はてなキーワード: 映画館とは
運命なんてぶっ潰せ!との通り、父を救うか全てを失うかというザ・セカイ系だった。
ヴェノムのおばちゃんやガーフィールドみたいな実写、レゴとか異次元のバリエーションが強化されてた。
マイルスが噛まれたクモが実は異次元から来てましたって話がラストのオチとかに繋がっていくのが気持ち良かったし、舞台装置として上手く機能してた気がする。
グリッドマンみたいにマルチバースもの観てると話が小難しくて今どういう状況かよく分からないって事が割とあるけど、その辺は私でも分かりやすかったので上手くまとまってるんだと思う。
アクションは前作同様見応えがあったし、スパイダーマンの群れは映画館で観られて良かった。
スポットとの戦いはまんまドクターストレンジとMCUスパイダーマンの喧嘩って感じだった。でもコミカルな小悪党って感じだったし、後半ではほぼ噛んでこなくてクモの内ゲバだったから本格的なバトルは次回作に期待。
ビジュアル面では逆さの画が強調されてた気がする。グウェンが髪縛って逆さのブルックリンを眺めるカットとか結構印象に残った。
ギャグも良かった。「スパイダーマンを捕まえろ」の所とか人数の圧でフフってなった。
最初グウェンのすきっ歯っぽいのが気になって、しばらく観察してたけどやっぱすきっ歯だった。前回から?今回から?
アナーキーなホービーは良いキャラしてた。マイルズのわがままに終始ええやんってスタンスだったのはコイツだけ。
ミゲルは前作のオマケや冒頭でマジメさがコミカルに働くキャラなのかと思ってたけど、シリアスになってくると苦労人って感じが強調されてこっちまで胃が痛くなってきた。
前半は家族への隠し事というのが大きなテーマでちょっとこのくだり長いかなと思ったけど、カノン現象で仲間に黙ってたのか!?って所に繋がってくるのが綺麗だった。
グウェンが私情を優先してマイルズにかまけて事態が悪くなったという話を置いた上で、それでもマイルズがワガママを押し通そうとするのが良かった。
忙しくてなかなか見られなかった『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』をレイトショーで見て「泉ちゃんの存在が良すぎるわ…」と思いつつ映画館から車に乗って帰る途中、立ち寄ったコンビニで急に見知らぬ人から話しかけられた。
「○○に行きたいのだが、道を教えてほしい」と言われ、「スマホ持ってないのか?」とか「お金貸してほしい詐欺か?」とか警戒感を覚えながらも一応の親切心でスマホを片手に○○への道筋を教えてあげて、「車ですか?」と聞いたら「徒歩です」とのこと。
徒歩???となった。
○○は徒歩で行くには明らかに遠すぎるし、そもそもこの辺りは車が無いと不便なくらいに十分な田舎だ。
話を聞いてみると、仕事の関係でこちらまで遠征してきたのだが、泊まった漫喫で置き引きに遭ってしまい、財布も身分証明書もスマホも何も持っていないのだと。
警察に届け出は出したものの、地元に帰ろうにもお金も連絡手段もなく、あいにく身寄りもないそうで、どうにかお金が借りられないか警察に相談したが金銭のやり取りは出来ないらしく(過去にあった某事件で警察からお金を借りて全国各地を転々としたケースがあったらしい)、だったら鉄道会社に働きかけてどうにかしてほしいと要望を伝えても「民事不介入」と返されて、なしのつぶて。
駅員に直接「地元に戻ったら必ず払うから」と言っても身分証明書が無いからと取り合ってもらえなかったとのこと。
さらにはタクシーの運転手にも同じことを伝えてみたが、やはりこちらも取り合ってもらえず、その中で最も親身になって聞いてくれた運転手さんが「一緒に交番行ったるわ」と言ってくれて再び警察に行って直談判するも回答は変わらず。
そこで運転手さんから「○○に行けばヒッチハイクで拾ってもらえるかもしれない」とアドバイスされ、徒歩で○○を目指すが、土地勘もスマホもなく(遠くからやって来て置き引きに遭ってしまったのだからそれはそうだろう)、通りすがりの人やコンビニの店員に道を聞いても適当な返事をされ、結局今こうして○○から30kmも離れた場所にある田舎のコンビニで偶然私に道を聞いているというわけだった。
見知らぬ人の話をここまで聞いて、「本当か?」の気持ちがないわけではなかったし、この世知辛い世の中ではまぁあり得なくもない話だと思ったし、仮に本当だとしたら不幸な目に遭って困ってるのに誰も助けてくれないなんて、こんな悲しいことはないよなと思った。
「○○に行く」という目的のためにこんな面倒くさい言い訳を考えるのは割に合わない。
ただ正直なところ、この話が本当かどうかを確かめる術なんてないし、こんな滅多にない状況で頭もそんなに回らないし、でもこの人困ってるし…で思案した結果、
「とりあえず○○に行ってヒッチハイクする」などという不確実な手段ではなく、確実にこの人が家に帰れるようにするのがいいと思ったので、その場で財布に入ってた2万円を渡した。
「こんな非常事態で空腹感を感じられなくなった」と言っていたけど、食べないのはダメなのでとりあえずコンビニでパンとジュース買って渡した。
あとこの辺には宿もないので、とりあえずターミナル駅に行けるように最寄りの駅まで車で送った。(連絡先も交換した)
家に帰って来て家族にそのことを話したら「え~、騙されたんじゃないの~?」みたいなリアクションだったけど、自分としては騙されたとしても構わないし、お金はなくなってもいいつもりで渡した。
あんなに困ってるのに誰も助けてくれないなんていうのはおかしいと思うし、ちゃんとどこかに一泊して何か食べてお腹満たして電車で家に帰れてたらいいと思うし、
自分にとってもその人にとっても誰にとっても、不幸はただの不幸で一過性のものでしかなく、そのうち必ずなんかいいことがある、っていうことになってたらいいと思う。
キャストで揉めてるアリエルが面白い、いや面白くない…みたいな話をされてるのを見るんだが、アラジンも美女と野獣も今までの実写化全部、もちろんアリエルも含めて見に行く人は面白さを期待して見に行ってるのか?とちょっと疑問に思う
自分はアラジンだけ友人の付き合いで映画館で見て、美女と野獣は金ローで見た(たぶんアリエルも配信とかに降りてきたら見るんだろうなあと思っている)が、ディズニーの実写化なんて映像美を見に行くものであって話の面白さへの期待ってほぼゼロというか抱かない感情じゃない?
マレフィセントとかならわかるよ、でもディズニー古典童話のそのままの実写化なんてもう小さい頃に何回も見たり聞いたりした話で、アリエルがやっぱりアンデルセン原作と同じく泡になって消えます!とか、野獣は人に戻らずそのままですがベルと結ばれたのでハピエンです!とか、ジャスミンが最後に死んでしまいます…とか、今更そんなことが起きるわけないし、誰もそんなこと期待してないじゃん。二時間ずっと予定調和だよね。
劇団四季のライオンキングとかもそうだけど、名作童話の美しい表現をみんな見たいのであって、今更オリジナル改変とかしたらたぶん逆に怒る。
だから今回のアリエルもキャストが誰だろうと面白さというベクトルの評価値は変わんねえだろと思うし、映像美が武器のジャンルだから受け入れられない人は作品自体の評価を落とすだろうなあと思うので、いい派とダメ派の和解も無理だろうと考えている
ディズニー実写については「キャストは解釈違いだったけど作品が面白かったから…」みたいなのなくない?作品への感想はそのまま原作?への感情になるだろというか。次の展開にドキドキワクワクはしないでしょう、という…
anond:20230611184223の元増田だけど、正直、未成年の水着撮影会に関する話は驚いた。
大前提として、俺は二次元専門のオタクなので、実在する未成年の水着撮影会とか反射的にキモッと思ってしまうし、そんなのに群がってるのはヤバいでしょ、とも思う。でも同時に、ドラマや映画の子役に対しても違和感があるんだよね。仮に自分だったら、子供時代の演技なんて絶対映像に残してほしくないし、親が個人的に持ってるくらいならいいけど、公共の電波でバラ撒くのは恥ずかしいし、自分のプライバシーを尊重してほしい、やめてくれって言うと思う。っていうか、子役にキャアキャア群がる光景も大概キモいでしょ。「鈴木福 バスツアー」で検索してみれば超弩級の性的消費が見れるよ。実在の子供に群がるロリコンおじさんもショタコンおばさんも両方キモい。
とはいえ俺は、まあ演技とか水着姿それ自体に問題があるわけじゃないから、と思って両方を許容してきたんだけど、未成年の出る水着撮影会はアウト、というのが主流になるなら、子役も禁止にしないといけないと思うよ。
水着撮影会に出る15歳の子供より、ドラマや映画に出演する10歳の子供の方が自己決定権を有している、っていう理屈はどう考えてもおかしいよね? 実在の子供が自由意志によらず公共の電波や映画館で晒し者になるのは間違ってる。ドラマや映画は子供を出すのをやめて、CGや、見た目が幼い役者で代用するか、子供の出てこない作品だけを作るようにするべきだ(刑事ものとかなら子役は必要ないはず)。その制約がキツいなら実写製作はやめてアニメでも作れば? アニメなら成人が演じる子供キャラを好きなだけ出せるわけだし。
去年やってた『鎌倉殿の13人』では、実朝暗殺後に京都から当時2歳の三寅(九条頼経)が呼び寄せられる場面が描かれていた。年端も行かない、日本語の発話もおぼつかない幼児がそれを演じていたのだ。非常に面白い大河ドラマだったが、どう考えても自由意志なんてものを持ちようがない幼児を公共の電波で晒し者にすることは、中高生の水着撮影会に群がる以上に子供をモノ化していると思ってしまう。これまでは、水着撮影会がオッケーなんだから子役もアリでしょ、って思ってたんだけど、水着撮影会はNGというのが世の趨勢なら、真面目に子役を禁止しないと辻褄が合わない。
えっ? 子役は望んで演技をしてるからいいんだって? 都合のいいときだけ子供の自主性を盾に使うなよ! 演技では何も損なわれない? 水着の写真を撮っても何も減らないよ! 演技は何も恥ずかしいことじゃない? 少なくとも俺は恥ずかしいと思うし、逆に水着が恥ずかしくないっていう子供がいたらどうするんだよ!
俺ははてなーの皆さんが水着グラビアがなくなっても全く痛痒を感じないのと同じように、ドラマや映画が作れなくなっても、その表現の幅が狭まっても何も困らない。実在児童の保護はグラビアの表現の自由よりも優先するんだよね? さあ、一緒に子役反対を叫ぼう。ドラマや映画や水着撮影会に18歳未満の子供を出すな!
えー?芸能って芸術とか創造力なので若い才能は早く大衆の前に出てええやろ。異種だが藤井聡太さんは14歳でプロやし。一方で”水着撮影”ってなんやねん、て話やろ
ここで問題にしているのは同意する能力、自己決定権の制限なので。
人間は自由なので、成人であれば演技しようがヌードモデルになろうが自己決定権の行使なんですね。しかし子供は判断力が未熟なので、パターナリズムの観点から、あれは禁止これも禁止と制限を加えているわけです。
俺はずっと「まあ水着撮影会なんて、ピアス空けるのと同じように中高生なら別にええやろ」と思っていたんですが(根拠は前の増田を参照)、どうもはてなでは「水着姿を他者に撮影させる自己決定権」の行使は中高生にはまだ早い! という論調が支配的なようなので、中高生に対して「水着姿を他者に撮影させる」程度の自己決定権も行使させないのであれば、より年少の子役やら何やらは擁護できないよね? という話をしています。
15歳の子供に、「水着姿を他者に撮影させる自己決定権」がないのであれば、10歳の子供に、「自分の演技やら何やらを全国のお茶の間に放映する自己決定権」があろうはずもない。
プライベートゾーンが隠れた状態での撮影なんて、セックスやらヌード撮影やらと違って自己決定権の行使に至るハードルは低くてよいはずなんですけど、どうもハードルを上げるべきというのが主流の意見らしいんですね。それが駄目なら、より低年齢の子供が演技を全国放送で公開するのも駄目でしょう? 15歳の子供が水着での撮影に同意できないというのなら、10歳の子供からTVに出る同意をどうやって調達できるというんですか?
禁止論者への反論に「じゃあ全て禁止にすれば」を使うのは個人的には悪筋だなと思ってる/表現の内容ではなく、本人が望まない事を強制される事を禁止しないと全ての人の自由は守れない/禁止は面倒くさがりの理屈
ええと、俺が問題にしているのはまさしく「本人が望まない事を強制される事」ですよ。
年少者の場合は、たとえ「はい」と言っていたとしても、それを真正な同意として扱ってはならない局面があるわけです(性交同意年齢ってそういうことですよね。子供側がいくら「セックスをしたい」と意思表示していたとしても、それ未満の年齢の子供とのセックスはレイプとして扱われる。あとはエホバの証人の子供が輸血を拒否したので救命できず死んだ事件とかも、今では問答無用で輸血すべきという話になっているはず)。それは、年少者には自律した判断をする能力がない(ということになっている)ので、パターナリズムで「お前らに重大な事柄への同意能力はない!」と決めつけているわけです。
15歳の子供に、水着を身に着けた状態での写真撮影程度のことを自己決定する能力がない、とみなすのであれば、それより年少者のドラマや映画への出演への同意なんてできないでしょ、実質的に無理強いでしょ、ってことです。
だからこれは表現の内容どうこうの問題じゃないんですよ。成人が同意の上で出てるAVは問題ないけど、俳優を拉致してきて撮影した健全ラブコメ作品はまったく許容できないですよね? 同様に、水着撮影会程度のことが駄目なら子役も駄目ってことにしないとね、っていう話です。
「子役は本人の意思確認の段取りとか含めてもっと手厚く保護されるべき」とかではなく、一足飛びに「禁止」とか言い出すのは釣りだからなのか短慮なのか「反対派ってそんなもんでしょ」なのか。
「水着撮影会に未成年が出演する場合は意思確認の段取りを厳格に」じゃなくて「水着撮影会に未成年を出すな!」っていうところまで一足飛びに求めていたのははてなーの皆さんだったと思うのですが……水着グラドルに対して急進的な規制を支持していた人たちが子役には微温的に対応しろって言い出してるのがわけわかんないんですよね。そこは急進的に禁止しようよ。
極論だと言うコメントもあるけど、私的記録ならともかく、当人が望まぬ公開記録を残されるケースを考えたら子役禁止はそれほど不自然な成り行きではないと思う。子役を残すのには理性的な論理武装は必要になりそう。
「別に演技の映像が残るくらいいいじゃん、減るもんじゃなしw」といって子役を認めるのも一つの選択肢です。実際、なにか減るか? と言われたらなにも減らないので。ただその場合、「別に水着の写真が」という理屈も認めないと整合性が取れないですけど。
自分で自分のことを決めた結果、別の選択肢を選んでおけばよかった、と後悔することはよくあるけど、自分の選択の帰結は基本的に自分で背負うべき。自由な自己決定というのはそういうこと。ただ、子供は判断能力が未熟なので、自己決定権を制限してあとで後悔する可能性を減らしているわけですね。
えっ!? 未成年の水着撮影会の問題は子供の自己決定権の話じゃなくて「子供の水着姿を愛好するお前らはキモい」という話だったんですか???