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2011-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20110928174409

そう。誉ってのは無形で曖昧ものです

から人は高いところに登ってその証を勝ち取ってくるんですね。

「偉い!」って褒められるだけならその限りだけど、賞状などカタチに表されると嬉しいものです

最初書道コンクールの金賞銀賞でもいいんですけどね。

2011-08-13

夢を見た

中学校部活の後輩と再開した。もう10年は会っていない。

当然、夢のなかの彼女はあの時のままだ。

しかし、なぜ今、彼女が夢に現れてくるのか?

僕は、彼女を好きになった覚えはない。好きな人は、別にいた。結果付き合わなかったけど。

彼女とは、ただの先輩と後輩という、上下関係の一種。

最近学生はお盛んらしいが、僕の通う中学は大して恋愛なんてなかった。付き合うと、すぐバレるからだ。ムラ、ではないが、一地方都市恋愛事情なんてそんなもんだ。

箸が転んでもおかしいと言うように、そんな恋愛なんぞしなくとも、みな和気藹々としていて、しかし恥ずかしいモノは恥ずかしいとして、楽しかった。

思うに、人間恋愛するにしても、生涯の伴侶()を求めるにしても、結局はこういう青春時代の延長線上にあるのではないか。言ってしまえば、憧憬。


話がそれた。

そう、夢のなかに彼女が出てきたんだ。後輩の。


僕と彼女吹奏楽部の同じ楽器、同じパート担当する関係だった。椅子も隣だ。

顧問が合奏中に話を脱線する度に向きあってニヤ付く程度には、すぐに打ち明けていたし、その程度のユルさを持った部活だった。当然コンクールでは大した成績が出るわけでもなく(といっても僕が最終学年のときは創部以来二番目にいい成績を収めたので、個人的にはハッピーエンドだ。終わってから、みんな笑顔だった。笑い泣き。)一般的な吹奏楽イメージ―――文化系のなかの体育会系で、毎日夜遅くまで楽器を吹き鳴らして近所からクレームがくる―――なんていうところとは、違っていた。強かったのは、合唱部の方だ。こちらは、全国常連気合の入り方が違う。文化祭合唱コンクールでは、ひとりふたり増えたところで大した違いが出るわけでもないのに、合唱部の人数の多さが勝敗を決める、なんて技術教諭担任が喧伝したものだ(もちろんそんなので勝敗は決まらなかったわけだ)


また話がそれた。

そう、彼女とはそういう間柄だ。


そういう間柄でしかなく、高校は親が転勤族で、僕が引っ越した都合もあって、それ以来連絡をとっていない。もう、彼女名前を思い出すことはないだろう。事実、僕も、今朝その夢を見て目が覚めた後、名前が思い出せず、お別れ会でもらった色紙の名前を見て、彼女をはっきりと思い出した。彼女には、先輩からメッセージをと、後輩に一通ずつ渡した手紙がある。彼女はそれを大事にとってあるだろうか?憶測の域をでないが、彼女なら、とっていてくれるはずだ。ちなみに、僕が中学生の頃は携帯電話というイロモノは高価過ぎてまだ学生が持つには早かった時期だ。とはいえ、じゃあポケベルかというと、それは遅すぎる。過渡期だった。ゆえに、中学時代の同窓とは今もほとんど連絡手段がない。連絡網はまだ家にあるが、繋がる期待よりも、「オメー誰だよ」というような至極もっともな反応が帰って来るだろう期待のほうが高い。すべきではない。ラグビー部男の子が何年ぶりに電話をかけてお付き合いが始まるなどというのは、幻想しかないのだ。生存バイアスである

せいぜい庶民に許された道は、母校の技術教諭と体育教諭結婚してヒューヒュー言われる程度が関の山。あれから10年経つが、今も結婚生活は順風満帆なのだろうか。新婚さんいらっしゃいに出るからとか言ってたが、ついぞ見なかった。うそつきめ。


またも話がそれた。これは宿痾なので、許して欲しい。

そう、彼女とは連絡が取れないのだ。取りようもない。


しかし、そんな彼女10年ぶりに再開した。夢の中で。意味が分からない。もとより意味などないのかもしれないが。

ちなみにこれだけの情報をありありと書いているとバレるかもしれないけど、バレても構わない。僕としては、彼女名前が後輩といえど、10年経っていたにしても忘れていたということに軽くショックを受けており、彼女とのあれこれを書きだしておきたかったのだ。

夢の中身は、あまり意味不明すぎて、書きだす気にもなれない。若干甘美なときもあった。しかしその甘美なとき、周囲は津波に飲み込まれたビルの屋上に位置するマクドナルド禁煙席であり、周囲には避難してきた人でごった返しているのだから、わけがからない。夢の中なれど、友人が何人も飲み込まれた。というか知り合いで助かったのは彼女だけだ。まったくもってわけがからない。これを見せる僕の脳みそは何を欲しているのだろう。目覚めたとき、僕のペニスは固くなっていた。しかし、悦楽に浸るような気分にもなれず、固くなったまま引き出しを漁って彼女記憶を取り戻し、今こうして文を書いている。もう萎れた。


ちなみに、この情報で僕が誰かというのを特定するには難しすぎると思いますが、もし誰かわかった場合生存報告の一種として受け止めてくれれば幸いです

3.11、僕は生き延びました。みなさんはどうですか。同窓会に誘われる手段も残していませんが、みなさんが生きているなら、十分な果報です

2011-08-12

もしドラ作者「エースの系譜」あとがき全文

もしドラ」は処女作ではない。

から十三年前の一九九八年に、二九歳にして小説家への転身を図った僕は、およそ三ヵ月という期間をかけて、

真の処女作成るこの作品「エースの系譜」を書き上げた。その執筆の経緯をここに記しておきたい。

うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。

でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした糞小説の中で、そういう傑作を忘れないで欲しい

そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか



三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。

六十枚とした理由は2つあって、

始めての作品だったから短めに仕様としたことと、

もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクション新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである

その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。

といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。

Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。


なぜ「Numberテイストフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。

Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。

簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。

それをフィクション適用すれば、フィクションノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。

そうしてNumber文体小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。

さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。

ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。

小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。



肝心の物語は、とある高校の野球部舞台にしようとした。

高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。

そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。

そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。

そのことを書こうと思ったのだ。

高校時代自分学校はどうすれば甲子園にまで辿りつけるかと考えた道筋のあらましを、小説にしてみようと思ったのである

題材は、高校野球にすることにした。



書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。

から最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである

ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。

その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである

おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。

そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。

分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落コンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである


そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。

書き上げた時には、原稿用紙は六百七十枚にも達していた。(当初予定していたもの十倍以上だった)

「緻密に選手クローズアップするNumber文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。

覚悟はできてるか、俺はできてる。

(中略)

とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)



するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分ものとは思えなかったのだ。

いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語自分が考えたものだとは思えなかったのである

それはまるで、もとからこの世界存在していたものであるかのようだった。

いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。

ぼくのしたことは、その事実テキストとして書き起こしたにすぎなかった。

まり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである

そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。

なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである

そのため、これを誰かに伝えたいと強く思った。伝えて、その面白さを共有したかったのだ。

面白いものができた。



そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。

初めは、幾つかの出版社手紙を添えて原稿を送付した。

しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。

いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。

そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、

原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである

しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。

何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。

評価されなかった。



それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。

しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。

その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。

そうしてぼくは、小説家への転身を諦めたのである

小説家を諦めたぼくは、以降の人生を勤め人として生きることを決意する。

落ち込んだ。



ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。

ぼくの敬愛するルソーゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。

カフカ宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。

そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。

小説出版しなくてもいいから、死ぬまで作品は書き続ける---そんなふうに生きていこうと決意したのである

立ち直った。



ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。

処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社編集者である加藤++さんから小説執筆依頼を受けたのだ。

そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。

思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。

チャンスがキタ

ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね




その時、ぼくは決意した。

この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。

そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。

あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。

チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。



そうして書いたのが、「もしドラ」だった。

すると、二〇〇九年十二月に発売されたこの本はすぐさまベストセラーになり、幾度も版が重ねられた。

大ヒットした。



それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社マンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。

要件は、「もしドラ」をコミック化したいというものだった。

しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。

その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。

その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。

これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。

チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。



すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。

それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。

このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。

ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。

村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。

ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。



そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます

最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガ創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう

そして伝説・・・




熱い、熱いぞ岩崎先生。申し訳ないけれど、小説より彼のあとがきの方がおもしろかった。

ぜひ彼の熱い人生を「アツイホノオ」の島本先生コミカライズしていただきたい。

2011-08-09

はいつ勝てるだろう

から負けっぱなしだった

小柄で力もなく喧嘩は負けしかない

はいい方だったけど、読書感想文コンクールなんかで表彰もされない

何かのイベントで一番になることも全くない

栄光を浴びる人間が羨ましくて仕方がない

学年トップを取ったことはあるけれど、周りが思い浮かべる学年トップ集団で名前は挙がらず常に次点イメージ

実力的には決して劣らないはずなのに、と思うが劣ってるからそういうイメージが付くんだろう

いい大学に入ったが、第一志望に落ちた結果

その大学でも自分より遥かに出来る人間がいて、努力を結果に変える連中ばかり

当然首席などではない

ちょっとした議論になるとほとんど言い負かされる

インターネットでも論破される

論破された末に見下される

論破するときもあるが、それは口ぶりからだいたい年下で、勝つというより指導するに近い

からは常にキモがられて見下されてきた

集団でボロクソに言われたこともある

恋愛では言うまでもなく負けしかない



はいつ勝てるだろうか

そもそも最後に勝ったのはいつだったか

また見下されるだろうか

そしてこういうことを書けば、きっとコメントでも「他人との優劣を気にするなんて~~」という感じでやはり見下されるのだろう

もしくは変わらないといけないとかやはり上から目線で言ってくるのだろう

このままで勝ちたいのに、それも叶わない

今の自分が容易く大勢の他人に否定される



いや、それでいいのかもしれない

どんどん見下してくれ

やっぱりみんなに勝てるわけがないのだから

それでこそ自分なのかもしれない



勝てない

勝てない

勝ちたい

2011-07-30

ジェネレーションギャップとインフォメーションギャップが合わさり

最強に見える。

http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51650897.html

この層は、貧困情弱は当然なのだが、小さいうちからPC等に触れてこなかった今の20代は、同じ10代よりも厳しい環境にあるのではないだろうか。

たとえば、ゲームはするけど配線はできないとか、端子の役割がわからないという人はゲームする人でも多いと思う。

で、きつい事書くけど、これって世代更新するしか解決策がないと思うのよね、根源的には。

要は、見えた分なら相手するけど、俺の視界に映れないなら諦めてくださいってことだ。

教育限界だね。知性の敗北かな?


同じことは、法律にも言える。

著作権なんてろくに知らない奴ばかりだろ。

違法DLがなんで違法なのかさえわからない。

から、省庁レベルで行っている、著作権条項読み上げコンクールだとか、CDコピーはいけませんよっていうような、一見常識に見えるポスター掲示はかなり校歌があるはず。知ってるけどばれないはず、と知りませんでした(虚偽ではない場合)は問題意識が雲泥の差。

からこそ、バカの可視化を笑うよりかは、見えたことに安堵する方が、心の持ちようとしてはそうありたいかな、と。

はいっても、情報爆発とも言えるここ数年、情報を整理するのは非常に重要。ほんと手が回らない。

というわけでトリアージしなければならない。あたりまえだけど。

リソースが足りないんだからしかたないけどね。


さて、次に問題なのが我々自身だ。

知恵袋にしても何にしても、Q&Aサイトがあるのはいい。

そして、そこに本当に悩みを持った人が質問に来るのも良い。

じゃあ、そこで回答した内容が、質問者に理解できるだろうか、というと疑問だ。

mp3ってなんですか?」という質問に「拡張子です」と答えたところで「拡張子ってなんですか?」になるのは当然だろう。

そもそもどこまでわかってないかというのが把握できてないし、熟語にカタカナ語が多いと文の理解さえできないかもしれない。

限界があろうとも、「どこまでのバカにわかり易い説明ができるか」は考えておいたほうがいいかもしれない。

私たちが相手にしているのは、教科書さえ読めないような人が相手なのだから

2011-07-27

吹奏楽が気に入らない話の続き

↓これの元増田です

http://anond.hatelabo.jp/20110726182058



ぶっちゃけこんなに伸びると思わなかった。

まず、認識を改めないといけないと感じたこと、やっぱりそうだよなと感じたこと

色々あったのでこの記事に対してトラバしてコメントする形でまとめる

http://d.hatena.ne.jp/usatome/20110727/1311720122

ジャンルとしてのガラパゴス化については問題じゃない

まず、「ガラパゴス」という表現は吹コン中心の日本の現状に対してのもの

吹奏楽というジャンルそれ自体に関して問題視したわけではないです

ショボさ

自分が言いたかったのはusatome氏の言葉を借りるとこれが近い。

吹奏楽はいろいろなジャンル音楽を編曲によって引っ張ってきてるんですけど、それをことごとくショボくしている



ただ、自分はショボくしている原因は編曲だけのせいじゃないと考えてる



まず、「吹奏楽曲・吹奏楽オリジナル曲」と呼ばれる曲

あのうやうやしく演奏する様だったり壮大な曲調だったり

とりあえず基本はクラシック"的なこと"がやりたいんだよね?ってのを前提で話を進めた

「ぱっと聞いたり見たりした印象はクラシックジャズポップスかと聞かれればクラシックでしょ」

という程度の話でしか無く、そこまでクラシックマンセーしたり追従すべきだと主張したりそもそもの起源から論じたいわけじゃない。



で、そういうような吹奏楽曲(=クラシック風)と、着席してるくせにマーチングみたいに踊りながらやるジャズ

ちょろっと曲数稼ぎのJ-POPと、なんでもかんでもなそういうステージ悪趣味じゃない?

(あと、クラシック風なのにビッグバンドみたいにスタンディングしてソロ吹くのも嫌い)



魅せ方・選曲・編曲色んなとこでそういう中途半端精神蔓延ってるのを「イロモノ」って表現した

表現の多様性っていうとポジティブ表現だけど完全に履き違えてるでしょう

(まともに纏めてるバンドがちゃんと一定存在してるのも知ってます



個性<集団」の説明と訂正


まぁ要は自分が苦しめられた気持ち悪い同調圧力は、

吹コンで入賞するようなとこはみんなやってるんだと思ってた。

で、こういうのを元増田が言うように、アホな弱小校が真似すると大変なことになる。実体験でわかるぜ。なんで顧問演奏中の動きまでコントロールされにゃいかんのだ。

でも正しくはこのパターンらしい。要するに自分出会ってきた「そこそこ」な人は弱小の部類だったわけだ。それは考えを改めないといけないみたいだね

ちなみに「そこそこ」って県で金賞→地区落ちコースの常連ね。

転勤してきた「そこそこ」の顧問大学・一般で出会った「そこそこ」高校出身者が

さも当然のように同じこと言うもんだからそこそこ以上の総意だと思った



あと本当に審査に影響してるかは知らないんですけど(僕はさすがにそこまでは見てないんじゃないかと思う)、吹奏楽部はなぜか見栄えにもこだわる。ニコニコとかでコンクール演奏見れば分かると思いますが、いわゆるトップ校は、奏者の「動き」が揃っている。文字通り「動き」ですよ。マジでフルートの角度とかまで揃ってたりするからシャレにならない。

「動き」もそうなんだけど、道具から練習方法からすべて"統一"することが何よりも重視されてると感じた



「そこまで出来ないけど理想はやりたい」「絶対やれ」など込みで耳に入ったもの列挙

材質・メーカーを統一するために個人持ちの良い楽器使わせないとか、マッピとかリードリガチャーも完全指定されるとか

音質統一させるために普段3半リードなのに3にさせるとか

(3を3半にさせるのはギリギリじゃ無理だからね、ペーペーに揃えてどうすんだと)

まぁあと細かいところだと休符の構えがどうのこうのとか、

そういうのばっっっかりたくさん押し付けられたので

どれが妥当でどれがやりすぎか吟味するんじゃなくて思考停止信仰するか拒絶するかしかなかった。



基礎をないがしろにして(そもそも顧問が間違った基礎練押し付けてくると地獄なんだけど)

そういうことばっかり気にして音楽ごっこしてる人がいっぱいいる印象なんだよね

県で金賞→地区落ちコース程度を「弱小は酷いことやるよね」と

マイノリティみたいに片付けるのはねーどうかねー。



結論

まぁ私怨が大いに絡んでるのは自覚してるし、自分が関わったのがたまたまアレだっただけみたい

でも吹奏楽オケ室内楽みたいのといくつか団体渡り歩いた結果

ダメなのを引いたのがことごとく吹奏楽

「(履き違えた信仰だったにせよ)あー吹連信者だなー。」と感じたのもまた事実

やっぱり裾野が履き違えることを考えると宗教じみてるのは良いと思えないな

http://anond.hatelabo.jp/20110726182058

オーケストラオペラなど歌劇伴奏隊がその始まり

対して吹奏楽は兵の士気を上げるため行進曲演奏した軍楽隊が紀元

そもそものルーツが違う。

吹奏楽別に色物じゃないし、簡易クラシックでもない。

というか、増田のいうクラシック意味がよくわからない。

なんかオケと混同してるような気が。

コンクールアンコン主催は連盟と朝日新聞だけど、審査員プロ

教育上どうこうなんて考えてないよ、あんまり

http://anond.hatelabo.jp/20110727111210

音楽関係で優劣を決めつけるのは良くないみたいなこと言ってる人には作曲コンペや国際的なコンクールについてどう思ってるか聞けばいい。

ろくな答えが返ってこないのは明白。「コンクールが悪いんじゃない!吹コンが悪いんだ!国際的なコンクールは許した!でも吹奏楽は許されない!ガラパゴスガラパゴス!」なんて言ったって説得力もありゃしない。

http://anond.hatelabo.jp/20110726234401

おもしろく読んだ。

結局は、増田環境増田にあわなかったんじゃね?と思う。

一応フォローもしておくと、コンクール至上主義の人&団体もぜんぜん少なくないし、

そういうとこは下手なスポ根物よりも暑苦しいのは確か。

甲子園出場に命をかける球児がいるように、全国大会出場に命をかける奏者もいる。実力はおいといて(笑)

自分は手のケガで数日休んだら、同じパートの子に「たるんでるからだ」と説教されたことがあるよ(笑)

あ、自分は中高で吹奏楽のクラやってました。大学ではたまにオケでトラしてました。



吹奏楽が閉鎖的という増田の主張はわかったけど、

じゃあオケ部は閉鎖的じゃないのか?合唱部は?サッカー部は?剣道部は?バスケ部は?

経験者や優秀者がでかい顔をするのも、伝統からと妙なしきたりを固持するのも、

別に吹奏楽に限ったわけじゃないです

結局どこも閉鎖的なところはある。増田吹奏楽部にいたか吹奏楽部の実態がよく見えただけ。

もうちょっと増田視野が広がると、違う世界が見えるかもね。

http://anond.hatelabo.jp/20110726234401

結構閉鎖的な世界なんだ」ってことをアピールしたかたか

どこと比べてるんだか知らないけど、

クラシック現代音楽に比べりゃ十分開放的なんですが。

あなた上手い人は吹奏楽なんてやる暇なくて藝大に行くもんだ~なんて言ってたけど、

それがどれだけ閉鎖的な環境だかわかってるの?

基板になる実力も、実力をつける方法論も、誰かにそれを教わる気もない

要するに本気で取り組む覚悟もないのに

吹連のコンクール至上主義を履き違えてるような部活結構あるんだよ、地域単位で。

信者と化してるような人はそういうの知らないっしょ?

まず君は学生コネ力を過大評価しすぎ。

一般的な学生ってのは半径お友達メートルで構成されたコミュニティ

地域単位に区切ればなおさらだよね。地方ならより強固になるでしょうよ。

そんな環境で誰に教わろう?近くに住んでるプロ作曲家?レッスン料は学生が払えるレベルを尤に超えてるよ?いくらかかるか知ってる?というか、いればまだマシだよね。

本気で取り組む覚悟があったって、お金がなきゃ話にならないの。

から、各学校の部費でレッスン料払って指導してもらうぐらいしか頼みの綱なんてないの。

そういう状況だから技術の伝達を疎かにするような学校は強豪だろうと三年で入れ替わっちゃうよ?(三年でってのは在学年度の意味ね)

それと君コンクール至上主義だなんて2chでもう十年も使われたかからない言葉を恥ずかしげもなく振りかざしてるけど、

それどこで広まってるどんな主義よ?ついぞお目にかかったことないんだけど。

世界吹奏楽コンクールってたくさんあるんだけど、どれだけ聴いてどれだけの判断を下してるわけ?

日本って相当水準高いんだけどね。よくやってる方なんだけどさ。

高校で「そこそこ」の賞とった程度で大学とか一般行ってデカい面したり

高校でやってた妙なしきたり(要するに舞台の上での過剰演出)当たり前だと思ってる奴多いんだよ

吹連傘下の常識がすべてと思ってるような奴ね。そりゃそうだよそいつらそれしか知らないもん

「そこそこ」ってのがどの程度かは程度問題なのでさっぱり理解できないけれど(県落ちでも地区落ちでもそこそこだよね)

「過剰演出」の何が過剰なのか説明できてないし、過剰であることの何が問題なのかも主張しないし、何も言えないよね。

まあ助け舟出すわけじゃないけど、木管楽器ベルアップはさすがにどうかとは思うよ。水滴飛び散るし、音が揺らぐからね。

そこからグリングリン回転させようものならアンブシュアはガタガタで音はウワンウワン唸るわでもう聞けたもんじゃないけどね。

からって「ガラパゴスがー」だとか「しきたりがー」だとかならないわけよ、演出だからしかも99%がポップスステージ限定。

突飛な喩えだけどエロ漫画精子子宮たっぷり注ぐような描写があったりするけど、あれが過剰かどうかってのは程度問題だよね。こんなのは本当のセックスじゃない!とかいう批判はまあありかもしれないけどね。でもこれ演出だからシャフト角度とかそのレベルの話よ。

そういうのはやっぱ新陳代謝の少ない日本吹奏楽界の弊害だとは思います

そもそも新陳代謝が少ないというのが誤りかな。

君、全国大会しか見てないんじゃない?というか吹奏楽部に入ってた?さっき書かなかったけど、実は日本にもコンクールが複数あるって知ってる?マーチングとかもやってるんだよ?

なんか経験者かすらも疑わしくなってきたんだけどなあ。僕からすれば君はただ2chアンチスレ情報蓄えたけどろくに経験も積んでないから残念感がダダ漏れしてる可哀想な人にしか見えないのだけど。

顧問が転勤してパワーバランスが変わるってのはザラだし、顧問が転勤して力が衰えるケースもあれば維持できるケースもあったり様々なんだけど。

新陳代謝の問題を持ち出すなら、もっと別なとこがあるよ。どことは言わないけど。

もっと閉鎖的で、もっと政治的で、もっとどす黒いところがあるよ。

私も吹奏楽に言いたいことがないわけじゃないけどね、君ほどぶっ飛んだ意見はさすがにどうかと思うよ。

2011-07-26

【追記】吹奏楽がお高くとまってるのが気に入らない

http://anond.hatelabo.jp/20110726182058

元記事に書いたんだけどやっぱ分けるわ



指摘されてるとおり、自分経験者とは言っても

吹奏楽ヒエラルキーの中では底辺クラス学校しか活動したことない

どっちかというとこの記事は経験者のみなさん向けってよりなんも知らない人向けのつもり

結構閉鎖的な世界なんだ」ってことをアピールしたかたか

聞きかじった程度のこととか、そういう人もいたよってのをさもありなんで大げさに書いた

(まぁぶっちゃけTwitterのアレがウザかったんだろ?ってのは図星)



ということで追記は経験者とか上位ヒエラルキーにいて賞とか取ってきた人向け



基板になる実力も、実力をつける方法論も、誰かにそれを教わる気もない

要するに本気で取り組む覚悟もないのに

吹連のコンクール至上主義を履き違えてるような部活結構あるんだよ、地域単位で。

信者と化してるような人はそういうの知らないっしょ?



高校で「そこそこ」の賞とった程度で大学とか一般行ってデカい面したり

高校でやってた妙なしきたり(要するに舞台の上での過剰演出)当たり前だと思ってる奴多いんだよ

吹連傘下の常識がすべてと思ってるような奴ね。そりゃそうだよそいつらそれしか知らないもん



そういうのはやっぱ新陳代謝の少ない日本吹奏楽界の弊害だとは思います

吹奏楽がお高くとまってるのが気に入らない

吹奏楽って知ってるか?学生時代吹奏楽部あった学校多いだろ

音楽ジャンルなんてそりゃいっぱいあるのに

なんで大抵部活っていうと吹奏楽絡みばっかなのか疑問に思わないか

あれって結構胡散臭い音楽ジャンルなんだ

さも高尚ぶってのさばってるのが自分はホントに気に入らない


ジャンルとして

まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点

吹奏楽スポーツで言ったらいわば

ビーチサッカービーチバレーキックベースやらタッチフットと考えて欲しい

本家ものはあるけど何らかの事情で簡略化した形態

吹奏楽における"事情"ってのは

オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」

っていう辺りの思惑と言っていい。



それならそれでクラシック姿勢を貫けばいいんだが

簡略化した挙句ジャズとかポップス等、多方面からつまみ食いした結果((中高生ハートキャッチするためでしょう。おそらく))

完全になんか不思議ジャンルと化している。どの観点から見ても中途半端

全国的に子供に率先してやらせる音楽ジャンルがこういうものってどう思う?




吹奏楽界隈の話

気に入らない点の二つ目は、教育的思想が大きくなりすぎたままガラパゴス化してる点


まずガラパゴス化の説明。

今の日本吹奏楽ってのは、

全日本吹奏楽連盟」とそれが主催する「全日本吹奏楽コンクール」の存在が大きくて

そのコンクール課題曲とか審査の傾向が全体のトレンドに大きく影響する



っていうとさも当たり前っぽいけど、全日本吹奏楽連盟はいわば野球でいう高野連

全日本吹奏楽コンクールは夏のインターハイとか高校野球とかそういうの。

それしかいからそれが一番大きなものになってしまう。


そりゃもう命かけて賞取りに行くよ。


でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?

連盟って根本的にはプロ演奏家じゃなくて学校先生の集まりなわけで、

やっぱりそこが一番お偉いさんやってるとちょっとずつおかしくなる




そこで教育的思想が大きくなりすぎるっていう話になるわけだけど

その全日本吹奏楽コンクール審査基準っていうのが

個性<集団」に相当偏ってる。

要は「中高生が協力し合って作った感動」を魅せると高得点取れる。



そういう審査を付きつけられた中高生なりその顧問はどうするかっていうと

「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る

結果出来上がるのは北朝鮮マスゲームみたいな雰囲気の物

音楽ってこういうものだっけ?って感じになってくる。



でもそもそも「個性<集団」っていう審査基準が

学校先生がよくやる「みんな平等」の延長線であって

根本的に音楽の発展なんか気にしてないから当たり前なんだけどね



審査の切り口が違う大会がいくつか乱立するような状況だったらバランス取れるだろうけど

そうじゃない現状で中高生視野が狭くなってて本当に可哀想


現状打開の困難さ

吹奏楽ガラパゴスっぷりは以上の通り。

教育バイアスで歪んでるとはい日本における歴史結構いか

高校卒業しても続けられたり、プロとしてやっていく土壌は出来てしまっていて

視野の狭いままその世界に骨を埋めることも可能になってしまっている



転向は可能とはい

ビーチバレーバレーボルが違うように

フットサルサッカーが違うように

吹奏楽オーケストラは別。吹奏楽ジャズも別。



日本クラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろうけど

そういう高校生吹奏楽やってる暇はないらしい。そのくらい別物



日本吹奏楽音楽ひとつのあり方とも捉えられるけど

他の物に触れずに歪んだジャンル人材が割かれてると思うと悲しい


追記

http://anond.hatelabo.jp/20110726234401

http://anond.hatelabo.jp/20110727145753

2011-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20110709214635

元増田です

「絶対安全」とは何か

まず「安全」と「絶対安全」は違うということを理解して下さい。

後者は間違いなく誤りです事故が起こらない乗り物なんてあり得ない。しかし前者は正しいと言えるでしょう。乗客死亡事故皆無という実績がそれを物語っている。

原子力は安全だ」というのはウソ

では、以下はどうでしょう

程度の差はあれ、間違いではありませんね。どちらも大事故が起こることは承知の上。確かに飛行機に乗るのを毛嫌いする人はいますけど「個人の趣味」程度に割り切られてますね。

これは一概に言えません。何を基準として比較するかです。それによって正しいとも誤りとも言えるでしょう。

さて、そこでこれです

  • 火力発電は安全だ。
  • 原子力発電は安全だ。

これが自動車飛行機の話と本質的に違うのかどうかよく考えてみてください。個人的には本質的な違いがあるように思えません。実際、

  • 原子力発電は火力発電より安全だ。

この主張を肯定する根拠を挙げることはできます。勿論否定することも可能でしょう。しかしどちらにしたところで価値判断の問題が関わってくる話であるということは言えますね。

まり原子力関係者宣伝として「原子力は安全だ」と主張すること自体を非難することはできません。一面の真実ではあるからです宣伝とはそういうものです

あなたの出した個別の事例について

以上を念頭に置いて、個別の事例を検討してみましょう。

巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁

外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である

技術的な主張として読む限り、実はこれは誤りではありません。実際、福島第二発電所女川発電所東海第二発電所および福島第一発電所5・6号機がそれを証明しています福島第一発電所1-4号機で「停止した原子炉の冷却」ができなかった理由は、やるべきことをやっていなかったかです。具体的には「非常用所内電源」を安全な場所に設置していなかったかです。つまり原子力技術ではなくそれを管理する人間の側に問題があったということです

そういう意味でたとえばJR福知山線事故と同じようなもんです。あれはダイヤの無理とかATSの不設置とか、経営側の安全軽視に問題があったわけで、鉄道自体に技術的に問題があるわけではありませんよね。

飛行機が落ちても大丈夫なような工場にしております

「核廃棄物が水に浸かっても大丈夫なように設計しております

正しいとも誤りとも言える根拠を私は持ち合わせていません。専門家でもなければ判断できないと思います

ご丁寧にポスターを書くために「ヒント」を記したページがある。

http://www.jaero.or.jp/poster10/pc/hint.php

このヒントのなかに、「地球に優しい原子力発電」と堂々と記してあるのだから子どもたちは素直に、その通りに書いているわけだ。

趣味のよいことだとは思いません。しかし、子供プロパガンダポスターを描かせるということは残念ながら日本では社会的に許容されているようです

税についての中学生の作文・ポスター作品集

http://www.city.ichikawa.lg.jp/fin02/1111000009.html

小中学生禁煙ポスターコンクール

http://www.pref.nagasaki.jp/kokuho/kenko/tabako/poster.html

この辺を同時に批判するというのであれば、私もあなたに賛同します。

国費を使って原子力の安全性をアピールしてきたんだよ。探せばウジャウジャ出てくるよ。

以上の通り、それの何が悪いのかさっぱりわかりません。消費税だって禁煙だって国費を使ってアピールされています。それは悪いことなのでしょうか。国が国民に政策の周知と協力を求めることは度が過ぎなければ当然のことです。まして、その内容を批判する権利は抑圧されているわけでもなんでもありません。

そもそも原子力安全委員会なんて名前付けるのがおかしいよね?

『安全』なんて付けたら「安全です」って言ってるようなもんじゃ

上の通り「安全です」ということに問題はないし、そんなこというのならこれはどうですか?

運輸安全委員会

http://www.mlit.go.jp/jtsb/

結論

しょうもないイチャモンはやめましょう。批判するならもっと本質的な部分を批判しましょう。そして批判できる点は東電保安院対応を見ていればいくらでも見つかるはずです

繰り返しますが今回の事故は「安全」性を自ら損なった経営陣や監督官庁責任の圧倒的大部分があります技術的なことがわからなくてもこういう人たちを批判することは可能なはずです。それをやることこそが一般市民の役割ではないですか?

http://anond.hatelabo.jp/20110709015539

そもそも「絶対安全」を喧伝されてきた、とか言われてるけど、そんな覚えなんて全然ないんだよね。

えぇー!?、うん十年間の間、危険性を指摘されるたびに「安全です」を繰り返してきたのに?


巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁

外部電源から電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である


88年 朝まで生テレビ!「原発」第2弾!動画15本まとめ…ウソつきは誰だ?

飛行機が落ちても大丈夫なような工場にしております

「核廃棄物が水に浸かっても大丈夫なように設計しております

日本原子力文化振興財団「原子力ポスターコンクール」を開催

ご丁寧にポスターを書くために「ヒント」を記したページがある。

http://www.jaero.or.jp/poster10/pc/hint.php

このヒントのなかに、「地球に優しい原子力発電」と堂々と記してあるのだから子どもたちは素直に、その通りに書いているわけだ。

国費を使って原子力の安全性をアピールしてきたんだよ。探せばウジャウジャ出てくるよ。

そもそも原子力安全委員会なんて名前付けるのがおかしいよね?

『安全』なんて付けたら「安全です」って言ってるようなもんじゃ

2011-01-17

以前

以前こちらで、自分出版した本の「読書感想文」を募集して、コンクール主催してみた者です

http://d.hatena.ne.jp/shanaineet/20110115#p1

賞金2万円!とか言ってたんですが、結局応募してくれたのは1人だけでした(笑)

世の中厳しいなぁ。。。

以上、ご報告でした明日会社いやだあ。。。

2010-12-01

本当はバレてもいいと思っている

とある企業正社員として働いている20代、会社内緒副業しているんだが会社の人に言いたくてしょうがない衝動にかられることがある。

特に副業先が同業他社なので、上司にバレたらクビだろうな…とは思うんだが副業の取引先の人と飲んでたりすると、ついつい「僕は○○出版社員です」とか言っちゃう。そうすると「え!まじっすか!!大丈夫ですかそんな裏切り行為して!?」みたいに驚かれたりするわけだ。

JOJO花京院典明が、「僕のスタンドが見えない人と仲良くなれるはずない」って言うシーンがある。なんか、その気分に似てるのかもしれないなあ。会社の人と仲良くなっても、副業のことが言えないと、本当の自分を見せていない気がして、心から仲良くなった気がしない。一緒に酒を飲んでても全然美味しくない。仲いい人ぐらいにはこっそりカミングアウトすべきなんですかね?


ここから先は宣伝ですが、副業で本を出しまして、感想コンクールを開催してます

http://d.hatena.ne.jp/shanaineet/20101117/p1

ご興味あれば…。

2010-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20101023004716

それ13年前のコンクールだから今は21歳になってる筈だが。

21歳が自分が8歳の時の読書感想文が話題になったのを知った所で大した事にはならないかと。

つか21歳ならネットやってるだろうね。

2010-10-09

青少年読書感想文コンクールに入選して県代表になるための選書

審査員やった。審査員普通、各学校国語先生。(俺は違う。)方式は出された作品約300を10組*4人くらいで30作づつ読んで各組上位4作品くらいを今度は40人の教員全員が読んで1-10の点数をつけて平均点の高いのが入賞。ちなみに原稿5枚が制限でもし2枚しか書いていなかったらその時点で落とされる。

 で入選するためには

1。昔の課題図書はえらばない。特に数年前のとかは、もう選ぶ側の審査員が飽き飽きしている。「一瞬の風になれ」とか「夏の庭」とか、課題図書は単純な話が多いので似たような感想になり審査員はあきあきしているので感想文自体の出来が良くてもこれは昨年も同じような感想があったとなる。

2、「人間失格」はやめておけ、あれもとにかく毎年毎年読むひとが多いので、審査している方は辟易している。

3、難病、不治の病になって回復する(もしくは回復しない)本はやめろ。ただでさえ暗い話が多い文学感想の中さらに暗い話の感想審査員をして(もういいよ!)となる。

4、奇を衒った本(タレント本、やハウツー本)はやめろ。単純に国語先生はそういう本にいい印象を持っていない。

5、誰も知らない様な本はやめておけ、これは上記よりはましだが、どんなに感想文自体がうまくても、その本を誰もしらないのでなんとなく入選には推しにくい。

6、結論的には、「今年の課題図書」で書け。話が単純なものが多い課題図書なので素直な感想がかきやすく、審査員も飽き飽きしてない上に、「課題図書から入選作を出さなければならない」という縛りまである。今年だったら「「ハサウェイ・ジョウンズの恋」なんか話も面白感想も書きやすい。今回の例を出すと課題図書感想文を書いた人は全県で10人くらいしかいなかった、その中から入選3人のうち2人が課題図書だった。これは偶然ではなく必然。こんかいは課題図書自然に入選したが、もし点数が入選に達していなくても、強引に下位からいれかえて1人入選させなければいけない。

 俺は読書感想文とくに、学校教育の中で書かされる感想文なんてなんの益にもならないと思っている。国語教育でなぜ文学作品感想なんて求めるのかが謎。

 好きな本を好きなように読むのがいいし、こういう読書って必ず文系に偏るので小さい頃図鑑ブルーバックスばかり読んでいた俺にとっては無用の存在でしかなかった。こういうノウハウが広まればこういうコンクールはなくなるか縮小の方向になるかもしれないのでアノニマスで書いてみた。読書感想コンクール面白いと思うのだが・・。

2010-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20101008115816

自分が知ってるクラシック作曲家は大体、別の副業持ってるな。

大学講師とか。総じて学術分野。

あとはコンクールの賞金やら、作品の売り上げで生活するけど、多くの場合は悲惨なことになるって聞いた。

学術分野ですら、事業仕分けで散々な事態になってる。


あと、今ではオペラ古典扱いだけど(ジャンルとしてのコンテンポラリもほぼ古典か)、

元々はれっきとした市民の娯楽だ。全盛期のヨーロッパと今では時代が違うし、

そもそも日本人にとっちゃ最初から異国の音楽だよ。

2010-08-03

ちょっと高校の吹奏楽部の話をする

中学から続けていて、そのまま継続という感じで、高校も迷わず吹奏楽部に入った。

支部大会に出れるだけの実力もあり、私が2,3年のときはダメ金で進めなかったが、1年の時は支部大会で銀賞を獲った。

そんな部活だが、ゆるい時はゆるい。練習が終わったら相手の楽器を借りて吹くなんてのはザラで、他の楽器でもセッションできるほどの実力を誰もが持っていた。

ちなみに私は男で、クラリネットを吹いていたが、歌口(マウスピース)周りは自分のものを使っている。

もしかしたら「当然じゃない?」と思われるだろうが、いきなり自分のものを持つのはいろいろと難がある。安定していないからな。

そこでまあ、吹奏楽部ならどこにでもあるだろう、「学校備品」を世代継承のように使いまわすわけだ。性別問わず。

あれは最初は抵抗がある。一部不健全男子は「間接キスいやっほーう」かもしれないが、「不特定多数の口を介在したもの」はネガティブ感情を引き起こさざるを得ない。

私も結果としては使っていくうちに慣れてしまい、私が使ったそのマウスピースも、すべての後輩がしっかり咥えているわけで。違和感も抱かずに。特殊な世界だと思う。

で、まあ慣れると自分楽器、あるいは自分自身にぴったりなマウスピースを買うわけだが、それ以降の間接キスに関しては「不特定多数」ではない。「特定可能」だ。

僕は同じ部の後輩の女の子にも先輩の女の子にも僕が吹いた楽器を貸したし、男子とて例外ではない。

しかし、なぜか「世間とのギャップ」を思わざるを得ない。

キモイ男子が「小学校で好きな子のリコーダーをぺろぺろ」なんて半ば冗談めいて書かれることが結構多いが、それは「好きな子しか吹いてないリコーダー自分が口にすることに感じる浅いエロス禁忌」だと思うのだが、少なくとも私の高校では後輩のリードの調整なども兼ねた共有をしたこともあるし、飲み物や食べ物(主にお菓子)なんかも食べあったりした。断わっておくが僕はイケメンだったわけではない。(同期入部の女子は皆、芸能界スカウトされそうなほどかわいかったが)

おそらく、多くの男子(あるいは女子)は、このような環境を変だと思うだろう。あるいは羨むかもしれない。もしくは人権に輪をかけて一種のハラスメントだ、と言うかもしれない。

私の知る限りそれは遠征先の中学高校や、あるいは近隣のそれでも同じような状況であり、私の高校の特殊例というわけでもなさそうだ。

これは世間一般からして奇異なのだろうか?それとも、違うのだろうか。

ただ、改めて書くが、私自身はそれに何も欲情もエロスもなく、最初不快感もいつしか薄れ、現実の一部として当然のように享受していたのだ。

あのとき、彼らは、彼女らは、何を思っていたのだろうか。



※:いいことしか書いてないようですけど、コンクールとか結構必死だったんで、裏ではなかなかドロドロしてましたよ。これが女社会か、と感心したものです

2010-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20100508233317

つまりさ、管楽器打楽器だけの楽団だけ考えても、

・うちの楽団は来る者拒まず、どのパートが何人になってもおK

という楽団と、

・今このパートは募集していないんで…

・・きっちり人数決めているわけじゃないんだけど、バランスが崩れるから

・・うちのバンドは各パートの定員を決めているんだ

と並べて見ただけでも、吹奏楽定義が楽団によって違うのは解るでしょ?

それを最初に書いたように

管楽器打楽器だけ」

という点ではどれも一緒じゃん、と思うだろうけど、問題は増田

吹奏楽定義は誰一人として異議を唱えない定義があるのか?という答えを求めているのか、

俺様ルールを持ち出す奴って、なに考えてんの?という疑問なのか、

実は俺様ルールを持っているんだけど、みんなに認めさせるにはどうしたらいい?という意見を求めているか

というふうにも読める。

吹奏楽作曲コンクールはいくつかある、でも募集要項読んでないから本当はどうなのか解らないけど、

編成に規則があったら、全吹連・朝日作曲賞の吹奏楽と佼成ウィンド作曲コンクール吹奏楽は、吹奏楽違いになる。

あるいはそれらの主催者がチェロとかハープもおKと書いていたら、その主催者の吹奏楽は、そうなんだよ。普遍的な吹奏楽とは言えないやね。認めてないかも知れないけど。

もう一回書くけど、増田が求めているのは

普遍的な吹奏楽定義なのか(説明して欲しいだけなのか納得させて欲しいのかにも分かれる)、

俺様ルールを出している奴らって、アリなの?という異議申立なのか、

オレも俺様ルール主張しても構わないの?という自我の芽生えなのか。

ということを思いついたんだけど、おそらく増田が求めている答えとは違うだろうなぁ。(^^;)

2010-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20100306094144

大学と学部が影響するのって、たとえば東大法でないと官僚になれないとかいうレベルの話でしかないと思う。

海外コンクールを転戦するようなクラシック音楽家になろうと思ったら子どものころからちゃんとした先生につかないといけないとか。

まあ、最初からそういう方向を目指してたら、行けるか行けないかはごく若いころに決まっちゃうし、それ以降にいくら頑張っても無理だわな。

でも、たいていの普通の人はそんなところ目標にしてないでしょ。

旧帝大卒でも就職に失敗する奴はいっぱいいるし、Fラン卒でもたまたま入ったベンチャーが成功して40過ぎの時点で上場企業の幹部になってるとかいう例もあるじゃん

2010-02-10

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51654318.html

なぜか「中学受験に成功した奴は高確率堕落する」というストーリを信じたがって、

中学受験を生き残った優秀な子供を活かす環境がない日本はやっぱりおかしい」という主張も

取りうるということを考えもしないはてな民のルサンチっぷりに絶望する。



個人的な感想では、難関中学受験合格者のうち4割程度は本当に優秀。(天才じゃないのがミソ)

中学受験は天才を発掘するのには全く役にたたないが、優秀な人間は確実に確保できる。

ぶっちゃけ中学に受かることと比べたら大学入試司法試験など圧倒的に簡単。

中学一年の段階で中学カリキュラムは速攻終了し、中学三年の段階で高校のカリキュラムも終了する。

後はひたすらブラッシュアップと言う名の退屈な授業が続くだけ。

私は落ちこぼれ組だったが、7割の人間は高校に入ったらもう受験に関してはやることが殆どない状態になる。

中一でセンター試験受けて700台取ってる奴もいたことを考えると

6年間というのはあまりにも時間に猶予がありすぎる。まして浪人もできるとかどんだけゆるゆるなのか、と。

少なくとも大学受験受験戦争とか言ってるマスコミはちょっと頭おかしいと思ってる。



ただ惜しむらくは、日本の場合、中学合格すると殆どの学生にとってこれといった目標がなくなってしまうこと。

何でも「やらせれば」できるけど、「何をやるかを考える」力だけはない奴が多かった。

将来親の後を継ぐか、親の希望通り国家公務員検事弁護士大学教授みたいな形で

行く方向性はもう親によって決められてるから、その支障にならない範囲でしか考えられなかったのだと思われる。

天才はいたのかもしれんが、おそらく親とか受験環境イマイチなのでスポイルされるんだろうな。




何度も言うが「やれば一定水準以上までは出来る」奴が殆ど。

目だった方向でいうと

数学オリンピックメダル取ったり、囲碁将棋大会で全国優勝してみたり、音楽コンクールで準優勝してみたり

把握してないが文科系はいろんなところで活躍してたはず。

囲碁部の奴とは知り合いだったが、いわゆる「一度見ただけで完全に記憶してしまう」キモイ能力の持ち主だった。

世界史教科書を本当に一字一句全て覚えて試験に出てきたが、彼のおかげで記憶するだけでは満点取れないということもわかった。

他にもはよから司法試験勉強始めるカツマーみたいな奴もいた。

変り種だとバーチャファイター2の全国大会ベスト4とか、ストゼロ2の全国大会ベスト8みたいな奴もいた。

その他大勢は、得意でもないスポーツに遅ればせながら取り組むか、

読書趣味とするなどして並の人間になってったのかもしれない。

と言っても、素質がないだけで、スポーツもこれまた結構出来てしまうんだがね。




ちなみに小学生の時はいわゆる神童扱いだった俺は、入学してからすっかり自信なくして挫折しましたとさ。めでたしめでたし

私みたいについていけない人間もいることから、今の環境が必ずしもぬるいとは言い切れないが、

まぁ優秀な奴を無駄にしてるな、とは思う。

大学への飛び級は必須だと思うし、そうでなくとも、いろんな学習機会が提供されるべきだとは思うのだが何でダメなんだろうねぇ。

2010-02-09

中学受験で1日8時間勉強する子供の3つの進路

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20100207/1265553342

中学受験で灘入った俺が来ましたよ。

中学受験で1日8時間勉強する子供」というのがまず理解できない人もいると思う。ここから説明しよう。

当たり前だが、こういう子どもたちは、受験を始める前から普通子供と違う。

私たちは小学生入学時点からすでに友達から切り離され、

習い事を山ほどやらされ、忍耐イコール親の愛情という条件付けを徹底して行われている。

私の場合はピアノそろばん柔道テニスだった。

難関中合格者の子供はたいてい何らかの楽器演奏できると思って間違いない。

灘が毎年文化祭でやっている音楽コンクールは相当のレベルなのでぜひ聴きに行くと言い。

これを理解していない親が、突然小学5年くらいから「できる子」の表面だけ見て

準備のできていない子供勉強漬けにすると、高確率で家庭ない不和orノイローゼにしてしまう。

これは大学受験でも同様なので親の方は十分注意されたし。



食事の準備できたらしいので続きまたあとで。

結論だけ書くと3つのコースとは以下の通り。

自己学習コース(いわゆることみコース。割と自閉症気味のやつ多い)」と

公文式でさらに先の勉強を進めるコース(中学受験終了時で微積分まで完了してるやつとかいた)」と

「ひたすら受験に特化した授業を受けるコース(「おまえ必死だな」とバカにされるコース)」

である。

この3つのコースの違いは灘に入学した後でもかなり効いてくる。

はっきり言って、自己学習コースの人間変態だった。

そして、落ちこぼれコースの私にとって、灘という環境地獄だった。

このあたりの話を書こうと思う。

2010-02-07

大事なのは、何のための技術かということです。

大事なのは、何のための技術かということです。コンクールにしても、金メダルを取るために挑戦しているんじゃありません。

 ふだんからスタッフみんなで話し合って、共有している思いがあります。それは、僕たちはなぜ菓子屋をやっているのか、なんのために技術を身につけるのかということです。

 パティシエ技術がないと人に喜びを与えることができません。お客さんの要望に120%、150%応えるために技術を磨くんだということです。お客様を喜ばせ、1人でも多くの人に夢を与えたい。そのための技術なんです。

こんなこと言ったらきれいごとだって言われるかもしれないけど、売り上げを追求したことはありません。父も言っていましたが、お金は後からついてくるものだと思います。利益を追求してたら、今はないでしょうね。


店頭には、この日、誕生日を迎えた子供たちの名前

拡大画像表示 やはり、スタッフやりがいを持って、毎日楽しんで働くことが一番大切です。その結果、お客さんに喜んでもらえて、お店にやって来てくれるお客さんが増えてきたんだと思います

 始めた時は全然考えたことがなかったけど、結果的にリピーターになってくれています。そういう意味で、いい循環ができたんだなと思います。「家族に絆をつないでほしい、子供に夢を与えたい」という気持ちでやっていますが、やはり僕たちにも利益がないと動けませんからね。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2679?page=3

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