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はてなキーワード: 通り魔とは

2022-01-20

anond:20220120111501

通り魔に刺されないように努力すればいいじゃん。他人は変えられないけど自分は変えられる。

自分を変えなよ。他人のせいにするな。

…って、殺された人にも同じこと言うの?

anond:20220119220425

芸能人スカウトは単なる商売だろ

困ってると思われて声かけられたのも理由があるならいいよ

赤ん坊はこっちを認識してないし関係ない

ナンパはそのどれでもなく、お前という存在を狙っているぞという意思表明なので通り魔的な宣戦布告だよ こえーよ

同和地区に生まれ

同和地区に生まれ育ち、多分『それなり以上の同和教育を受けた最後世代』だと思っている私。

私は昭和の終わりかけに、関西大都市に生まれた。自営業の父と専業主婦の母のあいだに生まれ、1歳児の頃から公立保育所に通った。

現在幼児もつ親でもあり、『保活』『保育園落ちた』などのワードネットで見るにつけ、自分の育った地域時代現代のどちらがおかしいのかわからなくなるのだ。

まず、私の母は専業主婦だ。母方の祖父と同居だったが、その祖父が要介護だったとか、母自身病気だとか何もなかった。1ミリも『家庭での保育に欠け』てなどいない私が、普通に公立保育所に通った。

母は私を幼稚園に入れたいと思ったそうだ。しかし、親族を含む周りの多くの人たちが、いつ保育所に預けるのか、保育所の申し込みをまだしてないのかとものすごくうるさかったらしい。『保育所が当たり前だった。同じ小学校に行く子は町内のどこかの保育所出身で、幼稚園に行く子なんていない』と言われたらしい。

母は心配しながらも私を保育所に入所させた。まず、町内に公立保育所がいくつもあった。1学年1クラス、私が通った保育所はその中でも人数が少ないところだったので、年長クラスで一緒に卒園したのは12人だった。最近の『保育所が足りない』どころか、どう考ても当時の子供の数を考えれば保育所が多すぎるくらいだった。

運動会宿泊保育、遠足卒園式などは合同で行われた。保育士さんはどうだったか忘れたが、市の公務員である給食調理員さんたちは、その町内の保育所のどれかにしか転勤しない。(当時給食調理員だった知人が近所にいたため、知っている)

今、雨の日でもお昼寝布団セットを自転車で運んでいる保育園パパママさんを見かけるが、私が通った保育所ではお昼寝布団の他、給食で使うスプーンや箸など、肌に触れるものや口に入るものも持参する必要はなかった。かばんに入れて持って行ったものは連絡帳以外思い出せない。

私は二人の子供を私立幼稚園に通わせた。ひとりは卒園し、ひとりは在園中。まあ、これでもかというほど指定用品を買わされ、毎日スライド式のカトラリーセットを始めあれこれ通園鞄いっぱいに持って行く。最初自分の子時代とのあまりの違いに驚いたが、『あ、こっちのほうが普通なんだ』と最近では思うようになった。

保育所時代はほぼ同和教育はなかったが、小学校に入ると一変した。

まず、入学時に必要もののほぼ全てが無料支給だった。ランドセルまでタダだった。母と一緒に入学用品を近所の『会館』に取りに行ったことを覚えている。鉛筆消しゴムまであった。筆箱は自分のものを使えたかな。それが最初の一回だけではなく、『とくしゅうひ』というものがあって、冊子が配られて必要学用品に丸をつけて提出すると支給された。これはいつの間にかなくなった。高学年になる頃にはもうなかったかと思う。

私の実家貧乏ではなかった。後に書くが、学用品無料支給してもらわないと就学できないほど生活に困窮している同級生などいなかった。

ランドセルデザインも何もかも皆同じ。ほとんどの学用品が全員同じだった。出どころが一緒だからそうなるんだろうけど、他の学校のことを知らないのでそれが普通だと思っていた。給食で使うお箸、食後に使う歯ブラシまで皆同じ。歯ブラシの色選びでじゃんけんしたことも覚えている。

それから子供会』というものがあった。放課後に行くところで、別に親が働いているからとか何もなく、ほとんどの同級生が在籍していた。行くか行かないか自由だったが、小学校の下校時に集団になって歩いて行ったことを覚えている。おやつが出たり、遊んだり、土曜日は昼食も出た。学童保育のような感じだったが、違いは『(ほぼ)全額無料』で『まあまあゴリゴリ同和教育機関でもあった』こと。そこで働く人たちのことは、先生さん付けではなく、『指導員』と呼んでいた。(例 田中指導員)

主に教えられたのは狭山事件のことで、歌まであった。私はその歌をなぜか今でも覚えている。小学校1年生のときから教えられる。それから、何の日だったかは忘れてしまったが、5月23日10月31日が近づくと、狭山事件のことをいつもより色々聞かされた。

大人集会もやっていた。たまに祖父について行ったことがあったが、集会最後シュプレヒコールがお決まりだった。後になって祖父はその集会になぜ参加していたのか母に聞くと、『お父ちゃん、その年確か町内会の役しとったかちゃうかな』そんな理由だった。

小学校の名札のところに『差別裁判をゆるさない』とかワッペンをつけて登校する期間があったりもした。『ワッペン登校』と呼ばれていたが、今考えるとすごい。小学生制服に、別にの子意思でもなくそういうワッペンをつけさせていたのだ。

学校道徳の授業は、同和問題を始め、とにかく何かと差別を絡めた内容だった。在日コリアン問題とか。私の子供が入学して教科書名前を書いていたとき道徳教科書何気なく見ると、『金の斧 銀の斧』の話が載っていたりして、自分ときとの違いにまた地味に驚いた。

小学校1年生に狭山事件のことを話してこれは差別だ!とか言われても正直よくわからなかったし、狭山がどこかもあまりよく知らなかった。『かなり昔、遠い関東で無実の人が逮捕されて、裁判が何か差別らしくて………』といった感じで記憶している。

他にも後で特殊だと気づいたことがある。天皇制否定国歌を教えない、卒業式定番仰げば尊し』はなぜそこがダメなのか忘れたが『我が師の恩』のところに文句がついていたっけ。

ある日の子供会の集会とき、『天皇制おかしい』という話を聞いたのをおぼろげながら覚えている。『天皇誕生日祝日なのはおかしい』と力説されたが、子供心に『学校休みになるんだし祝日にまで差別とか言うのか』と思った。

洗脳レベル教育だったが、低学年頃にはなくなっていった(後述)こともあり、『差別に負けない大人になってほしい!!』だとか『(何にか忘れたが)誇りをもってほしい!!』と言われても全くピンとこなかった。

ワッペンをつけたり、子供向けの集会があったりというゴリゴリ同和教育は私が高学年になるより前くらいから一気になくなった。そのため、冒頭に『最後世代』だと書いたのだ。

理由は、狭山事件容疑者とされた人が仮出獄となったからだと思う。学用品がタダとかそういうのも、その頃からだんだんなくなっていった。

一世代上、私の母世代は、狭山事件が起こった頃に小学生くらいなので、大人になり、子育てをする頃までずっと続いたということになる。

母は私立高校卒業しているが、『タダだった』らしい。無料から私立高校を選んだわけではなく、公立高校に行く学力がなかったかららしい。高校無償化なんてつい最近一部の地域で始まったことだが、これも『同和特権』のひとつだろうか。それよりも驚いたのが、自動車教習所授業料も『タダだった』と言うのだ。私も運転免許をもっているが、確か教習所に入るときは30万円くらい払ったと思う。それもタダ?

それから、これは自分家族はいないが、市の公務員になれるルートみたいなものもあったそうだ。失礼な話だが、『この人、どうやって公務員になったんだろう?』と思うような人が、市の職員だったりした。

母も私と同じで、そういう環境で周りもそれが普通だったし、他のところのことを知らないので、疑問をもったことがなかったらしい。大人になってから、『あれは普通じゃなかったんだ』と思ったという。

江戸時代身分制度の名残で同和問題差別があるわけではないと、成長するにつれわかった。私が背負ったランドセルも、入学試験で特待生だったわけでもない母がタダで通った高校も、税金から…と考えたら、嫌われるようなこともしてるよなあ、知らなかったとはいえ…といつからか思うようになっていった。

その後、高校大学と進むうち、部落差別っぽいものは時々あった。というより、特に悪気のない、同和地区に対するイメージを誰かが話しているのを聞くことがあったというくらい。

まず、『あのへんは治安が悪くて行くもんじゃない。どんなやつがいて何をされるかわからない。最寄駅で降りないほうがいい』と言っていたバイト先のおじさんとか。

かにイメージとして、ガラ悪いとか治安が悪いとか思われがちだが、これが意外とそうでもない。麻痺してるのか慣れきってるのかとも思ったが、夜になると人通りはほぼなく、ガラの悪い人や治安を乱しそうな人もいない。夜の町は、『ここ?本当に関西大都市?』と思うほど人通りもほぼなく静か。逆にそれが不思議だとか怖いだとかで動画サイトに載っていたりするが。

かに治安がよくて人が住みたいイメージではないよなと長年思っていたが、最近では転入者も増えて、昔はボロボロ団地ばかりだったところに一戸建ての家が建ち並ぶようになった。相変わらず市営住宅が多く、整備されているものの見た目がほぼ同じ。スマホマップが普及するより前は、宅配ピザ配達員さんが迷って電話をかけてくることもあるくらいだった。

そういう街はここだけではない。似たようなところをたまたま電車などから見ると、『あ、ここ…同和地区かも』とわかるようになった。

人生で、『あ、これが部落差別?』と思ったのは一度だけある。結婚ときだった。目の前でやりとりしたわけではなかったが、夫の両親は同和地区の嫁が来るのは嫌だと言っていた。私に直接言ったことはなかったが、義母から夫へのメールを見たら結構すごかった。

結局結婚したのだが、10年経っても『ほら、同和地区の人となんか結婚するから』みたいになったことはない。結婚を反対されたことを知った両親も、『まあ、そりゃ、どうぞどうぞ大歓迎ですってことはないよな』というような反応だった。従姉妹たちも同和地区出身でない人と結婚している。親である伯父と伯母は、娘の結婚相手の両親に出自を話したらしいが、それを理由に反対や差別はされなかったという。

私が昔受けた同和教育の題材にもよく結婚差別が出てきたり、同和の子貧乏いじめられて排除されて…みたいな内容が多かったが、思い出してみれば小学校同級生には食べるのにも困るような生活をしている子は誰一人いなかった。それでも色々支給されたり…あれは何だったんだろう?と思う。

これもまた同和地区特有の話だと知ったのだが、とにかく近所の人達情報を何でも知っている。私達世代はそうでもないが。今時隣の家の人のこともあまり知らないのが普通みたいな世の中だが、母より上くらいになると、『全くの他人のことを何でそこまで知ってるの?』と驚くほどだ。

私は聞いているだけのことが多いが、たまたま何となく会話にAさんという人が出てきたとする。たとえば私が『Aちゃんのお母さんが入院したんやって、Aちゃん大変そうで心配やなぁ』とか言ったとする。

すると母と伯母が、

『A?ああ、あの子な!うちの一学年下の子旧姓増田やろ?増田おっちゃんとこは立ち退きなる前は◯◯に住んでて、今団地入ってるやろ?おばちゃん滋賀から来た人やったわ。Aは高校出て化粧品屋に勤めとって、学会の男の人連れてきて結婚して西宮のほう行ったけど、結局別れて娘二人連れて帰ってきてたなぁ。増田おっちゃん怒ってたわ。あの子入院したんや、それは心配やな』

増田おっちゃん覚えてるわぁ、Aちゃんて姉ちゃんの一個下やったら、うちの二個先輩やろ?その子の弟がうちと同級生やねんけどな、中学同級生のCと結婚して、夫婦で市に勤めとったから、お金持ってんで。団地出て関空とかあの辺りに家買うたらしいわ。増田のおばちゃん不倫しとったん覚えてる?近所同士でようやるわぁとかみんな言うとったなぁ』

こんな感じ。一体何の話だったかこちらが忘れそうになるが、私の友人の母親実家事情を、同学年で仲が良かったわけでもない二人が知り尽くしている。

これは、同和地区出身者同士の結婚が多かったこともあるからかなと個人的に思っている。大人になってからは、では近所に住む誰かの会話に『私』が出てきたとすると、ここまで知られているのかとゾッとして、母に聞いたこともある。

『まあ、このへんやったらそうやろうな。でも、若い子らはそこまででもないと思うけど。うちの娘ていうことはみんな知ってるやろうし、行ってた学校ぐらいは知ってるやろな』

と、当たり前のことのように言われた。

同和地区も、私のように町並みでわかる人でなければあまり他の町と変わらないようになってきた。それに、顔を見たら同和地区出身者とわかるわけでも、戸籍を見たらわかるわけでもない。有名な同和地区が現住所や本籍であった場合はわかるかもしれないが。

解放会館も人権センターとか名前を変えた後、いつの間にかなくなった。『部落差別をなくそう!』『差別落書きを見つけたら云々』という文言が書かれた町内会ポスター掲示板もなくなった。私が少し通ったあの子供会もなくなった。

今でも、『住まないほうがいい町』とかググると私の地元が出てきて、理由に同和地区がどうのこうのと書かれているが、外から人はたくさん来ている。市営団地の入居者は全員知り合いだとか、市会議員や解放同盟コネ団地簡単に入れるという話も聞かなくなった。

実際、24年ほど住んだが、事件らしい事件ひとつも見たことがない。通り魔ひったくりに遭った人が近所にいようものなら3分で噂になるはずだが、これも聞いたことすらない。いや、別にB地区とか犯罪がとかヤクザがどうの、治安悪いとか言われてるけど、全然怖くないですよ、町も綺麗で平和で、他のとことそんな変わりないですよ』とここで主張したいわけはない。

イメージしかない同和地区と、そこに生まれ育った私とでは、全く違うだろうなと思って書いたに過ぎない。

改めて、自分の生まれ育った場所を考えてみたとき、そこがたまたま特殊なところで、確かに差別されたり嫌われたりしても仕方のない面をもっていて、でも何だか普通生活の中で出さないほうがいい話題』のひとつであって…

何かそんなことを思って書いてみた駄文だ。

2022-01-19

anond:20220119230620

通り魔被害者がそういう「正しい対応」をし続けなければいけない、っていうのが嫌な社会だなと思う。

anond:20220119225848

そもそも本来敵対者でもないはずだよね。通り魔社会的立場を失ったら、通り魔被害者利益を受けるの?せいぜい、マイナス幅が少し小さくなる、くらいじゃない?

サンキューハザードする人は運転に向いていない

私はサンキューハザードが嫌いだからやらないし、やるなよと思っているタイプ

まず言いたいのはサンキューハザードハザードランプ本来の使い方を誤認するはずがない、という人は車の運転に向いていない

大前提として、車の運転は「かもしれない運転」をしましょうね、ってことになっている

ハザードランプを見たら「危険を知らせているのかもしれない」とまず第一に考えるべきであって、「サンキューハザードだろう」と考えるべきでない

車を運転するにあたっての前提を理解出来ない人は、誤認する可能性を頭から排除する人は運転すべきじゃない

そもそも交通事故なんてのは、スピードの出しすぎよりも、勘違いのような一方的思い込みで起こる事が多い

(なのでスピード違反の取締は以前よりも減っている。ただ、重大事故はスピード違反が原因になることが多い)

勘違いする可能性を多少なりとも減らすために、サンキューハザードは止めるべき

あと、煽られないようにサンキューハザードを炊かないといけないってのは理解不能

譲ったのにサンキューハザード炊かなかった!って怒ったことある?ないでしょ

譲ってくれた人が煽るとかあり得る?

いくらなんでも情緒不安定すぎでしょ

存在するかしないかで言えば、存在はするんだろうけど、存在するかしないかレベルでびびっていたらそもそも外に出られないでしょ

目の前に通り魔がいる可能性を否定出来ないんだから

無理やり割り込まれたらサンキューハザード炊こうがどうがムカつくだろうし

「かもしれない運転」にも対応出来ないことはあるだろうけど、もう少し意識した方がいいんじゃないでしょうか

有吉弘行 東大前刺傷事件に悲嘆「こういう人増えるよ」「クリエイティブ犯罪者いない」

https://news.yahoo.co.jp/articles/88e491cbd842c0dc34b11b825f4231ec528dc433

増えてないじゃん

青葉が仮に影分身100人に増えても交通事故の方がずっと遭遇率が高い

通り魔なんて人生リスクの中でも最も無視していい頭数でしかない

anond:20220119004740

>ここ最近通り魔を1000人作って日本に放ったとしても、まだ交通事故の死亡者数の方が多い

それは無いです

anond:20220118233126

本当に物騒になったら年収1000万円でも安全は確保できず、一部の大金持ち以外は不安を共有することになるが

そうじゃないからね

クローンでここ最近通り魔を1000人作って日本に放ったとしても、まだ交通事故の死亡者数の方が多い

治安が悪いというのはマスコミ報道で主張している嘘で、じっさいは昭和平成よりずっと平和で大して被害は出てないんだ

2022-01-18

anond:20220118115241

東大入れないってわかった結果見知らぬ人を通り魔的に切り付ける人にも自己責任だよって言ってる文脈

ちょっとよくわからないが、誰が誰に対して何を自己責任と言ってるの?具体的な事例が欲しいのだけど、それも含めてフェイクか?

自殺願望と他殺願望は同じですよ

anond:20220118115207

一人で勝手死ね著名人テレビでみんな言ってるんだから、人の命に価値が無いのは日本社会の前提

自分を殺そうが他人を殺そうがどっちも価値が無いんだから何も変わらん

通り魔に襲われた人が一人で勝手死ぬこともあるだけ

何も価値無いよ

自己責任

最近自己責任という言葉を見ることがすごく増えてるんだけどその使われ方がほぼほぼ違和感しかない。

勉強して東大入らないと自分が損するよ、自己責任だよ」は百歩譲ってわかるんだけど、東大入れないってわかった結果見知らぬ人を通り魔的に切り付ける人にも自己責任だよって言ってる文脈が本当に意味がわからない。

あのさ、自己責任って言葉使ってマウントとりたいだけだろ。そんな理由で使ってんじゃねえよ。マジで。聞いてるか橋下徹。まだ「悲惨事件があったね…」で何の教訓もなく風化する方がマシだわ。

マウントが大好きなお前らの自己責任論が世に蔓延デメリットがどれだけ深刻かわかってない。

あんたたちが言ってるのは『こんな凶悪事件があったけど社会は何も気にしなくていいんだよ、だって自己責任からね。斬りつけられた人もそんなとこ歩いてたのが悪いよ、自己責任自己責任』こういうことなんだよ。

人間って誰しも生まれたその時代・その社会の枠組みに最初から否応なく嵌め込まれるわけで、工場大量生産されるネジみたいに何個かに1個は規格を満たさない”個”、悪く言えば不良品が出てきてしまうのは自然の摂理でしょ?

みんながみんなその枠にカッチリ適応できるわけじゃないし、なんならその”個”ってのは必ずしも目に見えて判別が出来るわけじゃない。一見うまく適応できてるように見えて機械に嵌め込んでたら何かの拍子に爆発してしまうことだってあるんだよ。

俺たちはそういう不確かな世界に生きてるわけ。

そこを見て見ぬふりしといて返す刀で自己責任論はあまりにもコミュニティの一員として冷淡で無責任すぎるでしょうが

橋下さん、今回の通り魔に刺されたのがあなたの子どもだったとしてももちろん「あんなやつがい社会に生まれた我が子の自己責任です」って言うんだよね?

anond:20220118112439

だよなあ

銃やバズーカのような絶対に対抗できない武器を持っているわけじゃないんだから

大和魂を持った日本人なら通り魔と戦うはずだ

通り魔から逃げる奴は日本人じゃない

イラク3馬鹿つって人質事件自己責任扱いした国なんだから、じゃあ通り魔殺害されるのも自己責任だろう

anond:20220118115241

防刃チョッキを常時着用する努力が足りない

外出するのにどうして警備員を同伴しなかったの

高校生でもバイトお金を稼いで防具や警備サービスを買えるのだから、防犯の貧困自己責任

anond:20220117224016

自己責任自力救済からむし通り魔肯定するしそうなのでは

全てが自己責任なら国のまとまりは要らないね

各人が勝手自助で生きろなら国は要らない

2022-01-17

拡大自殺

自分勝手理由で人を襲ったり殺したりするのを拡大自殺っていうのおかしくね。

自殺っていうと加害者が可哀そうな感じがするけど、通り魔無差別殺人だよ。

少なくとも本人が死んでないのに使うのはおかしいだろ。

冴えない通り魔を「ジョーカー」って呼ぶの「嘘松」以上のネガキャンだな

2022-01-16

anond:20220116233716

なんで死にたいと思ったら通り魔を起こすになるんだろう

殺したいの間違い?

anond:20220116154322

日本特に人が何人も死なないと何も変わらんよな

変わるとしても何十年後とかなんだろうな

俺らの世代犠牲になる為に生まれてきたんだと思っている

氷河期世代棄民されたーとか言うけどその後の世代も似たようなもん

その上コロナでもう大分詰んでる

最近通り魔とか放火が多いの見て正直これで何か変わんないかなと思ってる奴多いと思う

まあ未来の奴らが俺みたいな死にたいメンヘラじゃなくなるなら犠牲になるのも悪くないかもな

分かってくれる奴がいて嬉しかった

ありがとう

anond:20220116145523

死ぬなよって言われるほど死にたくならん?

なんか圧を感じるんだよな人は幸せに生きなければならない的な

じゃあ幸せに生きられない俺はなんなのっていう

生きてる価値ないじゃん死んだ方がマシじゃん

そういう話されるほど死にたくなるから貝になるしかないんよな俺は

割と最近放火やら通り魔やってる奴らもその口だったりしてな

anond:20220116133712

誰かを馬鹿にするのに権利とか許可とか要らないし、許す許さないは受け手勝手

何もしてなくてもある日突然自分通り魔にあって死ぬこともある

今できることをやる

馬鹿にできることは馬鹿にする

通り魔には距離を取る、自分を刺させない

anond:20220116025418

上級国民ボディビル総合格闘技をやっていて強いから、通り魔ナイフなんて何ともないんだよね

通り魔ビビってるのは俺やお前のような小市民だけ

2022-01-15

anond:20220115224722

津波が来る場所に住んでるのは自己責任

外出時に警備員を雇えない貧困者が通り魔に遭遇するのも自己責任

日本ではみーんな自己責任

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