何言ってんだ。
「公務員給与を下げると民間が連動して下がる」なんてのは全然根拠示されない詭弁だ。
地方公務員と民間の収入水準は何十年も前から乖離しまくってる。
だいたい維新の議席とか橋下の大阪市政レベルで全国レベルの景気刺激策なんか打てるわけねーだろ。
むしろ維新みたいな政党で中途半端に国政になんか口出さんでよろしい。
一部にまともな議員も居るけど橋下の人気で当選しただけの茶坊主みたいな議員の方が多いんだから。
自治労と結びついてた民主は地方公務員については何も出来なかった。
地方公務員についてはまだなにも終わって無いんだよ。
膿は出さないと。
働くってことに対してハードル高くしすぎ
あれがやだ、これがやだって理由つけて、自分は働くの向いてない、働かないと思ってるんだろーな
みんな多少我慢して働いてんの。
代わりに、金と職歴と人生経験を得てるの。
あと、人によってはやりがいとか、楽しさとか、人脈とか。
殆どが1番だと思う。
1から発展させて他も説明できる。
本気で欲しければどっか出かけるぐらいするじゃん。
「誰でもいいから欲しい」が強烈に本気なら自然にハードル下がるじゃん。
モチベーションは「あってあたりまえ」と思ってる。
あれだね。好きなこと、気持ちとして自分が受け入れられることを仕事にしないとダメになるね。
世間体や自尊心で大企業やカッコイい仕事してる会社に入りたくなるけど、自分が受け入れられなければ結局足踏みするだけだと思う。
優秀な人はどちらかと言うと感情を殺して、体育会系は我慢や弱者への押し付けでそれを乗り切ろうとするけど、「いつもやりたくないことをやっている」と言う結果になりツマラナい人生になって行くのではないかと。
高校という狭い枠組みから出て、そんなに恋人が欲しいのに出来ない人は
以下のどれかに当てはまるはず
・口だけで、そもそも本気で欲しいと思っていない
・誰でもいいと言いつつ高望みしている
・あり得ないほど太っている
だいたいこのへんだろうなー
「二十歳超えたら(大人になったら)自分の人生自分の責任で、いつまでも大人や親の責任とか言ってちゃいけない」
といったセリフを最近聞く機会があったが、少し突っ込みを入れたくなったんだ。
なんというか、むしろ二十歳を超えたあたりから本格的に大人や親の批判・批評ができると思うんだ。それは、親元を離れて親と距離ができて、ようやく少し客観的になれたりするから。あるいは自分の家以外の世界を知ったりするから。そもそも自分がそれまで無自覚に染まってきた環境を批判するという発想がないこともあると思う。
一番思ったことは、自分の育ってきた環境がまさに批判に値するようなひどいものであった人ほど、成長してから(自立してから)の方が大人や親を批判しやすくなるし、またそうした方がいいのではないかということだ。本人のさらなる心理的健康や安定のためにも。
確かに冒頭の言葉の趣旨は一理ある。というより一般的には正しいと思う。生い立ちがどうあれ、自分の人生自分で作っていくという心構えはなにより本人のためになる。仮に今は恨みや傷つきが心を埋め尽くしてもいづれはそういうことを取り込みつつ、自分の責任で人生生きていけるのが幸せだと思うから。
そのまんま聴き入れろと言うなら、普通の環境で定型的に育った人向けの言葉のような気がする。
やや外れるかもしれないが恨みフェーズとか嫉妬フェーズとか他責的フェーズとか必要なんじゃないかな。いくつになっても。最終的にそこそこ健康でぼちぼち前向きで極端に恨んだり他責的になったりしない人間になるには。
同じような日々を過ごしてる人たちからはある程度の支持を集めるのだろうけど、
男女問わず、毎日、違うことが起き、ヒリヒリするような日々を過ごしてる人は、その日のマインドによって横にいて欲しい人は変わる
一人で過ごしたい夜もたくさんある
そんな甘えも許せないのならパートナーでいる意味もないんじゃない?
自分に関係の近い人が楽しそうに話してるなら、興味のない話でも適当に聞き流すのは最低限必要。
話を聞き流せないのは、内容についていちいち期待して評価するから。
いや、あのさ。プロの人っていつも撮影現場にいるわけじゃなくて、空いてる時間は(どっちが空いてるのか知らんが)美容室とかでも働いているから。
要件定義フェーズがうまくいっていないプロジェクトにいらっしゃるのかとお見受けした。
できるPMがいない状態で走り出しちゃってる印象。
あれもこれも乗せ過ぎて使えないシステムって多い。
指針がはっきりしないなら尚のこと、できるだけシンプルに行くのが吉と思われる。
わかるよ。大人になると確かに幸福感が変わる。子供の頃目指していた大人になれていないし。
子供の幸福感の正体ってなにかな?自由に夢を描いたり、欲しいものが手に入ることなんじゃないかな?
だけど大人になると、根拠がない幸せには不安が芽生えてきてしまう。
これは、棚ボタの幸せに一喜一憂することのバカらしさを学んだからじゃないでしょうか?
“何のために”欲しい物を手に入れるのか、手に入れて何ができるのかを考えだした。それは決してネガティブではないと思います。
例えば、子供は「うんこ」とかのリアクションで笑える。ハラハラドキドキの、ワンパターンな映画でも素直に楽しめる。意味やテーマを咀嚼せず、反応しているだけだから。
でも大人になるにつれて(頭が良くなるにつれて)「うんこの何がおもしろいの?」「あの映画と同じテーマだよね」って気づきはじめる。裏側の意味を楽しむようになる。
ワンランク上がるって言い方は語弊を招くかもしれないけど、意味のないものに楽しさや幸せを見いだせなくなった。ただそれだけじゃないかな?
そして、それを受け入れてみるのはどうでしょう。
と言うのは、幸せになろうとするんじゃなくて
ってこと。
大人の幸せは「今の自分を肯定すること」だと思います。今の自分が未来に繋がってるから。今の自分にしっくりきてないのに、バラ色の未来を描くのは難しい。
あなたはそれがわかっているから、バラ色の未来が描けないでいる。頭がいいんだよ。根拠もなくハッピーな未来を夢見るのは、子供だからできること。
だけど不幸だとは思っていない。自己実現はともかく、ある程度の欲求は満ちている。
可もなく不可もなく幸せです。
とか、そこらへんの考え方の根本的な部分が知りたいのかもです。
「諦め」って言葉はネガティブに使われがちだけど、元来は「明らかにする」って意味だし、悟り。明らかなうえで受け入れる。
妥協は受け入れないで、擦り合わせること。
自分の場合は、暗→明のほうへ人生が180度変わる出来事があった。とは言っても、精神的な変化だから、きっかけらしいきっかけはないけど。
ただ、それ以前が底辺すぎたから平穏を手に入れて嬉しいと感じた。
「幸せって精神的なものなんだ」って気づくと同時に欲が消えた。煩悩が消えた感じ?冒頭の例のように、奥行きが必要になってしまった。
あ、欲がなくなったと言っても食欲と睡眠欲はあるよ。性欲はなくても困らない。
時々「鬱なのかな?」って心配にはなるけど、死のうとは思ってないから大丈夫なんだと思う。
で、気とかオーラとか占いとかスピリチュアルとか、なぜか周囲にそういう人たちが増えて、一般的にあやしいと思われている分野へ足を突っ込んだ。
最初は、あなたと同じで疑り深くて苦手でした。今でも信じてないです。
でも「なぜそう言えるのか?」を調べていくのは楽しい。いずれも元を辿ると西洋哲学や東洋思想にたどり着く。
すると、人が人であるがゆえの悩みは普遍的で、それを整理する方法も大昔から研究され尽くしていて、それなのに未だに人は悩み多き生き物なんだってわかった。
ハードは進化してるけどソフトはあまり進化していないって。だから生きてるんだなって思えました。考える葦なんです。
前者は「内なる子供」で、後者は「高次の自分」と訳されるけど、適当にアレンジして「子供性」と「大人性」で解釈するとわかりやすいかな?
そのバランスを意識しなきゃいけない時期に差し掛かっているのかもしれませんね。
二十歳になったら成人式やって法的に大人になるけど、本当に大人になる瞬間は、経験によって人それぞれにバラバラで、
あなたが今置かれている状態は通過儀礼ではないかと思います。自分は20~24歳までモラトリアムになって、24の時に脱皮した。
大人性というのは、いつも自分を律したり、自分に指図している自分。
一方の子供性は、ありのままでいようとする自分そのもの。子供は「快・不快」に敏感。
ハイヤーセルフは、自分をあるべき姿へと導いている。だけどインナーチャイルドが時々「私って幸せなの?」と問いかけてくる。
心をないがしろにして自分を律しすぎている時には「素直に泣いてもいいよ」って子供が出てきていて、
ウダウダが長く続けば「あんた、ヤバイんじゃないの?」って大人が出てくる。
ややスピった考えを言いますが、
と考えてみてはいかがでしょう?律している自分も必要だし、駄々っ子の自分も必要。
「よくわからないけど、幸せじゃない。おかしいな」って感じている。今、そういう状態だよね?
今は心の中にいる子供がグズグズしている。そう考えると、啓発より癒やしかなぁと思います。
自分だって考えたら自分を上手く癒せないけど、自分の子供だって考えたら少し優しくなれませんか?
子供だと思ったら「泣くな、元気出せ」って言えないでしょ?
「無邪気に幸せを感じていた子供の自分」を否定しちゃうと辛いです。
それはそれ、仕切り直しの気持ちで「子供の頃はこうだったけど、今の自分はこう」って考える。
今が充たされないと、未来は見えないです。
あちこちのサイトを見るとわかると思いますが、インナーチャイルドとかハイヤーセルフが出てくるサイトには
天使やら偉大なるマスターやら、神秘的に説明されていて、知性面から捉えると「あやしい」ですw
でも、
これも持論だけど、啓発って「気づき」を得ることだから、人に教えてもらうもんじゃないと思います。
啓発本は「こうしたらイケてる奴になれるぜ」ってやつだから、すでに前向きな意志が持てて、契機づけたい時にのみ有効。
「教えやがれ!この野郎」って思える時に読むのがおすすめで、やる気が落ちている時にはあまり意味がない。
啓発本には啓蒙的なものが多すぎるし、意識だけやたら高くなっても、肉体がついていかないと使えないです。
スピ用語を使わずに伝えるにはどうしたらいいかな?と思っているうちに、長文になっちゃいました。
上手くまとめられていないと思うので、わかりにくいところはまた質問ください。参考になれば幸いです。
単に、逆張りをして面白いことを言いたいだけの人なんだろうけど
法治国家において、法を守らないのを国家が放置する。というのは程度にもよるけど法治国家の定義を揺るがす重大な問題。
いくらなんでも、重度の違法行為は国が取り締まる義務がある。
軽度の違法行為を虱潰しに摘発するのは、恐怖政治だが、重度の違法行為を放置するのは無法状態だ。
鬱病に関しては、欝が治癒するのには長い時間がかかり、首にした企業はいいかもしれないが、
国家としては少なくとも、それなりの企業に就労可能だった人間一人を潰されて税収の対象である労働力を失った挙句、福祉のお世話になるわけだから、国益に反している。
法律に違反した上で、国益に反している企業を指導しないというのは、やはり、国家としてはオカシイだろう。
国がやるべきではなく、いずれも、(それが事実なら)国益に反しているので、取り締まらないのは変だろ。正義や何とかといってるのではなく、
国益に反している企業は国が法律の範囲内で取り締まるのは当たり前だろ。
逮捕しろっていってるんじゃなく、適切な指導をするのが、国の役目だろ。
いやもう、結論でてるじゃん?
単純に量の問題。
日本人は、プロのメイクに言わせても厚塗り。いわゆる、ヤマンバメイクを笑う人がいるけど、自分は普通と思っている人でも厚塗りが多い。
同じく、日焼け止めだって、塗りすぎれば肌に害悪だし、塗らなければ紫外線にやられるし。
紫外線が強くない日に塗れば薄くても害悪だし。正にケースバイケースの運用論。
そして、それを言って分かる人はとっくにやってるからいう意味が無いし、言ってわからない人は言ってもわからないから、いう意味が無い。
メイクが肌にいいかどうかなんて、一律の回答はない。どういうメイクか?に依存しすぎるし、何時間メイクを付けて落とすのかにもよる。
一律にYes/Noの回答なんて無い。
職業訓練は無職が就職するために必要な知識や経験、資格を取るのを目的とした無職向けの専門学校なのに
蓋を開けて見たら高倍率で面接に筆記試験もあって無職にとっては敷居の高い場所になっている現状だ。
篩にかけられて残った人間は無職でなく社会人、つまり離職者が大半を占めていて、頭の良くない・運の悪い殆どの働きたいと考えてる無職は
その資格を受けられるのは、専ら離職者だったりパソコンを所有する人達だけだったりする。
職業訓練というのはこうした特定の人のためだけの学校であって無職たちには入る余地もない。
言うなれば進学校だから落ちこぼれは初めから選考漏れしてる状態。
その中で就職率が決まってる。ハローワークによると90%の就職率を誇るが、それは要するに篩にかけられて100%合格する人間だけを職業訓練させてるからこそ
為せる数字なのだ。職業訓練が目指す理想と現実は、実際は、大きくかけ離れた所にある。
仕事を求める人間に差別化を求めるのはフェアじゃない。それは職業訓練と言う場所が“就職を目指す人の手助けをする”場所だからだ。
そこに不平等な面接や筆記試験は必要ないし、そんな事をさせなければ就職の手助けが出来ないというのはその学校の力不足だし、職業訓練の意義が損なわれている。
そう思えてならない。
「黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる。」
「法の盾、正義の名のもとに行われる暴虐ほどひどいものはない」
日本のとりあえず有名そうな製造業の会社に何も考えずに就職し、数年前からドイツの現地法人に出向中。
ちゃんとしたドイツ人を採用するために労働条件は現地大手企業水準らしいんだけど、これが超絶ホワイト。
・コア無しフレックス
何時にこようが何時に帰ろうが完全に自由。契約で決まってる週あたりの労働時間を満たせばOK。
自分は日本と同じく週40時間契約なのだけど、年度末の時点で累積の労働時間を満たしていればいいので、
繁忙期と閑散期でうまいことメリハリがつく。
周りのドイツ人は朝早く来て4時~5時には帰る傾向あり。夏は日照時間も長いし1日が2回あるみたい。
金曜は3時すぎにはあがっちゃうな。
しかも病気になった時は病院にいって体調が悪い証明書みたいなのを貰うと有休とは別枠で休める。
・夏休み
2週間ミニマムって感じ。
7月~8月は同僚も取引先もみんな長期休暇とるので業務効率悪いんような気もするだけど
夏休みでいない=じゃあ仕方ない、ってすぐ落ち着くのは文化発展しすぎ。
・社内報告業務が少ない
日本にいると何するにしても上への説明資料みたいなもの作らされていたけど
会社のなかの報告業務がものすごく少なくて本業に集中できて幸せ。
見栄えがよい資料が必要なときは気軽にパワポ作成業者に外注することになってる。(内容にもよるけど)
相手が何歳だろうがファーストネームで呼び合って常にため口感覚(英語だけど)なので
コミュニケーションが超絶らくちん。もちろん中には気むずかしい人もいるけど。
あと歳とった人も頑張って色々勉強して自分の仕事をうまく確立している印象があるな。
・ベースアップがすごい
去年も今年も5%くらい一律であがっとります。
物価もあがってるらしいけど。
時間を有効につかえて仕事にも打ち込めるし、ドイツのホワイトカラーは恵まれてる。
データを移行してみた。
移行のためにID登録とかは面倒なので、以前からIDを持ってるYahooで試してみる。
My YahooでのRSS表示は、RSSリーダーというよりはニューストピックスに近い。
まあ、どうしても使い勝手は違うので、これは慣れるしかないか。
未読が管理できないのも難点だが、これまでは未読記事がたまって、そもそも管理できてなかった。
それならむしろTwitterのTLのように、流れていくものを拾い読みするスタンスに変えてみようかと思う。
しばらく試してみて、「こりゃアカンわ」となったら別の移行先を探そう。
橋下の公務員改革って結局民間の水準が低いから公務員が高く見えるだけで
仕事が嫌いだ
苦痛で仕方ない
誰も好きでやってるわけじゃないなんて慰めがあるけど
そんなわけないだろう
好きな奴は好きなんだ
現代社会は金が中心となっていて
そして金や仕事が好きでたまらないやつが中心となって動いている
そんな価値観を持ち合わせていない人間にとっちゃクソみたいな世界だ
それでどうにかやってのけているだけで
苦痛で仕方ない
あっという間に過ぎ去って行く、自分が自分でいられる時間が儚い
遊ぶことが好きだ
だらだらと一人の時間を過ごすのもいい
してしまいそう。
自分としては辛いんだけど客観的に見たら軽いなぁって思う理由で死にたい。
生きてれば良いことあるだろうし楽しいこともいっぱいあるんだろうけど、死んだら全部関係ないと思うとまぁ死ぬのもありかなって思える。
死んだら0なんだからもうちょっと生きてみれば良いって考え方があるけど、どうしてもそういう考え方が出来ない。
来世とか信じてないしきっと本当にフラットに0なんだから、極論明日以降楽しい予定がなければ死んだ方が得なんじゃないかって思ってしまう。
ここ10年ずっと思ってきてたけどやっぱりまだ死んでないのは心のそこからは諦めてないからだと思うけど、最近は本当に死んでしまいそう。
周りが呆れるほど軽い理由で死んだ人の話聞いたことないけど、やっぱり軽い理由で最後まで生きられてるのかなぁ。