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2009-06-30

ヱヴァンゲリヲン感想を書くよ!(ネタバレあり)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』みてきました。すごく面白かったです。

現時点で2回みてます。たぶんもう1回ぐらいみにいくはず。

感想残したいけど、ブログとか持ってないので、増田に書きます。



とりあえず、結論は2つ。

劇場版50年後も語り継がれるような大傑作になると思う(キリッ)

・ぼくのかんがえたげきじょうばん第4部、タイトルはA



劇場版50年後も語り継がれるような大傑作になると思う(キリッ)



ラスト付近「私が死んでも代わりにはいるもの」→「そんなことないよ!ばか!の」くだりについて。僕は人生の多感な時期の多くを2000年代に過ごしているので、(id:y_arimさんやid:maremlinが絶望したのもすごくわかるのですが)この旧劇場版とは正反対の結論に、とても感動しました。


多くの方がすでに指摘されていますが、2000年代の作品に「現実が厳しいかったりトラウマがあったりするのは、もう、しょーがない。そこでどう生きていくかが大事」みたいなテーマが多いのは、少なからず、1990年代のエヴァンゲリオンの影響があると思います。そして、エヴァンゲリオンが、その作中、執拗なまでに現実の不条理と厳しさを描きつつ『それにどう立ち向かっていくのか』と問題を提示し、それを乗り越えようと懸命に努力しながらも、土壇場の25話と26話で「やっぱむりっすわー、きびしすぎ」と全部放り投げてしまったことに対して、多くの人が共感しつつも、「それはないんじゃないか」「もっとほかにやりようがあるんじゃないか」と、新しい25話と26話をつくりだしていった。それが多分、僕が人生の多感な時期に夢中になった『ぼくらの』であり『ダービージョッキー』であり『フラワーブライフ』であり『木更津キャッツアイ 』であり『EDEN』であり『ソラニン』であり、その他多くの、僕の知らない作品だと思うのです。



破の作中、シンジの聴いていたウォークマンは、いつもトラック25と26をいったりきたりしていました。

一度シンジに捨てられたウォークマンは、レイが拾い上げます。

シンジによって救い上げられたレイの手には、トラック25と26の入ったウォークマンが握り締められていました。



るろうに剣心』の単行本のおまけページで和月伸宏さんはエヴァについて、「途中までは面白かったけど、ラストあんまり好きじゃない」とコメントしていました。

るろうに剣心』のラストエピソード、自分自身の過去と向き合う人誅編は結局、不恰好ではありましたが、ハッピーエンドで終わりました。

2003年大槻ケンヂが「グミチョコレートパインパイン編を出しました。不恰好なハッピーエンドでした。

和月伸宏さんの武装錬金連載中の巻末コメント引用します。

『「グミチョコレートパインパイン編を読んで号泣。8年間待ちつづけて本当に良かった』



僕も今回の破をみたとき、同じようなことを思いました。



・ぼくのかんがえたげきじょうばん第4部、タイトルはA



新劇場版第3部のタイトルが急からQへと変更になった時点のを次回予告をしったときに、「じゃあ第4部は多分Aだなゲラゲラ」とか言って笑ってたんですが、

今回の新劇場版テーマとかをゆっくり整理した今「もしかすると本当にAかも知れない」「むしろAであってほしい」と思いはじめています。

結論に至った背景は以下。



ウルトラシリーズとの類似点の多さと、「QときたらAだろ」という安直連想の元、仮に第4部が『A』だとして。そこから当然に連想されるのはウルトラマンA(エース)です。



ウルトラマンAは、歴代ウルトラマンシリーズの中でもっとも多く敵に倒されました。それでも何度も復活しました。

ウルトラマンAは、シリーズ中唯一男女2人が力をあわせることで変身します。1人では何もできません。(途中からできるけど)

『瞬間、心、重ねて』のエピソードは破において、まるまるカットされました。(ちなみに個人的にTV版のベストエピソードだったので、すごく悲しかった)



ヱヴァンゲリヲン新劇場版は、再び執拗なまでに現実の不条理と厳しさを描きつつ『それにどう立ち向かっていくのか』という問題に対して、それに対して立ち向かっていく姿勢が強く示されました。しかし具体的な方法までは、まだ示されていません。僕は、その『Q』に対する『A』が、ウルトラマンAの出した答えと同じであってほしいと願っています。



ウルトラマンAの最終回台詞引用します。

「優しさを失わないでくれ。弱い者をいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。

たとえ、それが何百回裏切られようと……それが、私の最後の願いだ」

2009-02-09

和月伸宏いつのまにか結婚していたのかー。

誰と誰が結婚しようが基本的に興味ないけど、この人は武装錬金でなんかラブラブを見せ付けられたから妙に気になってた…っ

2008-02-20

和月伸宏は偉大だったのだなあ

不殺なんて熟語は、るろうに剣心以外の作中で全く使われたためしがないにもかかわらず(使われた例があればぜひ教えてほしい)

何かの漫画とかアニメとかを叩きたい人が喜んで使う熟語になっている。

2007-05-20

漫画に関する個人的メモ

五年前に家にある5000冊ぐらいの漫画を500冊ぐらい残して片っ端から処分したけど、その後は限定したものだけ集めようとしてるのにもう1500冊ぐらいに戻ってしまったよ。どうする。

以下メモ。かなり抜けがあると思うがただのメモなので知らない。

少年青年コミック

特に好き
まあ読む
立ち読み漫画喫茶でできるだけ読む

多すぎて把握できない

少女コミック

驚くほど読まない。食わず嫌いに近いと思う。

4コマ漫画作家

特に好き
立ち読み漫画喫茶でできるだけ読む
話題になったので読んだが興味が沸かない
PTSDになりそう
  • 芝しってる

成年コミック

今は無き『鎖縛』は毎号買ってたなあ。あと遊人最近浦沢キャラの模倣をやってたので驚いた。

多用
絵とか話とかの質はどうあれ実用性において二軍
普通漫画として読む
読むとPTSD

ウェブコミック(作品名)

非商用
商用
うわっ

2007-02-12

現代学園異能 - Masupedia

中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。


現代学園異能とは、2000年代に成立したライトノベルサブジャンルの一つである。

代表作としては、高橋弥七郎小説灼眼のシャナ』などが挙げられる。


1 概要

2 現代学園異能の特徴

3 現代学園異能の代表的な作品


概要

現代学園異能は、日常(=学園生活)と非日常(=異能バトル)の対比をテーマとする作品群の総称である。

電撃文庫から同一の特徴(後述)を持った作品が連続して刊行されたことをきっかけに、それらが現代学園異能と呼ばれるようになった。

広義には、単に学園を舞台として異能を持った人物が登場するだけの作品も現代学園異能と呼ばれる。


現代学園異能の特徴

現代学園異能には基本的なフォーマットがあり、それに沿って物語が展開される。

主人公はだいたいにおいて平凡な高校生であり、ふとしたことから異能バトルに巻き込まれて危機に陥る、もしくは命を落とす。それをきっかけとして主人公は非日常の側に取り込まれ、以降は日常と非日常のあいだを揺れ動き、そのギャップに葛藤することになる。

メインヒロインは戦闘美少女であり、非日常に取り込まれた主人公に現状を説明する役割を果たし、その後は異能バトルにおけるパートナーとなる。メインヒロインは強引で攻撃的な性格であることが多い。また、非日常の中で生きてきたために常識に欠けている。そして何らかの好物を持っている(例:『灼眼のシャナ』におけるメロンパン)。バトルでは、メインヒロインが前面に出て戦い、主人公は作戦立案などでメインヒロインサポートすることが多い。

非日常の象徴であるメインヒロインに対して、日常を象徴するサブヒロインが登場する。サブヒロインはたいてい典型的な幼馴染キャラで、引っ込み思案であるが、こと恋愛においては積極性を発揮する。また、メインヒロインにない家庭的な能力を多く持っている。このサブヒロインが、主人公を巡ってメインヒロインと対立することになる。

日常パートでは主人公メインヒロインサブヒロイン三角関係が描かれ、非日常パートでは日常を守るための戦いが描かれるというものが、現代学園異能の構成である。

以上の特徴は、主だった現代学園異能作品の共通項をまとめただけにすぎず、ルールとして守られるものではない。


現代学園異能の代表的な作品

高橋弥七郎灼眼のシャナ

水瀬葉月『ぼくと魔女アポカリプス

七月隆文イリスの虹』

マサト真希『絶世少女ディフェンソル』

藤原祐レジンキャストミルク


漫画では和月伸宏の『武装錬金』などが現代学園異能的であると思われる。

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