はてなキーワード: 金の卵とは
友人から送られてきたのは、「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない」というnoteの某記事だ。
友人は同じ女性として私に共感して欲しかったようなことを言っていたけれど、私は彼女の望むような反応を返すことができなかった。共感できない部分がいくつもあったからだ。それでも本音の感想を述べるとケンカになると思ったので言わなかった。
新しく作ったはてなのアカウントなら、友人や知り合いに知られずに書けると思ったので、自分の感想の吐き出し口として書いておきたい。でないと考えが整理できそうにないからだ。
記事の内容をほとんど否定することになるかもしれないが、決してこの記事の筆者の方を叩きたいわけではない。ただ、男の1人である筆者の方と、女の1人である私から見ると、感じるところがまったく異なることが興味深かった。
書かれていた話題をピックアップして、個人の偏見にもとづく個人の感想を書くことにする。
思ったより長くなったが、もしも読んでくれる人がいれば嬉しい。
正直、10代の頃の最低さなんて、男女も地域も育ちも関係ないと思う。ただ男女の傾向の違いは、異性に対する欲求が性欲に向くか、排除欲求に向くかの違いだと個人的には考えている。
キモい男子への私の周囲の女子の扱いは本当にひどいものがあって、無視だけじゃなくモーゼの周囲の海水のごとく遠巻き、話しかけられたら半泣きになって後から睨み「キモすぎ」「消えろ」「○ね」と罵倒、横を通ると机をどけて拭き取るなんてことをしていた。考えてみれば、彼は何も悪さはしていないのに。私は当時の友人たちを止めなかったことを悔やんでいる。たぶん忘れられない。でも同級生の女の子はもう忘れているかもしれない。だけどあのキモい男子はきっと一生覚えている。あの頃、彼が首を吊らなくて良かったと心の底から思う。
性的なものがタブーだと言うなら、そういう価値観を否定はできない。ただ、人としての一線を越えた言動が繰り返されていた事例は女子の間でもあった。10代ってそういう、人として最低なことを平気でやる人間が結構いる年代なんじゃないか? それは絶対に改善されるべきことだし、大人がそれを教え導いてやらないといけないと思う。社会や思想、性別と絡めるのは、ちょっと違うような気がする。教育って難しい。
記事に書かれていた理系大学と家政科系大学のサークルというのは、これは言いたくないんだけれど、正直、学歴格差を察してしまう。理系大生(男子メイン)は金の卵。対して家政科系大生(女子メイン)は将来的にそれほど稼げるのはごく一部なのでは?
つまりそのサークルは、女の子が将来稼ぎそうかつ普段出会いがなさそうな男の子を見定めにきた場なんだよね。男はもちろん、普段会えない女の子を漁りにきた場。男女ともに異性漁りの場なんだと思う。
それで「女の子が男に見た目ばっかり褒められるの可哀想」ってのは何だかなあ。だって女の子も自分の女としての価値と相手の将来性を交換する取引に来てるんだから。女の子がつらいと言っていたら「君に向いているところじゃないみたいだね」とアドバイスするくらいでいい。女の子の方も、不愉快なら、あるいはいい男がいなければ帰ったらいい。小さい子供じゃないんだから。私は陰キャなので全然行かなかったし、行く機会もなかった。
女の子たちが筆者に好意的だったのは、うまく操縦できそうだからじゃないかな。その場にいたのは性欲しか頭にない男かもしれないけど、女はそういうところしたたかだから。たまにしたたかじゃない子がいて、男選びに失敗してるけど。
痴漢は犯罪だし、ぶつかるのも怪我させたら傷害罪だし、許せない。被害者は気の毒だし、犯罪者は1秒でも早く法の裁きを受けてほしい。
ただ、この話題にはあんまり関係ないような気がする。だって相手は犯罪者なんだから。女に対してどう思っているか、じゃなくて、犯罪を犯すかどうかの方が大きな分岐点だと思う。外国人を嫌っていてもいいけど(良くはないけど感情は変えられない)、外国人に暴力振るうのはダメでしょ。海外で反日デモとかあっても、「日本人のことは嫌いでいいけど、暴力は振るわないで下さい」って思うのが本音なので。
性的なコメントはやめてくれと本人が言ってるのにやめないのは非常に品がない。モラルに反するし、悪質なのは運営からブロックした方がいい。
でも、女の子じゃなければ素人のダンスなんて再生すらされないと思う。記事の筆者自身も図らずもそれを証明している(若い女性の動画が流れてくることが多い、見ていると楽しいとのこと)。私も同レベルのダンスを見るなら、女の子の方が見てて華があって良い、自分の少女期を思い出して楽しいと思うんじゃないかな。男子パフォーマーには申し訳ないけど。
男はセクハラを受けないですむけど興味を持たれない。女はセクハラを受けるけど興味を持たれる機会がある。現代社会において、興味を持たれるってのはものすごい社会的アドバンテージだと思う。Vtuberが女子多数の時点でわかる。
10代になったら、もう、自分の持っているもの、持っていないものを理解する年齢なんじゃないかな。男子高校生が「女のダンスばっかり再生される」ってぐちぐち言うのを想像したら、はっきり言ってみっともない。それと同じ。
別に女が「おいお前!」「待てよ!」って言っててもいいと思います。矯正施設に入れられるわけじゃないんだから、好きにすればいいじゃないか。文句を言われても変えなければいい。私もあんまり上品でない地域柄のせいか、そういう感じで生きてきた。目上には敬語を使うけれど、それは男女関係ない。
ただそれを周囲の人が好きになるかは別問題だと思う。男が「おい、お前」って言う女を好きになる義務はないし、女が「ねえ、あなた」って言う男を好きになる義務もない。私も、男が「ねえ、あなた」って言ってきたら困惑するし、好きになる要素にはならないと思う。
私はあんまり女らしくないスタンスできたせいか、男に告白されたことがない。男にも私にも人格があって好みがあるんだから、文句を言う気もない(私の外見の話は今はしないでもらえるととてもありがたい)。
ある人間のスタンスを好きにならなかったり、他のもっと楽な生き方をお勧めしてきたりする周囲の人間が悪いような言い方をするのは、責任転嫁ではないかな。周囲はそれがいいし楽だと思ってその人に勧めてるんだから。そしてたぶん本当に楽。右利きの方が基本的に楽なのと同じ。
なのに、どうして「社会に(「おいお前」口調の女の子が)殺されちゃう」と悪のように言い切れるんだろう。自分の価値観は自分の価値観、自分のスタンスは自分のスタンスでしかない。どうして他人から無条件に尊重される前提なのかわからない。
私が「他人と話すの苦痛だから基本的に口開きたくない。でも仲間に入れて、情報や楽しみは共有してくれ」って同性の女性の集団に言ったら、仲間として迎え入れてもらえるのか? 無理では? という話。私は陰キャすぎて女の子の集団ともうまくやれない時期もあったので、よくわかる。当たり前のことだ。
口調や外見が普通と違っても楽しく生きていくためには、好かれたり仕事で大事にされたりするような人間になればいいんじゃないかな。例えば芸能人のキャラなんかってそうやって作っていくんだと思っている。台湾のオードリー・タン氏の性別(私も実はよく知らない)なんて、有能すぎて誰も気にしない。
そうなれない人間はそこまで。もちろん私もそうなれない側。
メイクも、結婚も、子供を持つのも、全部上記と同じ。この自由な社会では自分の人生は自分で決めるものだと思っていたけど、もしかすると私の認識が間違っていたのかな? 自由って難しいんですね。
主体性を持つしか生きる道はないと思う。周囲に合わせて楽になるために自分を変えたい、でも今までのスタンスを変えるのはつらい、って、いい歳してそんな10代みたいな悩み持ってる女、そんなよくいるのかな。自分の過去の選択が理由なら、自力で後始末をしないといけないっていうことなんて、小学生で身につけるのでは。
失礼ながら、この記事の筆者が無意識に女の頭が悪いと思っておられるのか、私が女を(ひいてはもしかすると自分を)買いかぶっているのか、どちらだろうかと思う。前者であると考えると残念だしそう考えたくないけれども、後者だったら嫌だな。
大変申し訳ないのだけれど、例の記事は、女に同情するふりをして、実際は女は人生も自分で決められないような存在だと哀れみながら書かれたんじゃないか? とすら邪推してしまった。私は他人の善意を信じるのが好きなので、そんな悪意はないと思いたい。
あんまり言いたくはないけれど、女が男に対していろんなパラメータを持ってるっていうのは否定的にならざるを得ないのが本音。女が男を愛するには、多くの場合、外見(体型、雰囲気含む)・金(安定性、信頼性含む)・才能(金になりうる)のどれかは必要だというのが持論。これが前提になってはじめてその他の要素の評価に入ると思ってる。偏見で申し訳ないが、そうじゃないと大多数の女は男を好きになれないんじゃないかな。
だって「自分の世界を持っている」男を好きになるって、じゃあ鉄道マニアやアニメオタクがモテてるのか、と。私は好きじゃないし、実際の傾向としてモテないはず。だからこそオタク婚活とかあるのでは? バンドマン婚活とかバーテン婚活とかより、オタク婚活の方がたくさん検索でヒットする。なぜならオタクよりも、バンドマンやバーテンの方がモテて勝手に結婚できるからだ、と私は考える。特にバンドはオタク趣味と同様に趣味かもしれない。それでもオタクよりモテるのだ。つまり、自分の世界を持っているという理由がモテる理由になりうるとは考えにくい。
もしガチオタがモテるんだったら、これは私が完全に間違っている。謝るしかない。むしろ先んじて謝っておく。申し訳ない。
あと、男が「若い」を見てるのだとしたら、男がめちゃ愚かで女にはお得なのでは? だって、美人に生まれなくてもスタイルが悪くても、若いときは誰でもあったはず。もちろん私にも。
私、「私かわいいじゃん」って鏡の前で上がったことないです。「こういうのが世間では良いのかな?」と思って、ちゃんとした人間に擬態している。成人式の前撮りのとき、プロに綺麗にメイクしてもらうと親は喜んでくれて、肌が綺麗に見えるのは良いなと思ったけど、それだけ。ヒゲ剃って「俺イケてる〜」と思う男がどのくらいいるのかって思う。男の多くは私と同じようなものかな? と勝手に想像している。社会生活を営むってそういうものでは。
まあでも女の方がコストが高いのはあるかもしれない。本当に際限がないから。
ただ、女はコストかける方が総合的に見てお得といえばお得だけどね。
稼げない女は許されるけど、稼げない男は許されない。結婚相談所の入会条件や婚活パーティの参加条件を見ればわかる。男は定職についている者のみでも女は成人ならばオッケーだったり、男の方が参加費が高かったりする。でもこれを平等にするべきとは別に思わない。ただ男女で異性に求めるものが違うだけ。個人の好みや性癖にまで文句は言えない。
女には、必死で働かなくても、世間にウケのいい姿になることにコストをかけて、最終的に稼ぐ男を捕まえるという手法がある。高校時代の気の強いしっかり者の同級生を思い出す。彼女はお金持ちで育ちのいい男を捕まえるために偏差値の高い私立大に行きたいと公言していた。ちょっと昔の結婚って、女が外でバリバリ働くものじゃなかったから、必然的にそうなっていたんだと思う。
現代は時代が変わったから、女としての自分にコストをかけたくない女がいたとして、かけなければいい。ただそうすると女として得られる利益は失うだけ。私も女としてのコストを削ってる分、利益はあんまりもらっていない。それで文句を言うのは道理が通らない。
自分の望む通りに他人から愛されたり放っておかれたりするのは、当たり前の権利じゃない。
自分が求められるままに他人を愛したり放っておいたりする義務もないのだから。
だから私たちは、いちいち自力で1つずつ他者と要求をすり合わせていくしかないのだと思う。
俺地方出身のトンキン在住。よくいる金の卵と呼ばれるようなヒエラルキー底辺
具体的にどういうものなのかはあえて言わないけど、よくいるクズ的な人間になりつつあると言えなくもない
ただそうするメリットって明確にあって、自由になれるんだよね。精神的にも肉体的にも。
東京って割と虐げられている人がいっぱいいて、そういう人って世渡りの仕方がヘタクソな人が多い。やらなくてもいいような苦労をしていると思う。その反面性格はいい。
俺も昔はそうで、そのせいでいろいろ苦労してきた。昔はトンキン仕草とか生粋のトンキンとか大嫌いだった。
ただ時間がたつに連れて、本当にちょっとしたことなんだけど、そういうトンキン仕草をすることによって救われてる自分に気がついて。
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、
cinefuk 『エヴァは14歳でないと動かせないんだぞ?知らんのか?』というreplyが多数ついていて、理解力の低さに呆れる。
要点としてはツイ主がどういう質問をしているのかというところで、
cinefukさん「ツイ主はメタ的な問いかけをしているんだぞ、作中の設定で答えるのは理解力のない馬鹿。」
↑これがトップなんだけど本当にそうか?
組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
だよ?
これは、私には、何回検討しても、作中設定に関するオタク話に見える。
そもそももしツイ主がcinefukさんの解釈のようなことを言いたいのであれば
「フィクションで子供を戦わせるのが不愉快」って言えばいいじゃん?
「鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、なぜ子供が戦う必要があるのか?ということ。」
とかでいいじゃん?
フラットによく読んでほしい所だけど、元ツイ主は
組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
と言っている。
これは国語的にどう読んでも、子供が戦うこと全般をリジェクトする立場の表明ではない。
作中の設定を受け止めたうえでその合理性やリアリティを問うオタク的な質問と読むほかない。
cinefukさんの主張するように、「なぜフィクションで子供を戦わせるのか(子供を戦わせるの反対)」がツイ主の問いたい(訴えたい)ことなら、
「組織的に戦士を育てて戦わせるのなら~」なんて前提全く要らないよね。
だってどういう設定やどういう前提があろうがフィクションで子供を戦わせるのに反対なんだから。
「こういう設定の場合は疑問」て言い方したら、限定的な疑義ということになる。
なのでもしもツイ主の言いたかったことがcinefukさんの主張通りなら
とっても余計な、誤解を生むしかないことを言ってるということになるし、
逆にこのtweetからあの回答をするcinefukさんは、ふつーに国語の点数低いと思う。
まとめると
ツイ主の意志がどうであってもcinefukさんの国語の点数が低いのは確定していて、
ツイ主の言いたいことがcinefukさんの解釈通りならツイ主とcinefukさんの2人の国語の点数が低いし、
ツイ主の言いたいことがcinefukさんの解釈と違うならcinefukさんだけ国語の点数が低い。
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
これを設定に関するツッコミ、オタク的な質問だと解釈して鬼滅について答えると、
鬼殺隊は元々すんごい畜生組織であるということが疑問に答える重要な手掛かりになる。
子供を捨て駒みたいに鬼と戦わせてかろうじて生き延びたけど不具になった子をもう役に立たんから放り出すという凄い対鬼組織が出てくる。
プロトタイプはこの不具になった子供が義手義足に武器を仕込んだベルセルクみたいなダークハード少年が主人公で、
「これはきつすぎるのでこの世界にもっと明るい少年いないですか」って担当が水を向けて主人公だけ明るくなったっていうのが連載初期。
これは別に私がプロトタイプの印象を引きずって勝手に妄想してるんじゃなくて、作中描写に証拠があることです。
まず入隊試験がクソ過ぎるでしょ。
失格する奴は死ぬんだぜ。全員。
ああいう試験って、「剣士たりえない奴は無駄死にや足手まといになっちゃうから入れてあげません」って帰すことに意味があるでしょ。
なのにあの入隊試験は森の中に剣士志願の少年少女を鬼と一緒に数日閉じ込めて、生きて出てきた奴が合格。
主人公の代もウジャウジャいたのに5人しか合格しなかった。他全員鬼に食われて死んでるの。
何これ?
これはどう言い訳したって人の命を大事にしてないし、人の命を道具にすらしてないんのよね。純然たる無駄死に。
つまり鬼殺隊は目的のために先鋭化しすぎて人の心を失ってる組織なんです。信念に凝り固まってて命が鴻毛より軽い。ISISです。末期大日本帝国です。
ついでに言うとあの試験はサバイバル能力を試しちゃうので兵士の選抜にはいいですけど剣士の選抜になってないんですよね。
あの森で生き延びるのは、状況を見ながら逃げ隠れして体力を保ってとにかく自分が生存出来る、現代の兵士みたいな奴です。
どんなに強くても次々に鬼に挑んでいったら体力尽きたり装備がダメになったりして死にますよね。難易度設定も壊れてるし。
だから水柱の親友みたいに勇敢に鬼に立ち向かえて強くて一杯斬って弱い者を庇うという、剣士として正しい資質を持ってる奴が息切れしてやられて死んじゃう。
剣士適性のある金の卵まで潰す、下手すりゃ優先的に殺していくというとんでもない試験。
さらに柱が登場する回でも全員子供の隊士を待機違反のかどで処刑すると言って盛り上がってるわけ。
仲間であり子供である隊士にかける慈悲もためらいもなんにもなく処刑だ処刑だって盛り上がってて、
本当はもう少しじっくり話を進めるはずで、
炭治郎少年が鬼殺隊のヤバさに気付いたりぶつかりあったりして改心できる奴を改心させていくようなパートが予定されてたと思います。
御屋形様もすごい不穏なんですよ。声の特殊なゆらぎで隊士たちに安心感と心服をもたらしてる。
この御屋形様も、鬼撲滅の悲願に囚われて人の道を外れて隊士の命をコマとして見るようになっちゃってるヤベー奴だったと思います。当初設定は。
まっすぐな炭治郎少年が柱や御屋形様の異常さに気付いて頭突きで改心させたり、あるいは袂を分かったり、設定や状況見るとどうもそういう話が用意されてたのに
何らかの理由で物凄く展開を急いで、本来やれたイベントを沢山潰して話を進めてるんです。
ライブ感というか急に急ぎだした。(不謹慎な例えだけど「作者が不治の病にかかって描けるうちに描き切ることにした」とか言う事情ならとても納得する。)
どこ見てるかわからない目で子供を処刑しようとした煉獄さんは次に出てきたら人格にヤバいところなんか微塵もないナイスガイになってたし
子供が死ぬと聞いて頬を染めながらハァハァしてた胸元開けすぎサイコビッチは次に出てきたら純真少女(服は変な奴に騙されてるだけ)になってました。
「古き良き少年漫画のライブ感」だけでは説明がつかない、明らかに何らかのイベントが飛んでいるし、明らかに邪悪に歪んだ性格は元からなかったことになった。
鬼滅の刃やエヴァンゲリオンで私が持つ疑問は、組織的に「戦士」を育てて闘わせるのなら、戦士が子どもである必要がないのでは?というところ。子どもが闘う必要性がないように思う。
鬼殺隊についてこの疑問に答えるなら簡単で
鬼に家族殺された復讐者を除けば世間知の無い子供・身寄りのない子供なので
そういうのを探し回っては拾ってきて育成してるんだよ
ということです。
善逸少年は借金の肩代わりでこんなことやる羽目になっていますし
炭治郎少年は親兄弟が鬼に殺され身寄りもなくしたという理想的素材です。
こういう奴等をローティーンから育成してハイティーンでデビューさせて20代の全盛期でなるべくたくさん鬼を斬って死ね!
訓練も最終試験もかなり狂ってるし任務でみるみる消耗(身体欠損)するため、
大人になってから始めても遅いし、大人だと「この組織おかしい!」と気付いてしまうからダメなんです。
横だけど、友達でもない赤の他人からの好意っていくつか種類がある
実態とはズレたイメージを愛されても、他人を褒められてるみたいで嬉しくないし重いし面倒くさい。アイドルみたいに金にならないとやってられない。本人そのままを愛してくれるのなら良い気分になるのかもしれないが、赤の他人の時点でそれはあり得ない。
もう一つは金の卵を生む雌鳥として愛されるケース。
これはクリエイターとかに多くて、本当に愛されてるのは作品だけで、本人は生産者として「ついでに」愛されてるだけ。
生産力が落ちると「もっと早く産めよ!」みたいなプレッシャーかけられるし、品質が落ちたら悪口言われるからこれも金にならないとやってられない。
まとまったページ数で漫画(長編小説)を投稿してくれてメジャージャンルでもトップに立てるほどの画力(文才)で定期的に投稿してくれる唯一の人材をよってたかって潰しにかかる
この現象なんなんだろうな
今もまた一人潰れかけてる、本当に困る
厨房がチラシの裏ににシャーペンで殴り書きしてスマホで撮った薄暗い画像や誤字まみれで10秒で読み終わるような作文しか投稿されなくなって初めて金の卵を産むニワトリが死んでいることに気づいてようやく嘆き始めるんだ
あの人がいなくなったらこの界隈はいよいよ不毛の地になってしまうのに分かっていないのだろうか
別に女性向けが平和というわけではなくてあっちはあっちで裏垢やヲチスレでヒソヒソ悪口言ったりしているのだが
女性向けの場合本当にいなくなってほしくてそうしているのに対して男性向けではいなくなってほしくないのに全力で本人に悪口ぶつけに行ってる感じがある
支配欲?自分の思い通りに動けとかこうすればもっとよくなるんだから俺のアドバイスをありがたく受け取れ的な
ROM専のくせに自分以外の男が注目を浴びて称賛されていることに激しい嫌悪を覚えている節もあるように見える
もしくは久しぶりの投稿作品を見て砂漠の果てにオアシスを見つけた気分になるのではなくレストランでさんざん待たされた挙げ句出てきた料理にお詫びのデザートが付いてなかったことに
俺は客だぞ、さんざん待たせたのにこれは何だ!
とキレ散らかすような
本当はお前は客じゃないし、金も払ってないし、相手はプロでもなんでもなくて趣味や厚意でやってることなのに
まじでやめてくれ
生きていくのには何を作るかなんだよね
何をするかじゃないんだよ
していることを経過時間で評価してくれる学校という制度を過ごしたあとでなんにも考えてないと
「なにをするかだ!」とか考える人が多いけど
なにかを生産してほかの人の生産ができないものや足りていないものを補う形で
その補う差額を報酬として受け取らないといけないんだ
絵を描くっていうのは手段であってアートなんだよねアートオブマイライフ
それを売るっていうのはユーチューバーになって24時間自宅のカメラで生放送するのと同じ
たぶん人気でると思うよ たぶんけっこうかせげる
さすがにそれは無理だわっていうから才能の一部である絵とか技術の一部である写真とか
それを利用した小物にして売り切り商品として小売りにするんだよね
報酬があるかどうかっていうのは別の話として仕事してるわけじゃん
そのライフのワークの仕方がアートなわけだよねアートオブライフ
それを売るかどうかは別の話じゃん?
どこをどれだけうっても無限に湧き出てきてどこを売ったらおわるのか
いくらでそれを売るのかっていうマネジメントしないといけないよね
絵をうって転売転載され風俗バイトのポスターに使われフェミニストにたたかれとかされるのか
人気画家としてうれるのか絵画教室をひらくのか個展として入場料を取るのかあるじゃん
高級腕時計とか自動車みたいに現金としての留保を数字にださないように
経費で絵画を購入してその現金を壁掛けの金庫として保管している状態にするとか
そういう用途のために使われる物理的な証券的意味合いの美術品として
オークションや美術品協会内でその価値を掲載して保証している価値の代替品としての
美術品もあるよね
書くことじゃなくて売ることがいるわけで
売るためには売り先が必要で
必要を創出するのかだよね
人に受け入れてもらえないからいい子にしていないといけない
したくもない仕事をして本当にしたいことを夜の街で酔って
疑似体験するのはアーティストの葛藤なんて比較にならないのじゃない?
アーティストの自殺率と学生やサラリーマンの自殺率比べてみようよ
いまお金になってるものをメインにやるのが一番じゃないってことじゃん?
絵よりもバイトのほうが収入があるならバイトで正社員めざしたほうが
クライアントにってクライアントを捕まえるがのそんなに簡単だと思う?
つかまえる腕もタイミングも環境もあるんだからそこにより多く接する必要があるよね
そこでお金にならないことをしないといけないのならその資金力もいるわけで
お金をかせぐためにアートをするためにお金が必要っておかしくない?って思うけど
アートというのがお金になるから仕事をとるために手数料を払うってことじゃないよ
お金をもっている特定個人がそのお金の使い道としてその商品を購入したいと思って
お金をつかって仲介業者がそれをアートと称してその業界の名から一つ売り上げをあげて
在庫がひとつへれば業者は二つ購入しておこうかと予定をたてるじゃん?
おかねもちのいまの購入動向とそのリストにのる名前に割り込むをしないと
絵なんてかいてる場合じゃないし写真なんてとってる場合じゃない
どうせ高いところでろくに細かいものが見えてないんだからはやりのゲージュツとか
むかしの絵画や美術品骨董の価値観をそのまま購入したりしてるだけ
売り手がやばいくらい売り込んでプロデュースしてるアメリカでは
ディレクターがゴミにでも価値をつけてオークションにブッキングするから
カタログに載ればなんでもいいんだよね
そこで貨幣とおなじくらい価値がでるように独自性があってコピーがしにくい
それを業務で利用することで利益につながるものが漫画だったりパッケージデザインだったり
その絵柄を特徴づけて自社製品の目印になる作品を購入したいよね
それが順位としてどれくらいなのか、比較検討できないと価値もつけられないし
どんなすごい技術がつまった作品でもその業界や学会で評価されないと
値段をつける人がつけられないから買えないよね
ただただすごい見てすごいからすなおにただお金をだしたいっていう作品
がもしあるとするならそれをどこで見つけるのかってことだよね
みつかったとしてその取引をどうまとめるかだよね
そういう業者や業界の充実やお金持ちだけがあつまてる芸術学会が
そういう単位でお金をやりとりしているだけのところで芸術やってこうっても
まずお金がないならアートを二束三文の事務で消費してるパワーポイントができる程度と
かわらない扱いの界隈で生きていくしかないよね
無駄な苦しみをしている努力の芸術家はたくさんいるのだろうと思うけど
水滴が岩を穿つようにそのなかからたまにあたりがでたらいいよね
千や万の芸術家の屍の山がその千分の一とか万分の一の割合でまわってきた運を
つかみとった瞬間の輝きをアートとしてみることが芸術そのものだと思うので
かれらが芸術家ってがくぶちのなかでいきながらにもだえてひとのふみだいになっていくさまの絵を
みる楽しみをしているその芸術のたのしみかたもいいんじゃない?
芸術家とやらの人たちが地の底でもがいて人の上にのりあげてすこしでも天に近づこうと
時に落ちたら死ぬようながけにたつことを「アート」と言ったり想像しえなかったひどいことを
人にしかけることを「アート」といってみたりしてる辺境の地獄から正統派の技術を積み上げていけば
貧乏で無名でも欲を出さず積み重ねていけば価値になると信じて地獄の中央でほかの人の足場として
いい趣味してるよねー