はてなキーワード: ピーターパンとは
「卑しい加齢ピーターパン」とはなかなか優れたネーミングなので、
少しもじって「卑しい加齢ニートピーターパン」氏によるエントリーを見ていこう。
http://anond.hatelabo.jp/20110616043235
http://anond.hatelabo.jp/20110616220823
http://anond.hatelabo.jp/20110617102400
見えない敵と・・・
http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%83%87%E3%83%A2
により見ていくと、「卑しい加齢ニートピーターパン」についてなかなか興味深いことがわかる。
特徴については改めて解説するまでもないが、氏自身が「卑しい加齢ニートピーターパン」と非常に重なり合っていることは言うまでもないであろう。
次は氏が興味を持っているブサメンについて語ろう。
http://anond.hatelabo.jp/20110617223718
ネーミングによる破壊力がきいたようですな。いや「卑しい加齢ニーターパン」のほうがいいのだろうが、
「一体どうやって生計を立てているんだろう」と他人の生計を心配する前に自らの心配を。
http://anond.hatelabo.jp/20110620115542
今日も日課をこなしているようだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110624005616
個人的には全く違う。
ある会社が2ちゃんに書き込むような奴は採用したくない(もちろん増田に書いてる私もアウトだろう)がTwitterはそうでもない、くらい違う。
Twitterはおとなメディア。2ちゃんは中二病メディア(例外大いにあり
キャズム越えとか言ってる人がいるが、日本ではTwitterは絶対に一定年齢以下には広がらない。
「Twitterは嫌なら見るな」が成り立つのは、それが
「他者に向けたメッセージでない」「他者への言及でない」場合に限ると考えている。
つまり、他者について言及したものでない限り、発言を自重する必要はない。
誰に向かって話してるわけでもない、影響力を与える意図もない。
Twitterにおいては、読んで不快になったり、影響力を受けることはフォローしている人間の責任である。
特に自分が他人から影響を受けやすすぎる自覚がある人は、Twitterを自重したほうがいい。
Twitterは2ちゃんと比較すると「おとなのメディア」である。子供にはちょっと早い。
この2つを守ることだけがルールである。
逆に言えば、Twitterを利用する条件は、他人を他人として尊重できること唯一つだけだといえる。
他人を尊重することは自分を尊重することにも繋がる。
<多様性・ムラ化が促進されやすいのは2ちゃん>
「影響力がある人間は発言を自重すべき」と主張する人間には、全ての人間の立場をフラット化する2ちゃんが向いている。
2ちゃんはいつまでも中二病でいることが許される「ピーターパンメディア」であるから
中二病のあなたにピッタリである。
基本的にTwitterの使い方についてゴチャゴチャとしたマニュアルにする必要はない。
フォロワー数の多い有名人を3ヶ月ROMってればそのうち振舞い方がわかる。
Twitterは理系の人が多いのか妙にマニュアル化をしたがる人間が多いが、
普通の人としては、まずROMって、わからないところは質問したほうがいい。
質問をしても「ggrks」とか「マニュアル嫁」とか言われないので安心していい。ですよね?>Twitterのみなさん
※有名人の中に、たまに他者を攻撃するような発言を平気でして
反論されると自分の発言の責任を取れないで、適当にごまかそうとして失敗している人がいる。
「海賊」といえばこんな感じだな。
俺は回答者が嫌いだ。それもかなり。
質問に答えるのは、その問題に以前質問者として直面し、「それ困るだろ、でも俺はこうやったんだぜ!」と嬉しそうに共感してくれる、昔の質問者であって欲しい。
あるいは、問題を解決する事を楽しみ、その成果を褒めてもらいたい、無邪気な同輩であって欲しい。
決して回答者なんて言う別の生き物じゃない。共感するそぶりも見せずに、上から目線で「○○しなくてはいけない」「なぜ○○しないのか」、そんな事しか言えない輩は見てらんない。また、そんなバカを崇めるようなコミュニティなんてバカらしくて居坐れない。いったい、自分はどうだったのだろう?
「○○したら便利だったからお勧め」「それなら○○に関していろいろ見ておくと、関連する事が役に立った」と、なぜ言えないのだろう?
上から目線で施しでもしてるつもりなんだろうか。趣味悪い。あるいは教科書に書いてある事を読み上げるだけで、興奮できる異常性欲者なんだろうか。
「一流は学びたがり、二流は教えたがる。」そして、三流は文句を付けたがる。
まさにその通りだと思う。三流は文句付けたいっつーかオナニーやめられないと言った方がいいかもしれない。
俺から見たら、下ばっか見て「回答」することしかしない「回答者」なんかより、まっすぐ前を見てなんとか解決しようとしてる、もっと学ぼうとしてる質問者の方がよっぽど「一流」に見える。
俺も今は歳をとって、本当の一流の方の足元にはまだまだ届かないけれど、人に教えられるような知識のストックも付いてきた。でも、絶対に回答者なんかにはなりたくない。
あんなもんは、大人になりたがらないピーターパンみたいなもんだ。しかも顔はもうしわしわの癖に、短パンではしゃいでるようなもんだ。
ジジイはジジイらしく、きちんと「長老」になれよ。ジジイはだまって見てりゃいいんだ。もっとジジイが本来やるべき仕事でもしてろや。金稼いで来いボケ。
俺はその上の世界で、いつまでも、いち質問者として、いろいろな事を学んでいきたい。そして、いち質問者として、自分の登ってきた道の中で、便利だったものを、どんどん後ろから登ってくる質問者に教えて行きたい。
ひさしぶりに昔世話んなったQ&Aコミュニティを覗いて、あまりの気持ち悪さに、改めてそう思った。あそこはクズがクズを養成するために必死だ。クズ同士傷をなめあって、いつかクズしかいない事に気が付くんだろう。オタマジャクシと、髭の生えて腰の曲がったオタマジャクシの溜まり場だ。井の中すら知らずにジジイになってやがる。
モテないって言うじゃない。俺モテない。私モテない。みたいな。
でもそもそも私はもう「モテない」と言う言い方すら私が言ったら傲慢なんじゃないか?とか、最近思うわけです。だってモテないて。まずモテるという言葉ありきというか。モテるという現象があって、それを否定してるみたいな。それはちがうんだよ。全然違うんだよ。チヤホヤされない。と言ってるも等しいっつーかね。チヤホヤされないもなにもそれは当たり前だろ?的な。チヤホヤされ、皆が私の前に頭を下げた挙句「王女様!王女様!」とか言われない、みたいな。そりゃそうだろ、言われねーだろ。言われないのが基本だろっていう違和感を感じるわけですよ。言われないのが基本なんだから、言われるというイレギュラーなハプニングが起きた場合に皆が私の前に頭を下げた挙句王女様と言ったよみたいな事を言うべきなわけです。私の場合。
そんな理屈で、「モテない」ということに、誰も何も言わなくても勝手に「そもそもモテる事というのが私の人生において宝くじが当たるほどの確率でありますのに、宝くじ当たらないのが基本形でありますのに、さも3億当たるのが基本みたいな言い方してほんとすみません」と誠心誠意謝りたくなるわけです。モテるモテないとかそういう次元じゃない。指針が違う。男子と喋ったか喋ってないかとかそういうレベルなわけ。最近もっとも多く喋った男子はばあちゃんのりんごを届けてくれた宅急便のお兄さんだよ。若い男ってだけで既に緊張するからね。これ。半端ない。「あ、判子がなければサインでいいですよ」ってこの業務上のやりとりを優しさと勘違いして惚れそうになるほど男子と接さない。半端ない。つうか、男子って本当にいるのか?街中を歩いて一見若い男に見える彼らは、実はCGなんじゃないか?誰かが私の人生を見張ってて、私の首が動くたびそれにあわせてCGもスライドさせてるとかそういう仕組みなんじゃないか?と思って、「隙アリ!!」とか心の中で叫んで突然後ろを振り返ってみるんだけどやっぱプロだよね。いる。若い男が。街中に依然と。CGのアラをなかなか突けない。手ごわい敵だよ。フェイントいれてみたけど結果は同じ。相当手ごわい。首を筋トレする必要がある。
都会の、あるゾーンがある。なんかホスト風の若い兄ちゃんが、犬の縄張り争いのごとく微妙な間隔をあけてフラフラ立ってるゾーン。若い女が一人でそのゾーンをちょっと通れば、たちまちテレサのように後ろからついてきてまあなんかアレコレ誘う危なさそうな、ブラックっぽいアレ。友達とか、めっちゃ嫌がってる。「マジウザイ」連呼。「彼氏についてきてもらえばいいじゃん」「あそっかー」ってお前彼氏って何?そんなどこにでもついてる付属品みたいな、トイレにはトイレットペーパーがあるじゃんみたいな、当然そこにあって然るべきものみたいな、そんな言い方されても。そしてそれを普通に受け入れ会話する友人達との距離感。何コレ?薄々高校生辺りから感づいていたけどさ。
まあそんな吉野家にも焼肉屋にも普通に一人身ではいる、というか、一人以外どうやって入るのか分からないような私ですから、そんなゾーンも一人で通り抜けるわけだけど、さながらRPGの初期みたいな、主人公一人、仲間集める前にこのダンジョン一度通りきらないといけないみたいな、そういう状況なわけだけど。これが凄い。回避率が凄い。モンスター全然出てこない。多分生まれながらにしてポケモンでいうときよめのおふだとかああいうの持ってるみたいな。しかも効果物凄いわけ。暇そうなホスト風男子いっぱいいるのにひとっこひとりよりつかねえ。すげえ。きよめのおふだ最高。そんなんだから、経験値も上がらない。さっぱり上がらない。多分ボスすら回避するからね。回避したままクリアしちゃう。戦わず、経験値もあがらず、でも最後まで一匹も遭遇しないから経験値上がらなくてもなんとかやっていけちゃうっていう。もうなにを目的としたRPGか分からない。
いやいやまあいいんですよ。全然大丈夫。一人は楽です。うん。
いまだにキスのとき何?舌をいれる?何それ?漫画でしか見た事ないけどみたいな感じだけど。舌いれたりしたら唾液くさくねーか?とか心配するような少女だし私は。エロ小説読んで、「二人は唾液を交換し」とかいうのを読んでナメック星人の産卵をなぜか思い出してしまったりする少女だし私は。唾液交換て何?せめてTシャツの交換にとどめておけよそれは。液はあれだろ。各自分泌されるものじゃんよ。各々自分にあった消化液を分泌してるわけじゃんよ。それを交換ってお前。そんなことしても消化スピードは変わらんだろと。
大体友達よ、あんたら、どうしちゃったの?高校生の時、モテないシスターズ組んでたじゃん。完璧なまでの布陣だったじゃん。ボブサップすら入ってこれなさそうな完璧な鉄壁だったじゃん。モテねーオーラだしまくってたじゃん前面に。モテないオーラに関してはすごい積極性を見せてたじゃん。それがお前。大学はいってお前。「実は……彼氏できちゃったの☆」とかでもなく「ごめん、一足先に彼氏つくっちゃった☆」でもなく、「そういえば私の彼氏がさあ」ってちょおおおおおおおい!!!聞いてない!全くもって聞いてないよ。高校二年の夏、「そういえば明日テストだよね」と言われたとき以来の衝撃だよ。無勉もいいとこ。ちょうど中だるみの時期じゃんか。いつ告知してたんだと。それを当然の前提で話されてもこちとら心の準備ってもんがある。何せ鉄壁のモテないガールだよ。いやモテないじゃなくて、男子と喋ってないガールだよ。クラスの男子と喋った会話で思い出すのは「このプリント後ろまわして」「今日日直だよ」「消しゴム落としたよ」くらいの年季いった喋ってないガールだよ。話しかけられた言葉で思い出すのは「○○さん、よく蚊に刺されるよね」だよ。ああ美味しいんだろうよ。私の血は。トロピカルジュースなんだよ蚊にとって。ていうか、もしかしたら私、蚊にモテモテじゃね?でも血を吸う蚊は雌じゃね?
高校時のあだ名が「遅刻クイーン」であった私もさ。流石に恋に遅刻するとは思ってなかった。と上手い事言った気になってほくそ笑んでるからダメなのか。仮にも、遅刻がついていようともクイーンだよ。だからアレ何?私もしかして一部の遅刻マニアにはかなりのモテ度を誇っちゃうの?とか勘違いした時もあった。まあでもクイーンっつーか、もはやエンペラーだったんだけど。遅刻エンペラー。男子のトップ遅刻者たちをもうゴボウ抜きだったからね。一番チャラそうな男子ですら私の凄さに唖然。そんな伝説しか残ってない。あとは中学の給食時男子を抜いてトップの食事速度だった伝説しか残ってない。牛乳?飲むんじゃねえ、浸せ、ってな迫力があった。当時は。腹にはいれば全部一緒だ、みたいな。女子の残した牛乳もらって飲み干した上牛乳の蓋をあつめたりもした。冷凍みかんはジャンケンにも参加した。そんな事してたらこれだ。いまだ彼氏ゼロ。彼氏ゼロっつーかだから、男子と喋ってないっつーか。手も繋いでないっつーか。握手すらしてないっつーか。USJの仮装したスタッフと写真を撮った時が一番の男子接近率だったみたいな。
そんなんですよ。
それがいつのまにか、友達、大人の世界歩んでるよ。「中でしちゃってさ」ってお前。もうそれアンタ、確実にピーターパンに会えないよ。私は多分まだギリで会える。基本的に小学生時とやってること変わってないから子供の世界へいけるはずだ。
中でしちゃうってお前。こちとら中でしちゃうっていうと風呂の中で尿をしてしまったとかそういう発想しか出てこないわけ。具体的に何が中で何が何なのか言ってくれないとわからないわけ。そんな高度な暗号解読できないわけ。勝負パンツだと思って買ったパンツと全く同じ物を、中学生が買ってたんだっつーの、私は。そう言う体験しかしてないんだっつーの。つーかでもそんな私でも分かるんだよ。つまりお前、お前……
正直マジメにお前が心配だよ!このバカチンがっ!
笑ってる場合とちゃうやろっ!
前のエントリ、
の続き。
自分を「認める」ことのメリットがわからない。メタに逃げて鈍化させることが出来るってこと?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070726023532
メリットかあ。まあ繰り返しになるけど、メリットがあるからとかそういう問題じゃないんだよなあ。
最近読んだナンシー関の本に、たまたまこの話題に関係する面白い文章があったので紹介。
中学2年生の時点でイメージする19歳と、実際に自分がなってみてのその年齢には、必ずすごいギャップがある。そのギャップというのはどんな年齢に対してでも「かつて自分がイメージしていた○歳は、もっとちゃんとしていた」という思いなのです。
ちょっと前に「ピーターパン症候群」という言葉がはやりました。いつまでたっても大人になりたがらない人が増えているという意味ですが、コレとさっきの“ギャップ”の違いは、その“ギャップ”を「おもしろがれるかどうか」ではないでしょうか。「自分はまだちゃんとなんかしていないのに、大人の仲間になるのは嫌だ。恐い」と思えば、バカ・ピーターパンですが、「こんな自分でもいっぱしの大人たあ、笑わしてくれる」と思えば、テイキットイージー(Take it easy.)。
ま、ぶっちゃけた話、私が言いたいのは「大人、恐れるに足りず!」ということです。目上の人を敬いましょう、という道徳を否定するつもりはありませんが、でも敬わなくてもいい大人もいると思うけど、ま、そのへんは礼儀として分別ある日常生活を営むことでクリアしてください。
面白いのは、バカ・ピーターパンとテイキットイージーの差は、ちゃんとしているかどうかではないところ。周りから見てどんなにちゃんとしている人間でも、バカ・ピーターパンはバカ・ピーターパン。全然ちゃんとしていなくても、大人は大人。
ダメな大人? だから何。
自分を変えなきゃいけない? 関係ないね。
ちゃんとしてない大人よりもちゃんとしたバカ・ピーターパンの方がいい? 確かにそれもアリじゃん。
前回のエントリで私が言った「自分を認める」ってことは、大人になることに似ている。
「自分は○○だから、自分を認めることはできない」と思えば、自分を認めることはできないけど、「こんな自分でも自分を認めてるたあ、笑わしてくれる」と思えば、テイキットイージー。
自分、恐れるに足りず。
なんだか「自分を「認める」ことのメリット」がわかった気がしたのでこれから説明する。
たとえば「おまえは大人になることから逃げいている」と言われたときに、バカ・ピーターパンは「そうだ自分は逃げているんだ。だから大人になれないんだ。ダメな自分」と打ちのめされるだろう(そうやって打ちのめされるところが大人になれていないところなんだけど)。でもテイキットイージーなら「そうだねえ逃げているねえ。大人になれてないねえ。はっはっは」と思うだけである。で、そのあとも逃げ続けたり逃げることをやめて闘ったり、まともな大人になることに成功したり失敗したりするんだろうけど、それはバカ・ピーターパンもテイキットイージーも関係ない。
「おまえは大人になることから逃げている」みたいな説教をくらったときに打ちのめされないだけの強度を得ることができる。というのが「大人になる」メリットといえばメリットである。
とはいっても説教をくらって打ちのめされてしまう人もいるだろう。で、そのときに「自分はこんなことで打ちのめされてしまうんだ。ダメな自分」と打ちのめされるのは、自分を「認める」ことができてない人だ。自分を「認める」ことが出来ている人は「打ちのめされちゃったよ。はっはっは」と思うだけである。で、そのあとうまく立ち直ることができたりできなかったりするんだろうけど、それは自分を認めているかどうかとは関係ない。
「自分は打ちのめされた」ことに打ちのめされないだけの強度を得ることができる。というのが、自分を「認める」ことのメリットといえばメリットである。
とはいっても「打ちのめされちゃったよ。はっはっは」では済ませられない人もいるだろう。で、そのときに「自分は……
このように無限に続くわけですな。
よく「自分を許せない」という人がいるけど、でも許していないのも自分なのである。
「自分を許せない」
「「自分を許せない」自分を許せない」
「「「自分を許せない」自分を許せない」自分を許せない」
……
「「「……「自分を許せない」自分を許せない」自分を許せない」自分を許せない」……
自己否定の無限ループだ。ループを実行している間は不愉快なわけである。また無限ループだからいつまでも実行していられるわけである。
自分を「認める」ことができていると、この無限ループがはじめから実行されないのだ。ま、これが自分を「認める」ことのメリットといえばメリットかな。
とはいっても「ループの実行を止めることなんてできないよ」という人もいるだろう。で、そのときに「自分はできないんだ」と打ちのめされるのは……
というわけで、「メタに逃げて鈍化させる」と言われるとなんか違う気もするのだ。
むしろ「メタから逃げる」ような気がする。逃げた先もメタっぽいんだけどね。「あっちのメタはしょっぱいぞ。こっちのメタは甘いぞ」なんちゃって。
また、不愉快なことを不愉快だと感じないように「鈍化させる」のではなくて、無限ループを実行して不愉快をもくもく生成するのを「やめる」感じかな。
アイロニカルプロセス。興味深い。
「余計なことを考えるな」と言われると、「余計なことを考えていないだろうか」と確かめちゃうんだよね。
自分を「認める」とはどういうことかを知るには、カート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』を読むといいかもしれない。
これまで私が言ってきた「認める」というのと、この小説にある「そういうものだ」は似ている気がする。
「理解」(テッド・チャン 著 ハヤカワ文庫SF『あなたの人生の物語』収録)
わたしは自分の思考メカニズムを理解する。自分がどのように知るかを、そして自分の理解力は帰納的なものであることを、正確に知る。この自己認識の無限の退行は、はてしなく階段を踏んで進行するものではなく、その限界の了解であることを理解する。
自分の思考過程がみえ、自分の思考を記述する式がみえ、自分がそれらの式を了解するのがみえ、了解されたことをそれらの式が記述するのがみえる。
自分の思考をそれらがどのようにつくりあげているかをわたしは知る。
自分の思考を。
頭が良くなるクスリによってなんか臨界を超越しちゃった主人公が、自分の思考について語っているところ。
「私は考えている」
「私は「私は考えている」と考えている」
「私は「私は「私は考えている」と考えている」と考えている」
「私は「私は「私は「私は……
自己否定にせよ自己肯定にせよ「はてしなく階段を踏んで進行する」ことになる。無限ループとかアイロニカルプロセスとかに捕われてしまう。けど、それよりも「その限界の了解」しようぜ、と。自分を「認める」とはそういうこと。
後ろを向いてばかりで前を向くことができない、と悩んでいるなら上を向こう。うつむいてばかりで上を向くことができないのならば、横を向けばいいじゃない。横を向くことに意味はあるのかって? 知らねーよ。でもそんときはもううつむいてはいないじゃないか。自分を「認める」とはそういうこと。