はてなキーワード: 大阪出身とは
これか?→https://twitter.com/mochin22/status/1619291586311094278
そうよー、粉なんてほとんど入れないよ。つなぎ程度。
最近焼いてなかった。焼こ。
大阪の風月美味しいですよ!
あ〜、わかるわかる。
お店で出すお好み焼きの分量に近いです。
そうですよ〜大阪ではそうなんですよ〜
そう、山芋いれないと胃にもたれるねん
大阪出身です。
今日、東日本大震災の日を気仙沼で過ごした方の投稿を見てふと思い出したことがある。
LINE交換をする際にアドレス帳に誕生日を登録することがよくあったり、QRコードでLINEを交換すると自分で設定した誕生日がそのまま向こうにも登録されることから相手に自分の誕生日が伝わることが多々あったのだけれど、私が2011年3月11日に産まれたことを伝えると、皆口を揃えて「震災の日!?」と驚いたような反応をしていた。
その後驚きは好奇心に変わるようで、どんな状況で産まれてどうやって震災を乗り越えたのかを矢継ぎ早に聞いてきた。
私はその度に申し訳ない気持ちになりながら「産まれは気仙沼ちゃう、大阪や。」と答えていた。
すると相手は突然興味を失い「んだらば」とか「なんだもねえ」とか言ってこの話を終わらせた。
他の誕生日の人は「〇〇と誕生日近いっちゃ!」とか「有名人で誰と誕生日一緒?」とか言われてるのを見ていたから、中学生だったこともあって毎度少しへこんだ。
これは大人たちも同様いやむしろ私にしてみればもっと冷たく感じられて、私が誕生日を伝えたあとに大阪出身であることを伝えると、「んだばえがっだべ」のような、震災の過酷さを身をもって知っているからこそ、知らない者を部外者として扱うようなニュアンスの反応がよく返ってきていた。
どう表現したらいいか分からないがとりあえず、私の身を案じて「危ない目に遭わずに産まれることができてえがっだべ」と言ってくれている感じではなかったのだった。
さっき読んだ投稿にもあった「しあわせはこべるように」という曲は転校先の学校でも毎年歌われており、その後黙祷を捧げるのがお決まりだった。
そんな空気だから、登校しても他の友人たちと全く同じようには祝ってもらえず、なんかしんみりした誕生日を毎年過ごした。
もちろん、誕生日ではなくて私自身の問題で友人たちのように祝ってもらえなかった可能性もあるかもしれないけれど、、、
それにしても、12歳になるまでの誕生日は周囲からの邪気のない祝福も含めてクリスマスと同じくらい明るく楽しい日だったのに、12歳からの数年間は全く違うものになってしまったと感じていた。
こんな体験を重ねるうちに、私は極力誕生日を他人に伝えないようになっていった。
最初から「大阪で産まれたので震災とは関係あらへん」と言えればいいのだが、誕生日を聞かれただけなのに「大阪産まれ」であることも自分から伝えるのは嫌な奴だと思われそうでできなかった。
当時すでに、東日本大震災の被災者のことを思えばこんな感情を周囲に吐露することも憚られるだろうという分別も流石につく年頃だったので、今までずっと誰にも話さずに生きてきた。
18歳からまた大阪に戻ってきたので、しばらくそんなことも忘れていた。
今日読んだ投稿で当時のことを思い出し、「震災がなければ一緒に大人になっていたかもしれない人の存在をふと思うことがある」といった主旨の文言を見て、「あの時の大人は私との会話の中でそういった人たちを思い浮かべてたんやろなあ」とひとり合点した。
なんとなく書き留めておく。
を思いついた順に書いていく。
■ 有村架純似の26歳
顔出し無し、ヘブンのランキングにも載らない、写メ日記も更新しない、店のランキングもずっと2位、という割と地味な存在だったのに、なぜ発見できたのか全く思い出せない。
大衆ソープなのに高級店並の濃厚サービスをしており、ビジュアルも一級品だったので、これが風俗にハマる原因となる。
「わたし、マグロの客はバイブだと思っているの」という言葉が忘れられない。
■ ヘブンのランキングがずっと1位だった子
デビューとともにヘブンのランキング1位を飾り続けたソープ嬢。
人気すぎて店が常連にしか指名させないという措置を採ったことで、逆に指名しやすかった。
ビジュアル・スタイルが芸能人クラスで、「ほんとどうして風俗に?」という感じだった。(親に言われて来たらしい)
「2週間に1回飛行機に乗って来るお客さんがいるんだよね」と言っていたのをなぜか覚えている。
あっという間に引退。
サービスの濃厚さだけで言ったらトップの子で、足の裏まで舐めていた。大衆ヘルスなのに。
全身を整形していて綺麗だったが、「あーこれが整形顔というやつか」と思ったのを覚えている。
「辞めたら私の中でこの仕事は黒歴史になると思うので」という台詞が印象的だった。
その後は不明。
■ 目がうつろな子
入室するも目がうつろで、全然目を合わせてくれなかったので、「おーい、おーい」と呼びかけたのを覚えている。
打ち解けてしまうと人懐こく、何でもさせてくれたのでありがたい。
「家に入れ代わり立ち代わり男が来てセックスしていくので、だったらお金をもらった方がいいかなって」と風俗嬢になった経緯を説明されたのが衝撃だった。
その後は不明。
歴代で最高の美女。ビジュアルだけでなく人として素晴らしかった。大衆ヘルスなのにどうして。
はじめて性病をうつされた女性でもある。しかしまったく後悔がない。
おれに性病をうつした直後に引退。性病がショックだったのかなぁと思う。
「飽きられないように次回会うまでにいろいろ考えておきますね」と言っていたのが印象的。帰ってきてくれ。
めちゃくちゃ可愛く、対面した瞬間、「これで当分風俗嬢探しをしなくて済むな」と思ったら「来月で辞めるんです」と言われてがっかりした。
実は上記のクォーター美女と同じ店で、「○○さんは結婚で辞めたらしいですよ」と言われて「そうなんだ」と返したのを覚えている。
もともと芸能人などのVIPを相手にしていた風俗嬢だったらしく、確かに元高級娼婦の片鱗があった。
おれが入ったときに既に引退間際で、「辞めたら小料理屋をやるんです」と言っていた。
■ 手コキ店の子
はじめて行く手コキ店で、値段こそ高かったものの、フリーだったので全然期待していなかったが、結構かわいい子が来て驚いた。
新人だったが色恋接客がうまく、あっという間に好きにさせられてしまったのを覚えている。
手コキ店だからキス無いよねぇ・・・と言ったら「しないんですか?」と言われたのが印象的。
いま思うと一番どきどきさせられた子かもしれない。
今は名前すら思い出せない。
学生時代よく行っていた激安ヘルスで、そこそこビジュアルがよかったギャル。
NGとかあるの?という質問に「手首にボルト入ってるんで手首NGですかね」と返されて笑った覚えがある。
バックで果てたが、「せっかくの飛田嬢の顔を堪能しない点でバックは損である」と思った覚えがある。
格式高い飛田というイメージだったが、中身が竹を割ったような快活なギャルで、ギャップがあった。
顔が全然思い出せない。
飛田のルールをあまり分かっていなかった自分が、胸を舐めようとしたところ、体をくねらせてひょいと躱された覚えがある。
「あんまり整形してなさそうな顔って理由で選ばれることが多いんです」と言っていたのが印象的だった。
大阪出身なので、店先で座っていると男友達に会い、「○○やんな?」と声をかけられることがあると言っていて、いたたまれない気持ちになった。
聞き上手でめちゃくちゃ喋ってしまい、逝けずに終わった。
「(客とやっていてもなにも感じないという意味で)わたしのここ(陰部)は『無』だから」と話していて、「つまりおれは今『無』に吸い込まれているのか」と言って二人で笑った覚えがある。
■ 舌ピのギャル
舌ピアスのフェラはどんなもんだろうと思って指名したソープ嬢。
結果、舌ピアスより肌のぱぁんと張った質感の方が印象的だった。(舌ピフェラはそれはそれでよかったが)
なお、タトゥーを入れていたので指でなぞってみると、微妙に凹凸があるのが発見だった。
高級店の面接に落ちたらしく、「こんなにエロい子でも店のカラーに合わないと落ちてしまうんだなぁ」と思った覚えがある。
■ エステ嬢
写真だとめちゃくちゃ強気そうなギャルだったが、対面してみるとふわふわした童顔少女だったので面食らった。
結構話したはずなのだが、ふんわりした喋り方が印象に残っているだけで、内容が全く思い出せない。
二回目に指名してみたらがっつり整形していたので、それ以来行っていない。
きれいでサービス濃厚で良かったが、ずっと「うふふふふ」と笑っていることに若干の狂気を感じた。
一回行ったっきり裏を返さず、気づけば引退していた。
学生時代で金が無いが風俗には行ってみたい、ということでやむなくセクキャバに行って出会った子。
めっちゃくちゃ美人でびっくりした。あと女体のあまりの柔らかさにびっくりした。
その頃童貞だったのでめちゃくちゃなことをしたが、やさしく受け止めてくれてありがたい。
いま思うと恥ずかしい。
最初の子が清楚系だったのに対し、こっちはギャルでバランスが取れていた。
フリーでこの2人が付いたというのはいま思えばかなり店のレベルが高かったと思う。
店の名前が思い出せないのだが、いまぐぐった感じ潰れて無くなったくさい。
■整形嬢①
いま思うとゴリゴリの整形嬢だったのだが、当時は気づかず、変わった顔の美人だな〜ぐらいに思っていた。
手マンは嬢の負担になるらしいので基本しないのだが、せがまれたのでタラタラとやっていたら、ものすごく恍惚とした表情をしていて驚いた。
■整形嬢②
美人だったがものすごく変わった顔だったのを覚えている。馬面の美人と言えば伝わるか。
客のうんこに滑って転んだエピソードを披露していたのをいまでも覚えている。
在籍写真がえらく美人で、たまにしか出勤予定が上がらない上に当欠が多いために、掲示板などで架空在籍ではないか?という疑惑をかけられていたヘルス嬢。
架空なら架空でいいや、という気持ちで指名したところ、ほんとに在籍してて意外だったのを覚えている。
目の大きい美人さんで、テクニックに自信がないようだったが、結構いい人だった気がする。
この日記を書くまで完全に忘れていた嬢。
■サービス○嬢
在籍写真がまぁまぁ美人で、掲示板の評判がめちゃくちゃ良かったので入ったソープ嬢。
対面するとビジュアルが「うーん・・・」という感じ。ブスではないがぽっちゃりしており、うーん、いやー、ねぇ、みたいな。
サービスは積極的で良かった。バックで自ら腰を振る子をはじめて見た気がする。
とはいえビジュアル重視なので、この子をきっかけに気合いを入れて探すようになり、その後失敗はしなくなったという意味で印象深い嬢。
■酒焼けメイド
かわいかったが、声が酒でガラガラになっており、メイド服を脱ぐとただのギャルになった。
「たぶんわたしは誘われるままにAVに出るとおもう」と言っていたのが印象的。
後日談として、友人がたまたまこの子をお勧めしてきて、「この人と穴兄弟になってしまったな・・・」と思った記憶がある。
■女子大生
ヘブンネットの詳細検索で女の子を見つけることを覚え、いろいろ検索しているうちにぽっと出てきたソープ嬢。
出てきた瞬間、あれよあれよと言う間に出勤予定が埋まっていくので、これは人気嬢に違いないと判断し、指名した。
話を聞いてみると、出勤予定が出る曜日が決まっており、その曜日になると常連客が一斉に予約を仕掛けるとのことだった。
店の近くにあるわけのわからん熟女店(しかし老舗)の話で盛り上がった。
いずれまた入りたい。
■人気ナンバーワン嬢
結構前から気になってはいたが、出勤予定が常に埋まっていて予約が取れなかった人気ソープ嬢。
ところがしばらく経つと、出勤予定に空きが出るようになり、おお、と思って予約した。
飛び抜けた美人というわけではなかったが、会話がうまく、こちらの話を全部興味深そうに聞くので、あれこれ喋りまくってしまった。
これは人気出ますわ・・・と思って話を聞いてみると、常連客が付いたのでお店がナンバーワンの看板を降ろしたとのことだった。
出勤予定に空きが出るようになったのはそのせいらしい。
■高級店の新人
高級といっても女の子のランクによって異なる料金設定をしており、新人だったため大衆ソープ並の値段に収まっていた。
対面してみるとかなりの美人で、この業界では珍しく落ち着いた子であった。
プレイは淡白だったが醸し出す気品があり、「これは人気出るだろうな」と思った。
しばらくしてお店のHPを見たら案の定最高ランクになっており、さもありなんという感じ。
掲示板で「短髪で顔がボーイッシュなのに巨乳なのがたまらない」みたいな書き込みを見て指名したソープ嬢。
対面してみると顔が「うーん」という感じ。高校の頃の後輩の男に似てて若干萎えた。
体はめちゃくちゃ良く、Sキャラなのも良かったが、キス・胸NGだったので満足度が低かった。
「わたしみたいなタイプ(巨乳ボーイッシュ)はあんまりいないから、がんばらなくても指名が確実に来るんだよね~」と言ってて戦略勝ちだなと思った。
■お姫さま
性格が「姫」としか言いようがなく、若干の高貴さすら感じられた。
その傍若無人さとルックスの良さから、掲示板では常にアンチが噴き上がっていたが、お姫さまを抱くとこういう感じなんだろうなぁと思えば腹も立たない。
意外とテクニックもあって印象深い嬢。
普段はあんまり呼ばないタイプなのだが、写メ日記でがっつり顔出ししていて、それがどうみても美人だったので指名した。
対面すると大人っぽい写真に反して意外と幼い顔立ちで面食らった(後で聞いたら19歳とのことだった)。
会話はうまいしサービスに手抜きはないし、ルックスはいいしで、いったい何者?と思っていたら、のちに都会の高級ソープで発見してさもありなんという感じ。
良家のお嬢さんっぽい感じで、いったいどういう経緯で風俗に来たのか気になる嬢。
■ また思い出したら書く
私は東京育ち、東京で働いているが出張に行っては飲んでいる。ススキノにはススキノの、天神には天神の良さがありその街の良さを実感する。
大阪に行く。まず豊中で一仕事。阪急に乗る。友達の奥さんが豊中出身だと言うことを思い出す。すごいお嬢さんで、ずうっと小林聖心といってたな。東京だと雙葉?いや豊中は田園調布とすると田園調布雙葉か、すると乗っているのは東横線なのか。
仕事が早く終わって先輩を呼び出す。鶴橋を案内してもらう。東京では大阪出身だけど標準語で話す人がいる。先輩もそういう人だったが今は関西弁だ。
「それってなにわのベートーベン的なこと?」
「李明博だよ」
ハイテンションでタン塩とカルビを繰り返し、ビールを飲む。。先輩は明日早いから9時でお開き。だんだん酔っ払ってきてどこにいるのかがわからなくなる。
東京のように人がたくさんいる。東京のように電車に乗り換える。高知の街並みに映える棕櫚や、金沢のような古い街並みも見えない。電車の広告も脱毛やデパートや予備校で総武線と変わりがない、ないのだが細かく見ると違う。酔っ払っているから細かいところが入らない。東京に似た異世界にいる感覚が増してくる。鶴橋から山手線で神田に降りる。そこに宿をとった。東京駅から繋がる高架下に飲み屋が連なる。このまま非現実のあわいで一杯やることにしよう。その駅は「福島」と書いてあった。わし東京もんやさかい大阪のことはようわからんわ。
大阪で生まれ育って26年、東京に出てきてもうすぐ丸7年になろうとしているんだけれども、すっかり東京弁が板についてきたな、と思う。特に仕事中はかなりスムーズに東京弁がすらすらと出るので、しばらく会話した相手に自分が大阪出身であることをいうと「分からなかった」と言われるまでには東京弁をマスターしてきたかな、と思う。東京弁とは、べらんめぇの江戸訛りというよりかは、一般的には標準語というのかもしれないが、ここは関西人の言う「東京弁」のことだと思ってもらいたい。
7年前に東京に出てきた最初の一瞬は、特に意識することもなく相手が誰であろうと関西弁で会話していたものの、これを続けるのはやはり難しかった。というのも、いわゆる「でんがなまんがな」までとは言わないまでも、それなりにもともと関西弁が強い方なので、人の名前を呼ぶときも関西弁丸出しのイントネーションで声をかけるんだけども、聞き慣れないイントネーションで呼ばれても、相手に自分のことだと思ってもらえない。何度か声をかけるうちに「あ、もしかして俺のことを呼んでたの?」と言うふうに、そもそも聞き慣れない方言はすんなり頭の中で処理できない人が多い、と言うことに気づき、無意識のうちになるべく聞き取りやすい言葉=東京弁で喋らないといけない、という意識が湧いてきたと思う。すると今度は、自分の中に東京弁が無いので、思っていることがスッと言葉に出てこず、頭の中で変換するのに時間が掛かる。そうなると、話すこと自体が億劫になったり、ストレスに感じたりして、一時期比較的無口な時期が続いたりもした。比較的喋る方だと思っていたのに。
当然ながら東京では日常が東京弁に溢れ、自身も多少頭で変換しながら東京弁を話す、という作業を続けること数年。触れる関西弁といえばテレビに出ているお笑い芸人のみ。関西芸人の露出も大阪にいた頃の比ではない少なさで、東京弁が少しずつ耳に馴染んでいくにつれ、いつのまにか頭の中の思考もハナから東京弁で行われるようになり、すっかり東京弁をマスターした、と言えるようになった。
すると今度は、たまに関西人と会話するときに、関西弁がすんなり出ない、ということが増えてきた。これは他の地方出身者なら気にならない人も居るのかもしれないけども、本来大阪の東京へのライバル心たるや凄まじく、文化においては関西の方が上、つまり江戸に対しての上方であると言っていたり、ただの対戦相手のひとつである読売巨人軍に並々ならぬ敵対心を燃やしたりというので、関西人に対して東京弁を話すと「もうおまはんは大阪の人間ではない」「東京に心を売ったんか」というようなことを言う人もあり、アイデンティティが薄れていってると言う心持ちがして少し寂しいな、と思うことがあった。
一方で、ここ最近芽生えてきた思いがある。それは「東京弁、ありじゃないか」というので、実は結構東京弁が好きになってきている。
というのも、最近芸人がパーソナリティを務める深夜ラジオをradikoで聴くようになって、関西芸人関東芸人問わず色々聞いてるんだけども、関東芸人の話すエピソードトークが、どれも壮絶なオチがあるわけでもなく、とはいえしみじみと相手に訴えかける話が展開されて、これが滅茶苦茶に良い。これは恐らく、良くも悪くも方言にサービス精神が乗っかる、例えばとにかく大袈裟にであったり、少しでも相手に面白おかしく伝える関西弁の悪いところが一切排除されているからで、このサービス精神の要素が無く、かつ話術に長けたエピソードトークは、粋を感じさせて良いな、という気がしてきている。
自分が大阪に居た頃、いかに会話を話しかたで誤魔化してきてたか、曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝えていたか、勢いのある方言に頼っていたか、という反省と、東京弁だからこそ活きる言葉の選び方の妙、相手に与える印象みたいなものの面白さに趣きを感じつつ、この感覚は東京と大阪を両方を体感して初めて味わえるものだし、言語化が難しそうだけれども、稚拙でも良いから明文化して残しておこう、そして自分は東京弁と関西弁のどちらの良いところも扱いながら、言葉の妙を使いこなすバイリンガルを目指していこう、と心に決めたのでした。
そんな矢先。毎年実家から年末年始の関西ローカル番組の録画をブルーレイに焼いたものを送ってもらっており、週末に計10時間以上の関西弁を浴び続けた結果、東京で育った家人に「なんか急に早口な関西弁になって、心なしか性格までキツくなった気がする」と言われました。わずか7年では、たった10時間のテレビ番組に打ち負ける。バイリンガルの道は程遠い。