はてなキーワード: 脳障害とは
「人の顔が覚えられない脳の病気です。」
高次脳機能をつかさどる部位の脳障害によって起こる。顔を見ても誰の顔かわからず、個人の識別ができなくなるといった症状を引き起こす。
側頭葉・後頭葉にある顔領域と呼ばれる部位の障害が関係している。顔領域が人間の顔を認識する。
顔領域には、相手の顔を識別する紡錘状回や相手の表情や視線を解釈する上側頭溝、相手の表情によって情動・感情を喚起する扁桃体などがあり、協調して認識する。敵と見方を瞬時に認識したり、社会生活を潤滑に送るために人の進化の過程で発達したと考えられる。
相貌失認の分類
1: 先天性相貌失認
胎児期の脳形成の過程などで人の顔をすばやく認識する機能が低下する。100人に1人程といわれている。多くの人は、自分が相貌失認であることに気がついていない事が多い。
2: 後天性相貌失認
事故や怪我、また動脈硬化・脳梗塞・脳出血・脳腫瘍・加齢などでその部位の脳機能が傷害することによって起こる。
一般の人は多くの人の顔を覚えるために、目・鼻・口の特徴を瞬時に判別し、無意識のうちに分類して記憶している。このような機能が低下しているために、髪型や顔の形などの情報や、体型や性格、においやしぐさ等を総合的に捕らえて認識する。そのため、家族や親友などの認識ができるため、先天性相貌失認の患者さんが気がつかないことが多い。アルバイトや社会に出てから客商売などをする事によって適性がない事などから気がつくこともある。後天性相貌失人の中には症状がひどい場合、家族の顔を認識できない事もある。
映画・特に外国映画等で登場人物の顔を覚えられずに、ドラマの内容がわかり難い。ビデオなどで何度か見直してわかるようになる。漫画などは、顔や体がデフォルトされているため、認識しやすい。
客商売において
アルバイトやパートなどで、何度もきている人の顔を覚えられない。さっきあった人が戻ってきても同一人物と気がつかない。ただし、長く続けていると常連を顔以外の全身的な特徴やしゃべり方や性格や雰囲気などで個人を覚えることができる。
相貌失認は、脳の顔領域の障害や機能の低下によって起こる。人間は進化の過程の中で、顔を瞬時に見分ける能力により相手を敵か見方かを判別できるように進化してきた。そのため、顔だけが識別できない。
基本的には治らない。特に先天性のものの治療は確立されていない。顔以外の情報で相手を認識するトレーニングが必要である。トレーニングで、映画を楽しんだり、接客業をこなすことは十分可能である。
一方、後天的相貌失認の場合、障害部位が原疾患の治療により、治ることはある。たとえば、脳腫瘍が顔領域を圧迫していて、相貌失認となった場合、脳腫瘍を手術などで取り去り、物理的に顔領域の障害が回復すれば劇的に改善することがありえる。
いずれにしても原疾患の治療に加えてトレーニング療法がお勧めです。
スペイン風邪でもそうだったけど、あの手の未知のウイルスは死人もそうだけどその後に後遺症や脳障害が大量に出る。
インフルも脳障害が残ることがあるでしょう。特効薬があるからなんとかなってるけど、もし治療法がなかったら?医療はエビデンスに基づくことしかできない。治療法が確立するまではどこの医者も効かない薬しかくれないだろう。
もちろんワクチン自体に健康リスクがあるのは分かってるけど、自分はアレルギーはないし受けた。ワクチンによる健康被害はやっぱり治療法がないけど、コロナにかかるよりはマシ。
俺は本当に頭の悪いやつをみると笑ってしまうけどね。コメディにもそう言うの多いだろ。
笑い飛ばすことでバカな行いと精神的に距離を置いて、安心するカタルシスよ。
馬鹿をみてムカつく、ってのは意味がわからない。自他境界が薄いんじゃない?
笑うわ。人はなぜ自ら馬鹿な例えをしてこんな馬鹿と変わらん、などと言ってしまうのか。その例えで笑われてるのは無茶苦茶な変換をしているお前だからね?
自己がバグってるから自他の境界も曖昧で人の利害や感情がわからん、
いやそれはお前だろうがw それを読んで相手が「なるほど私は頭が弱いのか」ってなるわけがないだろう。文章のすべての箇所に相手への罵倒が入ってる文章を読んでまともに受け取る奴はいない。ネットの匿名野郎が憂さ晴らしにぶつかりおじさんプレイをしているだけ、としか読まれんよ。
https://anond.hatelabo.jp/20211024151326
あのさあ
こういうのにはきちんと「その懊悩はお前の頭が悪いせいで生じています」と言ってやらんと。
投票でお前の求めてるような体験や実感なんか得られるわけないじゃん。
仮にお前の投票した政党が勝ったとしても、別にお前の投票関係ねーから。
それを「自分の投票が政治を変えた実感」にするなら脳がやばい。
「俺がテレビで見てたから大谷がホームラン打った」となんも変わらん。
Twitterとかで政治ネタでキーキー言ってるのって結局こういう奴なんだよね。
自己効力感がバグってるし物事の因果の把握がぼんやりだしやってることの期待値とかもガバガバ。
まともな脳の持ち主は選挙に関心もって調べてちゃんと投票しても、それと結果を直接結びつけないし期待しない。
当たり前だろどう考えたって自分で結果をコントロールできない問題なんだから。
お前はそういう分別すらつかない軽度の脳障害があるから苦しんでるんだよ。
選挙の話だとなんか当人は高尚ぶったり深刻ぶったりするし、周りもそういう風に扱うのがよくない。
こいつの言ってるのは「あんなに気持ちを混めていろんな儀式をして宝くじ買ったのに外れた、もう限界」つってるのと変わらん。
「辛いんだね、それはお前がバカだからだよ」って言ってあげない方がかわいそうなんだよ。
こんなんむしろなにも取り組むことのないバカが深刻ぶるために政治厨やってるようにすら見える。
蛇足として、
本当に選挙に個人で影響を及ぼしたいなら扇動的な文を書いて拡散させるしかない。
上で挙げたような弱点がそのまま響いてくる。
自己がバグってるから自他の境界も曖昧で人の利害や感情がわからん、
自分の言葉がどういう風に読まれるか発信者がどんな風に推測されるかをイメージできない、
どこを狙ってどういう言葉掛けてどうなるか、どれぐらいの効果を期待する文なのか決められない。
班長お疲れさま。周りの子たちの理解がない態度が悲しいね。私も独り言のように書かせて欲しい。
子供の頃は優等生タイプで物わかりも良かったので、障害学級に通う男の子と机を並べたり、ペアになったりすることがあった。物静かな相手だったし、嫌ではなかった。たぶん小学二年生のとき、風船にひまわりの種とお手紙をつけて飛ばすという行事があって、文章が上手くかけないその雄作くんの代わりに私が手紙を代筆して用意した。校庭に全員が揃って風船を飛ばした。極稀に風船がどこかにたどり着いて、返事が返ってくることがあった。そんな児童はクラスに1人か2人くらいで、それは鼻高々だった。そしてうちのクラスでは、かの雄作くんに3つ離れた市のおばあちゃんからお返事が届いた。クラスは一瞬沸いたあと、どうしよう…?という雰囲気になったのだと思う。私がまた返事を書き、以降、下島セツさんと私は10年近く文通をすることになった。
セツさんとお手紙をやり取りするのは楽しかった。先生でも親でもない大人の友達がいるのは面白かったし、いつも丁寧な文字で私のことをめいいっぱい褒めてくれた。けれど、この文通は本当は雄作くんが楽しむはずだった、という受け止めきれない思いがずっとあった。今でもある。私が雄作くんのお世話をすればするほど、先生も雄作くんの親御さんも私の親も、みんな立派だと褒めてくれて気持ちよかったけど、雄作くんはどうだったんだろう。私が良い人になるための道具みたいに、なってはいなかっただろうか。私ばっかりいい思いをさせてもらったような、居心地の悪さがついぞ消えない。
それに中学に進んでから、すっかり雄作くんみたいな子を表で見ることがなくなってしまった。元気にしているのだろうか。ご家族ともども、楽しい時間が人生の中にある日々だろうか。多様な人の暮らしに思いを馳せたくても、目に映らないからつい忘れて居ないように感じてしまう。あの日々、私は雄作くんの友達になれていただろうか。
消えた友達なら、正美ちゃんもいた。親同士が仲良くしていた一家の末娘で、出産時の事故で脳障害を負ってしまったという。意思の表明が難しく、楽しんでいるのか、嫌なのかも、私には常によくわからなかった。あまり上手く立てなかった気もする。ただ、とびきり綺麗だった。10歳近くになっても幼子のあどけない眼差しが残っていて、野山を駆け回っていた私とは比べものにならないくらい肌が白かった。故に、ちょっと大きいお人形さんみたいだと感じていた。お姉ちゃんと私が同い年ということもあり、学区は違えど休みの日にはしょっちゅう行き来して遊んだ。
ある日、大きなワゴン車1台に乗り合い、正美ちゃん一家と我が家は合同でお出かけした。私は助手席の後ろに座っていて、ふとバックミラーを見ると、薄暗い最後部に座る正美ちゃんがさっき買った油揚げをムシャムシャと食べていた。大人たちは仕方ないねえなんて笑っていたが、妖怪のように勢いよく食べる様子は冷や汗を感じるほど怖かった。あの日から接し方が分からなくなったのだと思う。もしかしたら、正美ちゃんがうちの家族じゃなくて良かったなどと不埒な思いが、頭をよぎったのかもしれない。それまで、お友達という存在は増えることはあっても減ることはなかった。私は正美ちゃん一家の消息を知らない。あんなに日々を共に過ごしたのに、いつしかいなくなってしまった。
もう一人、記憶に残っている子がいる。小松くんと言って、白いハツカネズミみたいな印象の男の子だった。こっちは普通学級にいたけど、おそらく今ではボーダーと言われるようなタイプで、問題児だった。座っていられない、話を聞けない、加減がわからない、善悪が分からない。優等生の私からするとエイリアンみたいだった。笑い顔が怖かったし、なんだか不潔な感じもした。なるべく関わらないようにしよう、私はああいう感じではないし、と軽蔑の気持ちがあったことは間違いない。天は人の上に人を造らず、みたいなお題目はさておき、クラスにはカーストがあることをじんわり感じ取り始めた小学校高学年の頃だったと思う。
当時、中学受験に挑戦する予定だった私は、学校のテストなんて勉強無しで受けて10分以内にすべて回答して95点〜満点をとることが当然だった。(特例で、終わったら図書館に行っていいことにすらなっていた。)特に国語は大得意だった、はずなのに、ある日のテストで1問解けない漢字問題があった。それはもう焦った。今までケアレスミスで失点することはあっても、解答欄を埋められないなんていう事態はなかった。悔しいことに、悩む時間はたっぷり残されていて、私はもんもんとその空白を眺めていた。ふと周囲を見渡すと、隣の席の小松くんが目配せをして、もぞもぞ体を動かしてくれた。何をやっているんだろう?と一瞬考え、すぐに私が彼の回答をカンニングしやすいように見せてくれていることに気がついて頭がカッとなった。私の埋められない例の一文、彼は埋めていた。
その答えを写したか、頑なに知らんぷりをしたか、どうしても思い出せない。モヤがかかったように思い出すことができない。私はもしかしたらカンニングをしたのかもしれない。でも記憶の端っこは、格下だと自分でカテゴライズした人に優しくされたときに沸き起こった、恥ずかしいような情けないような悔しいような、ドッと押し寄せた表に出せない感情で終わっている。自分の中に人様を格付けした卑しさを自覚し、またそんな存在が優しい気持ちを持っていることに驚き、さらに憐れまれたことを悔しく思い、そう悔しく思う自身の下卑さをまた思い、ぐるぐるとパニックになったのだろう。
やがて大人になり、権利を主張することも、自分の言い分がいかに正しいかを当たり障りなく主張する口技も、日頃から誠実そうに振る舞ってここぞのときに有利な立場を得る処世術も、覚えた。それで日々をなんとか乗りこなしているし、厄介事も避けて生きている。
けれどどうして、思い出が胸に蘇る日がある。誰かと誰かがせんなく争っていたり、白黒をつけたがっていたり、ジャッジメントを求められたり。人は助け合って生きていくのよと教わった日々から遠く離れて、誰かを助け、誰かに助けられることを受け入れられる大人になれただろうかと考えてしまう。人に上下はなく社会的な有利不利しかないという事実を自分が常に弁えていられているのか、思い出すたびに突きつけられて泣きたくなってしまう。
どうなってんの?もちろんシンエヴァの話ですよ。
せっかく新しい特典で薄い本が出て、スタッフたちが思い思い好きに描いてて
ああ〜こういう世界線もあったのかもねえとにこにこして
新カットよく分からなかったからどこなのかなあとTwitter検索してさ。
「レイとカヲルに失礼すぎて公式にはがっかり」カプ厨オタクの愚痴がずらずら出てくる
何?「お金払って悲しい気持ちになって欲しくないから見て欲しくない」???
いや、こっちは幸せになってるんですけど。すごく良かったと思ってるんですけど。
だいたい発狂してんのカヲルとシンジのオタクだからそこに対してキレてるんだが
こうかくと言い訳がましく他のカプのことも公式は馬鹿にしてるとかなんとか言うじゃん
最後のシーンのキャラクターはみんな「エヴァがなくてもいいようにした」世界のキャラであって
それこそカヲルでもレイでもないだろうが。何をそんな発狂してんの?
他のイラストだってイフ世界のイラストあったんだし、別にあの世界ではレイとカヲルが恋仲でとか
そんな設定もないだろ。
単純にレイはユイのクローンでカヲルはゲンドウの父性的な側面の具現化だから、
その2人が子どものシンジを連れてる絵って、たんに碇家のイフで書いたぐらいの話でしかないだろうに
スタッフが暴走してるとかどうとか、そもそも庵野自身それほどそこら辺に拘泥してないだろ
他人の尻馬に乗って創作してる分際でよくそこまで面の皮厚くなれるなと思ってマジでびっくりする
アテクシの思い通りにならない原作や公式はクソみたいなお気持ち垂れ流すの本当にやめろ
お前が勝手に思い描いてた妄想と公式が重ならないのがなんで悪いことになってんだよ