はてなキーワード: 自然淘汰とは
Not Financial Advice。個人的メモ、現状の文字起こしと雑な未来予想。自分もWeb3ヤーとして整理したかった。
根源的にビットコインは規制で禁止することはできないので、できるところから規制されるトレンドは今後も続くだろう。目下、短期のナラティブはETF承認である。AML/CFT観点でビットコイン現物の流通はなるべく制限したい規制当局側と、ビットコインのエクスポージャーが欲しいだけの大多数の投資家の思惑の両方が、現物ETF承認という形で結実するのである。その後、ビットコインETFが高い流動性を持つようになれば、既存金融機関はビットコインETFを担保にした金融サービスや派生金融商品を展開できるようになる。
また、大手マイニングプールと、(すでにマイニングプールの株主となっている)ETF取扱金融機関が提携する未来もありえるだろう。例えばマイニング収益はプール参加者のウォレットアドレスに引き出されることはなくなり、プール参加者の証券口座にETF残高として入金されるようになる。これはプール参加者と規制当局どちらにも利点がある。プール参加者にとっては、ブロックチェーン手数料や秘密鍵保管といったブロックチェーン特有のリスクを負わなくて済むし、ビットコインETFを通して既存金融の多種多様な流動性へ容易にアクセスできるようになることも喜ばしい。規制当局にとっても、本質的に規制できないマイナーとBTC現物が切り離されることは喜ばしく、win-winなのだ。すでに大手マイニングプールはマイナーにKYCを求めているので、マイナーは分散思想よりも規制された安定を選んでいる。マイナーが投資家保護環境の整ったETFに乗り換えるのは合理的な選択なのだ。
ビットコイナーの思想とは相反するものの、市場原理とは相反しない力が優勢となって働くことで、ビットコインはATHを迎えるのである。
マイニングプールが結託して51%攻撃を起こすことは、マイニングプールにとっても合理的ではないので、少数マイナーの寡占状態が直接的にビットコインを破壊に導くとは考えにくい。しかし、大きな金額を動かさないといけない巨大プールは既存金融に保護されざるを得ず、規制の圧力に対しては脆い。同じ51%でも1 ✕ 51よりも25+26の方がCensorship ResistanceやOpennessといったブロックチェーンの本源的な価値は損なわれやすい。なのでマイナーに寡占が起こることを問題視しないのも間違いである。
https://x.com/nook_ethereum/status/1696476655475171759
仮の話だが、完全に当局の規制を受けてコーポレートが牛耳る、本源的な価値を失ったビットコインが、too big to failな状態でゾンビ化した時どう振る舞うのだろうか?そのタイミングで古参クジラは離脱して一時的に売り圧が発生する気もするが、そのままトリクルダウンとなるほどのトリガーかというと分からない。これはビットコインに使われる暗号の危殆化などのリスクと一緒で、起こるまで想像ができない。そのフェーズはP2P電子決済システムビットコインという壮大な社会実験の重要なハイライトになるに違いない。
ビットコインのブロックスペースを使って、レイヤー2上で好きなブロックチェーンを誰でも立てられるようにする新機能。まだ提案段階の機能だが、賛否両論を招き、界隈を真っ二つにしている。
ちょっと前に流行ったStacksの仕組みと異なり、BTCを子チェーンにオプトインするような仕組みも備える。もちろんオプトアウトもできる。
ただし、Drivechainが認められると、ビットコインのスケーラビリティを向上させるソリューションとしてのLightningネットワークの意義がかなり失われる。Lightningは”P2Pで”高速決済したい人が使うための機能という、かなり思想が強い人向けの錆びついた技術になり得る。
Drivechainの提案自体は昔からあったが、最近になって流行り出したのは単なるナラティブ作りであろう。ordinalsやStacksもそうだが、新しい技術はそれだけで盛り上がりやすい。ordinalsの場合だと、昔から追っていた人は、自分が優位でいられる情報が非対称的な時期に、短期で出口流動性(イナゴ、養分)をたくさん集めて、たんまり儲けて売り抜けることができた。
ちょうどBitcoin, not Cryptoな時期で、Drivechainのような特大アップデートがあればナラティブとしては強力だ。しかし、だからこそ、どうしてもDrivechain利権の存在を勘繰ってしまう。Lightning利権とも対立しそうだ。
Lightningはビットコインにマルチシグだけあればできる機能だが、Drivechainはソフトフォークとは言え、これだけのために新規のオプコードやメッセージの追加など、開発リソースをかなり費やす大幅なアップデートなので非常に図々しい。ソフトフォークをexcuseにすればなんでもありだと言うわけではない。
今更dAppsが走るサイドチェーンを作っても、Ethereumで起きているようなゴタゴタをビットコインに持ち込むだけで、Bitcoin, not Crypto神話を汚すだけになるだろう。
実質管理者のいるDeFiも規制の煽りを受けて存続は難しくなっていくだろう。ハッキングやインサイダー、スキャム(詐欺)、ラグプル(持ち逃げ)から投資家を保護できないファイナンスは、たとえゲイリー・ゲンスラーがSEC長官を退任したとしても長期的には必ず規制対象になる。また、そうはならなくとも投資家の方から勝手に離脱していく。
しかしながら、オフショアで規制の及ばないチェーンを舞台に、リスクを恐れない投機家の間でDaFi(Dark Finance、闇金融)に転じたDeFiがしぶとく生き残るのはどうしようもない。
ただ、そのようなDeFiはもう社会生活の金融インフラになることはないだろう。結果的に今のDeFiはDaFiかCeFiに分岐していく。
CeFiという語彙は以下のツイートから使わせてもらった。ブロックチェーンを使っているが、規制もされている金融サービスくらいの意味だ。
https://x.com/kimurayu45z/status/1695988782871498898?s=46
ブロックチェーン上の金融サービスに規制をかける場合、どのようなものになるだろう。まずCeFi事業者に対する当局による管轄、投資家のKYCは必須になる。そうなってくるとブロックチェーンでやる必要はあるのかいよいよ分からなくなってくる。かの有名なWhy Blockchain?の声がまた聞こえてくるのだ。
少なくとも、トークンでガバナンスするような機能をプロトコルに組み込む必然性はなくなり、ガバナンストークンは株や証券に近いものになっていく。また、仮にアプリケーションどころかL1チェーン自体が規制されれば、PoSなどのトークンベースのコンセンサスアルゴリズムはもはや茶番になる。
ユーザー目線でも、KYC済みのアドレスをスマートコントラクトに登録してまで、入札や取引したい投資家がどれくらいいるのか今のところ分からない。
もしもかつてのDeFiバブルが違法事業者の非合法的な取引で盛り上がっていただけの幻想だった場合、KYC後のクリーンなCeFiにどのような実需があるのだろうか。
MEVというのは、ブロック生成者が承認前のブロック内の取引を盗み見れることをいいことに、他人の取引を先取りしたり、順序を利己的に入れ替えることが可能である性質から生じる、ブロック生成者が独占できる収益源泉のことである。
https://keccak255.substack.com/p/mev
MEVがあるせいで、ブロック生成行為が中央集権化しやすくなったり、ユーザーのサービス体験が低下したりするため、dAppsが動くブロックチェーンにおいては重要な課題だ。
もちろん技術的に解決するSuaveのようなソリューションが提案されているのだが、分散化にメドがたっているわけではない。また、問題が外部化するだけで本質的な解決にはなっていないのではと思う。
Suaveについて参考までに
https://writings.flashbots.net/mevm-suave-centauri-and-beyond
また、MEV利権がすでに巨大化している政治的な事情もあり、問題はかなり複雑化している。このように込み入った問題を、さまざまなステークホルダーの思惑が入り混じる、非効率的な分散ガバナンスで解決するのは前途多難と言わざるを得ない。
チェーンのTVLが巨大化し、RWA(real world assets)などのMEVファクターがチェーンのエコシステムの隅々まで組み込まれれば、MEVがもたらすマイナス・サムの影響はユーザーにも感じ取れるくらい甚大なものとなるだろう。さらに、可視化できないリスクを嫌う大手投資家の参入を阻むことにもつながる。
そうなったとき、パブリックブロックチェーンの夢は雲散霧消するか、中央集権が正当化された世界でregulatedなブロックチェーンが生き残っていくかのどちらかになる。
一旦DaFiやCeFi、MEVのことは忘れて、全てが解決して、DeFiがそのままメインストリームになった社会を想定してみる。そこで注目したいのは、チェーンに閉じたDeFiでは信用創造ができず、分散型ステーブルコインなどの場合は常にover-collateralized(過剰担保)させなければならない点だ。つまりロックされた資本以上の価値が市場に再投資されない。原資本は再投資のたびに指数関数的に薄まっていく構造になってしまうのだ。
そのような先細りの金融インフラの上に展開される資本主義及び自由市場経済社会が、規制された金融に基づいた現状の社会よりも、高い資本効率と経済成長率を達成できるのかは甚だ疑問である。
一昨年のDeFiバブルの正体が、USDTなどの法定通貨担保型のステーブルコインがチェーン外から流入することで起こったに過ぎなかったのだとすれば、DeFiの世界はCe要素なしには拡大できないということになる。実際、USDT、USDCなどの法定通貨担保型のステーブルコインの時価総額は無視できないほどに巨大だ。そういった規制アセットの流入なしにはリターンが期待できない構造的欠陥がある限り、DeFiは規制を拒んで信用収縮の道を選ぶか、信用創造のために規制を受け入れてCeFi化していくしかない。
分散や自己主権といったブロックチェーンの思想を全く気にしない大多数のユーザー目線で見ても、国際送金や金融取引が瞬時に透明性高く行えるブロックチェーンが便利なのは間違いない。しかし、それは既存の金融サービスが規制というかなり重いハンデを付けられた状態で戦ってくれているからそう見えるだけで、ブロックチェーンという技術自体がイノベーションだからではないのではないか?つまり、仮に規制の側が妥協して、金融業界がリバタリアン並みの自由化を勝ち取った時、ブロックチェーンは、例えばApple銀行のような大規模なWebインフラを使った金融サービスに技術として勝てるのだろうか?
もしも、ポンジスキームやスキャムであることが明らかなミームトークン、発行主体を名指しできるXRPや、ガバナンストークン全般が、規制されない(もしくは証券ではない)と判決された場合、Apple銀行がプログラマブル・トークン発行プラットフォームを立ち上げればブロックチェーンは競争に負けてしまうのではないか?秒間取引処理数が少なくて、手数料も高く、ウォレットも使いにくいブロックチェーンの優位性はどこにあるのだろう?
とはいえ実際に既存金融が完全自由化することはありえない。あり得るのは、既存金融業界とブロックチェーン業界が融合していく中で、その両極からの声を取り入れながら、長期的には両者の境界線が最も曖昧となるような規制環境が整備されていくシナリオだ。それはトークンの証券化かもしれないし、証券という概念が古くなるような全く違う新しい法概念や規制のフレームワークの誕生かもしれない。そうなったとき、果たしてブロックチェーン技術が市場で競争力を持つのかは、改めて問われなければならない。使いやすさより分散思想を優先するユーザーなんて殆どいないはずだ。
日本のWeb3界隈は、昔から霞ヶ関を巡回する界隈と海外組の界隈に二分されていたが、最近は海外からの出戻り組が増えてきたように思える。かつてJapan色がなかったAstarが最近はJapanを押し出すことが増えてきたので、これも出戻り組と言えるだろう。京都で開催されたIVS Cryptoでは、かつての海外組が、今後は日本にもコミットしていくしたたかな姿勢も見せていた。
Astarが政府機関やJTCと手を取り合って、提携関係や共同研究関係を結び始めたときは、何をしているんだと正直思っていた。しかし、当時から規制側に歩み寄らなければブロックチェーンは存続できないと読んでいたのか、単なる嘘から出た誠なのか、こうなった今では一定の妥当性が理解できる。
とはいえ規制と近づきすぎるとパブリック・ブロックチェーンの特性が邪魔するはずなので、その擦り合わせは茨の道だろう。Why Blockchainの最前線で闘う姿勢は評価したい。
渡辺氏も、もしAstarがダメになっても、日本は偉い人と仲良くしておけば何とかなる国なので、かつてのホリエモンのような毒を出さなければ、どこかしらの利権に入れてくれるだろう。そこら辺を踏んでいるのか、彼のポジショニングは上手いなと思う一方で、FTXのサムが破滅直前まで政府と蜜月関係を結ぶのに奔走していたことを思い出させるから少々怖くもある。当局に近づくと不透明性が増すので、個人的にはまだASTRに買いを入れる勇気が持てない。
さて、クリプト・コミュニティ一般の話だが、これも昔よりは成熟してきたと思う。悪しき通貨が自然淘汰される市場原理が働いたというのもあるが、個人の中にも、かつては歯に衣着せぬ物言いでオピニオンリーダーになったインフルエンサーが、今ではバランスの良いコメンテーターになったりと、心境の変化なのかポジショントークなのか、変化を感じざるを得ない。日本人垢にも外国人垢にもそんな人は多い。
例えばVitalik氏は、かつては大衆向けに過激なことを吐いていたが、最近は難解な理論の提示にとどまり、過激な使い道を見つけるかどうかは受け手の自由ですよ、という我関せずな態度に改まった。
むしろ危ないのは、陰謀論界隈や極右派をバックにした米国会議員をはじめとするすでに過激なコミュニティが、ビットコインやWeb3に活路を見出そうとしていることだろう。余計なポリコレリスクを抱えると面倒である。
このタイトルは煽っているように聞こえるかもしれないが、流行りに乗っただけで煽ること自体は本意ではない。ジブリのあの映画を見た頃、こんなこと考えてたんだなぁと後でエモくなるための筆者なりのギミックなのだ。もし不快な思いをしたクリプトに携わる人や投資家の方がいれば、そこは大目に見ていただきたい。
疾患が人類の進化に果たす役割を研究するグリーブス氏は、約200万年前に初期人類が濃い体毛を失い、日差しの強いアフリカのサバンナで裸の白い肌を太陽にさらしたとき、
皮膚癌を引き起こす紫外線から身を守るために、自然淘汰によって最も肌の色が黒い人が残ったという説に、今回の研究成果が信ぴょう性を与えると考えている。
……
遺伝学的証拠から、黒い肌は約120万年前のアフリカで一般的になったと考えられます。
そのころ初期人類はサバンナに住むようになり、また体毛のほとんどを失いました。
皮膚の黒化は、赤道付近では年間を通じて強い太陽の紫外線から裸の白い皮膚を保護するために生じた主要な適応であったというのが、大方の研究者の見方です。
地球上のあらゆる生命の中で自殺を行うのは人間だけだと言われている。しかし本当にその言説は正しいのだろうか?研究が進んでいる人間の細胞だけでも、遺伝子に異常が生じた細胞は自死を選ぶ作用、アポトーシスはよく知られている。
ダーウィンは進化の仕組みに関して、適者生存の原則を唱えた。多様な個体が産まれ、また自然淘汰によって収斂が起こるというものだ。これはラマルク的進化とは反対に、種々の様々な遺伝子変異を前提としたことが特徴である。ラマルク的進化では、特定の環境に置かれた生物の遺伝子変異は特定の領域にしか意味がないのに対し、ダーウィン的進化ではそれぞれの変異が未来につながるという意味での意味を持っていると捉えることもできる。これらの実績は菌類の実験成果によっても示されている。
さて、ここで人類について話を戻す。人類はその類まれなる創造性から、地球上の万物の霊長たる資格を手にした。その支配領域は他の種を凌ぎ、今や総個体数は80億に達しようとしている。これは昆虫に匹敵する数である。少なくとも先進国において、人間はあらゆる人権を保障され、種々の遺伝子変異は──たとえそれが障害をもたらすものであったとしても──保護されるのがrightとなっている。それは人権によるもので、人権というのは生まれながらにして与えられるらしい。与える主体というのは議論の余地があるが、この世の人類ではない神とするならば、中世の王権神授説と何ら本質的な変わりはない。
であるからして、わたしは人権保障という考え方は実態がなく、一種革命のようなもので覆されかねない概念だと考える。
市民による革命が起こったように、どれほど優れた思想であっても人の内心を侵すことはできない。現代社会、特に日本においては自殺はいけないこととされているが、自殺者が多数いることからもこれを抑制できていないことがわかる。
私たちの細胞は、どのような時にアポトーシスを行うのだろうか?
たとえば、遺伝子の修復ができず、正常にDNAを残せなくなった時
たとえば、ウイルスに感染して、自身を複製するのではなく異常なもの(ここではウイルス)を産生するようになった時
これらが示すのは、すべて正常な子孫が残せなくなった時に自己死を選ぶ、ということである。
人類がここまで発展した以上、このシステムの有効性は疑うべきところがないはずである(ほんと?)。人類をマクロで見た時、アポトーシスを選択すべき人間はここまでの考え方から確実に一定数いて、それは現代の人権思想などでは到底語り得ないはずである。
私はこれまでの人生において、自分が死ぬべきだと思っており、また因果関係は証明できないが異性に求められたこともない。以上よりアポトーシスに値すると考え、これから死に至るものである。
自分自身の身体の行先は自分の脳が判断するものであり、その脳になんらかの異常が起きていたとしても、他の人間にはそれを尊重する義務があると考える。
な
減税して若い子の給料と消費を増やすか、生活コストの低い地方で暮らせる人を増やすために若い子が上京しないように大学進学率下げちゃうのが近道だと思うよ?
世の中、同級生と結婚する人が多いのに、大学進学したら人間関係リセットになるからね。
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
不要論って言っても、
「そもそも、大学自体がエリート教育なんだから、一部の上澄みだけで良くね?50%もエリート教育したら質が下がるか、船頭多くして船山に登るかのどっちかやろ?」
という感覚です。
全部いらないって言うより、「それ大学出る必要あった?」と思う人多すぎ問題です
リーマン・震災・民主党政権の時代を見ちゃってるせいで、今の子ほど性善説でモノを考えられなくなってる気がするが、同時に
とも思うから、ズレてることに安心感も感じててフクザツな気持ち。
ひねくれ者は俺より上の世代だけでいいよ。
この間、「大卒そんなにいらなくね?」みたいな話をしたけど
受験自体が選別なんだから、もう早い段階で見切りつけさせた方がいい
高卒を政治的(学校の先生の雇用を守るため)に増やした背景を知ったときから「なんかキナ臭いな」と思ってた。
誰でも入れるしょーもない大学はより選別機能及び大学(大卒)の価値を暴落させてる。
高校時点で「学問や大企業戦士は難しそうだな」という人を一定数作ったほうがお互いのためよ
「高校野球の引退試合や、独立リーグは野球をプロ養成でもあるが、大半の人にとっては【野球を諦めさせる場所】である」
と言われてる。
大卒がそんなにいらないことに加え、中卒・高卒でもいい人が学問から切り替えて、働けるようにしづらくしてるのも、またね
夢は叶えられない人に与えるのは、むしろ残酷な呪いでしかない。
呪いになる前に夢を諦めさせる・切り替えて新しい進路をちゃんと作る方がはるかに大人の仕事で、教育的だと思うんだけど…こういう意見ってウケないのよね。
大学の授業料が高すぎるから、自然淘汰によって変わっていくとは思うけど
ちなみに、「大学の授業料、欧州に比べると高い問題」もこれも闇が深くて…大学が無料・安い国は税金で大学が運営されてたりするらしい。
つまり、大学無償化とか授業料抑えろって意見は、いらない大学を淘汰した後に言わないと、無駄な税負担が増えるだけ…というオチになりかねない。
いらない学校を淘汰した後でやらないといけないんだけど…民主党がこの政策に熱心で、その裏に日教組という支持母体がいることを知ってたら「こんなもん利権だろ」って、秒でわかる話。
で、社会党も民主党も(多分、支持母体も)資本主義や市場経済がわからんから、
金で客を選別できなくなるとね…どんなやつでもサービスを利用できる分、現場負担がえげつないことになるのよ
と言ったけど、アレは高校無償化しちゃった人たちにこそ当てはまる言葉。
八百屋は果物で儲けてるのだが、果物を快く買ってくれる人は客層がいい。
つまり、「大卒や高校を淘汰したほうがいいよ」というのは別に学生のためだけに言ってるんじゃないのよ。
仕事が楽になれば、学校の先生になりたい人を増やせるから…政治的じゃない人は先生も生徒もみんな得する。
仕事って客で大変さ変わるもん
ぼくが、
と言ってるのは、そこよ。
無償化して職員がクビにならない状況がハッピーかと言うと、違うのよ。
仕事は客層悪くなって大変。
逆に、客もサービスが改善されない不便または追加料金で別サービスに加入するしかなくなる。
「学校は偏差値で入れる入れないがあるんだから、市場経済とは切り離されてるし、そうあるべきだ」
と言いたい人もいるかとは思うけど…親が授業料払ったり、参観する以上は切り離せないのよ。
いや、全員高卒にしたり、無償にしなかったらDQNやその親まで見なくてよかったかもですが…しちゃったから
東京で安くこき使える社畜がどうして生まれるかと言うと、大学進学のために上京する人が多すぎるからです
これも「東京に大学って固まってるよね」と気になって調べたんですが…やっぱダントツで多いんですよ。
ところが、東京の大学に進学して、借金したまま東京で就職・バイトするから…社畜問題に行き着く。
これぼくも香川県までの道中を青春18きっぷで行ったからわかったけど…完全にセルフレジしかないような駅のコンビニが地方にはあるんです。
ところが、首都圏は必ず人のレジがいるし、そもそも自動がないとこもまぁまぁある。
ホリエモンが言う「社畜がいるから自動化が進まない」は首都圏のお話
で、
「首都圏で自動化が進まない・技術が発展しないから嫌な仕事から人々が開放されない理由」
を掘り下げていくと、技能実習生もさることながら、安くこき使われる学生バイトと、若手フリーターが多すぎる問題…もっというと「大卒多すぎ問題」に繋がってるのです。
最近、
今思えば数年前にあった吉本の闇営業とかで、吉本所属の芸人がテレビ番組でもtwitterでも吉本を批判できていたのはすごく健全だったんだし、寧ろガバナンスが機能していた会社なのでは、という気がしてきた。今回の芸能事務所の件では、基本的に所属タレントが「沈黙」している。その「沈黙」は、文脈的には、その方たちが「性犯罪の被害者」であるとか、「生命・身体にかかわる危険」にさらされる可能性があるとか、そういう風に解釈せざるを得なくなると思う。その「沈黙」を解く必要があるのかは分からない。今回の芸能事務所の件は、もっと早くに関係者が対応するべきだったとは思うが、ひとまずガバナンスが効いていないカイシャは自然淘汰されるぐらいのところで落ち着くのか。
演出は劣化し続ける紙芝居、BLみたいなキモい男キャラは無駄にぶち込んでくる。
もうアニメ化もしないだろう癖に、男主人公の顔も無駄に出してくる。
設定も話しも何もかも似たようなのばっか。
序盤は糞グダグダで読むのもしんどいのに、終盤は駆け足で描写足らず、打ち切りエンドみたいなのも増えた。
「容量水増しのために、無駄なテキスト入れまくれ!」→「もう締め切り近い! さっさと終わらせろ!」みたいな裏事情が透けて見える。
ストーリー重視という名目で紙芝居ばっかになった癖に、そのストーリーがゴミばっか。
「もっとホモにしろ! 演出もストーリーも劣化させろ! アニメもゲーム性も要らない!」
何をどう考えたって、クソ化させるための悪意に決まってんだろボケ。
大体、なんで男キャラを無駄に出しまくることが、ストーリーを重視していることとイコールで繋がってんだアホ。
そんなの、ストーリー重視という言い訳で、男キャラ出させたいだけに決まってんだろ。
解決策
短くなったら、演出強化するか、値段下げる。
男の絵も声も要らない。
予定決めたいなら、自分が稼働できる時間送ってくるなり希望の場所なり情報込みで送ってこいよっていつも思う。
こっちが「何時に〇〇でどう?」って送ると「OK」とかだけなのなんなの?王様かよ?
「うーんちょっと早いかな…」とかに至ってはどういうつもりなわけ?何時以降なら良いのか書けよ。
会社の同僚とかも
「送別会のプレゼントどうする?」とか送って来てダラダラダラダラ5人ぐらいでチャットすることあるけど
どうせ例年通りなんだから「1人500円集めて、総額〇〇円お花と入浴剤で考えてますが良い?」でよくない?
こういうことで1時間ぐらいチャットされたり大人数チャットで全員の質問お返事待ちとかされた日には、
「もう次からこの人に幹事はさせないようにしよう…」みたいな共通認識もしっかり生まれますね。ある意味いいことだ。
こんな感じで、自称仕切り屋の質問するだけタイプの人々が自然淘汰されていくのか知らんが、
年々いろんな場で主導権を握る人って限られていくよね。
でもコロナ終わった感で久しぶりの友人とも会う機会が増えてきた近頃、
「お前、このタイプだったのか〜〜〜」みたいな旧友と巡りあわせることも多くて、地味に嫌になる。だいぶ嫌になる。
そもそも結婚があって、家族があって、両親があって、姓名があって、というのは数十万年の人類の生活方式によるものだった
ようやくその傾向が薄れてきていると思う
原因はインターネットの登場だろう、これにより全国民に対して一律のサービスを提供できることになった
まだ国の枠は残っているが、インターネットサービスによっては国の枠すら超える
そうなると、家族の意義はかなり薄れてくる
血族は現実問題消えないだろうし、幼少期の育ての親という関係も消えない
成人してからの人生は約60年もある、こっちのほうが圧倒的に長く、社会を家族主義の設計にしなくても良くなってきた
何ならそういうしがらみが嫌な少数派の声が大きくなってきている
シングルマザー、シングルファザーもそうだし、LGBTQもそうだし
じゃあ家族主義の設計は無くしていく方向にリファクタリングするんじゃないの?というのは考えとして自然だと思う
とは言え置き換えるコストが大きいし、今特別困っているわけではないので、その変化はゆっくりと起きると思われる
100年後か200年後か