を崩したあなたを献身的に支えられたかというと、たぶんできない。
その頃の私は私で、体調もメンタルも崩していて、自分のことだけで精一杯だった。
むしろ助けてくれって感じだった。
仮に出会えたとしても、やっぱりムリだったと思われる。
タイミングとはそういうもので、いま、いまじゃなきゃダメなんだ。
じゃああなたが独身だったとしても、つまり献身的に支えた誰かがいない人生だった訳で、きっと今の優しいあなたにはなっていなかった。
いまはいい関係だと思う。単なる仲間。恋愛感情は存在しない世界で成立している。
友達に近い。一緒にいると落ち着く。とても楽な気分。リラックスしている。
矛盾するかもしれないが、嫌われても良いって感じ。いや、嫌われないだろうと信じられる感じ?
気晴らし・気分転換になればそれで十分だ
人それぞれ好きなものでいい
力なんて入れる必要ない
そう思っていたし、それが誰にとっても最善だと思っていた
けれど、趣味を創造的で建設的で年を経て深めていくべきもの、と
考える人は多いらしく
気晴らしでやってるだけで何も作りもせず、深めもしていないとこちらが笑うと
相手はなんとも気まずそうに、必死に前向きな言葉を並べ立てて肯定しようとしてきた
前向きな言葉で返したけれど
なんだか疲れた
実際の好むものはさておき、社交の場で話題にされる趣味というものは、エンターテイメントとして興味を引くもの、そして交友を促す働きのあるものであるべきなのだろうか
陸上日本選手権で、サニブラウン・ハキーム選手が10秒05で優勝した。
正直、サニブラウン、ケンブリッジ飛鳥両選手が9秒台を出していたら世間はどう反応するのだろうと気になっていたが、今のところは杞憂に終わった形だ。
昨年、大相撲で琴奨菊関が優勝したときに、マスコミ各社は「日本出身力士の10年ぶり優勝」と報じた。12年に(日本国籍に帰化したモンゴル出身力士の)旭天鵬関が優勝したことは、なかったことになった。
旭天鵬関の場合は、今となればシンプルに例外的要因がつく。元の国籍があり、出身地もモンゴル。乱暴に言うと、心は日本人でも、血は違う。
だが、先の両選手は日本で育った。母はともに日本人。僕は彼らのアイデンティティが日本であると疑うつもりもないが、世の中にはきっと、日本人には聞き慣れぬ名前と、何より、黄色人種とは違う肌の色から「日本人初の9秒台」に抵抗を示す人がいるかもしれない。
マスコミは、世間はどう評するのだろうか。もしかしたら、両選手が達成した時は素直に日本人初と書いて、その後、(仮に)桐生祥秀、多田修平選手らが達成したときに「日本人の両親を持つ選手として初」とか言い出しかねない。
そんな世間は嫌だなとか思いながら、そんなざわつきが起こることを気にする時点で、きっと僕にもそんな意識が隠せないのだ。
問題提起しながら、大した対案も出せず、しまいには意見表明さえ煙に巻く腰の引け方。何も内容がないから、増田に書きました。おしまい。